夕刻のラヴェンナ駅前
1850年代、この地域を牛耳っていたらしいルイージ・カルロ・ファリーニの銅像
駅前の通りには、この人の名前が付いている
ネット予約していた普通列車の切符を捨てて、新たな切符を買って乗車した車内の中で偶然行き会わせた人に声を掛けられた私。話の内容からすると、ラヴェンナの散策中、あちこちの聖堂でこの人たちに出会ったようなのですが、私には全く記憶がありませんでした。というよりも、どこに行っても余りにも美しいモザイク画に圧倒され、聖堂の天井ばかりを見上げていたので、私には周辺への気遣いがなかったのでしょう。
駅前の小さな教会も訪ねました
聖歌が静かに流れていましたよ
通路を挟みながらも、隣席に座った見知らぬ人から突然話しかけられたことにも驚きましたが、聖堂で思わず発した私の独り言や無意識の所作を見られていたということが分かって、顔から火が出る思いでした。でも…
どゆーこと?
どこの聖堂もほんとに綺麗でした
話を聞けば、最初に会ったのはサンビターレ聖堂だったようなのですが、行く先々で私の姿を見たそうで、といっても散策の順路をサンビターレから始めれば同じコースを辿ることになるのは当たり前だし、そう不思議なことではないと思うのですが、カメラに納めようとする程彼の琴線に触れたのは、なんと私の傘なのでした。
ガッラ・プラチーディア霊廟の天井画
この傘は、20数年前実家の母が、もう古いしデザインも流行遅れだから、と処分しようとした折りたたみ傘なのですが、どこにも不具合はないし、これなら忘れたりなくしたりしてもいいかと、海外旅行用に貰ってきたのでした。そもそも折りたたみ傘は、使用後、閉じると濡れたまま手に持つのに、どう持って良いのか意外に不自由を感じます。その点この傘は、カバーにちょっとした工夫がしてあって、閉じればたたむ必要なくその大きさのまま、カバーから変身した収納袋にいれて、手にぶら下げることが出来るのでした。
その昔、ブランド物の傘が流行したことがありました
この傘もその頃の年代モノで、奇しくもイタリアブランド「ヴァレンティノ・ガラバーニ」でした
柄に剥げ掛かったヴァレンティノのロゴマーク「V」が付いている
ネオニアーノ聖堂のモザイク画
そんな訳で、母のお下がりの古い傘はいつも旅行に持って行くのですが、こんな物でも縁があるのか、忘れることもなく、そして無くすこともなく、ここ何年も私の旅のお供をしてくれているのでした。しかし、さすがに老体なので、小降りの雨ならいいのですが、大雨が降っている中、長い時間さし続けていると雨漏りがしてきます。防水加工の効果が限界にきているのでしょう。そんなこともあって、朝から雨が降り続けていたラヴェンナでは、聖堂や礼拝堂に入るたび、係の人の許可を得て、少しでも乾くようにと傘を広げたまま、差し障りのない隅っこに置かせて貰っていたのでした。
ヨハネによるキリストの洗礼
薄暗い聖堂内の隅っこに置かれた古い古い傘が、イタリア人の感性にどう響いたのか。彼が言うには、イタリアでは見ない珍しいデザインと、隅っこに広げられたままそっと置かれた静かなたたずまいが、周辺のモザイク画とよくとけ合って、とても愛らしく可愛かったのだとか。いやぁよー分からん。ですが、写真まで撮って見せてくれたのは、彼が余程その光景に感銘を受けたのだろうと、傘の持ち主としてはちょっと嬉しくもありました。
彼が見せてくれたスマホに納められた私の傘
それを更に私もカメラに撮らせてもらいました(*^_^*)
このイタリア人の男性は、列車内で件(くだん)の傘を見つけて私に声を掛けてくれたのでしょうが、もしもベネチアのアックアアルタに心折れて、この場所を訪ねなければそもそもこんな出会いはなかったし、私が予定を変えずにこの列車に乗らなければ彼らと話をする機会も得なかった、もっと言えばこの日雨が降っていなければこんな巡り合わせもなかったと思うと、今以て何か不思議な気持ちがしてきます。偶然という一片のモザイクが一つ一つ重なって生まれたようなこのひとときは、こうして雨のラヴェンナを更に忘れえぬ町としてくれたのでした。四人の乗客は、私と同じボローニャの駅で下りましたが、ベネチアまで帰るという私に、気を付けて良い旅を、と口々に言って手を振ってくれました。
ちなみに
これがその時の傘を広げた様子
確かになぁ
当の私も気付かなかったけれど、そう言われてみれば、モザイク画を彷彿とさせる…か?