イタリアより

滞在日記

ペルージャのマハラジャ

2015年02月07日 | ペルージャ

真っ先に訪れたサンタンジェロ教会


■2014年12月22日(月)

前述もしましたが、ペルージャに着いて真っ先に訪れたのが、サンタンジェロ教会でした。この日は晴天でしたが、山の上のお天気は気まぐれです。午後になると急に崩れることもあるので、行きたい場所は最優先で向かいます。いつもそう決めています。これも私の旅の鉄則の一つです。

ペルージャの中心地にある大聖堂を見学した後、ソーレ通りに向かい、ロッシ・スコッティ広場を経由してガリバルディ通りを歩いて行きました。


大聖堂の横を通り、ソーレ通りを行く


ガリバルディ通りへ向かう途中、ロッシ・スコッティ広場から望むペルージャの町の風景はとても素晴らしく、ここは写真スポットです。お天気が良いのはほんとに有り難い。


ロッシ・スコッティ広場からペルージャの町並みを望む


あの山の向こうが、先年訪れたアッシジだ・・・シミジミ(旅情にひたる)~えっ?ちゃうちゃう、アッシジは反~対っ~と自分で自分にツッコミを入れながら、今にも遠くアドリア海の蜃気楼が現れそうな景色をしばし楽しんだのでした。


ロッシ・スコッティ広場から続く階段を降りていく


広場から、上記の階段を降りて右へ右へと道なりに行くとペルージャ外国人大学の前に出ますが、その大学の横から続く小道を案内表示に従って更に上がっていけば、目的のサンタンジェロ教会があります。この通りは、ガリバルディと言いますが、やはり石畳の坂道で、教会までは結構な道のりがありました。


目の前に見えるのがサンタンジェロ門

黄色の矢印から入りますが、その手前、教会を正面に見る民家のある通路(一番上の写真)からも行ける

この門にも上がれるらしいのですが、私はパスをしてまっすぐ教会に向かいました。起源は4~5世紀にも遡るというこのサンタンジェロ教会は、この町に現存する最古の教会ですが、古代ローマの建築様式そのままに、円形の美しい姿は手入れの行き届いた芝生によく映えて、まるで貴婦人のごとく静かな佇まいを見せてくれました。訪問者は私一人で、こんな時、オフシーズンのメリットを思う存分享受できるのでした。


ペルージャの貴婦人(私が名付けた(^^))サンタンジェロ教会・・・

晴天だったので、まるで絵葉書のような写真が撮れました

昔は、素朴で平面の、円形や正多角形を主にした教会が作られていた・・・。元々は霊廟のローマのサンタンジェロ城を初め、パンテオンやラヴェンナの教会群、そしてマニアックなところではヴェネチアのトルチェッロ島にある質素なサンタ・フォスカリ教会など、これまで訪れた初期キリスト教の建物が次々思い浮かびました。3~5世紀の古い建物が、修復されながらでも今なお現存する、やっぱり凄いぞ、イタリアは。

と、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、ガリバルディ通りのこの辺りにはバールも雑貨屋さんもなくて、ちょっと困ったことになりました。喉も渇いたしトイレ休憩もしたいのにお店が一軒もないのです。そういえば、ランチの時間もとっくに過ぎたしなぁ~いや、それよりも何よりも、中耳炎を悪化させない為に抗生剤を飲まなくちゃと考えていたその時に、あったー、とレストランらしきお店を見つけ、さほど深くも考えずにドアを開けたのでした。


「ボンジョルノぉ~☆」


何を食べようかなぁ~喉が渇いたから昼間だけれど、先ずはビールでも~そうだ、豆か野菜のいっぱい入ったスープを頼もう、トリュフのかかったスパゲティ、サルシッシャもいいなぁ等と、事前に調べたペルージャの名物を思い浮かべながら、店に入ったのですが・・・

えっ?



レストランの中では・・・


外からは全く聞こえなかった、マハラジャの音楽が店内に調子よく、そして大音響で鳴り響き、壁に掛かったテレビの液晶画面には、派手な衣装をまとった踊り子たちが、音楽に合わせて身体をクネクネさせている。どうもインド料理の専門店に迷い込んだらしい(いや入った!)、と気付くのにそう時間はかからなかったものの、私はすっかり固まってしまいました。それっぽい小柄な男性がニコニコしながら、丁寧にお辞儀をして迎えてくれた為、出るに出られなくなって・・・あーあ~。でも、これで喉の渇きと空腹は癒やせるし、トイレもいける、まっいっか~。


給仕さんがお勧めだと言ったリゾット


メニューを見ると、多分インドの言葉とその下にイタリア語に訳された料理名が並んでいましたが、もうここは店のお勧め料理を聞くのが一番です。果たして彼はリゾット(お米)を勧めてきましたが、それはきっと私が平たい顔族だからだ、などと考えながら、それでもメニューから「verdura」(野菜)のリゾットを選んだのでした。

ペルージャは海のない州都です。海産物や魚介類はないけれど、私が頼んだリゾットには、きっと新鮮で美味しいお野菜たちが沢山入っているに違いない・・・と思った期待はあっさり裏切られ、明らかに冷凍食品だと分かる野菜が混ぜられたリゾットが上記写真のようにでーんと山盛り出て来ました。そして副食に三種類の香の物が供され、これをリゾットに掛けながら食べろと件の男性からアドバイスがありました。ハイそうします・・・

味はまっそれなり~でしたが、取りあえずの空腹と喉の渇きは癒やされたし、薬も飲めた。あとは、トイレを借りて、町の散策に戻ろうと気を取り直しましたが、洗面所に行こうとして、途中通ることになる厨房を見ると・・・再び・・・

えっ?



水道橋を行く


厨房には、コンロがない、鍋もない・・・小さな家庭用電子レンジがポツンと置かれてはいましたが、一体あの料理はどうやって作ったのか・・・いや、深くは考えまい・・・

このあと、古代ローマの水道橋跡である、アックエドットへ向かいましたが、振り返ると何だかあの店は消えていそうで・・・怖くて後ろは振り向けませんでした^^;。まさか、イタリアのキツネはお店を出すなんてことはしないよねぇ・・・水道橋を歩いているときも、私の頭の中ではいつまでもマハラジャの音楽が鳴り響いていましたが、そういえば、どこからか動物の鳴き声もしたような・・・。
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ペルージャにて

2014年12月24日 | ペルージャ
■2014年12月23日(火)


ペルージャの目抜き通り「コルソ・ピエトロ・ヴァンヌッチ」


ペルージャの初日は、到着した途端に大爆走を演じましたが、それでも良心のある人に拾われたお陰でカメラも手元に戻って、気持ちよく町を散策することが出来ました。

イタリア広場を起点に、大聖堂からソーレ通りに向かい、ロッシスコッティ広場を経由して、ガリバルディ通りを頂点まで。そこでは円形の美しいサンタンジェロ教会を見て、更にはベネデッタ通りを抜け、古代ローマの水道橋を感動しながら渡りました。


趣のある「テルコラーノの階段」


ホテルに一度戻って休憩を取ったあとは、ペルージャの商店街になるカヴール通りを歩きましたが、この界隈ではサンテルコラーノ通りの階段が趣があって、すっかり気に入りました。上がりきったオベルダン通りを曲がれば、マッテオッティ広場に出て、そっか~ここにつながるのだと、町の方達からすれば、分かりきったことに、何だか私が新発見したような気分にもなって、一人悦に入ったのでした。


カヴール通りの終点近く、サンピエトロ門から教会を望む


あちらこちらにクリスマスの飾り付けもしてあって、日本のような派手さはないけれど、静かであたたかな明かりが町を灯していました。


入ったものの、出るに出られず固まってしまったレストラン

うっかりのぞいた厨房には・・・うっそぉー


そうそう町を散策中にトイレ休憩の為に入ったレストラン、えっーと固まったまま出るに出られず、まさかのランチになりました。珍しいミニメトロに乗ろうとして、切符を買おうとしたら、こちらも、そんなんあり?と日本では絶対にあり得ないことに遭遇もして、これはもうイタリアの“あるある”に追加しなければ、とちょっと愉快にもなりました。詳しいお話はまた追々に綴っていきたいと思います。それにしても、あのレストラン、厨房にコンロがなかった・・・鍋もフライパンも・・・


なおこさんと初めてお会いしました(*^_^*)


さて、今日23日は、ペルージャ在住のなおこさんにお会いしました。なおこさんは、ペルージャで外国人に日本語を教えておられます。長い間、愛媛県で高校の国語教師の仕事に携わっておられたそうですが、私がなおこさんを知るきっかけになったのは、イタリア語の学習の為に、なおさんが執筆されるまぐまぐを購読したことからでした。さすが国語の先生というだけあって、文章は読みやすく、内容も充実していて、他の追随を許さない、説明も目からうろこのことがいっぱいなのでした。


なおこさんから教えて貰ったデルタの町の焼き物を買いました。

マヨリカ焼きかな

年甲斐もなく、嬉しげ・・・


お忙しい中をわざわざ時間を割いて、町を案内して下さいました。初日に端から端まで一人で散策したので、町の様子は知ったつもりになっていましたが、いやぁペルージャは奥が深い。旅行者は決して行かない、というより行けない教会やレストラン、抜け道などを教えて頂いて更に理解が深まりました。

中世の面影を残すこの町はまるで迷路のよう。その中を、爆走と迷走に終始した散策でしたが、なおこさんが少しでも私に良いように心を砕いてくださったことは、とても嬉しくて、歩き疲れたことなどすっかり飛んでしまったのでした。ホテルまで送って下さって、名残惜しくお別れしましたが、ほんとにお世話になり御礼申し上げます。


ペルージャのグロム

心当たりのある友人へ
第二弾:どや?(^_^)v


ペルージャからフィレンツェに戻ってきましたが、駅前には、今到着したらしい日本人のツアー客が列をなして歩いていました。混雑するサンタ・マリア・ノベッラ駅。明日は再び、フィレンツェ近郊の小さな町に出かけようと思っています。
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ペルージャの大爆走

2014年12月23日 | ペルージャ

珍しい円形のペルージャ・サンタンジェロ教会

ペルージャに到着後、お天気のいいうちにと、真っ先に訪れました


■2014年12月22日(月)

フィレンツェのホテルにスーツケースを置いたまま、ペルージャへ一泊旅行に来ています。以前アッシジに行った時、時間がなくて行けないまま、ずっと気に掛かっていたのです。今回は、この町からブログで有益な情報を発信しておられる在住者のなおこさんともお会いする予定なのでとても楽しみなのでした。



鉄道のペルージャ駅から、バスに乗って町に入ります

正面に見える青いバスが山の上にある町と駅を結んでいる


フィレンツェを8時に出発する列車に乗って、無事にペルージャ駅に着きました。駅を出て左手にある切符売り場でバスのチケットを買ってすぐに来たバスに乗車しましたが、まさかこのバスを走って追いかけることになろうとは、この時はつゆとも思わず・・・


宿泊のホテルの真下がバスの停留所「パルティジャーニ広場」

赤矢印の通り、爆走する


宿泊するホテルの前がバス停になっていて、ここで下車しましたが、首からぶら下げているはずのカメラがないことにすぐに気がつきました。バッグの中を探してもない、これはバスの中に落としたに違いないと反射的に頭が作動したのは、今から思うと幸いでした。

ペルージャの町は、山の上に築かれたこともあって、このバス停のある広場から、町の中心地のイタリア広場までエスカレーターが通っています。勿論途中で歩くことにもなるし、パオリーナ城という古い城跡を突き抜ける石畳の坂道もありますが、とにかくバスは道路をぐるり大きく回って終点のイタリア広場に着くことが分かっていたので、これはもしかしたら追いつけるかも知れない、と、身体はエスカレーターに向かって走っていました。


青い矢印がバスの軌跡

黄色の矢印が爆走する私ハァハァゼーゼー


実は今回の旅行に際して、デジカメを新調したばかりでした。なので諦める選択肢はなかったと後から考えてもそう思いますが、それよりも、よくあんなに走れたと、自分の火事場の馬鹿力に驚いています。

というのも、旅行前から引いている風邪の影響で、飛行機の降下時に、どうも航空中耳炎にかかったようでした。持参した抗生剤を飲んでいるためか、幸い痛みはないものの、日本ならあとでバス会社に電話しよと、追いかけるなんてことはしなかったに違いないのです。でもここはイタリア、少しでも身から離した貴重品はあっというまに姿を消す・・・


目の前のトンネルに爆走



城跡に作られたエスカレーターも駆け上がり



バスの終点を目指して城跡を駆け抜ける



考えれば、一泊といえども手に荷物も持っていたなぁ



足下は運動靴じゃなくて、ブーツ・・・


頭の中では「走る走る俺たち~流れる汗もそのままに」という古い歌が鳴っていた


それでも、やっとイタリア広場に駆け込んで、目の前に青いバスが一台停まっているのを見た時は、このバスだと確信に近い気持ちになりました。運転手さんとも目があって、発車寸前のドアを開けて貰ったときは、息が上がって声が出ませんでしたが、かろうじて「カメラを忘れました」と言った、その時!

バスの中から、「ここにあるよー」と声がしたのです。弾かれるように車内に入ってみて更に驚くことになりました。なんと身体の大きな黒人さんが乗客として二人居て、そのうちの一人の手のひらに、私のどピンクのケースに入ったカメラがちょこんと乗ってたいたのです。


ローマ時代の水道路「アックエドット通り」

大爆走の事件後、心置きなく散策しましたが、カメラがなくなっていたら、この写真もなかったですねぇ。


こんな時、イタリアでは絶対物は返ってはこない、バスには追いついたものの、もしかしたら、無意識の思いの中では、カメラはもう無くても仕方ないと諦めていたのかも知れません。なので、ほんとに意外で嬉しい結末でした。私は、歌手のクリス・ハートさんに似たその黒人さんの手を押し頂いて、何度も何度もお礼を言いましたが、人として当たり前のことをしただけだよ、と彼のはにかんだ笑顔は、そう言っているようでした。

それにしても、特異なペルージャの町の道路事情を事前に承知していたから、バスに追いつけたれど、普通ならとてもとても叶わなかった出来事でした。そして何よりも自分の不注意が恨めしい。旅はまだ始まったばかり~改めて気分を引き締めなくては猛省したのでした。
コメント (9)
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