イタリアより

滞在日記

カステル・デル・モンテへの行き方/電車&バス編

2023年03月22日 | カステル・デル・モンテ

帰り際に撮ったカステル・デル・モンテ

2022.12.18撮影

前述通り、お城へはバーリからタクシーで向かったために、実際には利用していない「電車とバス」ですが、もしも公共交通機関が使えるならばと調べてみた結果です。参考程度にして下さい。

先ずは「バーリ」から「アンドリア」という町へ行きますが、利用する路線は「バーリ・ノルド鉄道」。バーリ中央駅横の「FERROVIE NORD BARESE」の建物が駅舎になります。

停車駅は、Bari Centrale→Quintino Sella→Brigata Bari→Francesco Crispi

→FescaS.Girolamo→Palese→Macchie→Bitonto→Sovereto→Terlizzi

→Ruvo di Puglia→Corato→Andria→Barletta Scalo→Barletta

2022.12.現在料金は4.8ユーロ

「アンドリア」駅

ストリートビューより

アンドリア駅(stazione Bari Nord FNB)の前は「Piazza Bersaglieri/ ベルサリエーリ広場」と言いますが、この場所からカステル・デル・モンテ行きのバスに乗車します…といっても、実際に乗ったわけではないので、正確に言うと❛乗車するらしい❜ですが、アンドリア市の観光インフォメーションによると、お城までのバスが運行されているのは「4 月 1 日から 11 月 1 日まで」…とあるのに、時刻表には3月1日から10月31日とあって、どっちやねんっと…

平日の時刻表

最終更新日/2016年2月29日

祝祭日の時刻表

最終更新日/2016年2月29日

どちらにしてもこの時刻表から逆算して、バーリを出立すればいい…はず…です…。しつこいようですが、実際に電車&バスを乗り継いで行って帰って来たわけではないので参考までに。

しかしなぁ…例えば、お城に行こうとした日がうっかり日・祝祭日に当たってしまい、しかも、のんびり午後から行くか~みたいなノリでバーリから日帰りするとなるとこの時刻表…

いやそれ以前に、バーリからアンドリア駅までの列車は、実は日・祝祭日の運行がなく、同社の代替バスで行くことになります。バーリから発車する同社のこのバスは、バーリ駅前のアルド・モーロ広場がバス停になりますが、もしも祝祭日に予定をしているなら、現地で正確なスケジュールを把握することをお勧めします。でないと「立ち尽くす」ことに。。。「日本で調べられることと現地でしか対応できないことを見極める」は私の旅の鉄則ですが、特にローカルなエリアへ行く時は「現地で確かめる」のが一番です。

↑こんなバスのようです

ちなみに、アンドリア駅からお城まで乗ることになる、この「autolinea urbana n° 6(路線バス6番)」は、アンドリアの町の郊外にあるショッピングモール・モンゴルフィエラ「 Ipercoop Mongolfiera」から出ているようで、大通りの「バルレッタ通り」を10分ほど掛けて走ってくるらしい…(推測です)バスがどこからやってくるか、全く分からず待つよりもちょっと不安は解消できるかな…追いかける時も、追いかけやすい…

ショッピングモールから

カステル・デル・モンテ行きのバスが来る…らしい

ちなみに、バスに置いていかれた時は…いや、「予約」ということで、ベルサリエーリ広場でタクシーが利用できるよう。電話380 9062709(アンドリアインフォメーションより)

なお、パスのチケットは、アンドリアの駅を背にして左方向へ。このベネチア・ジュリア通りをまっすぐ進み、コルソ・カブール通りに出たら右へ(「ホテル・ピーニ」の看板があります)少し進むとあるバール(「Bar Nessie」)の向かい側、タバッキ「Tabacchi Sinisi Grazia」で買えると思います。歩いて4~5分。近くのバールででもチケットは売ってくれそうな気がするのですが、ウロウロするよりも、さっさとタバッキへ行く方が得策な気がします。駅横にインフォメーションが新しく出来そうな気配なのですが…。

上記、あくまで調べただけなので参考程度にして下さい。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カステル・デル・モンテへの行き方/タクシー編

2023年03月15日 | カステル・デル・モンテ

この日も何組かのグループが見学に訪れていました

2022.12.18撮影

バーリからカステル・デル・モンテに行くには、二通りの方法があります。一つはシンプルにタクシーを利用する、今一つは電車とバスを乗り継いでいく、あっもう一つありました。レンタルした車で向かう。消去法で行けば、わたしの場合、タクシー一択でした。というのも、レタンカーは除外するとして、「電車とバスを乗り継いでいく」には、最寄り駅になる「アンドリア」から出るバスは冬季は運行していないのです。。。出費はかさむけれど、ここは覚悟を決めて、先ずは出発するひと月前に、現地のハイヤーを手配する代行業者へ料金を問い合わせました。

そういえばバイクでやって来る人も…

2022.12.18撮影

ある業者は、バーリの滞在先ホテルから往復「240ユーロ」、もう一つの業者は「270ユーロ」だと回答がありました。前者は、原油高の為にもう少し値が上がるかも知れないと追記があり、後者では「270ユーロ固定」だと、いずれも親切な応対でした。

一方ホテルに聞いたタクシー料金は、前述通り、お城の見学時間を1時間待機する条件で往復「130ユーロ」。親切な運転手さんだったので、10ユーロを足して140ユーロを支払いましたが、一人でお城まで行って帰るだけならタクシーで十分でした。(復路に近辺の町、例えば「アンドリア」や「トラーニ」で降ろしてもらっても同料金とのこと)なお、タクシーは、お城の入口前まで行き、待機してくれていました。

上記は私が乗せて貰って来たタクシー

2022.12.18

ただし、複数人で上質のサービスも受け、より快適なドライブを、とするならハイヤーがいいのかも知れません。きっと黒塗りのベンツで乗り心地もすこぶるいいのだろうと思います。なお、老婆心ながらこんな折、女性一人がタクシーに乗るならば、履歴が残るようにホテルに手配を依頼するのがわずかながらでも安心。ちなみにタクシーは、駅前に停まっているのと同じフツーのタクシーです。(タクシー料金は2022年12月18日現在)

次頁は「電車とバスを乗り継いで行く」ですが、調べた結果はうーん…実際にこの方法で行くとしたならば、①バスを追いかける…②おいて行かれる…③立ち尽くす…三択です。さてどれになるでしょう?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界遺産「カステル・デル・モンテ」その3.

2023年03月02日 | カステル・デル・モンテ

1876年国の管理下に置かれ

その3年後から修復工事がスタートした

修復以前のカステル・デル・モンテ

綺麗になって

今は「白亜のお城」と言われるけれど

劣化は年々進んでいるとか…

公式サイトより

ところで、フェデリーコ二世には、正妻に愛人を交えたその子供たちが沢山誕生しています。中でもフェデリーコの実母と同名の妻コスタンツァとの間にもうけた、これもフェデリーコの実父「ハインリッヒ6世」の名を命名した長男、ハインリッヒ7世に掛ける期待は大きなものでした。

唯一この三連窓から

フェデリーコが生きた時代に栄えた町

アンドリアが望める

公式サイトより

自身がそうであったように、この長男もいかなる困難をも乗り越えて、独立独歩で事を成し遂げていくと、フェデリーコは考えていました。ところが父親の期待が大きければ大きい程、あるいは父親が偉大であればある程息子は萎縮していき、その圧力から逃れようともがく…現代にも通じそうな親子の構図ですが、いかんせん、ヨーロッパの中世においてはその関係がこじれると互いの命取りになります。

目を潰され移送される途上

谷底に馬もろとも身を投げるハインリッヒ

左は父親のフェデリーコ

ウキペディアより

ハインリッヒは、その凡庸さにつけこまれたか、フェデリーコに反感を抱いていた諸侯と共に父親に反旗を翻し、ついには命を落としてしまうのです。それは果敢に戦った上でのことではなく、反逆罪で捕えられ、隔離生活を送る中で自死という誠に不名誉な形で終わりを告げました。父フェデリーコ47歳、息子ハインリッヒ31歳。1242年のことでした。

2022.12.18撮影

サンゴ色の石灰質角礫岩(かくれきがん)で覆われていたらしい

壁や柱がかろうじて残る内部

ちなみに

日本の国家にも歌われる「さざれ石」は

学名を「石灰質角礫岩」というらしい

ちょうどこの頃には、カステル・デル・モンテは完成していたのだろうと思います。何事も効率よく、不屈の精神で一切の無駄を排除するフェデリーコの思考回路も、さすがに長男の自殺はこたえたのではないかと、親子の悲運に思いを馳せるのですが、陳腐な表現ながら、もう少し時代がゆるやかに過ぎていたならば、このデルモンテ城で、フェデリーコ親子たちがそれこそ鷹狩を楽しむ光景が見られたのかも知れません。

帰路

幾度も幾度も振り返って仰ぎ見たデルモンテ城

2023.12.18撮影

それにしても、フェデリーコの死後数年で次々後継者が亡くなっていき、20年にも満たないのちには、彼の孫になる幼い三人の皇子たちが、このデルモンテ城に30年以上も幽閉され、悲惨な最期を遂げることになるなんて。。。

★みたびの妄想ストーリー↓

フェデ

して、kazu殿、我が後継者、ハインリッヒの件は慙愧の念に堪えぬが、エンツォやコンラッド、おーそうじゃ鷹狩が得意であったマンフレディと我が孫たちはいかような人生を送ったであろうか。

kazu

あのね、フェデさん、実はね…いえ何でもない…皆さん立派にシチリア王国を盛り立てて、長生きをされました…又いつかデルモンテ城へお邪魔した時は、お城の秘密など、こっそり教えて下さい…

フェデ

ふむ…kazu殿、承知した。約束いたそうぞ!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする