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「素読のすすめ」 その4 安達 忠夫

2017年01月07日 16時49分58秒 | 文章読本(作法)
 「素読のすすめ」 その4 安達 忠夫(1944年生まれ)  講談社現代新書 1986年

 「明治の漢学の盛衰」 P-54

 明治5年、西欧(とくにフランスの制度)にならった学制の改革がおこなわれ、私塾、寺子屋、藩校などは閉鎖を命じられた。漢学でつちかわれた底力が明治維新を支えてきたにもかかわらず、この年を境目にして欧化の波はいよいよ激しく岸辺を洗い、薩長出身の出世組も、旧藩の下級武士の出身者も、またそれ以外の庶民も、我先にヨーロッパ語の学習に身を投じつつあった。

 ところが西南戦争平定のあと、板垣退助を中心とする自由民権運動がさかんになるにつれ、文部省は西洋思想心酔の行き過ぎを心配して、東洋道徳重視の方向を打ち出し、漢学塾がふたたび隆盛をみるにいたる。

 明治18年、伊藤博文の新内閣組閣にともない森有礼が文部大臣になったので、またしても極端な欧化模倣の時代が訪れ、これが20年ごろまで続く。

 幕末から明治前半にかけて、羅針盤が目まぐるしく動き、五里霧中、和漢蘭洋どちらの岸辺を目指しているのかよく分からんようというのが、庶民の実感であったろう。

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