【国宝松本城】
2000年8月14日
初めて訪れた長野県松本市。そして松本城。
天守の大きさとお堀、赤い橋、そして城内の急な階段にビックリ!
小学生の子供たちにはチョットつまらなかったかも(笑)

永正元年(1504)小笠原一族の島立貞永が築いた深志城が前身とされており、松本城に改称したのは天正10年(1582)のことである。徳川家康の関東移封により、小笠原氏に代わって石川数正が松本に入り、近世城郭の普請と城下町造りを始めた。しかし数正の代には完成せず、子の康長に改修工事は受け継がれ、今日に残る国宝指定の大天守・乾小天守・渡櫓などが完成した。松本城の大天守は、姫路城とともに2基しか現存していない互層天守として非常に貴重である。
※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)
【松本城】
《石川氏が完成させた信濃一の大城郭》
名称(別名);深志城
所在地;長野県松本市丸の内4-1
城地種類;平城
築城年代;文禄2~3年(1593~4)
築城者;石川数正・康長
主な城主;石川氏・小笠原氏・戸田(松平)氏・滅平(越前)氏・堀田氏・水野氏
文化財区分;大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓、、、以上国宝。他国指定史跡
近年の主な復元等;平成11年に太鼓門を復元
天守の現状、形態;五層六階木造(現存)
地図;
※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)
2000年8月14日
初めて訪れた長野県松本市。そして松本城。
天守の大きさとお堀、赤い橋、そして城内の急な階段にビックリ!
小学生の子供たちにはチョットつまらなかったかも(笑)

永正元年(1504)小笠原一族の島立貞永が築いた深志城が前身とされており、松本城に改称したのは天正10年(1582)のことである。徳川家康の関東移封により、小笠原氏に代わって石川数正が松本に入り、近世城郭の普請と城下町造りを始めた。しかし数正の代には完成せず、子の康長に改修工事は受け継がれ、今日に残る国宝指定の大天守・乾小天守・渡櫓などが完成した。松本城の大天守は、姫路城とともに2基しか現存していない互層天守として非常に貴重である。
※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)
【松本城】
《石川氏が完成させた信濃一の大城郭》
名称(別名);深志城
所在地;長野県松本市丸の内4-1
城地種類;平城
築城年代;文禄2~3年(1593~4)
築城者;石川数正・康長
主な城主;石川氏・小笠原氏・戸田(松平)氏・滅平(越前)氏・堀田氏・水野氏
文化財区分;大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓、、、以上国宝。他国指定史跡
近年の主な復元等;平成11年に太鼓門を復元
天守の現状、形態;五層六階木造(現存)
地図;
※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)