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「わが心の歌」 望郷のバラード  天満 敦子

2016年11月15日 00時16分26秒 | 雑学知識
 「わが心の歌」 望郷のバラード  天満(てんま) 敦子 文藝春秋 2000年

 コレクションのうち、藤井さん(注)がいちばん大切にしておられた楽器が、”サンライズ”という別名を持つアントニオ・ストラディヴァリ作の名器であった。1677年製。ストラディヴァリという人は生涯イタリアのクレモナというところに住み、ヴァイオリン製作の工房を構えていた。亡くなったのが1737年、享年93というから、当時としては驚異的な天寿を全うしたことになる。

 それ以上に驚くべきことは、生涯に作り上げ、世に送り出したヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが概算2千本(推定)、その中には亡くなった年の年号が書き込まれたものまであること。没後すでに2百数十年経っているから、現存するヴァイオリンは数百本(4百本から6百本ぐらい)と言われているが重なる年月に傷つき、破損したものも多く、健康でヴァイオリニストの演奏活動に耐え得るものはそのうち半分か3分の1程度というのが専門家の意見である。

 更に信じ難いのは、この名工、生涯に何回も製品の(今で言う)フル・モデル・チェンジを繰り返し、世界の名手たちが億の単位のお金を出して追い求める、いわゆる(ストラディヴァリウス黄金期)のパターンが確定したのが西暦1700年前後、即ち製作者自身の年齢が当時の「人生50年」の壁を越えた55歳頃という事実である。しかもこの不死身のヴァイオリン作りの聖者は、その30年後、本人85歳の超老年期に、彼の人生における最終モデルを完成した。近年、この時期の楽器を珍重するヴァイオリニストの数が増えて、私自身もその一つと関わりを持つようになるのであるが、それはこのときから7年後の物語である。

 (注)藤井康男・元龍角散社長は理学博士。昔から咳止めで有名な龍角散の会社を継がれて、こんにちのような立派な中堅医薬品企業に育てられた。(中略)ピアノは弾く、フルートは吹く、社内に龍角散管弦楽団という社員オーケストラまで持っておられて、銀座の中央会館(座席数約千席)などで定期演奏会まで催しておられた。ソリストとして、自分のオーケストラとモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏したというから、まさにオドロキである。(中略)そんな方だったから、社内に別組織を作ってヴァイオリンの名器を蒐集し、人を選んで貸し出しなどもしておられた。