
威風堂々のパッラーディオの「バシリカ」
■2014年12月29日(月)
ベネチアは晴天です。今日は、フェッラーラに行こうと思っていましたが、ふと気が変わって、近郊のヴィチェンツァに行って来ました。ネットで列車の時刻表を見ていたら、あと30分で発車する急行があったのです。駅までは5分もかからない、ホテルを飛び出ました。

ヴィチェンツァ駅前
さぶーっ雪が残ってる・・・
駅の電光掲示板では、この急行列車に20分もの遅れが出ていて、結局、先に発車する普通電車に乗車することになりましたが、それでも無事にヴィチェンツァの町に着くことが出来ました。

カステッロ広場
12世紀の頃、この辺りにお城が築かれていて、その名残が今も残っています
この中世の門をくぐれば、パッラーディオと彼の影響を受けた弟子達の建築群が現れる
ヴィチェンツァの町の下調べは、それほど詳しくは出来ていなかったのですが、地球の歩き方の本に目を通しても、やはり希有の天才建築家パッラーディオが建てた宮殿群の説明に終始しています。これらの見どころは町の中心にあるので、見て回るのはそれほど難しくはないだろうと踏んで、出かけて来たのでした。

ヴィチェンツァのドォーモ
ヴィチェンツァの町が歴史に登場するのは結構早くて、紀元前150年代にはローマ人により統治されていました。以降は近隣諸国との熾烈な戦いに明け暮れ、15世紀の初め、ヴェネツィア共和国の配下になったのでした。

シニョーリア広場、バシリカの横にある円柱
ベネチアのサン・マルコ広場を思い起こさせる
円柱の上からは獅子が人々見下ろす
ちょうど時はルネッサンス真っ盛り。貴族の莫大な財力を背景に、壮麗な宮殿群を次々建設したのが、アンドレア・パッラーディオその人でした。

コルソ・パッーラーディオにあるパラッツォ・ダ・スキオ(別称カ・ドーロ)
当時、独自のルネッサンス芸術を育んでいたヴェネチアに対抗意識を燃やし、パッラーディオとその弟子達は、宮殿づくりに没頭していました。それまでの平凡でどこにでもあるゴシック様式から優雅さを加味した独創的なこのパッラーディアン建築は、やがてイギリス始め、遠く離れた日本の建築スタイルにも影響を及ぼしていきます。
しかしなぁ~こんな狭い道路にぎっしりと宮殿を詰め込んだ形になって、全景が見えない・・・もっとも、それでも中世のこの町の裕福さと精神的な余裕が伺えて、恐らくその歴史は、今も受け継がれていると思われる品の良さが町の随所に感じられました。他の町とはちょっと違う不思議な感覚・・・又、後日お話したいと思います。

月曜日は休館だったオリンピコ劇場
多くの見学者が残念そうに中をのぞく・・・私もその一人
残念だったのはオリンピコ劇場が休館で入れないことでした。共通券で横のキエリカーティ美術館と共に入場が可能でしたが、誤算でした。海外を旅していると、日にちや曜日が分からなくなって、ついこんな失敗をしてしまいます。

キエリカーテ美術館
折角だからと美術館に入場しましたが、この美術館の前に置かれた巨大な幼児の頭。館内に同じ小さな頭部が展示されていて、その拡大版なのだけれど、ちょっと不気味で・・・^^;

郊外にあるパッラーディオの傑作「ロトンダ」(12月は閉館している)と共に、オリンピコ劇場の見学は、次回の宿題にすることにして、寒風吹くヴィチェツァの町を後にしたのでした。






