イタリアより

滞在日記

フィレンツェ2016/サンタ・マリア・ノベッラ駅その2-窓口で切符を買う-

2017年01月31日 | フィレンツェ

 

サンタ・マリア・ノベッラ駅の自動整理券発行機



■2016年12月25日(日)

フィレンツェの鉄道駅は小さいです。その駅に世界中から観光客が押し寄せるものだからいつでも混雑しています。今回、駅構内をふらりと見て回りましたが、あらっと気が付くこともあって、少し書き留めておこうと思います。2016年12月25日現在の情報です。

 

整理券の番号が表示される窓口



10年近く前のことですが、この駅で切符を買った時には、1時間近くも列に並んで順番を待ちました。中には、やっと番が来たのに、違う窓口に行けと言われて憮然とする観光客も目にしたりして、窓口の対応の仕方や効率の悪さを感じたものでした。それが、今回、整理券を発行することで応対しているのを見てちょっと感心することになりました。



実は、明日の切符の変更の為に窓口に来て、この整理券発行機に気付いたのですが、ふむふむ成る程~、少々遅きに失した感はあるものの、これで効率良く、そして間違いなく対応して貰えると安心感を得たのでした。

この整理番号発行機は、上記の通り、先ずは上部の画面にタッチします。少し間を置いて、するんっと整理番号の書かれた紙切れが下方から出て来ますので、その番号と窓口の電光掲示板の番号を照らし合わせます。自分の番号が提示されたら、さっと窓口に行きましょう。

 

整理番号が印字された紙が出てくる



どこかで体験したような光景~日本なら病院の薬局や銀行の窓口などで見かけるシステムですが、違うのは、窓口に番号が点灯している間に行かないと又一から整理番号をとらねばならないことです。イタリアは日本のように親切ではありません。整理番号を持っているからと安心は出来ないのです。

番号が点灯されたのに、該当する人が現れないと、すぐに次の番号になってしまいます。イタリア人は、いい加減だとかテキトーだとかよく言われますが、変なところに頑固さがあって、点灯した番号がたった今消えたばかりでも、もう一度整理番号を取れと言って譲らない~観光客は、またまた憮然として番号を取りに行くはめになります。だから、皆、整理番号を手に持って、窓口を、まるで敵対する相手をにらみつけるように見ています。あっ私もその一人でした。負けるもんかっ!

なお、窓口の正面向かって右端には鉄道に関するインフォメーションの窓口がありますので、分からないことやちょっとした疑問点はここで対応して貰えます。この整理番号を取らないといつまで経っても窓口で切符は買えないので、先ずは整理番号発行機の画面にターッチ!です。

 

オフシーズンでも旅行客がいっぱいのサンタ・マリア・ノベッラ駅



そうそう、この10年間、駅構内で変わらないこともあって、これこそ外国人、とりわけ日本人にとっては間違いやすいので要注意です。それは、構内にある列車の発車時刻&到着時刻の電光掲示板。窓口と同じく、皆、この電光掲示板をにらみつけている訳ですが、掲示板の見方をうっかり間違うと、列車に乗り遅れてしまいます。

 

発車時刻・到着時刻を知るために、皆が見上げる電光掲示板



フィレンツェの鉄道駅の電光掲示板には二種類あるので注意が必要です。上記の写真のように、「出発時刻」(PARTENZA)と「到着時刻」(Arrivo)、両方が並んで掲示されていますが、自分がこれから乗る列車の情報(出発時間やホーム番号)を確認する時は勿論、「出発時刻」(PARTENZA)。これを「到着時刻」(Arrivo)を見ていると、いつまで経っても該当列車が表示されないということになります。

以前、初めてイタリア旅行をした友人が、帰国して私に聞いて来たことがありました。フィレンツェの駅で乗車する電車が最後まで電光掲示板に出なかった、不審に思って駅員に聞きに行ったから無事に電車に乗れたけれど、掲示板が壊れているなんてことがあるのかと。話を聞いたときには、イタリアならそんな不具合もあるかなと思いましたが、ふと気付いて、友人に確かめると、案の定、この「PARTENZA」と「Arrivo」の二つの掲示板があることに気付いていませんでした。恐らく、友人は、「Arrivo」の掲示板をずっと見ていたのだろうと思います。

余談

前述もしましたが、2016年の夏から、トレニタリアの普通電車の切符の取り扱い方が変更になりました。又詳細は後日詳しく記そうと思いますが、以下は、窓口で購入した切符と自販機で買った切符の大きさの違いです。これまでの切符は両方とも同じで、ティンブラーレ(刻印)も簡単でしたが、この自販機から出て来た小さな切符は刻印がしずらいです。既成の刻印機のずっと奥まで突っ込んで、それでも、必ず印は押して下さい。普通切符の取り扱い方が変更になったのも、恐らく不正乗車があとを絶たないからだと思います。前にも増して検札は厳しいです。

 

上は窓口で購入した切符

 

下は自販機で購入した切符
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フィレンツェ2016/サンタ・マリア・ノベッラ駅その1-トラムの乗り方-

2017年01月24日 | フィレンツェ

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

たくさんの観光客であふれていました


■2016年12月25日(日)

この日は予定も入れず、朝はゆっくりと起きました。こんな日も作らないと…

特に昨日のように坂だらけの山の町を二日間歩きっぱなしで、明日は又電車に乗って近郊を終日散策するというような強行軍では身体が持ちません。弾丸ツアーなら従わざるを得ませんが、個人旅行の、これが魅力です。もっともそんな理由を付けて、ダラダラするのも短い旅程でなんともったいないか、とも猛省する訳ですが…^^;


サンタ・マリア・ノベッラ駅でタクシーを待つ人たち


午後からドォーモや駅周辺を歩いてみましたが、世界中から人々が集まる観光名所だけに、オフシーズンと言えども訪れる人は沢山居て、さすがフィレンツェだと感嘆の思いを抱きました。小さなエリアなのにルネサンスの栄華を誇った歴史と沢山の遺産を所有する町は、なんと強いことか。


フィレンツェのトラム


そういえば、この町のトラムにはまだ乗っていなかったことを思い出して乗車体験することにしました。この路面電車は市内のバスと同じ会社が運営していますが、町の中心地とは離れた西方面の住宅街へ通じています。それだけに通常の観光では利用する価値は大してありません。せいぜい、アルノ川沿いのカッシーネ公園か郊外の大型スーパーへ行くのに乗るくらいでしょうか。でも時間があれば、バスとトラムは共通券なので乗車してみるのも一興かと。なおサンタ・マリア・ノベッラ駅のトラムの停留所名は、ALAMANNI(アラマンニ)駅と言います。


トラムの駅には自動券売機があります



自動券売機の見方


                    1.定価表:90分有効のチケット
                    2.入れたお金
                    3.(必要なチケット枚数を)増やす
                    4.     〃      減らす
                       ※デフォルテは1枚になっている(赤い丸印)
                    5.確認する
                    6.取り消し
                       ※DENARO RICHIESTO € 1.2は請求額=支払い額


料金の投入口

投入できるお金の種類は、5cの硬貨~紙幣は10ユーロまで


今回は、この券売機で切符を買いましたが、5ユーロ紙幣を入れて、お釣りも正しく出て来ました。他のバスの券売機も同様ですが、この機械に釣り銭がないときは、切符と共に、「IMPORTO DOVUTO」(未払い金)と記されたチケットが一枚出て来ます。その紙には、お釣りの額が記されていて、atafへ持っていけば、釣り銭が貰えます。日本と違って、ここイタリアの券売機の信頼度は今ひとつ低いので、エディーコラ(新聞スタンド)やタバッキで、人が応対してくれる切符を買うのがやはり無難です。この乗り場のすぐ横にはエディーコラがありますので、通常はそこで購入出来ます。但し、クリスマスや元旦は閉まっていて、今回も駅構内のタバッキとともに、新聞スタンドも店は閉じられていました。


勿論、トラムも刻印は忘れずに!



90分有効の切符

矢印方向に刻印機に挿入する




刻印された切符


この切符では、午後12時54分から90分間、市内バスと共通で、乗り降り自由


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光り輝くドイツ人商館・フォンダコ・デイ・テデスキその2

2017年01月04日 | ベネチア

DFSとして蘇ったドイツ人商館


ドイツ人商館は、フォンダコ(ベネチアの方言で、商館の意)・デイ・テデスキ(イタリア語でドイツの意)と呼ばれ、1288年に、リアルト橋のたもとに、東方と西欧を結ぶ中継貿易の拠点として建設されました。東方諸国からはワインや毛織物や各種の香辛料などを仕入れ、ベネチアからはガラスや工芸品を売りさばいていましたが、ベネチアの商人として実権を握っていたのは貴族達、というか、商人たちによって構成されたこの貴族階級は、政治にも勿論力を持ち、ベネチアの繁栄に大いに寄与したのでした。時は13世紀。フィレンツェではこの100年後あたりからメディチ家が頭角を現し始めます。


郵便局時代の“表札”がそのまま残されている現DFS


ドイツ人商館と名前が付いていますが、東欧諸国、例えばオーストリア人やハンガリー人なども含まれていたそうで、この商館にそれら商人達は宿泊し、事務所も構えて取引を行っていたとか。カナル・グランデに面した船着き場は、沢山の貿易の品々が荷下ろしされて、さぞかし賑やかで闊達な経済活動が展開されていたことと思います。造船技術が発達し、ベネチア国家の強大な造船所、あのアルセナーレが造られたのもこの頃です。


DFS・フォンダコ・デイ・テデスキ店ファザード(正面)

2016年12月28日・カナルグランデより撮影


今回のリニューアルにあたって、外観も内観も大きな手は加えなかったと前述しましたが、外観は多くの受賞歴を誇るオランダの建築家レム・コールハース氏がそのリフォームを手がけ、そして内観もイギリスの著名な建築家ジェイミー・フォバート氏が担当して内装を一新したというから、この、ヨーロッパへの足がけとなるTギャラリア(路面型免税店)の新規店オープンに掛けるDFSグループの意気込みを思います。



当時、ファザード(正面)は、ベネチアを代表するジョルジョーネやティツィアーノのフレスコ画が、それぞれカナルグランデ側とカッレ(横側)の壁面を色鮮やかに飾っていましたが、それらの絵画は長い間に風化し、DFSになった今ではその片鱗さへも伺い知ることは出来ません。歴史はこうして塗り替えられていくものなのですね。



そうそう、現在、四階のイベントスペースでは、国際アーティスト、ファブリツィオ・プレッシの「アンダー・ウォーター」展が開催されています。何でもベネアを愛する彼は“アートとテクノロジー、そして過去と現代が融合する作品”をこの地で披露したかったそうで、オープニング記念として、この展示場を現在無料で解放しています。(2017年1月15日まで、午前9時半~午後7時半)




この最上階に出来たパビリオンからは、リアルト周辺の見事な景観が望めるそうで、催し物はともかくも、時間があれば、是非四階まで上がって見て下さい。


四階イベントパビリオンのキンキラキンのエレベーター


なお、このイベントスペースに入場してリアルトの景観を見るには、2016年12月28日時点では予約が必要でした。沢山の人が押しかけたためですが、この日はいっぱいで明日の予約が必要と言われました。その“明日”は帰国日でしたので私は諦めざるを得ませんでしたが。


イベントパビリオンへの入場口

四階の受付で予約します。2016年12月28日現在入場は無料。




DFS・フォンダコ・デイ・テデスキ店入り口


私のベネチア散策のバイブル「迷宮都市ヴェネチアを歩く」の著者、陣内秀信さんによると、当時このドイツ人商館は、多くの客を招き、コンサートや祝宴を催す文化交流の場としても機能していたと言います。一時は、といっても、1870年から2010年までの長きに渡って郵便局の時代もあったけれど、世界中の旅行者向けの華やかなラグジュアリーショップに変貌した元ドイツ人商館はその歴史を思うとき、長い年月を経て、やっと元の姿に戻ったのかも知れません。

★注意

このDFSは、全館での買い物の合計が155ユーロ以上になると免税の対象になるとのこと(一店舗での買い物でなくて全館での合計、という説明を受けましたが、受付で確認して下さい。日本人のスタッフも居るし、日本語の分かる係りの人も居ます)。購入する時は定価ですが、諸手続きをして、勿論、税の還付が受けられます。従って、出国の時間には十分な時間が必要です。今回、ベネチアからローマ経由で帰国しましたが、ローマから成田までの国際便に乗り遅れた乗客が二名いました。こうした還付手続きに手間取っていたか、あるいはローマの空港で最後のショッピングでもしていたか、それとも他の理由かどうかは不明ですが、その乗客の荷物はベネチアから乗せられていたので成田に行くことは確かなようでした。乗り継ぎ時間は少々タイトだったので、私も急ぎ足で出国ブースに向かいましたが、税の還付を受ける為の手続き時間を十二分に確保するのはちょっと難しかったと思います。乗り継ぎの出来なかったこの二人の乗客の荷物を下ろすのに、ローマの空港では50分ばかりかかり、飛行機の出発は遅れました。還付手続きには、くれぐれも時間に注意して、あるいは買い物の予定があるときは、国内線を一つ早い便にして余裕ある時間割を。
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光り輝くドイツ人商館・フォンダコ・デイ・テデスキその1

2017年01月02日 | ベネチア

リド島行きのヴァポレットから見たサンマルコ広場


■2016年12年28日(水)

キオッジャから本島に帰ったその足で、サンマルコからリアルトまで歩いて来た時、周辺の風景に、今までと違う違和感を覚えました。いつも閉ざされたままで、うっとおしいなと思う、大きな黒い建物、ドイツ人商館・フォンダコ・デイ・テデスキが、なんと煌びやかに光っている!そうです、この輝きが、私の違和感の正体でした。

うっそーっと思わず声が出ましたが、元貴族の館がそうであるように、この商館もホテルとして改築されたのか、いや違う…黒いスーツを身にまとった屈強そうな黒人男性がドアを開け、うやうやしく迎えてくれる様子を見て、これはデパートだ!


ドイツ人商館が輝いている!


デパート・・・いやこれも正確には当たってはなくて、実は、この商館全体がDFSとして生まれ変わっていたのです。もう驚愕でした。あとで分かったことですが、この構想は、以前ここがベネチアの中央郵便局として使われていた頃からあったそうで、でも、地元の人たちも、まさか世界の旅行者を相手にラグジュアリーショップを展開する、あのルイ・ヴィトングループが牛耳るDFSがオープンするとまでは思ってはいなかったとか。


商館時代そのままに、中庭エリアを囲んで
四階まで周辺をぐるりと店舗にしたDFS


入って見れば、一階は、中庭として使われていた郵便局時代そのままに人々が休憩できるスペースがしつらえてあり、更にはまわり四層に部屋をぐるりと配置した商館の面影を残す店作りになっていました。いわば、外観も内観も大きな手は加えず、というよりも加えることが出来なかったというべきか、商館跡をこっぽりDFSにリフォームした店舗でした。


迷宮都市ヴェネチアを歩くより

ここがベネチアの中央郵便局だった頃の中庭エリア


一階から四階まで歩いてみましたが、それはそれは、高級ショップがずらりと揃っていて、少し名前を挙げれば、ボッテガ、ブルガリ、ディオール、プラダetc、そしてワインや洋酒も揃えられて、お土産物にも不自由はない、2016年10月1日オープンしたというから、既に、ベネチアを訪れるお金持ち達の購買意欲をきっときっとそそっているに違いありません。


高級店を網羅する元ドイツ商館内部


それにしても、ベネチアが世界をリードした時代の伝統ある立派な建物を空っぽにしたままだと余りにももったいないのは確かだし、ましてや、リアルト橋のたもとという好立地を考えれば、DFSグループがここに目を付けるのももっともだろうと、妙に納得もする。

しかし、これではなぁ~地元の人々やこの地を愛する旅人に還元されることは少なくて、この富裕層向けのショップ展開は、ベネチアが更に高級リゾート地となる方向に舵取りをしたような…と思うのはうがった見方かしらん。

‐続く‐
コメント (4)
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