gooblogのサービス終了に伴い
「イタリアより」は他所に引っ越し予定です
長い間お世話になりました
「モーロ河岸、聖テオドルスの柱を右に西を望む」/カナレット作
サン・マルコ広場前の水辺あたりに立てば、このカナレットの《モーロ河岸、聖テオドルスの柱を右に西を望む》にもどこか違和感を覚えます。「こんな構図は、現地では絶対に撮れない」のです。にもかかわらず、あまりにも自然に見えてしまう。。。そもそも、この視点も建物の2階か3階にでも上がらなければ望めない景色だし、画面奥にそびえる対岸の「サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂」は、こんなに大きく近くには見えません。
すぐ目の先にあるかのように見える
「サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂」
けれど、現実とは違うのにカナレットの描いたベチネアが、真実に思えてくるのは彼のなせる技(わざ)、きっと光の柔らかさや空の広がり、石畳の質感までもが、カナレットの記憶と視線を通して、見る者に語りかけてくるからなのだ、と感嘆の思いでした。
赤い重厚な建物
「テッラ・ノーヴァ穀物庫」
今は「Giardini Reali(王の公園)」
と呼ばれる公園になっている
この絵の中には、ナポレオンに破壊されたため、今ではもう存在しない「テッラ・ノーヴァ穀物庫」の姿も描かれています。テッラ・ノーヴァ穀物庫とは、正式名称をGranai di Terra Nova(グラナイ・ディ・テッラ・ノーヴァ)といい、小麦や穀物の保管・備蓄庫として、共和国の食糧供給を担う公共施設でした。食糧価格の安定と民衆の飢えを防ぐため、国が穀物を直接買い上げて備蓄し、供給調整するという、いわば経済の安全弁として機能していました…と書くと、昨今我が国で起きている「備蓄米」の話になりそうですが、まさに、当時のベネチアの「備蓄米」倉庫だったのです。
「テッラ・ノーヴァ穀物庫」
Academia.eduより
現代のこのモーロ河岸には、ヴァポレットの乗り場があり、観光客が絶えず行き交い混とんとしていますが、過去の帰らぬ光景を、永遠の中に封じ込めたかのようなこの作品は美術という枠を超え、歴史の記憶という役割も果たしているのだと気付きました。
なお、この作品には、対になる一枚「スキアヴォーニ河岸、東を望む」があるのですが、どういう訳か日本には来ていません。ベネチアの玄関口になるサン・マルコ広場を中心に、この「西」と「東」を並べて観覧してこそ、当時のベネチアの代表的な風景がうかがえるのに…と少々残念な気持ちでした。
-続く-