イタリアより

滞在日記

世界遺産「カステル・デル・モンテ」その2.

2023年02月26日 | カステル・デル・モンテ

デルモンテ城全景

Googlemapより

このデルモンテ城が何のために作られたのか今も解明されないままですが、フェデリーコ二世が各地に作ったお城と比較しても、軍事目的ではなかったらしいことは素人目にも分かります。平地に全く以て無防備に立っていてお堀もないし、攻めて来る敵方を迎え撃つための仕掛けさえもない…

左回りの狭いらせん階段だって後世の議論の的

『これでは右手に剣を持って攻め昇る敵方に有利ではないか』

故に…城は軍事目的で建てられてはいない~カンカンガクガク

2022.12.18撮影

中に入って分かったことですが、小さな窓は、確かに日本のお城の造りで言えば「狭間(さま)」だ、と言えなくはないけれど、内側が広く外に向けて小さく角錐状になっている隙間は空間が無さすぎて、せいぜい明り取りの役目をするくらいのものでした。

角錐状に切り取られた窓…「狭間」?

ここで弓矢を弾いても目標が定まらん…

2022.12.18撮影

否、もしもこのお城が要塞目的で建設されたとするならば…あのフェデリーコ二世のこと、きっとトラップを張り巡らせて、例えばカナダの映画「キューブ」のように、この八角形の立方体に一歩足を踏み入れたら最後、無事には脱出できないように仕上げる…

等と、しようもない妄想に掻き立てられながらも、ふと先年訪ねたパルマのトレッキアーラ城を思い出しました。同じような丘の上にポツンと立つ孤城でも、トレッキアーラ城は城主とその愛人が過ごす居城でした。城内には、厩(うまや)をはじめ立派なキッチンもあって、二人の為に立ち働く多くの雇人も居た…何といってもお城全体に穏やかな生活感がありました。

❛物置として使われていた様に見える、(壁の一部を引っ込ませて作った)

長方形のサンゴ色をした石灰質角礫岩(かくれきがん)の棚を備えた大きな暖炉の遺跡❜

-現地の案内板より(kazu意訳)-

2022.12.18撮影

けれど、デルモンテ城にはトイレとお風呂、水槽や暖房施設は備わっていたようでしたが、どこかよそよそしくて、お城の外観もまるでこのままキュルキュル空を飛んで、宇宙へ行ってしまいそうな風情です。城を成すあらゆる形状や印象物が数字の「8」で埋め尽くされている…というのも訳わからん…

中心部に排水溝を備える

中庭だって勿論八角形

2022.12.18撮影

★妄想ストーリー↓

kazu

フェデさん、デルモンテ城は聞きしに勝る見事な八角形で驚きました。フェデさんが学問や芸術のみならず、科学や地理や天文学やその他諸々に秀でていて博識の王様だとは聞いていますが、他に類を見ないシンプルで、それでいて威容ある立ち姿のお城…よくこんなのを立てられましたね。。。

フェデリーコ

kazu殿に分かってもらえるのは嬉しいが、何も私が自分で大工道具をかついでセコセコ築いたのではない。祖父の時代、いやそれ以前から、この国にはアラブ人やギリシャ人の誠に優秀な者たちが居て、建築学者、地理学者、天文学や数学者、占星学にも詳しい、それも世界屈指の知識と高い専門性を持つ研究者や学者たちが、わたしが、こうしたい、あーもしたいと言うと、皆競ってプレゼンをしてくれたのだ。エルサレムで見たあの「岩のドーム」も忘れかねてな…まっそんな訳で、各分野の者たちの知恵と技術の結晶ともいうべきか。ちとやり過ぎた感もあるが…

kazu

ですよねぇ…フェデさんが鷹狩が趣味だと言うのでその為のお城だとか、あっちにもこっちにも「8」の数字にちなんだ不思議があるので、それを探せ~やら、春夏秋冬に陰る太陽の傾斜の様子や更にはらせん階段の右回り・左回りに言及するやら、お城を巡ってそれはもう侃々諤々(カンカンがくがく)の議論になってます。ちょっと人騒がせかと…

フェデリーコ

おーkazu殿の世では、そのような伝承になっておるのか~愉快であるぞ♪ほふほふほふっ

-続く-

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世界遺産「カステル・デル・モンテ」その1.

2023年02月21日 | カステル・デル・モンテ

小高い丘の上にぽつんと立つ

世界遺産「カステル・デル・モンテ

2022.12.18撮影

2019年に訪ねたシチリア島。その州都になるパレルモでは、ノルマン・シチリア王国の絢爛豪華な王宮や聖堂に息を飲みましたが、この王国の創設者ルッジェーロ二世が初代シチリア王として冠を頂き、強大な君主への道を歩み始めてから半世紀余りの後、彼の孫になる上記デルモンテ城を建設したフェデリーコ二世が誕生します。

そもそもノルマン・シチリア王国とは何ぞや?からの話になりますが、詳しくは歴史書を紐解くこととして、簡単に言えば「ノルマン人が打ち立てたシチリア王国」…

キリストから王冠を受けるルッジェーロ二世

マルトラーナ教会にて

2019.12.26撮影

本来なら時の教皇アナクレトゥスから戴冠される図が描かれて然るべきなのに

教皇を飛び越えてイエス・キリストから直接に…

さすがフェデリーコのおじいさん

時は11世紀初頭、人口が爆発的に増えたフランスのノルマンディ地方の若者たちは、長男であれば家督を継ぐことが出来るし、次男であれば裕福な家の養子にでも行けば食べるに事欠かないけれど、三男、四男…ともなれば海外に活路を見出すしかなく、やがて彼らは一攫千金を夢見て、南イタリアで傭兵(ようへい)として働くことになっていきます。

当時の南イタリアでは、諸勢力が覇権を競い、あちこちで小競り合いを繰り返していたし、イスラム教徒の襲撃にも備えねばならないから各地で優秀な傭兵を必要としていたのです。そんな背景もあって多くのノルマン人が故郷を後にして南イタリアを目指しますが、彼らの中には戦略に秀でて武力にも優れた者たちが頭角を現して活躍し、その功績に領地が与えられるようにもなりました。

ノルマン王宮の「ルッジェーロの間」に描かれた

煌びやかな「クジャクと豹」のモザイク画

南国の木々が印象的でした

今更ですが…

2019.12.26撮影

こうなると、一介の傭兵に過ぎないノルマン人が力を蓄えて有力君主に成りあがるのも当然の流れで、その筆頭がルッジェーロ2世の父でした。活字にすると数行の偉業ですが、教皇庁はじめ周辺の覇権を確立しようとする勢力やイスラム教徒とも相まみれ、共に故郷を旅立った兄弟の争いごとにも巻き込まれながらの、それは熾烈を極めた戦いの末でのことでした。ルッジェーロ二世は、この父親の後を継ぎ、念願のシチリア王になりますが、パレルモの大聖堂で執り行われた一連の儀式は、豪華な衣装を身にまとったローマ・カトリックのみならずギリシャ正教の高位聖職者たちがずらりと並び、群衆が歓声を上げる中、それはそれは厳粛かつ壮大なものであったとか。

デルモンテ城の資料室に描かれているフェデリーコ2世

なんかねぇ

彼の頭上にある王冠そのものがデルモンテ城…

そんなルッジェーロ2世の血を引くフェデリーコ2世…ここからは妄想ストーリーです。

kazu:フェデさん、初めまして

フェデ:おーkazu殿、祖父から聞いておる。先年はパレルモに行かれたとか

kazu:はい。もう凄い豪華な王宮ですね。キンキラキンで目がパチクリしました

フェデ:私の趣味ではないのだが。。。

kazu:けれど大聖堂で奥さんと永遠(とわ)にご一緒に居られて良かったと思います

フェデ:ふむ。私の棺にも手を合わせてくれたとか…かたじけない

-続く-

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バーリ中央駅北口から南口への移動

2023年02月08日 | バーリ

道端で繰り広げられた

圧巻のパフォーマンス

バーリ/ スパラノ・ダ・バーリ通りにて

2022.12.17撮影

あれ程考え悩んだにも関わらず、まるで何かに導びかれたかのような結末でしたが、夜間にバーリ中央駅北口から南口へ移動するときの注意点を少しだけ。それは、エスカレーター(多分)もエレベーター(表示があった)も作動しているのは午前0時まで…表示のあったエレベーターに限って言えば、利用できる時間帯は「午前4時~深夜12時まで」という点です。恐らく、階段と並行に設置されているエスカレーターもこれに準じていると思われます。

地下通路に降りて行く階段の少し後方に設置されているエレベーター

時々注意して見ていると、エスカレーターはメンテナンスのためか不具合か、朝の9時過ぎに止まっていたことがあって、自転車を抱えた人や大きな荷物を持った旅行者が階段を降りて行く姿を目撃しました。本来動いているはずの時間帯であっても、突発的にこうして利用できなくなる可能性もある…。

エレベーターが利用できる時間帯の表示

帰国時の朝、駅の北側にあるシャトルバスの乗り場に向かうのに上記のことを再び案じてタクシーを呼びましたが、か弱い女性(私のことですよー)の個人旅行に於いて、エレベーターやエスカレーターの有る無しは、ホテルはもとより、駅でも同様に「快適な旅」をするためのチェックポイントだと改めて痛感した次第です。                                                ※南口のプラットホーム中央付近にも、奥まっていて少し気付きにくいですが、エレベーターがあります。どのホームにもエレベーターが設置されていて、地下通路からアクセス出来ます。

余談

バーリ中央駅は、イタリア語版ウキペディアによると、2000年代から地下通路やそれに付随するエレベーター&エスカレータの新設など、1200万ユーロの予算で近代化をしてきたのだそうで、この計画の完了予定が2020年というから、まさしくバーリ訪問の直前のことのようでした。午前0時を過ぎていても、この地下通路を利用する地元の人たちは結構居て、行政の思惑通り、ムラート地区(海辺や旧市街を含む北側)から南方面までを統合する人の流れは今後もより活性化し、更には駅の南側の再開発にも拍車がかかることだろうと思います。ちなみに、私が滞在していた間、この地下通路には何人ものお巡りさんや警備の人が居て、とても安心でした。

バーリ中央駅の北口と南口を結ぶ地下通路入口

右側のピンク色の建物は「ケンタッキーフライドチキン」のお店

コメント (2)
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