イタリアより

滞在日記

年内閉鎖…covid19 in italia その2.

2020年08月31日 | ミラノ

霧が立ち込める夕暮れの
ミラノ大聖堂

2015年12月22日


■2020年8月28日

❛年内閉鎖❜…という何とも息苦しいブログのタイトルですが、これは、エアチケットと同様、取り合えずの予約を入れたミラノのホテルからのメールの文言です。飛行機の切符は、ミラノの往復なので、どこへ行くにしても復路もマルペンサ空港を利用することになるため、帰国の前日は、シャトルバスの利用に便利な駅前のホテルに泊まろうと、そんな算段でした。早割で料金も安い上、キャンセルは宿泊の一週間前まで無料です。勿論この時点で、新型コロナウイルスは話題にも上っていず、エアチャイナから届いた飛行機のEチケットもメールボックスに入ったままでした。


ミラノ中央駅に飾られたクリスマスツリー

2018年12月22日


2月5日、日本では、クルーズ船の乗員乗客10人の感染がニュースで流れたのを皮切りに、新型コロナウイルスに罹患した患者が出始めましたが、前述通り、夏頃には収まるだろうと楽観視していました。ところが、日を追うにつれ、そんな悠長なことは言っていられなくなり、やがて、欧州で最も早く感染爆発に見舞われたイタリアのニュースが次々飛び込んで来るようになります。それと同時に、春の旅行シーズンを控え、渡伊する予定のある旅行者は、地元の情報を求めたり、既に予約したイタリアのホテルをはじめ、鉄道や美術館などのキャンセルに右往左往することにもなって、私も他人ごととは思えませんでした。


ミラノから訪ねたシルミオーネの船着き場

2018年12月23日


とはいえ、私の旅行はまだまだ先だからと、一縷の望み、というかひたすら希望的観測にしがみついていましたが、先般8月11日、突然、予約代行業者のbookingcomから、『新型コロナウイルスの影響で、予約されたミラノのホテルは、年内・12月31日まで閉鎖されるという知らせがありました。したがって、頂いていたご予約はキャンセルいたしました』と連絡があったのです。

半ば、今年の旅行は断念せざるを得ないかなと考えてはいましたが、こんなにあっけなく断ち切られるとは思いもしませんでした。と同時に、レストランやバーを併設し、大中小の会議室や多目的ホールを有するミラノ中央駅前の大きなホテルが、今の時点で年内閉鎖だなんて、国内向けの利用も期待できない程、イタリアでは感染者が増え始めたのか…との疑念も湧いてきて、暫く途絶えていたイタリアの状況に目を向けることになりました。


2020年8月27日データ

刻々と変わるサイト内の感染者状況

数字は左から、現在の感染者数・回復者・死亡者数・感染者合計/下の数字は新規の数


「covid19 italia」で検索するとトップに出てくるのが、イタリアの保健省のサイト「Ministero della Salute」です。時々覗いていたのですが、5月に入り、イタリア政府が国民に求めていた行動制限を解除し始めてからは、安心感もあって閲覧は遠のいていました。今見ると、素人の目でも分かるように、イタリア各地で感染者は増加していて、「2020年8月10~16日」のレポートでは3週間連続で国内感染は広がり続けています。更には、27日現在では、新規感染者が1367人と過去3カ月半で最多ともなり、これは日本でも同じ傾向がありますが、若者の感染や無症状の患者が日々増加、サイトによると、L'eta mediana dei casi diagnosticati nell'ultima settimana e' di 30 anni の一文が太文字で強調され、この前の週の新規感染者の診断状況では、平均年齢が30歳になっているとありました。


3月からのグラフ…


このように、イタリアでは各地で再び感染者が増え始め、保健省では8月16日、秋・冬に向けて、国内全土でマスク着用の義務化、屋内外で行われる全てのダンス活動の停止、更には、州ごとに、より一層厳しい措置を講じることがあるとの発令を出していて、covid19の感染症に対しては、良い方向に向かう材料が何一つ見受けられませんでした。それどころか、コロナ禍で、EU27か国、中でもイタリアは、ギリシャやスベインと並んで、歴史的な不況にもなる見通しです。欧州連合では、融資と新たな復興基金の設立に合意はしたものの、被害の大きい観光産業に、その補助がどこまで浸透し、経済の立て直しが図れるか。こうした諸々の背景を受け、件のホテルも苦渋の決断を迫られたのかもしれません。


年内閉鎖のため、キャンセルの連絡があったミラノ駅前のホテル

ストリートビューより


どのタイミングで、今年の旅行を中止するか、いや、もしかしたら行けるかも、などとウジウジとしていたのですが、こうして諦めざるを得なくなりました。行こうと思えばいつでも行ける、空はどこまでも続いている!と意気込んでいましたが、それはなんと大きな思い上がりだったことか。

件(くだん)の、ボー村のあるベネト州で感染対策を仕切った医師は、「ウイルスが広がってから都市封鎖をしてもダメだ。早い時点で無症状の人をあぶり出し、先回りしてウイルスと向き合う『ベネトモデル』を採用しなかったのが誤りだ」と、ロンバルディア州の感染爆発に、そう指摘をしたそうですが、今もなお他のどの州よりも感染者数が突出しているロンバルディアの現状を見ると、この医師の言葉にうなずく他はありません。医療を管轄する州ごとの判断はどこまでも尾をひいて、まさに、戦略のミスは戦術では補い難しです。

余談


ついにキャンセルしたエアチケット

後ろ髪ひかれるけれど…


上記の通り、❛❜イタリアから断られ❛❜、今年の年末の旅行は諦めが付きました。ついでと言うと、悲しくなりますが、先般、エアチャイナの飛行機もキャンセルを済ませました。電話で問い合わせると、すぐに応答があって、実に丁寧な対応でした。通常では2万円のキャンセル料が発生するのですが、今回は無料なのだそうです。ネットからアクセスした手続きは、名前と13桁の航空券番号を入れるだけ。送信と同時に、受け付けた旨のメールと、翌日には払い戻しの手続き完了の知らせがありました。そうしてクレジットカード情報を見ると、支払ったチケット代金全額の返金が反映もされいて、その素早い応対はせめてもの慰めでした。
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年内閉鎖…covid19 in italia その1.

2020年08月28日 | ミラノ

ミラノ中央駅前/空港行きのバス客争奪合戦

2015年12月23日撮影

今はこんな光景は見られないのだろな…


■2020年8月28日

今年の正月明け早々に、中国国際航空のイタリア行き航空券を手に入れました。新春セールとして売り出された格安のチケットで、一昨年と同様、地方空港から一度大連へ降機して北京まで、そうして、そこからイタリア・ミラノへ飛ぶ旅程です。


ミラノから訪れたオルタ湖のサン・ジュリオ島

サクロ・モンテから撮りました/2015年12月24日


どこへ行きたいというあてもなく、料金にひかれてポチっとしてしまったのですが、行先はこれから考えよう、北イタリアの、まだ訪れていない町は沢山あるし、昨年の続きでシチリア再訪もいい。そうなると効率は悪いけど、ミラノ中央駅からリナーテへ移動して国内線でカターニアへ等と、この時点では一年先の旅なので、空想やら妄想やらを含めて、机上のプランを寝物語に描いていました。まさか、covid19という感染症で世界中がパンデミックに陥るなんて、私の妄想ストーリーにもありません。


ミラノからトリノへも足を延ばしました
トリノのシンボル・モーレ・アントネリアーナ
2015年12月26日

この下で随分待って入場
ガラスのエレベータでてっぺんまで上がりました
晴天だったので塔からの眺望は絶景でした


履歴を見るとチケットを購入したのが1月10日でしたが、この一か月後あたりから新型コロナウイルスは、北イタリア・ベネト州の小さな村にじわりと忍び寄っていました。新聞の記事(2020年8月5日/朝日)によると、2月21日、私が幾度も足を向けるベネチアからほど近くにある「Vo'」(ボー)という村にある宿「ロカンダ・アル・ソーレ」(上記新聞記事より)の宿泊客が発症し、その日のうちに亡くなったのだとか。


ベネチアのホテル前に飾られたプレゼピオ
バスティン通りにて
2015年12月28日


この男性は、中国への渡航歴はなくイタリア国内で感染・死亡した初のケースとなり、ボー村のみならず、イタリア全土に衝撃が走ることになりました。この頃、ベネチアでは、恒例のカーニバルが開催されていて、熱気を帯びたお祭りは頂点に達していただろうと思います。

のちに『そして街から人が消えた/封鎖都市・ベネチア』と題して、NHKがこの祭りの主催者の、慙愧に堪えない種々の思いを吐露したドキュメンタリーを放映しましたが、小さな村で始まったいわゆるクラスターが、イタリアの州ごとの判断で被害の大きさの明暗を分かち、後にはその実態さえも浮かび上がらせることになります。


年末あたりからカーニバルの衣装を着けた人たちが出没し始めますが
一緒に記念写真を撮ると料金を請求される…

ベネチア・スキアボーニの河岸にて

2015年12月29日


ちなみに、人口3300人のこのボー村の村長と州知事は、「疑わしい症状のある人や中国への渡航履歴がある人が検査対象」とする当時の政府の方針に反し、感染者が確認された当日、村ごとそっくり隔離して、全住民にウイルス検査を施すという英断を下します。州独自の判断で都市封鎖の実施を決め、公共施設は勿論のこと、村に通じるあらゆる道路を封鎖するという徹底した隔離政策で、ついにウイルスを封じ込めた、これがイタリアでの成功例になります。


徹底した隔離政策でウイルスを封じ込めたVo`(ボー)村

ストリートビューより


しかし、この「ベネトモデル」と呼ばれるウイルスに対処する取り組みが遅れた、ミラノを州都とする隣のロンバルディア州では、感染爆発を起こし、ボー村のあるベネト州の約5倍の感染者、8倍にものぼる死者数を出すことになりました。

隣り合う州で、ほぼ同時期に感染者が確認されたにもかかわらず、こうして明暗が分かれ、のちにロンバルディア州が深刻な事態に陥ったことは、わたしたちの知るところです。

-続く-

コメント (2)
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