イタリアより

滞在日記

番外編の旅inロシア ロシアの体験/グルメとWifi その2

2014年05月18日 | 番外編の旅ロシア

モスクワ大学
(正式名称:M.V.ロモノーソフ・モスクワ国立総合大学/創設者ミハイル・ロモノーソフ)

ロシアの最高学府であるモスクワ大学の構内も散策しました

まるで白亜の御殿

構内から出てくる学生たちは男女問わず、とてもおしゃれでモデルのよう
天は二物を与え過ぎです

この本校には2万人が利用する教室や事務室は勿論のこと
塔の26~28階部分には地質学博物館がある・・・らしい


十年一昔と言いますが、海外旅行で昔と違うのは、なんと言ってもインターネットの普及です。ネットにアクセスすれば、渡航先の情報を出発前に簡単に調べることも出来るし、現地に於いては、スマホやiPadを駆使すれば地図さえも持ち歩く必要がない。私は、イタリアのホテルを選ぶ時、室内にWIFIが無料で提供されているところを条件にするのですが、これが最近少し難しくなってきています。

というのも、以前はネットの使用は有料で(一日2千円ほど払っていました)、利用者が限られていたこともあってそれなりに使えていたのですが、この2~3年、前述のスマホやiPadなどの端末機が増えるに従い、いわゆる無線ランを通してのネットの利用者が一気に増えた為に、ホテルのネット環境の設備が追いつかず、結果、WIFIが使えると謳っていても接続できない、接続してもすぐに切れる、ということがたびたび起こっているのです。それはもうイライラするほどに。

特に私たち日本人は早くから高速回線でネットに接続することに慣れている為(恐らく日本のネット環境は世界最高レベル)、ネットの利用者にとっては海外のこうした状況は悩ましい限りです。もっともインターネットに頼らず、地図を片手に、分からないことは地元の人に尋ねながら町巡りをすることこそが旅の醍醐味なのですが。


ロシアのホテルでもノートパソコンは活躍しました

ツアーなのに帰国便の席の確保は事前に個人で・・・帰国前夜Webチェックインしました

パソコンやスマホを持たない他の方達はホテルのロビーのパソコンで添乗員さんが座席を取っておられました


それでも、ツアーであっても一人で旅行する時は、家族に「生きてるメール」を必ず一日に一度は発信することにしている私にとってネットは欠かせず、その他にも明日の行き先の天気をはじめ、一人旅では鉄道やバスの時刻表を調べたり、こうしてリアルタイムでブログのアップをしたりと、古い言葉で恐縮ですが、文明の利器は限られた時間を有効に使うのに、大いに享受しようと思うのです。


レンタルWIFIのセット


前置きが長くなりましたが、そういう訳で、今回ロシアの国のネット環境が一体どのような状況なのか、さっぱり分からなかった為に、思い切ってWIFIルーターをレンタルしていくことにしました。選んだのは「グローバルWIFI」という会社のルーターです。上記のように、WIFI接続に必要な各パーツが揃っていて、ちょっとかさばるセットになっていますが、実際に持ち運ぶのは、手の平に乗る小さなルーターのみです。


モバイルWIFIルーター


しかし、そもそもモバイルWIFIルーターとはなんぞや?一昔前にはなかった概念に、考えると少々頭を悩ますことになるのですが、要するに一言で言うならば、携帯電話などのモバイル通信回線を用いて、インターネットに接続する持ち運び型のルーターということになるでしょうか。自宅では固定回線用の光ファイバーやADSLにつなげてインターネットをしている訳ですが、モバイルWIFIルーターは、この可搬型なのですね。ネットワーク(インターネット)とネットワーク(会社や家庭内の複数のパソコン)を接続する機器がルーターなのだし、それを無線(WIFI)で複数の端末機につなげるからモバイルWIFIルーターか・・・、なんやそのままやん。専門分野に詳しい方からすれば笑われそうですが、モバイルWIFIルーターとは、私の小さな脳みそにはざっくりとこの程度の理解で落ち着かせることにしました。


当然ロシア用WIFIルーターです

料金がもっと安ければなぁ…(-_-;)


各国には、それぞれキャリア(通信会社)があって、例えば日本ならNTT、イタリアではTIMというように、その会社の持つ基地局からモバイル通信のための電波が出ています。レンタルルーターの会社では、事前に現地のキャリアと契約していて、現地に到着後ルーターはこの電波を拾うという仕組みになっているのでしょう。もしもモバイルルーターを個人で持参すれば、現地のキャリアのSIMカード(電話番号など携帯電話の契約情報が入っている)を購入してルーターに挿入しそのキャリアに通信費を支払って接続することになる訳ですが、この通信費がレンタル会社では定額制で一日○○○円×レンタルする日数(勿論手数料など諸経費も含まれているはず)という計算になっているのだろうと思います。

問題は、これらの基地局があちこちにあって、電波がより強く出ている地域では素早くネットに接続するし、反対の地域では逆のことが起こるので、その国、その地域の接続の状況は、実際に現地に行ってみないと分からないということになるでしょうか。


スマホにプラスして持ち歩くルーター

大きさはこの程度でバッグやポケットに入ります


実はイタリアでこのWIFIルーターを利用した人の中には、使い物にならなかったという感想もあって、ロシアでの利用も心配でした。この人がイタリアで繋がらなかったというエリアは、アマルフィの海岸沿いとローマ市内の一部地域だったようですが、前述した通り基地局が周辺になく電波が拾えなかったか、あるいは石造りの建物に遮断されたり、沢山の人たちが一斉に接続したために速度が制限されたか、理由は様々でしょうがどちらにしても、国のネットインフラの構築状況と現地のキャリアの力の差がこうして如実に出るのだろうと思います。


黄色い丸印は、ネットの接続状況(現在3G回線で接続している)

赤い丸印は、ルーターの電池の残量を示します(最大4時間くらい)

勿論予備のバッテリーも携帯しています


幸い、ロシアでは、といってもモスクワとサンクトペテルブルクですが、ホテルの室内でも外でも、どこに行っても3G回線が途切れることはありませんでした。もっともこの3G回線も、光ファイバーなどブロードバンドが行き渡っている日本の国のネット環境にいる身にとってはそれほど快適という訳にもいかないのですが、それでも旅先で、それも移動しながらインターネットに接続出来るというのはなんと便利で安心できることでしょう。


WIFIルーターには、二種類のコードが書かれています

①上のコードは接続する際(WIFIに接続した時に表示されるネットワークのうちこのコード番号につなげます)
②下の数字は、パソコンやスマホなどの端末に入力するパスワード
※現地でスマホなどの端末に接続するときは、データ通信をオフにしておくのは言うまでもありません
持参したパソコンやスマホなど端末機に上記のパスワードを入れるだけで簡単にネットにつながります

私は、パソコンとスマホにつなげました


そうそう、この3G回線というのも、いつの間にか浸透してきたモバイル通信の用語です。一体いつの間に・・・ネットで調べてみると・・・

まずは、3Gや4Gで使われている「G」という言葉の意味から。これは、英語の「Generation(世代)」の頭文字です。たとえば、3Gというのは「第3世代」の通信規格であることを意味しています。あまり耳慣れないかも知れませんが、かつては1G(第1世代)、2G(第2世代)のモバイル通信規格もありました。1Gはアナログ方式の通信規格、2Gはデジタル方式になってメールやネットの利用に対応した規格。2000年代に入ってからは、より高速化された3Gが主流に。3Gに該当するサービス例として、NTTドコモの「FOMA」(2001年10月サービス開始)があります。そして今、スマホの爆発的な普及によって注目されているのが、次世代の高速通信規格である4Gです。こんな風に「数字+G」という言葉を見かけたら、数が大きいほどスピードが速いとイメージしておけばいいでしょう。

という説明がNTTの公式ホームページに載っていますが、高速道路で例えてみれば、車線の数が一車線か三車線かの相違ということでしょうか。いずれにしてもモバイル回線を使ってネット接続する訳ですから、通常私達がドコモのフォーマ(いわゆるガラケー)やスマホでする通話やメール、さほど出ない速度でのネット閲覧といったイメージを抱いていれば、スピード感への期待は大きくは裏切られないと思います。現在、ロシアを初めヨーロッパではほぼ3G回線を使ったインターネット接続、韓国や日本等ネットの環境が整っている国では、エリアによるものの4G回線利用でネット接続出来るようですが、前述通り、国のIT技術の格差が垣間見えて興味深いなと思います。


ロシアではホテルの中も外も3G回線利用で途切れることなくネット接続が出来ました


なお、このWIFIルーターには複数の端末が接続出来ますが、例えばご夫婦で一つのルーターを持てば二人で使用できる訳ですが、それが可能なのはお二人が離れないこと。同じ室内に居るとか、外出しても近くに居れば問題はありませんが、それぞれが別のエリアに離れてしまうとルーターを持っている人しかネットは使えないということになります。考えれば分かることなのですが・・・

以前、ご主人様の方がルーターを持っておられたあるご夫婦が、途中からご主人様は奥様と離れて美術館へ行ってしまわれました。奥様の方はご友人とショッピングの予定のようでしたが、ご主人様が去られた後、メール(ライン)が送れない、と悩まれていたことがありました。そばで聞いていて、私は気が付いたものの、いらんお節介だしなぁと言うに言えず・・・^^; レンタル会社の回し者ではないですが、こんな時の為にも、モバイルWIFIルーターは、やはり一人一台が理想だろうなと思います(^^)
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番外編の旅inロシア ロシアの体験/グルメとWifi その1

2014年05月11日 | 番外編の旅ロシア

ロシアに来て初めて食べたロシアのグルメ/シーフードサラダ

モスクワの空港にて


ロシアの食べ物といえば、すぐ思い付くのは、ピロシキとビーフストロガノフ、あとはボルシチくらいのものでしょうか。ロシアについて、こんなに知識が乏しい、というか、日本とは仲良くしていかなければならない国なのにほとんど関心を寄せていないことがありありと覗えて、なんと恥ずかしいことかと思います。


具がたっぷり詰まったサンドイッチ/モスクワの空港にて


成田からモスクワに到着して、サンクトペテルブルグに乗り継ぐのに少し時間がありました。長旅で疲れてもいたし、どこかゆっくり座りたいと思ってもどこも人がいっぱいで、仕方なく空港内のレストランに腰を下ろしました。周辺を見渡すとなにやら美味しそうな食べ物を皆さんほおばっておられます。そういえば、お腹も空いてきたしなぁ・・・喉もからから・・・確かこのツアーでは今夜の夕飯は付いてなかったし・・・


あのぉ・・・泡が立ってないし、冷えてないし、それにもうちょっとなみなみと注いでくれても・・・


と言うわけで、 のようなことになりました。でも、生ビールのはずが、冷えてないし泡も立ってないし、ちょっと、いや、かなり残念でした(-_-;)でも、サラダもサンドイッチもまずまずのお味で、ロシアの食事は日本人の舌に合うみたい、と少し期待が持てたのでした。


こんがりとソテーしたスズキと付け合わせのマッシュポテト


というのも、忘れもしない2007年、エジプト旅行で出された食事が、口に出来たのは最初の二日ほどだけでした。私はそれほど好き嫌いはないのですが、食材がよく分からない、そして味もほとんど無いようなペースト状の食べ物に堅パンを付けて食べる食事が毎回出て来ては、もう三日目でギブアップ。ホテルに於いてでさえ、生水は勿論のこと、ホテルの朝食や夕食に出される果物や生野菜も一切食べないようにと添乗員さんからは釘をさされ、まっそれほど、不衛生な訳なのですが、バスの車窓から見た町を流れる川の衝撃的な光景(家々の前の川に牛や豚の死骸が浮いていました。川はゴミ捨て場、あらゆるものが捨てられてあり、その川の水はやがてナイル川へとそそぎます)が蘇っては、食欲もわかないのは無理からぬことだったと思います。しかもそこまで注意していたにもかかわらず、ツアーの何人かの方達は腹痛と下痢で相当苦しまれた様子で、ほんとにお気の毒としかいいようがありませんでした。


ロシアの伝統料理「ペリメニ

言ってみれば、ロシアの水餃子

やけどしそうなくらい熱々で、ジューシーでもう一度食べたい(^^)


という過去の旅行で、一種のトラウマになりそうな食事を体験しているので、実はロシアも少々心配していたのです。が、やがてそれは全く以て杞憂だと分かりました。どの食事も実に日本人の口によくあって調理も丁寧になされていました。寒い国特有のスープ類も、ツアーの食事なので、大した食材は使われてはいないのでしょうが、変な香り付けも臭みもなくてどれも口当たりはほんとうに良かったです。


ロシアの伝統スィーツ「ブリヌイ

いわば、ロシアのクレープ

私たちが食べたブリヌイの中身は、リンゴジャムでした


現地の様子は、その場所に行ってみなければ、どんなに聞かされても推測の域を出ないし、食べ物だって、どれほど美味しいと言われても自分の舌で味わってみなければ、実感はできません。なので、ここでいくら説明をしても無駄かとは思うのですが、少なくともロシアの料理は、アジアとヨーロッパを融合したような、日本人の味覚にも十分沿うものだという感想を持ちました。


ロシアのカツレツ


ツアーの食事は、ほっぺが落ちるほどウマいっという訳にはいかないものですが、食べるものも旅行の楽しみの一つで、現地のレストラン選びは旅行会社の腕の見せ所。いずれにしても食事が美味しい、口に合う国というのは、再訪する条件の一つになることだろうと思います。


甘みを抑えたサワークリームのデザート


前述した通り、ロシアの国の人たちは、身体も大きいし、いかつい感じがするのですが、覚えたばかりのスパスィーバ(ありがとう)」や「ダ・スヴィダーニャ(さようなら)」を言うと必ずレストランのオーナーさんやスタッフの皆さんは、ニコッと微笑んで返事をしてくれて、そのことは頂いたお料理を更に後味良くしたのでした。

余談


ビーフストロガノフ


ビーフストロガノフを頂いたあるレストランでのこと、お店を入ったすぐ横に鉄製の大きな銅像がでーんっと置かれていました。入り口にも青銅で作られた子犬が飾られてあったのですが、さほど気にもとめず入店したのです。しかし、どうもこの銅像が気になって気になって仕方ありませんでした。こんなに立派な像が店内に置かれているのはきっと何か謂われがあるはず…どうせならと、銅像の横に並んで、記念写真を撮ってもらったのですが、ホテルに帰った夜、何気にネットで調べてハッとしました。

やっぱりあった、あのお店の名前・・・「ゲラシム」。


ゲラシムというのは、ロシアの文豪ツルゲーネフの書いた短編小説「ムムー」の中の登場人物でした。



「ゲラシム」という名前のレストランで、ゲラシムさんと記念写真

ツアーの皆さんからは、面白い写真を撮るねぇと笑われましたが・・・^^;


物語は、19世紀初頭、ここロシアの首都モスクワが舞台です。ある貴族の館に中年の未亡人が従者たちに囲まれて暮していました。ある日、新しい召使、大男のゲラシムがやってきます。彼は、生まれつき耳と口が不自由でしたが、心根の優しい働き者でした。そのゲラシムが、館の洗濯女のタチヤナにひとめ惚れをします。最初はゲラシムの容貌を恐れていたタチヤナでしたが、彼の優しさや温かさに触れて好意を抱きはじめます。やがて、ゲラシムは女主人にタチヤナとの結婚を願い出ようとするのでしたが、女主人は、タチアナを別の男に嫁がせてしまうのでした。

悲嘆にくれる彼は、川で捨てられていた一匹の子犬を見つけます。弱り切ったその子犬を連れ帰った彼は、言葉にならぬ言葉で「ムムー」と名付けまるで我が子のように世話をし可愛がりました。その甲斐あってムムーは元気になり、ゲラシムのかけがえのない友となっていきます。作業するときも食事の時も寝るのもいつも彼とムムーは一緒でした。タチアナに去られた彼でしたが、こうしてムムーに癒やされているうちに、笑顔も戻りました。しかし、ゲラシムのこの穏やかで幸せな日々も長続きはしなかったのです。女主人に見つけられたムムーは、館から追い出すように命じられたのでした…


レストラン「ゲラシム」の玄関先に置かれた子犬の青銅

そっか・・・君がムムーだったのね


ビーフストロガノフを食べに行ったお店で、はからずも知ったツルゲーネフの短編小説、このあと、ゲラシムとムムーがどうなったのか、今度は物語の先が知りたくて知りたくてなりませんでした。
続く
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番外編の旅inロシア/ロシアのモナリザ その2

2014年05月01日 | 番外編の旅ロシア

ヴァレンチン・セロフ作:「桃と少女

イワンさんが、これもロシアのモナリザだと言いました(^^)


実は、帰国してから知ったことですが、この「桃と少女」は、ロシア文化とは切っても切れない、ヴァレンチン・セロフの第一級の作品なのだそうで、トレチャコフ美術館の代表作にもなっていました。この絵画は、ロシアの学校の教科書にものっているため、あらゆる世代のロシア人が子どものころから知っているとか。モデルになっている少女は実在の人物で、ロシアの有名な収集家であるサッヴァ・マモントフという人の娘、ヴェラ・マモントワというのだそうです。今思えば、イワンさんが熱心に説明していた絵は、やはりどれもがこの美術館、いやロシアの国の至宝なのだということがほんとによく分かりました。


熱心に説明してくれる私たちのガイドさん


過去、あちこちの美術館を回りましたが、今回ほどもっともっと下調べをしておくべきだったと思ったことはありませんでした。フランスをはじめイギリス、スペイン、ドイツ、ベルギー、オランダ、イタリアなどヨーロッパの有名な美術館では、見ておくべき作品群というのがあってそれなりに鑑賞してきましたが、トレチャコフに関しては全くノーガードでした。予備知識をもう少し持っていれば、倍も三倍も楽しめたのに、あとの祭りとは全く以てこのことでした。


撮影許可の印


そうそう、この美術館のみならず、ロシアでの美術館の館内の撮影は有料です。入場料に含まれている場合と、別途料金を支払う場合がありますが、トレチャコフ美術館では絵画の撮影をしたい人は、窓口で料金を支払って、上記のようなワッペンを付けることになります。写真を撮る時はフラッシュは禁止されていますが、これで遠慮無くシャッターを押せる訳なのでした。それにしても、数年前までは撮影は一切禁止されていたらしいのに、いやいや、ロシアにはなかなかの知恵者がいるらしい、観光客の足元を見て、よく考えましたねぇ(^^)。


広い広い館内だったトレチャコフ美術館は、ロシアの近代絵画が詰まった宝庫でした


長い余談


トレチャコフ美術館に通じる橋の上の“木“


この美術館に行くのに、一つ橋を渡ります。下にはヴォドオトヴォードヌイ運河が流れていて、手前でバスを降りました。色鮮やかに何やらモニュメントが建てられていると思ったら・・・。なんと鉄製のの束でした。



映画の題名は忘れましたが、恋人同士が橋の欄干に鍵を掛けて永遠の愛を誓うという物語の、どうもその映画の影響のようですが、実は、イタリアのフィレンツェでもアルノ川のほとり、ポンテ・ヴェッキオの下の道路の柵に夥しい数の鍵が掛けられていたのを見たことがあります。もう4、5年も前の話ですが、鍵の重さで柵が壊れたり、街灯が痛んだりして、今はフィレンツェの条例で、鍵を掛けるのは禁止されています。罰金刑もあるそうで、2014年現在見つかると160ユーロ科せられるとか。


運河のほとりに延々と続く“鍵の木”

鉄の鍵は錆びる、愛もそろそろ・・・^^;


しかし、よく見てみると、鍵が付けられているのは、鉄で出来た“木”でした。確かに生きた木なら、あれだけ鉄の鍵を付けられたら重みで折れてしまう。ロシアは、ここでもよく考えました、偉い!!。

告白タイム

そうそう、美術館までここに並んでいるバスに乗ってきた訳ですが、実はホテルからバスが出発してしばらく経ったとき、何とも云えぬイヤな予感に襲われました。不安な気持ちで座っている周辺を見渡して、ハッと気付いたのです。何かが足りないっ・・・。その間わずか数秒のことだったと思いますが、私の座席に置いた荷物が一つ足りないのです。そう、いつも傍らに置いているパソコンがない。

ツアーに参加するときは、必ず集合する時間の10分前には集合場所に居るようにしているのですが、この日も予定の時間よりも早くロビーに降りて、チェックアウトを済ませ、皆さんを待っていました。


モスクワの交通事情は、朝晩、渋滞が続くことで有名

たった10分ほどの近距離でも、1時間近くかかることもある


部屋を出るときは、いつもベッドの周りから浴室、ロッカーの中も忘れ物がないか確かめて、そして部屋を整えてから出ます。今日もそうしてロビーに降りましたが、バスに乗ってはじめて、パソコンがないことに気付いたのでした。一瞬、頭の中は真っ白になりましたが、落ち着いて考えると、忘れた場所が思い当たりました。すぐに添乗員さんに言うと、バスはホテルまで引き返してくれることになったのですが、添乗員さんは心中穏やかではなかったに違いありません。

というのも、この日は帰国日です。美術館の見学も予定されているし、上記の写真にあるとおり、道路も渋滞する可能性がある、時間が遅れると、予定が大幅にずれこんで、帰国便にも影響が出てしまいます。私は、もしも、バスがホテルへ引き返せないのなら、美術館まで行ってから、タクシーで私一人、ホテルに引き返そう、と算段していたのですが、気が付いたのがバスが出発して5分ほどのことだったので、運転手さんは脇道にそれて、ホテルまで引き返してくれたのでした。


チェックアウトの時は、パソコンはまだ手にしていました


引き返す道中、レセプションで記念写真を撮ったことを思い出し、カメラのプレビューを開いて見てみました。すると、思った通り、この時まではパソコンは手にしていたので、部屋に忘れたということはありません。置いた場所はロビーの椅子の上だと確信を得たのですが、問題は、そのパソコンが見つかるか、という心配です。ベテランの添乗員さんは、過去の数々の経験から、忘れ物は見つからないだろう、誰かに持って行かれている、と思ったようでしたが、でも私は、「ある」、と希望を持っていました。何故なら、私が座っていた椅子は薄暗い隅の方で、ロビーからは死角になっていたのです。客や従業員には目立たない場所、しかも朝の慌ただしいこの時間帯で、置き引きに遭う可能性は低い・・・確信に近い気持ちで、そんな風に思っていました。それでもドキドキとしながら、ロビーに駆け込むと・・・ない・・・置いたはずだと思った場所にパソコンは見当たらなかったのです。

が、しかし椅子を後ろにずらしてみると、ありました。下に落ちていました。ロビーにはチェックアウトする客達でごった返していましたが、幸いなことに、思った通り人々の目から死角になった場所で、更に落下していたために、置き引きにも遭わず無事に見つかりました。バスが引き返してからわずかな時間でしたが、もうツアーの皆さんには、平身低頭。ご迷惑を掛けたことを心から謝りました。よほど、貴女のパソコンは日本に帰りたくないんだね、と言ってくれたイワンさんの言葉に、ほんとだねぇと、皆さんも同調して下さって、バスの中は笑いが起こりましたが、私の不注意は否めるものではなくて、大失態に身が縮む思いでいっぱいでした。


この出で立ち↑グレーの色の荷物がパソコン

教訓:手荷物は一つにすべし

ジャラジャラ持つと何か忘れる(-_-;)
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番外編の旅inロシア/ロシアのモナリザ その1

2014年04月26日 | 番外編の旅ロシア

ロシアのモナリザと呼ばれる

イワン・クラムスコイ作:「忘れえぬ人


■2014年3月28日


ロシアの画家たちだけの作品を集めたトレチャコフ国立美術館入り口


この日は、ロシアの旅行の最終日でした。午後にはモスクワの空港に移動して帰国の途に着くのですが、午前中は、トレチャコフ国立美術館へ行きました。1856年に開設されたこの美術館には、約5000枚のイコン(聖図)を始め、11世紀から現代に至るまで総計10万点にものぼる絵画が所蔵されています。それも、他国の画家による作品は一つも無く、全てロシアの芸術家たちの手で描かれた絵画ばかりだというから驚きました。実は、ホテルを出発してこの美術館に来るまで、私は大失敗を犯して、下手をすると観覧できない可能性もあったので、こうして無事にロシアのモナリザに会えたことは、生涯それこそ“忘れえぬ”思い出になったのです。


モデルは誰なのか、全く分かっていない

別名「見知らぬ女」ともいう


1800年代、当初この作品は、町で媚びを売る底意地の悪いふしだらな女性を描いたと、酷評を受けたのだそうですが、時代が変遷すると人の目も変わるでしょうか。やがてこの女性の持つ物憂げな瞳や濃く描かれた眉毛にみられる意志の強さや、眉間にしわを寄せた中に漂う高慢な雰囲気さえにも、人々は魅了されるようになっていきました。ロシアの文豪トルストイの描いた、あの「アンナ・カレーニナ」にも重ね合わせて、今ではロシアで最も有名な絵画の一つになっています。何年か前、私の住む町にも、この絵画がやってきたことがあるのですが、見に行けないままだったので感無量の思いがありました。


ガイドさんが大いに自慢した、ガイドさん好みの「ロシアのもう一つのモナリザ」

但し、これはガイドさんが勝手にそう思っているだけ


トロピーニン作:「刺繍をする人」


ガイドさんの名前が分からなくて、私は勝手にイワンと呼んでいたのですが、そのイワンさんは、愛国心のとても強い人で、ルーブルにあるモナリザよりも、このロシアのモナリザの方が数段美しく、気品があると言い張ります。特にこの「刺繍をする人」は、本場のモナリザよりも肌も綺麗だし若いし可愛いしと・・・「ハイハイ、イワン~分かったよ(^^)」と私は心の中で相づちを打っていましたが、自国の画家による作品をこんなにも愛し、熱く語れるのはなんと羨ましいことかと思います。



ワシリー・ペローフ作:「トロイカ-水を運ぶ子供たち」


この美術館には前述したように、膨大な数の絵画が所狭しと飾られていて、ガイドさん無しでは、とてもとても見切れませんでした。その中には、当時の世相や人々の暮らしが覗える作品も沢山あって、ロシアの歴史そのものが分かるなぁと私は簡単の思いでした。そんな中の一つ、「トロイカ-水を運ぶ子供たち」という絵を見た時、胸が詰まりました。実は、トロイカで、思い出したことがあったのです。

小学生の頃、音楽の授業で習った「走れトロイカ」。「雪の白樺並木、夕陽がはえる~」、この曲を音楽会で歌うとき、先生は、馬車が勢いよく、そして楽しく走っている様子を思い浮かべて、元気よく歌いましょう、と言いました。ところが、この歌は、そんな曲調で奏でるものではないことを随分後になって知ったのです。

ロシアでは、トロイカというのは、三頭立の馬車のことを言います。イタリア語で、数字の3は「トレ(tre)」といいますが、ロシアでもтри(トリー)と発音して、3でひとそろいのものをトロイカというのです。で、その三頭立ての馬車を引いていた貧しい青年が、ある日恋をしたのですが、相手の女性は金持ちの男を選んで青年から去ってしまいます。まっ早い話が、その女性は青年を捨てて玉の輿に乗った訳ですが、その時の彼の、悲しくてやりきれない切ない心情を吐露したのが「走れトロイカ」の歌なのでした。なので、原曲はゆっくりとしたテンポで、哀愁を漂わせて青年の悲しみを歌う曲調になっています。

少し話が横にそれましたが、イワンさんは、このトロイカと題された絵を、当時の貧しい人々の生活が垣間見えます、とだけしか説明はしなかったけれど、私は、馬車が描かれていない・・・トロイカって、この幼い子供たちのこと?と、胸が締め付けられました。どの国もどの時代にも底辺で生きる人々が居るのは事実だし、分かってはいるのだけれど、幼い子たちがこうした過酷な生活を強いられているのを絵画の中に見るのはなんと辛いことかと思います。もっとも、作者の貧しい生い立ちをからすると、これは、子供達を馬車のように扱う当時の悪政への抗議なのでしょう。


アンドレー・ルブリョフ 作:《至聖三者》


さて、上記の「至聖三者」は、この美術館の中でも特筆すべきイコン(イコンとは、イエス・キリストはじめ、聖人や天使や聖書における重要な出来事やたとえ話、教会史上の出来事を画いた画像のことで、ロシア正教では聖像として崇める)なのだそうで、イワンさんは、是非とも写真を撮っておくようにと言いました。何でも、画家ルブリョフは、ロシア正教から聖人とされていて、このルブリョフの図像は三位一体の唯一正当な聖像とされているのだとか。美術館には5000枚ものイコンがあるということですが、その中の頂点にあり、ロシア芸術の最高峰というのですから、皆、懸命にシャッターを押しましたが、いかんせん、窓から入る光でガラスケースは反射するし、上手く撮れませんでした。そして、正直な話、豚に真珠と言いますか、値打ちが今ひとつ分かっていないというのがこの時の私の悲しさでした^^;。(帰国後、イワンさんが言った通り、この作品は国宝級の大変貴重なイコンだと知り、ひれ伏しましたm(_ _)m)


ロシアが誇る文豪トルストイさんと記念写真

イリヤ・レーピン作:《文豪レフ・トルストイの肖像》


続く
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番外編の旅inロシア 豪華な歴史トイレがある!?

2014年04月14日 | 番外編の旅ロシア

ロシアで最も由緒ある高級百貨店「グム」

この中に豪華トイレがあるらしい


赤の広場でガイドさんが言った一言、「この百貨店に豪華な歴史トイレがある」、にすぐさま反応した私でした^^;。ツアーの女性は4人でしたが、そのうちの二人で行ってみました。


百貨店内階上部分

両サイドにカフェやレストランが並ぶ

明治時代にこんな大きなデパートがロシアにはあったなんて…

画像はWikipediaより


この百貨店の歴史は古く、帝政ロシア時代にさかのぼります。日本で言えば明治時代。建設当時店舗は1000店以上あったようで、“物資の欠乏しない店”として人々の生活を潤していました。やがてスターリンの独裁政権が始まり、国営事業になりましたが、1993年、急激な時代の流れと共に当時の経済改革の一環としてついに民営化され、現在に至っています。日本のデパートと同じく、ブランド店はもちろんのこと個人商店も合わせて総店舗数200店が入っているとのこと。今日はウィークデーでもあり、店内は閑散としていましたが、休日はきっと多くの人々でにぎあうのだろうと思います。

そうそう、“国営百貨店”と呼ばれるのは、どうもロシア語で、「国営百貨店」という言葉と「総合百貨店」という言葉の最初の文字が「G」で始まる為、混同されて使われているようです。ガイドさんは、しきりに国営と言っていましたが、もしかしたら、帝政ロシア時代の栄光の歴史を矜持を持って語りたかったのかも知れません。


トイレ入り口


さて、当の豪華な歴史トイレとは・・・ブルガリやディオールや名だたるブランドが並ぶ通路をまっすぐに行くと、トイレに降りる階段がありました。もうこの場所から雰囲気が違う^^;壁には有名な人たちが訪れたらしい写真や絵画がずらりと掛けてあって、何だかギャラリーに入って行くようでした。


正面は男性用トイレ


一段降りた正面は男性用で、女性は更に階下に降りて行きます


まさか、ロシアに来て、トイレレポートをするとは思いもよりませんでしたが、実は旅行に出て一番気を遣うのがトイレなのです。イタリアをはじめ、ヨーロッパは日本のようにどこにでも無料で入れるトイレなんてありません。バールやレストランで何か飲んだり食べたりして利用させて貰うか、デパートに行く、あるいは鉄道駅(ローカル線)の構内を訪ねる(主要駅では有料)、あとは有料トイレしかないのです。いつもいつも海外に出て思うのは、日本のトイレの素晴らしさ。町中の公園のトイレだって、イタリアの有料トイレには負けない。ましてや、便座も温かくお尻までお湯で洗って乾かしてくれるなんて、高級ホテルにだってそんなトイレはない、それも無料で・・・あっちょっと熱く語ってしまいました^^;


階段を降りた正面は待合室

ここから部屋は一層暖かくなって、革張りのソファの座り心地もすこぶるいい


大理石の床は磨き上げられていてピカピカです。顔さえも写るほど。ほんのりと花の香りが漂ってきます。海外で、こんなに清潔で綺麗なトイレは初めてだわ~とちょっと興奮気味でした。さすがにお茶のサービスはありませんでしたが、トイレという場所は、清潔というだけで気分は随分リラックスするものだと、今回つくづく思いました。


(*^_^*)


どちらにしても、トイレで記念写真を撮るなんて前代未聞ですが、取りあえずは来たぞーの一枚をカメラに収めました。そして、いざゆかむ。


トイレのクローク

ここで、荷物やコートを預かって貰います


入ると、受付兼用のクロークがあって、ここでトイレ使用料金を払います。ロシアのお金で一人84ルーブル。日本円にすると約250円くらいでしょうか。買い物をしたときの手荷物やコートなどかさばる物を預かって貰い、その荷物の番号札を受け取ります。


そして、“いたします”笑

便座はお尻に柔らかくフィットする木製

イタリアのトイレは、よく、“便座な-い”

トイレホルダーはじめ、サニタリーボックスまでキンピカ仕様


内外旅行はあちこち行きましたが、トイレの中を撮影するなんて・・・今回はたまたま他のお客さんが居なかったから写せましたが、日本人は、料理のみならずトイレにもカメラを向ける、とひんしゅくモンかも知れませんね。m(_ _)mペコペコ


洗面台には、ハンドソープ、ティッシュ、タオル、そしてハンドクリームまで置いてありました


お客さんが出ていくたびに、掃除をする人が入って来るようでしたが、薄いブルーの制服に白い小さなエプロンを着けて、まるでメイドさんのようでした。イタリアでは有料トイレの料金は年々値上がりして、場所によっては1ユーロを超えるところがあります。日本円にすれば、150~200円。この百貨店では無料のトイレも勿論あって、普通に使えるのですが、トイレの前に立てば、フタまでが自動で開く快適なトイレライフをしている身にとっては、トイレこそが文化だ、と思わずつぶやきそうになったのでした。

なお、この豪華歴史トイレには、ウォシュレットはないし、木の便座も温かくはありません。

やっぱり日本のトイレが世界一!!
コメント (8)
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