イタリアより

滞在日記

番外編の旅inロシア 最終日

2014年03月28日 | 番外編の旅ロシア


今回のツアーでご一緒した愛知県のご夫婦と
帽子を貸して頂いたり、楽しいお話を伺ったり
とても親切に接して頂きました


写真はご夫婦のご了解を得て載せさせて頂いています


ロシアの記念の一枚です(*^_^*)


■2014年3月28日

とうとうツアー旅行の最終日を迎えました。これからトレチャコフ美術館を見学して午後5時の飛行機で帰国の途に着きます。半日の観光を終えたらロシアとはお別れですが、とてもいい旅が出来ました。ロシアは今、28日の午前九時半、今日も晴天です。

今、バスの中ですが、今回、通信をするのに思い切ってwifiをレンタルしました。又使い勝手やその他諸々の感想を記したいと思いますが、少なくてもレンタルして正解でした。

では、ロシアの作品しか展示されていないという、それでも大きくて有名らしい美術館に行って来ます。あっ最終日、かつてないちょっとドジをやらかしてしまいました^^;。
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番外編の旅inロシア 世界遺産セルギエフ大修道院

2014年03月28日 | 番外編の旅ロシア

世界遺産トロイツェ・セルギエフ大修道院

16世紀に築かれた城壁の向こうに広がる教会群

途中、全景を見晴らせる場所でバスを降り、記念写真を撮りました


■2014年3月27日

ロシアの旅行はもう五日目になります。今日は、モスクワから北東へ約70キロ、門前町セルギエフ・ポサードへ行きました。この町に世界遺産に登録された大修道院があるのです。といっても、今日の今日までこの町も修道院の存在も私は全く知りませんでした。


入場のチケットを購入します
一人100ルーブル
日本円にしたら330円くらいか
ペラペラの切符と共に聖歌を収録したCDも頂きました
ちょっとお得感あり


この町は、ロシア正教の聖地として栄えて来たのですが、1345年、聖人に列せられているセルギーが後に修道院となる僧庵を建てたのが始まりでした。ちょうどこの時期、モンゴルに攻められていたロシアの人々を精神的に救いロシアに勝利をもたらせたのが、セルギーだったのです。


ロシアのガイドさんとこの町の案内人の女性(赤い服の人)

ツアー旅行では、必ず現地のガイドさんや案内人が付くことが決められています


やがて、修道院も建てられて、この地には皇帝もたびたび訪れ祈りを捧げるようになります。政敵から身を隠したこともあったというから、後にはその功績は大きく評価されただろうと思います。沢山の戦いの中でも、この教会群は破壊を免れたのだそうで、後世神の加護があったという伝えはますます大きく人々に伝承されたことでしょう。


まだまだ寒いロシアですが、それでも沢山の見学者が来ていました。



ウスペンスキー大聖堂

青色と金色の丸い屋根が青空に映えてとても綺麗でした

何だかお伽の国に迷いこんだよう

ロシアのこの時期の天候は、実はとても不安定で、雨が降ったりみぞれが降ったりするのだそうですが、そんな中、連日いいお天気に恵まれています。それも今日は雲一つ無い青空です。日本晴れ、いやロシア晴れでほんとに幸運でした。



建てられた時代が異なると、こんなにも形が違う…

どんな変遷があったのか、興味が沸いてきます


ロシアにキリスト教が入ってきたのはもう1000年も前のこと。西欧に広まったローマ教会の教えとは一線を画して、ロシア正教は少し違った教義を持ちますが、その一番の相違を今日はまざまざと知ることになりました。


この教会群の中で最も神聖なトロイツキー聖堂

質素でたたずまいは静かでした

この教会はいわゆる遠近法が用いられていて、離れてみると大きく見える


実はこの日、トロイツキー聖堂でミサが行われていました。この聖堂は創始者のセルギィの遺体を収めた棺が安置されているため、とても重要な場所で、私たちも中へ入りましたが、男性は帽子を取り、女性は逆にスカーフか帽子で頭を覆う必要がありました。

5日間も一緒に行動していると、人数が少ないこともあって、ツアーの人たちとすっかり打ち解けています。かぶり物を持っていない私に一人のご婦人が帽子を貸して下さいました。それを被って中へ入りましたが、なんと信者さん達は全員立って祈りを捧げていました。時々床に跪き(ひざまづき)頭を床に付けています。


教会に入るのに、男性は帽子を脱ぎ、女性は帽子や
スカーフで頭を覆う

私はスカーフも帽子も持って無くてツアーでご一緒の方からお借りしました
帽子が必要なこと、事前に教えてくれないと困るなぁ…


イタリアではどの教会にも椅子が置いてあるので、ちょっとびっくりしました。聞けば、立っている形が最も復活を表す姿なのだそうで、ロシア正教では何時間でも立ち姿で祈りを捧げるのだそうです。お年寄りや足の悪い人はどうするのだろ…素朴な疑問でした。


高さ88メートルの鐘楼も見事でした


ここには全ロシアの修道院の最高峰なのだそうで、現在男性の修道僧が300人登録されているのだとか。宗教大学も併設されていて800名の学生が居住しています。今日も時折修道僧たちに会いました。

そうそう、ローマの教会と違うことをもう一つ、建物のてっぺんにタマネギのようなクーポラがどの教会にも付いていますが、私は何かの本で、天使が空に舞い上がるためだと読んだことがありました。今日は思い切ってガイドさんに聞いてみると、あの形はロウソクを表しているのだとか。神様にお祈りのロウソクを捧げているイメージだそう。天使が空に上がるのなら、天井は突き抜けた方がいいのになぁと思っていたので、やっとまん丸い可愛い形の屋根の意味が腑に落ちたのでした。

余談



大聖堂をあとにして、もう一つの修道院へ行きました。ここは女子の修道院で「ノヴォデヴィッチ修道院」といいます。目の前の小さな湖は、一部が凍っていて、厳しい季節の名残がありました。水鳥や鳩も沢山居て、ちょっとした憩いの公園にもなっています。


バツを抱きしめて

ムチムチマッチョでした
男の子だと直感したけど、やっぱり…
片足上げてマーキングしてました(^^)


そこで一頭の野良犬と会いました。先年愛犬を亡くしている私は、人なつこくて、頭をなでてやると身体を押しつけてきた野良犬に愛犬の面影をつい探してしまっていました。なんでもこの犬は名前を「バツ」というそうで、公園に住み着いているのだとか。大人しくて賢そう。散歩中の他の犬が吠えかかっても平然としています。近隣の人々が何気に世話をしているそうで、首輪のみならずダニ取りのわっかもはめて貰っていました。もう少し暖かくなったら、この湖で泳ぎもするそうで幸せそうでした。「一緒に日本へ行く?」と言ったら、バツはそっぽを向いてしまった^^;そうよね、ご近所さんにこんなに大切にして貰っているのだものね。

ロシアの人は、身体も大きいし、雰囲気も取っつきにくいのだけれど、こんな優しさも持っているのだとちょっと見直したのでした。
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番外編の旅inロシア モスクワへ

2014年03月27日 | 番外編の旅ロシア

クレムリンへ

クレムリンとは「城壁」を意味する…らしい

この場所は、日本で言えば「皇居前広場」というところか


■2014年3月26日

サンクトペテルブルグから移動して、ロシアの首都モスクワにやって来ました。風は冷たいのですが晴天。青空がとても嬉しいです。このところニュースでよく報じられるロシアの政情ですが、『クレムリンで、なんとかかんとかがありました~』というアナウンスを時折耳にします。モスクワの空港に到着後、そのクレムリンへ行きました。


何だか、ディズニーランドに入場するみたいな雰囲気ですが
列記とした大国ロシアの権力の中枢に立ち入るのですよね…


クレムリンとは、元々は「城壁」という意味なのだそうですが、私たちが耳にするクレムリンとは首都モスクワにある歴代の皇帝の住まいのことをいいます。そしてクレムリンは当時の権力の中枢でもあり、ロシア正教の中心地でもありました。現在も大統領府を置き、ユネスコの世界遺産にも登録された巨大国家の象徴にもなっている場所です。


城壁をくぐると国旗がはためく大統領府が望めました

この大統領府は、近づくことさえも許されず、遠くから外観を眺めるだけです。


城壁に入る手前では、とても厳しいセキュリティチェックがありました。空港よりも厳しい。スパイ映画に出てくるような、無表情の怖そうな、そしてちょっとイケメンの係の男性がボディチェックも行います。私が、覚えたばかりのロシア語「スパシーバ(ありがとう)」とちっちゃい声で言うと彼は口元をニッとさせました。意外に可愛い(^^)


「大砲の皇帝」と呼ばれる

1586年に鋳造されたらしいが、一度も実際には使用されていないとか


何のためにこんな無駄なことを、と思いますが、当時これだけの大きさの大砲を作る技術と財力がこの国にはあったということですよね。日本では豊臣秀吉の時代…すごっ

こんな国を相手に日本は戦争をしたんだ…それもどう間違ったか勝ってしまった…もしもロシアが勝利していたら、この国の帝政時代はもっともっと長く続いていたかも知れないな。ふとそんなことも思いました。


「鐘の皇帝」と呼ばれる世界一の鐘

重さ200トンもあるらしい



高い城壁の中にはロシア正教の寺院が建ち並ぶ


さてさて、イタリアとの大きな接点がやはりここにありました。どの寺院もイタリアの建築家を招いてその時代に応じて、西欧の技術を取り入れたといいます。中に入って見ると、見事なフレスコ画で埋め尽くされていました。写真撮影は徹底して禁止です。カメラを胸にぶら下げているだけでも注意を受けました。

ウスペンスキー大聖堂、アルハンゲリスキー大聖堂、ブラゴヴェシェンスキー大聖堂etcどんなに頑張っても名前は覚えられません。


ダイヤモンドギャラリーへ


ロシアとソビエトの長い歴史を語るこのクレムリンの城壁の長さは2235メートル。総面積は28万㎡。巨大な城壁に囲まれた中には、上記の数々の寺院や大聖堂や宮殿などがあるわけですが、帝政ロシア時代の武器庫や兵器庫もありました。

その中のダイヤモンドギャラリーへ行きましたが、世界最大のダイヤの博物館には目をむきました。190カラットの、あの「オルロフ」。女帝エカテリーナ二世を飾ったダイヤモンドは圧巻でした。カメラや携帯、電卓などの電子器機始め、傘や水なども持ち込み禁止で、女性のバッグの中まで検査があったのは、あの凄い量のダイヤを所有していれば確かに頷けるけど、ただの観光客がこんな国家の宝物、誰も取らんって…

この後、近くにある「赤の広場」も訪ねましたが、この広場にある聖堂の素晴らしさと共に世界一の伝統を誇る百貨店、そしてその中の歴史の香り漂うトイレに驚くこととなりました。クロークのあるトイレなんて…

余談


ターンテーブルで荷物を待つ


今朝、サンクトペテルブルグからモスクワまで国内線移動してきましたが、私たちグループの中からロストバケージが出ました。預けた荷物が届かず、何処に行ったのか行方不明になったのです。添乗員さんが空港に聞くと、もうすぐターンテーブルに出てくるから待てと言われたとか。次の到着便の荷物が出て来ても、まだ不明のままです。追求すると、空港職員はやっと積み忘れを認めました。幸い、1時間遅れで荷物はホテルまで持ってきてくれることになったのですが、なんともいい加減な対応で、お詫びの一言もありませんでした。大型バスが通ることがわかっていながら、道路の角に違法駐車したまま運転手は居なくなってしまい、バスが二時間近くも立ち往生。こちらはロシア到着の初日のハプニングでした。厳格なイメージのある国ですが、やっぱりヨーロッパ同様、少々いい加減なのも分かってきました。








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番外編の旅inロシア エルミタージュ美術館へ

2014年03月26日 | 番外編の旅ロシア

エルミタージュ美術館正面

ウェッジウッドの陶器の色を思い起こしました

綺麗ー☆

5時間たっぷりと滞在して外へ出ると馬車が停まっていました


長い間、エルミタージュ美術館に行ってみたいとは思っていましたが、恥ずかしい話、この美術館に対してはサンクトペテルブルグ((旧レニングラード)にあるロシアの国立美術館という知識しかありませんでした。それが実際にこうして現地を訪ねてみると、どんな感想も陳腐な表現になってしまう…そのスケールの大きさと豪華さには息を飲むことになりました。


美術館に入った途端、目の前に絢爛豪華な世界が広がる
なんか、「やられたー」っていう感じ(^^)


先年訪れたナポリのガゼルタ宮殿を思い出しましたが、いやぁキンキラキン度はこちらが断然勝っている。そもそも、このエルミタージュは、女帝エカテリーナ二世が、ドイツを皮切りに各地から美術品を買い取って自身のコレクションを飾り始めたのが始まりでした。時は1764年。フランスのヴェルサイユ宮殿が建てられた約80年後のことで、このエカテリーナの美術品展示室も明らかにヴェルサイユを手本にしたことが分かります。しかもエルミタージュとは、フランス語で隠遁者、世捨て人という意味らしく、この余りにも特異な美術品の収集には、どんなエカテリーナの思いがあったのでしょう。又々妄想に駆られそうです。


黄色の矢印がガイドさん、丸印が私たち
ぞろぞろ入場門に向かいます



チケットを求める人たちの列を尻目に
私たちは予約の時間午前10時に入館しました



荷物やコートを預けるクロークも大混雑
春休みに加えて、昨日は休館日だったため
今日は特訪れる人が多いらしい


さすがツアー旅行だけのことはあって、膨大な館内の見どころや作品を効率よく案内してくれたのはほんとに助かりました。個人で来ていたら、とてもとても5時間では済まないし、ガイドさんの説明がなければ主立った絵画でさえ見切れなかったです。


「ラファエロの回廊」では皆一様に口をあんぐりと開けて見上げる



黄金の孔雀の時計のあるパビリオンの間

ボロカメラでは撮りきれない…(-_-;)

エカテリーナが個人の好みで収集し始めたコレクションでしたが、ベルリンの商人がロシア国庫に対する多額の負債を秘蔵のコレクションで返済したため収集作品は一気に増え、又、ヨーロッパ各地のオークションや画家の工房にある美術品が次々買い集められていきました。


ラファエロの聖家族


レオナルド・ダ・ビンチ、ラファエロ、ティツィーアーノ、カラバッジヨ、レンブラント等々枚挙にいとまがないほどの巨匠たちの作品が手の届くところに展示されていて、思わず本物かと疑うほどでした。


カラバッジョのリュートを弾く若者



レオナルド・ダ・ビンチの聖母ブノワ


中でも、ダ・ビンチはわずか11点ほどの作品しか世に残していないというのに、ここエルミタージュには二つも貯蔵しているというから驚きました。もう一つは「リッタの聖母」で、いずれも作品の前には人だかりがしていて、写真を撮るのも一苦労でした。


そうそう、日本の鎧、甲、茶道具なども展示されていました。
熱心に説明をしているガイドさんや聞いている人たちを見て、思わず頑張れニッポン!!でした(^^)



ルノワールのジャンヌ・サマリーの肖像


そうそう、自由時間に私の好きなルノワールも見つけました。それも「ジャンヌ・サマリーの立像」です。印象派の絵画も沢山あって驚きましたが、ちょっと嬉しくなってはしゃぎ過ぎました^^;。

旅行に出ると毎日があっていう間に過ぎて、もう三日目が終わりました。明日はモスクワです。多分あのバッタに乗って国内移動だと思います。

余談


マトリョーシカの専門店


ロシアのお人形、マトリョーシカ。ソチのオリンピックにも登場しましたが、そのルーツはなんと日本の箱根なのだとか。入れ子人形なので、中から一回りづつ小さい複数のお人形が現れます。町の土産物店でも勿論売っているのですが、どうかすると中国製だったり、余り安価なものを買うと、ふたが開けられなかったり、お顔がちゃんと描かれていないなどトラブルもあるのだとか。


必ず中を開けて、お顔もちゃんと描かれているか確かめる


そしてそして、思いの外、値段が高いのにも驚きました。いいなぁと思ったものは日本円で5千円~1万円。大きなマトリョーシカになると何万円もします。一つ一つ手作りなのだそうですが…^^;
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番外編の旅inロシア エカテリーナ宮殿へ

2014年03月25日 | 番外編の旅ロシア

エカテリーナ宮殿

全長310メートル、貴族達の夏の避暑地だったらしい

宮殿の前には広大な公園が広がっています


サンクトペテルブルグ市の見どころは、なんと言っても女帝エカテリーナニ世の離宮であるエカテリーナ宮殿です。バロック調の絢爛豪華な宮殿は品のある青い外壁と白い円柱の対比が見事に調和して、窓には実に細密な彫刻が施されています。

ホテルを9時半に出て、宮殿のある郊外、ツァールスコエ・セローへ向かいました。このツアー旅行は、当初20人余りの参加者がいたのですが、ロシアのウクライナ問題が報じられた影響でしょうか、直前になってキャンセルが相次ぎ、たった8人になってしまいました。20人がこのツアーの最少催行人数なので、旅行社とすれば大赤字だろうと思いますが、一度決定した旅行を取り消す訳にはいかなかったのでしょう。お陰で、50人乗りの大型バスはゆったりと、というか、横になって寝てもまだまだ余裕ある、といいますか、ガラガラの状態で宮殿に到着しました。


宮殿の入り口前には既に列が出来ている


現地のガイドさんの話によると、先週からロシアでは春休みに入っていて、連日沢山の見学者で賑わうのだとか。今日も中は大混雑でしたが、私たちは8人だし、皆さん、旅慣れた方たちばかりでスムースに中に入ることが出来ました。大きな荷物や傘、コートは預けるのですが、撮影はフラッシュをたかないことを条件で許されています。


パフォーマーも現れて

目を見張るばかりの豪華絢爛な光の間


旅行前に何度も何度もデジカメの買い換えを考えました。そろそろ限界に来ている私のカメラなのですが、迷っている間に旅行の日が来てしまったです。しかし、やっぱり新調するべきだったか。結構沢山撮ったのに写り具合がどれも悪くてがっかりです。


エカテリーナ宮殿来訪の記念に
確かにきたぞ~(^^)


夫を無能な皇帝だと切り捨てた女帝、エカテリーナ。クーデーターを起こして自ら即位し権勢を誇ったというから、なんとあぱれなことでしょう。どの部屋を見ても、キンキラキンに輝いて、全てはエカテリーナの思うがままだったのでしょうね。イタリアの建築家ラストレッリがエカテリーナの命を受け作ったとされる宮殿ですが、しかし、そのほとんどが後になって修復されたものだと知ると、再生と復元技術の素晴らしさにも感嘆の思いを抱いたのでした。

こんなことだけでは、とてもとても説明も理解もしきれないですが、広大で豪華絢爛な宮殿の建設は、ロシアでも同じ、先年訪れたナポリのガゼルタ宮殿を思い出しながら、時の権力を握った者の傲慢さと芸術への憧憬は、現代の私たちに多大な感動を与えるのですよね。さて、今、2014年3月25日の朝を迎えてます。これから、エルミタージュ美術館に出かけます。
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