イタリアより

滞在日記

ラヴェンナの思い出その2

2014年07月14日 | ラヴェンナ

夕刻のラヴェンナ駅前

1850年代、この地域を牛耳っていたらしいルイージ・カルロ・ファリーニの銅像

駅前の通りには、この人の名前が付いている


ネット予約していた普通列車の切符を捨てて、新たな切符を買って乗車した車内の中で偶然行き会わせた人に声を掛けられた私。話の内容からすると、ラヴェンナの散策中、あちこちの聖堂でこの人たちに出会ったようなのですが、私には全く記憶がありませんでした。というよりも、どこに行っても余りにも美しいモザイク画に圧倒され、聖堂の天井ばかりを見上げていたので、私には周辺への気遣いがなかったのでしょう。


駅前の小さな教会も訪ねました

聖歌が静かに流れていましたよ


通路を挟みながらも、隣席に座った見知らぬ人から突然話しかけられたことにも驚きましたが、聖堂で思わず発した私の独り言や無意識の所作を見られていたということが分かって、顔から火が出る思いでした。でも…

どゆーこと?



どこの聖堂もほんとに綺麗でした


話を聞けば、最初に会ったのはサンビターレ聖堂だったようなのですが、行く先々で私の姿を見たそうで、といっても散策の順路をサンビターレから始めれば同じコースを辿ることになるのは当たり前だし、そう不思議なことではないと思うのですが、カメラに納めようとする程彼の琴線に触れたのは、なんと私のなのでした。


ガッラ・プラチーディア霊廟の天井画


この傘は、20数年前実家の母が、もう古いしデザインも流行遅れだから、と処分しようとした折りたたみ傘なのですが、どこにも不具合はないし、これなら忘れたりなくしたりしてもいいかと、海外旅行用に貰ってきたのでした。そもそも折りたたみ傘は、使用後、閉じると濡れたまま手に持つのに、どう持って良いのか意外に不自由を感じます。その点この傘は、カバーにちょっとした工夫がしてあって、閉じればたたむ必要なくその大きさのまま、カバーから変身した収納袋にいれて、手にぶら下げることが出来るのでした。



その昔、ブランド物の傘が流行したことがありました

この傘もその頃の年代モノで、奇しくもイタリアブランド「ヴァレンティノ・ガラバーニ」でした

柄に剥げ掛かったヴァレンティノのロゴマーク「V」が付いている



ネオニアーノ聖堂のモザイク画


そんな訳で、母のお下がりの古い傘はいつも旅行に持って行くのですが、こんな物でも縁があるのか、忘れることもなく、そして無くすこともなく、ここ何年も私の旅のお供をしてくれているのでした。しかし、さすがに老体なので、小降りの雨ならいいのですが、大雨が降っている中、長い時間さし続けていると雨漏りがしてきます。防水加工の効果が限界にきているのでしょう。そんなこともあって、朝から雨が降り続けていたラヴェンナでは、聖堂や礼拝堂に入るたび、係の人の許可を得て、少しでも乾くようにと傘を広げたまま、差し障りのない隅っこに置かせて貰っていたのでした。


ヨハネによるキリストの洗礼


薄暗い聖堂内の隅っこに置かれた古い古い傘が、イタリア人の感性にどう響いたのか。彼が言うには、イタリアでは見ない珍しいデザインと、隅っこに広げられたままそっと置かれた静かなたたずまいが、周辺のモザイク画とよくとけ合って、とても愛らしく可愛かったのだとか。いやぁよー分からん。ですが、写真まで撮って見せてくれたのは、彼が余程その光景に感銘を受けたのだろうと、傘の持ち主としてはちょっと嬉しくもありました。


彼が見せてくれたスマホに納められた私の傘

それを更に私もカメラに撮らせてもらいました(*^_^*)


このイタリア人の男性は、列車内で件(くだん)の傘を見つけて私に声を掛けてくれたのでしょうが、もしもベネチアのアックアアルタに心折れて、この場所を訪ねなければそもそもこんな出会いはなかったし、私が予定を変えずにこの列車に乗らなければ彼らと話をする機会も得なかった、もっと言えばこの日雨が降っていなければこんな巡り合わせもなかったと思うと、今以て何か不思議な気持ちがしてきます。偶然という一片のモザイクが一つ一つ重なって生まれたようなこのひとときは、こうして雨のラヴェンナを更に忘れえぬ町としてくれたのでした。四人の乗客は、私と同じボローニャの駅で下りましたが、ベネチアまで帰るという私に、気を付けて良い旅を、と口々に言って手を振ってくれました。

ちなみに



これがその時の傘を広げた様子

確かになぁ

当の私も気付かなかったけれど、そう言われてみれば、モザイク画を彷彿とさせる…か?
コメント (6)
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ラヴェンナの思い出その1

2014年07月07日 | ラヴェンナ

夕刻のラヴェンナ駅


朝、7時にベネチアを出てから約10時間余り、ラヴェンナの散策を終えたのは午後5時もとっくに回っていたと思います。辺りは薄暗くなっていました。ベチチア~ラヴェンナ間は、乗り換え時間も入れると片道3時間はかかります。日本で言えば、新幹線で東京から名古屋までの距離感でしょうか。決して近くはないけれど、イタリアは鉄道路線が充実していて、しかも料金も安いからこんな日帰り旅行も苦にはなりません。


2014年12月26日午前7時25分
ベネチア サンタ・ルチア駅発フレッチャ・ジェントに乗って


それでも、アックアアルタの中をヴァポレットに乗ってサンタ・ルチア駅まで、そして特急列車でボローニャを経由してラヴェンナまでの道のりは結構疲れました。帰りの列車の切符もネット予約をしているので気が楽ではあるのですが、町歩きを終えたら、早くベネチアのホテルに帰りたくなりました。仮の住まいとはいえ、帰宅する先があるのは有り難いものですね。


ラヴェンナの町で見かけたノラ猫

カラカラフードと缶詰の両方を貰っている

贅沢な食事をしているのね(^^)


帰りの列車は、前述の通り、ネット予約をしているのでラヴェンナの駅では指定の列車に乗るだけなのですが、駅の時刻表を見ると、一つ早い電車がありました。ラヴェンナからベネチアのサンタ・ルチア駅まで帰るには、まずラヴェンナからボローニャまで普通列車で行って、ボローニャでフレッチャジェントという特急列車に乗り換えます。ネットで取った切符は、この行程の列車が二つとも指定されているのですが、スーパーエコノミーという、通常料金の半額以下の切符を購入したために、一切の変更は出来ません。

それは承知していたのですが、少し心配なことが出て来ました。この国では列車の遅れは日常茶飯事で、実は一つ早い列車も遅れが10分と表示されていたのです。もし、私が乗る予定の普通列車が更に遅れたならば、ボローニャから乗る特急電車にも乗れなくなってしまいます。ボローニャでの接続時間は15分だったのですが、迷った末思い切って、この一つ早い電車に乗ることに決めました。


イタリア鉄道のネット予約したチケット

特急列車と普通列車が指定されています


そうなるとラヴェンナからボローニャまでの普通列車の切符は買い直すことになるのですが、この料金6.9ユーロをどう考えるか。日本円にすれば約900円だけれど、うーん…普通列車が遅れて特急列車に間に合わなければ、特急列車の切符も買い換えが必要だしなぁ。こちらは30ユーロで、日本円で4000円。すでに手元にある普通列車の切符は捨てることにもなって、勿体ないという気がしなくはないのですが、やはりここはリスク回避をすることにしたのでした。

ネットの列車予約の注意
スーパーエコノミーなどの安い切符を購入する際、もし普通列車と特急列車が混在しているときは、区間を分けて購入する方が良いです。例えば今回の例でいえば、「ベネチア/サンタ・ルチア駅」~「ラヴェンナ」まで一気にネット予約すると、乗り換えの普通列車までが指定されてしまい、この普通列車も変更やキャンセルが出来ません。しかし普通列車は現地で購入しても料金は変わらないので、ネット予約は特急列車だけにして、普通列車の切符は現地で購入することをお勧めします。そうすれば、今回のようなケースにも対応できます。但し、普通列車の切符にも刻印後は、距離によって時間制限はあるので注意は必要です。


買い直した“奇跡を呼んだ切符”~大げさか(^^)

駅の刻印機は壊れていて、車掌さんに手書きして貰いました

不便だけれども、日本にはないこんな場面は結構好きかも(*^_^*)


そんな訳で、既に予約をしていたラヴェンナからボーローニャまでの普通列車の切符は破棄することにして、駅で新たな切符を買いました。これで乗り継ぎの特急列車には、間違いなく間に合うと安堵して、やって来た列車に乗り込みました。普通列車は勿論自由席。オフシーズンの夕刻ともあって車内はがらがらでした。私は適当な席に座って出発を待ちましたが、美しいモザイク画を一つ一つ思い出しては、朝のベネチアの水害と悪天候にもめげず、この地を訪問したことに一人満足をしていました。

ちょうど発車寸前だったでしょうか。通路を隔てた隣の席に、四人の乗客が乗り込んできたのですが、そのうちの一人の年配のご婦人がラヴェンナの日本語の案内本を持っておられることに気付きました。瞬時目が合ったので私は頭を軽く下げましたが、やはりこのご婦人は日本の方で、これが思いも寄らぬ出会いとなったのでした。


ラヴェンナから普通列車に乗って


のちに分かったことなのですが、この四人の乗客は、二人のご婦人とそれぞれのご子息で、一組の親子がフランス人でした。件(くだん)の日本の女性のご子息はイタリア人の男性でしたが、正確には日本人とのハーフということになるのでしょうか。この日本人の親子はフランスからやってきたお友達家族を案内してラヴェンナ観光をされたそうですが、日本で活躍する芸人さんパトリック・ハーラン(通称パックン)によく似たそのイタリア人の男性が、なんと私に流暢な日本語で話しかけてくるではありませんか。お母さんが日本人なので、日本語が話せるのは当然と言えば当然かも知れないのですが、それよりもその話の内容に驚きました。


ネオニアーナ洗礼堂


          :「あなたは、ラヴエンナのあちこちの教会におられましたね」

          :「ハイ」(その為にここに来たんだもんね←まだ余裕あり)

          :「聖堂に入った途端、“わーっキレイぃ”と言っておられました」

          :「はぁ?」(た、確かに言った…気がする…汗)

          :「教会の隅っこに傘を広げて置いておられたでしょ」

          :「ハ、ハ ハイ」(な、なんで知ってんねん、そんなこと←動揺)

          :「とても可愛かったです」

          :「はっ?」(混乱)

          :「なので写真を撮ったのですよ」

          :「ヒッ」(錯乱)

思えば、私の返事はハ行のみでした・・・


続く

コメント (8)
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