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「皇后様と『でんでんむしのかなしみ』をめぐって」 末森 千枝子

2014年03月27日 00時12分49秒 | 民話の背景(民俗)
 「新美南吉」 生誕100年記念  別冊 太陽 2013年

 皇后様と「でんでんむしのかなしみ」をめぐって  末森 千枝子(児童図書編集者)

 1998年、皇后様は、インドのニューデリーで開催されたIBBYの世界大会に招かれ、ビデオテープによる基調講演をされました。
講演のテーマは、「子供の本を通しての平和ーーー子供時代の読書の思い出ーーー」です。
思い出の最初にお話になったのが、新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」だったのです。

 「でんでんむしのかなしみ」が、日本だけではなく、海外の絵本に携わる人びとに、関心を持たれるようになったきっかけは、私も、参加者のひとりとして、会場で、皇后さまのお話を聞いておりました。

 「私は、多くの方々と同じく、今日まで本から多くの恩恵を受けてまいりました。(・・・・・・)結婚後三人の子供に恵まれ、かつて愛読した児童文学を、再び子供と共に読み返す喜びを与えられると共に、新しい時代の児童文学を知る喜びも与えられたことは、誠に幸運なことでした。

 中略」

 皇后様の静謐な語りが進むうちに、会場にいた人びとの表情は、真剣になり、ひと言も聞き漏らすまいという張り詰めた雰囲気になっていました。

 「まだ小さな子供であった時に、一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことがありました。不確かな記憶ですので、今、恐らくはそのお話のもとはこれではないかと思われる、新美南吉の「でんでん虫のかなしみ」にそってお話いたします。そのでんでん虫は、ある日突然、自分の背中の殻に、悲しみが一杯つまっていることに気付き、友達を訪ね、もう生きていけないのではないか、と自分の背負っている不幸を話します。友達のでんでん虫は、それはあなただけではない、私の背中の殻にも、悲しみは一杯つまってりう、と答えます。小さなでんでん虫は、別の友達、又別の友達と訪ねて行き、同じことを話すのですが、どの友達からも返ってくる答えは同じでした。そして、でんでん虫はやっと、悲しみは誰でも持っているのだ、ということに気付きます。自分だけではないのだ。私は、私の悲しみをこらえていかなければならない。この話は、このでんでん虫が、もうなげくのをやめたところで終わっています。

 あの頃、私は幾つくらいだったでしょう。母や母の父である祖父、叔父や伯母たちが本を読んだりお話をしてくらたのは、私の小学校二年くらいまででしたから、四歳から七歳くらいまでの間であったと思います。その頃、私はまだ大きな悲しみというものを知りませんでした。だからでしょう。最後になげくのをやめたと知った時、ああよかった、と思いました。それだけのことで、特にこのことにつき、じっと思いをめぐらせたということでもなかったのです。

 しかし、この話は、その後何度となく、おもいがけないときに私の記憶に蘇ってきました。殻一杯になる程の悲しみということと、ある日突然そのことに気付き、もう生きてはいけないと思ったでんでん虫の不安とが、私の記憶に刻みこまれていたのでしょう。少し大きくなると、はじめて聞いた時のように、「ああよかった」だけではすまされなくなりました。生きていくということは、楽なことではないのだという、何とはない不安をかんじることもありました。それでも、私はこの話が決して嫌いではありませんでした。」

 五十分にまとめられたスピーチは、会場にいた世界中から集まった八百人もの聴衆を魅了し、言語や宗教、文化も異なる人たちにとっても、心に響くメッセージとなっていました。
 そして、次のようにむすばれました。

 「前略

 読書は私に、悲しみや喜びにつき、思い巡らす機会を与えてくれました。本の中には、さまざまな悲しみが描かれており、私が、自分以外の人がどれほど深くものを感じ、どれだけ多く傷ついているかを気付かされたのは、本を読むことによってでした。

 中略

 そして最後にもう一つ、本への感謝をこめて付け加えます。読書は、人生の全てが、決して単純ではないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人の関係においても、国と国との関係においても。」

 皇后様の講演が終わると、会場は割れんばかりの拍手が起こり、拍手をしている多くの人が、感動のあまり、うっすらと涙をうかべていました。

 以下、略

 

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2 コメント

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RE殻いっぱいの悲しみ (akira)
2014-03-27 12:42:40
 いつもコメントありがとう。

 今度の勉強会で素話をやります。
今回は与えられた課題ではなく、自由に選んでよし。
わたしは新美南吉の朗読会で聴いていいと思った、
「でんでん虫の悲しみ」を選びました。
なにより、長さが手ごろなのがいいです。

 3っつのグループで「読み聞かせ」と「素話」を
交代でやるので、なかなか順番がまわってきません。
 もう2ヶ月くらい前に覚えたのに・・・

 こういう創作童話って若い時に自分で読むか、
年をとって他人(ひと)に聞かせるために読むかの
どっちかのような気がする。
 大人が大人のために読む朗読があるけど、
子どもに読ませるために書いた作品を
大人に聞かせるっていうのはどうなんだろう?
 
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殻いっぱいの悲しみ (MAYU)
2014-03-27 10:36:53
新美南吉らしい作品ですね。
再度読みたくなりました。

私は新美南吉や浜田廣介などの時代の作家さんは
心も文章も美しくて大好きです。

その昔、小学校の教科書で
「てぶくろを買いに」を読んだ時
ぐっとくるものがあったのを覚えています。

日本の作品は海外の様な軽軽さがあまりなく
じめっとした創作が多いですが、私は好きです。

そこに日本人の美徳の様なものを感じるので。

南吉の作品を読みたくなりました。
できたら全集を手元に置きたいくらいです。

廣介や南吉は、絵がない方がしっくりくるので・・・
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