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「僕が色気を感じるとき」 その3 林 望

2015年10月16日 00時05分40秒 | エッセイ(模範)
 リンボウ先生から「女たちへ! 」  林 望  小学館文庫 2005年

「僕が色気を感じるとき」 その3

 ここから類推して、たとえば、ボディコンスーツ、むせ返るように濃すぎる香水、裸同然にあらわな水着、ヘアヌード、鼻にかかった「色っぽい」声、などという、いわゆる「お色気満点」なるものに男は魅かれると思い込んでいる浅はかなる女たちがたくさん出現してもそれはそれで仕方があるまい。
 けれども、肝心なことは、仮に、そのような「仕掛け」に釣られて言い寄ってくる男がいるとしても、そういう男が果たして「共に語るに足る」人物であるかどうか、というこの点である。
 いっぽうで、女が「色気がない」と思っているなにごとかに男は思いがけず反応したりすることもある。
 たとえば、地味なスラックスを穿いて歩いている人のお尻や充実した太もものいかにも丸くたおやかな曲線、また、温泉などに行ってふとすれ違った湯上り女の上気したような素顔、スポーツで一汗かいて顔をごしごしとタオルで拭っているときの口元や首筋、香水とは無縁の女の体の自然な体臭、屈託なく無防備に大笑いをしている人の生き生きとした口の中、短く切り揃えられた若々しい爪先の桜貝のような色、そんなものに男たちは無上の色気を感じたりするのである。分かりますか。
 こうした天与の色気に比べたら、渋谷や歌舞伎町や銀座の裏町あたりをうろうろしている女たちの、ごてごてに飾り立て、鼻の曲がりそうな香水の匂いをさせ、いやらしい付け爪に妙な絵を描いたりしている作り物の風体など、ひとえに月の前の星に同じである。
 以上は言ってみれば「形而下的色気」だが、さて、このうえにまた「形而上的色気」というものがある。


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