イタリアより

滞在日記

レオナルド・ダ・ビンチ

2012年03月23日 | ベネチア

ダ・ビンチ発明展/自転車


ベチネアで、映画「旅情」の撮影場所を探し当てた日、このサン・バルナバ教会で「ダ・ビンチの発明展」が開かれていました。レオナルド・ダ・ビンチといえば、真っ先に浮かぶのが、名画「モナ・リザ」。十数年前に、ルーブル美術館に見に行きましたが、思いの外小さな絵で、そこに人だかりが出来ていなければ見落としていたかも知れないほどでした。しかし、筆の線が一切見えないぼかし画法(専門用語でスフマートというらしい)で、ポプラ板に描かれた微笑む女性のこの油絵こそが、完璧な構成と計算し尽くされた遠近技法で世界中の人々を何百年にも渡って魅了してきた名画なのだと、ただただ感動の思いで見入ったのを思い出します。


ダ・ピンチ発明展/カメラ


又、現在見るのが最も難しいとされるミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂の「最後の晩餐」もダ・ビンチ作。私が見学した当時は、まだイタリアの通貨がリラの時代で、観覧するのに予約の必要もなく、ツアーであっさりと見てあっさりと聖堂から出てきましたが(笑)、後世、キリストにまつわる様々な謎を巡り、この壁画も今たいへん脚光を浴びています。時は、まさにルネッサンスの全盛期。ダ・ビンチが、それまでの宗教画とは一線を画し、キリストはじめ12人の使徒一人一人に複雑な心理描写を与えた為に、私達は大いなる興味をそそられ、様々な推測や憶測をすることになりました。


レオナルド・ダ・ビンチ/「最後の晩餐」


そんな天才的な絵の才能を持つ彼が、一体どんなものを発明したのかと、入館料7ユーロを支払いぶらりと入ってみましたが、もう目がまん丸くなって驚きました。



ダ・ビンチ発明展/大砲


ダ・ビンチが描いた制作図によって作られた模型が沢山展示されていましたが、自転車やカメラやハングライダーや印刷機や機織り機や大砲までetc。それは、彼が芸術のみならず、科学や物理や数学や建築や、はたまた軍事技術にまで通じていた証しで、この世に考えられるありとあらゆる“道具”を生み出す頭脳を有していたことを物語っていました。特にこの大砲は、当時彼のパトロンだったミラノの君主、ルドヴィーコ・スフォルツァ公に、「敵をコテンパンにやっつける為の機械の製作を致します」と自らを売り込んでいて、戦車や機関銃なども考案していたと言うから、その才能には驚嘆します。


ダ・ビンチ発明展/ハングライダー


又、人体や動物を正確に描くのに解剖までしたという彼のこだわりは、それまでの絵画の手法を超越して、見る物にまるで映画か劇を観ているようなリアリティを与えます。「最後の晩餐」も、イエスの「この中に私を殺そうとしている者がいる」との衝撃的な発言を皮切りに、12使徒の動揺やどよめきが、ざわざわと聞こえてきそうです。「モナ・リザ」も「最後の晩餐」も彼の持てる全ての専門知識の集大成だと考えると、そのうち、これらの名作は、実はダ・ビンチの発明したこの“道具”から生まれた技法だった!とか新たな発見が出てくるかも知れません(^^)。


発明展のあったサン・バルナバ教会内部


余談ですが、同じ時期、ダ・ビンチに最大のライバルが出現しています。フィレンツェのアカデミア美術館にある彫刻「ダビデ像」の作者、あのミケランジェロです。もっともミケランジェロは、ダ・ビンチよりも20歳以上年下ですが、二人はお互いを少しばかり意識していたようで、それぞれの言い分が面白いです。

レオ:「ヤツの作品は筋肉がやたら隆々として肉々しく、でくの坊だ。真の肉体とは何かを分かっとらん
ミケ:「ヤツのはテレテレ時間ばかり掛けて下手くそだ。あんな絵なら私の下男だって描ける

ふーむ…成る程な~ミケランジェロの彫刻は男性像も女性像もそういえばマッチョで肉々しい。
ふーむ…成る程な~ダ・ビンチは素描ばかりがめったやたら多くて、その割に残した作品は数少ない。

1500年の初め、奇しくもこの二人は、フィレンツェのベッキオ宮殿のそれぞれ真反対の壁に絵を描くことになります。ダ・ビンチは、『アンギアーリの戦い』で馬同士が激しくぶつかり合う戦闘シーンをとてもリアルに。そしてミケランジェは、『カスチーナの戦い』を題材に、水浴びをしていた兵士たちが敵に不意を喰らう様を描写しましたが、共に未完のままこの壁画は消滅したとされました。


ルーベンスが模写したダ・ビンチの『アンギアーリの戦い』


しかししかし、なんとタイムリーなことに、先日2012年3月13日、ダ・ビンチの壁画が見つかったというニュースが飛び込んできました。現在描かれているジョルジオ・ヴァザーリの壁画の裏に、この『アンギアーリの戦い』が隠されているというのです。もっとも、ヴァザーリの壁画に「探せ、さすれば見つかる」という謎のような「暗号」が書かれていて、長い間、この壁画の裏にはダ・ビンチが隠されていると研究者たちは主張していたようですが、それがやっと現実味を帯びてきたのです。

残念なことに、ミケランジェロの壁画の方は、壊されているのが分かっているので、ダ・ビンチの壁画が見つかっても二人の絵を並べて見ることは出来ませんが、もし彼らの壁画を比較することが叶ったら、又世界はかまびすしい論争を沸き上がらせることでしょう。それにしても天才は、どんなに時を隔てても話題に事欠かないのですね。そしてイタリアという国は、一体どこまで芸術の宝庫なのかと今更ながら思うのです(^^)。
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車窓から

2012年03月01日 | 旅行

フランチェスコの生家跡に建てられたヌォーバ教会

右端に見えるのは、フランチェスコの両親の銅像

アッシジの町に来て思うのは、イタリアの大きな観光都市も勿論素晴らしいのだけれど、地方のこんな町こそが訪れる者に歴史を語り掛け、深い感銘を与えるのだとくづく思います。それにしてもアッシジはどの場所もとても綺麗に清掃されていてチリ一つありません。山の中のカルチェリの庵でさえ、一葉の枯れ葉も落ちていない。それはもう不自然なほどに…

日本では、「もののあはれ」といって、綺麗に掃き清められた庭よりも、春ならそこに一~二輪の桜の花びらが、秋なら枯れ葉がひとひらふたひら舞い落ちている風情にこそ心を寄せられるものですが、あのカルチェリの庵にも冬枯れの落ち葉がはらはらと舞っていたならば、もっともっと深い思いに憑かれたかも知れません。もっともこれは日本人が持つ独特の美意識、あるいは無常観、死生観なのでしょうから、それを彼の地に求めるのは身勝手なことですが。

とはいっても町の中の清潔さは気持ちが良くて、次に訪れたフィレンツェの町がすっかりかすんで見えました。


フランチェスコの生家

真ん中の古いドアが当時の家のドア、しかもフランチェスコが最後にここから家を出たらしい

現在ここには人が住んでいるようなので、静かに静かに見て廻りました


さて、これからそのフィレンツェに向かうのですが、私が乗るのは普通電車です。一時間半後に出発する急行列車があるのですが、それよりもこの普通電車の方が目的地に早く着きます。小さな駅は、観光シーズンなら人で溢れるのでしょうが、この時期のプラットホームは閑散としています。それでも一人二人、旅行者は居て、知らない者同士だけれど、お互いほっとする空気が流れるのは面白いです。


閑散としたプラットホーム


そんな中、一人の女の子が私に声を掛けてきました。一瞬日本人かと思いましたが、どうも韓国の方のよう。左手で切符を見せて右手で私を指さしながら「フィレンツェ?」と言いました。私は思わず「Si(イタリア語で、ハイ)」と答えましたが彼女は目を丸くして、今度は「イタリアン?」と聞いてきました。「オイオイ私はパスタか~」みたいな軽い物言いでしたが、いやいや、イタリア語で返事をした為に、私をイタリア人かと思ったようです。

「まさか~同じ平たい顔族ではないですかぁ」と思いながら、英語もイタリア語も分からないという彼女と、互いに珍妙な会話をしましたが、聞けば、彼女も私と同じコースをたどり、これからフィレンツェに行くのだとか。フィレンツェでは、どうもお友達がグループで住んでいる所に泊まるのだそうで、荷物も小さな機内持ち込み用のキャリーバック一つ。なんとこれで二週間の旅行をするのだとか!やっぱり若者は身軽でいいなぁ。


フィレンツェまでの乗換駅/テロントーラ駅


そうそう、彼女はこの電車に乗りさえすればフィレンツェに直行すると思っていたそうで、乗り換えが必要なことを知りませんでした。私は件(くだん)の券売機を利用したお陰で、乗換駅も時刻も確認できたのでそのことを伝えると彼女はびっくり。私に出会えて良かったと感謝してくれました。

車内では、車掌さんが検札に回ってきて、それぞれ違う席に座っていた私達を見比べながら、『二人は友人か?この列車はフィレンツェには行かないよ。』と心配そうに何度も説明してくれました。彼女は返事できずにいたので、私が「私達は友人です。乗り換えが必要なことも知っています」と言いましたが、それを聞くと車掌さんはニッコリ笑って安心した様子で次の駅で交代の為に降りていきました。

列車の中は人も少なくてのんびり出来ましたが、旅の途中で出会った人とこうして一言でも二言でも話が出来たことは、のちに振り返るとその場面が鮮やかに甦ってきて思い出に花を添えるものですね。


お互いに写真の撮りっこをしました

彼女は韓国語で、「ハイっ笑ってぇ~」と言ったのだと思います。多分…^^;

彼女こと、ヒョン・ジュングさん、フィレンツェではお友達と楽しいひとときを過ごされたでしょうか。フィレンツェの駅で別れ際、「かずみさん、お元気で~」と日本語で言ってくれたあなたの明るい声が今でも耳に残っています。そして、あの時の車掌さん、黙ってやり過ごすことだって出来たのに、平たい顔族を心配して声を掛けて下さって嬉しかったです。

日本には“袖触れ合うも多生の縁”という諺がありますが、ささやかでもこんな一期一会があるから一人旅は止められないのです(^^)
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