民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「エセー」(一) モンテーニュ 

2015年10月28日 01時08分10秒 | 文章読本(作法)
 「エセー」(一) モンテーニュ 著  原 二郎 訳  ワイド版 岩波文庫 1991年

 「読者に」

 読者よ、これは正直一途の書物である。はじめにことわっておくが、これを書いた私の目的はわが家だけの、私的なものでしかない。あなたの用に役立てることも、私の栄誉を輝かすこともいっさい考えなかった。そういう試みは私の力に余ることだ。私はこれを、身内や友人たちだけの便宜のために書いたのだ。つまり彼らが私と死別した後に(それはすぐにも彼らに起こることだ)、この書物の中に私の生き方や気質の特徴をいくらかでも見いだせるように、また、そうやって、彼らが私についてもっていた知識をより完全に、より生き生きと育ててくれるようにと思って書いたのだ。もしも世間の好評を求めるためだったら、私はもっと装いをこらし、慎重な歩き方で姿を現したことであろう。私は単純な、自然の、平常の、気取りや技巧のない自分を見てもらいたい。というのは、私が描く対象は私自身だからだ。ここには、世間に対する尊敬にさしさわりがない限り、私の欠点や生まれながらの姿がありのままに描かれてあるはずだ。もしも私が、いまでも原始の掟を守りながら快適な自由を楽しんでいるといわれるあの民族の中に暮らしているのだったら、きっと、進んで、自分を残る隈なく、赤裸々に描いたであろう。読者よ、このように私自身が私の書物の題材なのだ。あなたが、こんなにつまらぬ、むなしい主題のためにあなたの時間を費やすのは道理に合わぬことだ。ではご機嫌よう。

 モンテーニュにて。1580年3月1日。

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