サンタポリナーレ・ヌォーヴォ聖堂
ランチ(後ほどご紹介)をしたあと、上記のサンタポリナーレ・ヌォーヴォ聖堂に向かいました。時間は12月26日、午後3時近くになっています。何しろベネチアからの日帰りなので先が急がれましたが、郊外にあるクラッセ聖堂はバスの時間がなくて、この時点で諦めました。そうなるとすっかり気分は楽になって、この聖堂へ行く足取りも軽やかでした。こうして時間に制限のある旅は、思い切って諦めることも大切ですね。いつか又ラヴェンナに来て、クラッセまで足を伸ばしてみようと思います。
サンタポリナーレ・ヌォーボ聖堂の外観
前述の地図からすると、ネオニアーノ洗礼堂を見たあと、隣の聖堂(立派なプレゼーピオが飾られていました)やネオニアーノの裏手にある、大司教博物館博物館(入り口に、私に向かって「チャイナか、いや日本人やろ」と言った獅子の置物がある)にも立ち寄りました。この博物館の中には、象牙で出来た有名な大司教の椅子や勿論モザイク画や、その他重要な展示物は沢山ありましたが、撮影は禁止で、係の人が目を光らせていました。なので写真はないのですが、ここも見どころのある見学コースです。
話が前後しますが、ネオニアーノ洗礼堂を出たらそのまま博物館へ
さて、ラヴェンナの駅から伸びる「ファリーニ通り」と交差する「ローマ通り」の先にこの聖堂はあるのですが、ネオニアーノから行くと、「ジェッシ通り」に続く「マリアーニ通り」の突き当たりが「ローマ通り」になって、右折した左手にサンタポリアーナ・ヌォーヴォ聖堂があります。
聖堂に入ったつもりなのに中庭しかない・・・
何気に開いているドアから入り、チケットを見せて係の人が指さす入り口から進みましたが、そこは古いいわゆるコリント様式らしき柱で囲まれた中庭でした。えっ?たったこれだけ?ぐるりと見渡しても聖堂らしきものがないのです。同じように入ってきた、英語を話していたので、多分アメリカ人と思われる女性も「?」だったようで、二人して顔を見合わせました。どこかに聖堂に入る扉があるはずですよねぇ…と言いながら、私たちは間違ってトイレにも入ってしまったりして…
あれだ!
なんとまぁ分かりにくい
とブツブツつぶやきながらも聖堂へ足を踏み入れると・・・息を呑みました
これまでのような狭い空間ではなく、広々とした教会内部一面のモザイク画は圧巻でした
けれど高潮に遭った歴史があって、その為に壁画は12メートルも持ち上げられたとか
どおりで、他の聖堂に比べてどこかアンバランスな感覚をぬぐえなかったことが分かりました
一時的にでもローマ帝国を統一したテオドシウスでしたが、彼が亡くなると東西は分裂し、二度と元に戻ることはありませんでした。ここから一気に帝国の滅亡への道が始まる訳ですが、前述の通り、西ローマ帝国を受け継いだテオドシウスの次男ホノリウスは、蛮族からローマを守る為に西ローマ帝国の都をミラノからここラヴェンナに移します。410年のことでした。
教会の後陣
宗教上の違いから改築されて建設当時とは趣が全く違っているらしい
大体二代目というのは、家や会社を傾けてしまうことが多いと言われますが、西ローマ帝国もあっという間に滅びてしまいます。ホノリウスに先見の明がなく無策だったということもあるでしょうが、古代ローマにおいては、東に比べて未開地だった西のエリアに豊かな経済発展を望めなかったことは否めなく、又、何よりも領土拡大のために戦いを繰り返していては、それだけでも国は疲弊して消え去るのも当然のことだったかもしれません。
やがて、ゲルマン人のオドケアル王や東ゴート族のテオドリック王やユスティニアス大帝などが入れ替わり立ち替わり次々とラヴェンナを治めることになり、その為に、ラヴェンナには様々な様式の文化が培っていくことになります。
中でも人類史上最も長く巨大だったビザチン帝国ユスティニアス大帝の影響は大きくて、先のサンビターレ聖堂をはじめ、ラヴェンナの各地にビザチン様式の華やかさを伴ったモザイクの芸術が一気に花開いたのでした。あのラヴェンナにゆかりのある詩人、ダンテに「ラヴェンナは色彩の交響曲を奏でる」と言わしめたのも、こうした複雑な歴史を背景に、東方からあでやかな文化がなだれ込んで来たからでしょう。
モザイク画はフレスコ画と違って色あせることがない
壁面には、聖女の殉教者たちの参列や東方三賢人のモザイク画が見て取れましたが、当時のままに残されているのは壁面上部のみらしく、元々が4段構成の図式が、高潮の心配からかさ上げされた結果、取り壊されたり、あるいは宗派の違いから、後に改修された部分も多々あって当時をそのままに想起する場面はないとのこと。それでもこれほどまでに美しいモザイク画が、このラヴェンナに残されていることこそが価値あることなのですね。
余談
「オステリア・ピアノフォルテ」
今日のランチはあらかじめ決めたお店がありました。昨晩ヴェンナの町をグーグルマップで確認している時に、地図上で偶然見つけたのですが、掲載されていたレビューでは地元の人の評価が高くて、その「リストランテal45」というお店に行くつもりをしていました。
駅からまっすぐに続くファリアーニ通りをポポロ広場へ行く途中の角を曲がります
無料で見学出来る「アリアーニ洗礼堂」の真ん前が「リストランテal45」
ネオニアーノ洗礼堂を出てポポロ広場まで戻り、そこから駅方面へ向かってアマンド通りへと歩いて行きました。「リストランテal45」は、「アリアーニ洗礼堂」の真ん前にあるようなので、ついでにこの洗礼堂のモザイクも見ようという心づもりです。ラヴェンナの町の中心街は、碁盤の目のようで、とても分かりやすかったのは幸いでした。
ところが・・・
「オステリア・ピアノフォルテ」店内
黄色の矢印のテーブルに座っています(^^)
途中左手にある「ピアノフォルテ」(via degli Ariani10)というお店に、ピキッ。携帯ではないですが、私のアンテナが三本見事に立ちました-☆。ランチタイムもそろそろ過ぎようとしているのに、地元の人が沢山入って食事をしているのがガラス越しに覗えたのです。どこの町でも同じですが、美味しいお店は人だかりがしている・・・気がつけば、店内に入っていた私、一人でも大丈夫ですか、と聞くと、若いカメリエーレ(給仕さん)は「チェルト」(勿論!)と、にっこり笑って奥のテーブルに案内してくれました。
このスープは頼んでいないので、これは多分、イタリアの“お通し”
食事前の熱々濃厚スープが五臓六腑に染み渡りました~ウマイっ
注文を取りに来たカメリエーレに「お勧めの料理は何ですか」という旅行会話の定番フレーズをいうと、出て来たのが以下のスパゲティでしたが、お通しのズッパ(スープ)といい、このもちもち食感のショートパスタといい、実に美味しくて、まさしくビンゴ!でした。
エビとトマトのもちもちショートパスタ
「ストロッツァプレーティ」という手打ちの、この地方のパスタらしいのですが、意味は・・・
神父の首をねじるぅ???
上記写真、私の前のテーブルに座る紳士は、一人でコース料理を食べていましたが、アンティパストから始まるお料理を一皿一皿豪快に空けていき、見ていても気持ちが良かったです。ワインはフルボトル一本を飲み干して、チョコレートケーキのデザートまで平らげて席を立ちました。イタリア人といえども、うーんっお見事!
私は、お通しのズッパとパスタ、飲み物にグラス一杯の白ワインと、そして最後にコーヒーを飲んでお腹がいっぱいになりましたが、飛び込みでこんな美味しいランチを頂けたのはラッキーでした。
無料で見学出来る「アリアーニ洗礼堂」
隣にあるサント・スピリト教会附属の八角形の小さな洗礼堂です。5世紀末に先のテオドリクス王によって建てられたものだそうですが、町の隅っこに追いやられたようにぽつんと立っています。でも、この中のモザイクも素晴らしく他の教会と共に世界遺産になっています。建立された折の宗派との相違があって、当時とは変わってしまっているのだそうですが、外観と内部の装飾とのギャップにはやはり驚かされます。
いよいよラヴェンナの散策も終盤に入ります。この後はポポロ広場まで引き返し、ダンテのお墓に行きますが、次回は奇跡的ともいえるラヴェンナでの出会いも記しておこうと思います(^^)。
kazuさん、もうイタリアの隅々まで知り尽くしていらっしゃいますね。
好きなところは、何度行っても、行き尽くすことが無いですもん・・分かります。
下手をすると、観光客で行く人の方が地元の人より詳しかったりする場合もあるかも。
どうしても初めて行けば、そこのベタな観光地を周って、まずは終わりですよね。
2度・3度と行くうちに、どんどん魅力にはまってしまいますね~。
アハハハ・・・リストランテで前に座った紳士の食べっぷり!わかる・・わかる・・よくありますね。
パリのレストランで、隣に座った4人ご家族、それはそれは美しいご両親と、どちらもモデルさんになれそうな息子さんと娘さん。
横目で、その美しさに見とれていると、いやはや注文するは・・するは・・そして、片っぱしからたいらげる・・たいらげる・・それも夜の10時を廻ったころ。
見ているだけで、胃がもたれそうでした。
小さな街の聖堂やご自分で見つけたリストランテを歩くkazuさんの旅、、いいなー。ほんと、いいなー。
次回の奇跡の出会い編を楽しみにしています。
おっしゃるように、歴史上のさまざまなできごとを思うと、さらに感慨深いものもあります。イタリアでいろんな先生から教わった西ローマ帝国崩壊についての歴史によると、領土が広くなりすぎた上、異民族の侵入も相次ぎ、帝国の滅亡はもうずいぶん前から目に見えていて、時間の問題だったそうです。ローマからラベンナに都が移ったおかげか、ローマ・ラベンナ間の交通は盛んで、強勢アクセントが置かれるaがeと発音される現象が、ラベンナからこの道を通って、たとえば途中にあるペルージャの方言にも影響を与えているそうで、そんな歴史の名残が言葉にも跡を残しているのも興味深いです。
おっーフランスでもそんなことがありましたか。おまけに美男美女揃いのご家族ときては、そのギャップが可笑しいですね。私も件の紳士は真ん前に座っておられたので、イヤでも目に入って、パスタもぺろり、ステーキもぺろりであっけにとられてました。さちさんはお店に入るとどんなお料理を注文されますか。イタリアではとにかく一皿の量が多いし、いろんなお料理を食べたいのに種類が頼めなくて、レストランだけは一人ではしんどいです^^;
イタリアはどこへ行っても、学生の頃に習った覚えのある歴史が浮上して、あーこういうことだったのかと思うことがいっぱいです。恥ずかしいですが、今になって修学旅行をしている気分です。そうですか、イントネーションにまでそんな深い影響があるとは。なおこさんの専門分野のお話ですね。さすがだなぁ。いつかじっくり窺ってみたいです。