民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「声が生まれる」 はじめに その2 竹内 敏晴

2016年11月27日 00時07分38秒 | 朗読・発声
 「声が生まれる」聞く力・話す力  竹内 敏晴  中公新書  2007年

 はじめに その2

 柳田国男はかつて、近頃は人々がことばを信用しすぎるようだ、という意味の文を書いています。「泣いてばかりいてはわからないからちゃんと話しなさい」と言うが、ちゃんと話せないから泣いているのだ、と。

 現代は、もっと自分の言葉をを語ることがむつかしい時代になっているかもしれません。仕事上のやりとりでも世間のつきあいでも、忙しく油断なく、他人に合わせてことばをあやつらねばならぬ。その気づかいばかりに疲れ切って、人は元気よく他人のことばに応えてみせはするが、自分のことばは語り切れず、次第に声をとどけ切れなくなり、引きこもってゆく。(中略)

 自分のことばを語りだすためには、この「泣き声」を受け止めてくれる人いなくてはならない。しかし、泣いているものも、「自分のことば」を見つけ出すためには、意志を持って一つ一つのステップを踏んでいかねばならないでしょう。

 目をつむってみると、いきなり音たちが押し寄せてからだにふれてきます。風の音が走り寄り鳥の声が呼びかけ車の音が襲いかかる――と仮にこう述べるより仕方がないのだけれど、実は風、鳥、車という判断以前の音の現象なのです。

 目を開きます。「あなた」の呼びかける声はまさに音たちと同じように、いきなりわたしにふれ、からだの内に響き、その瞬間にわたしは変わり始め動き始める。聞くことの目覚めです。無自覚に見ていることは相手を向こうにおき距離を取ること、判断すること。聞くとは、一つになることなのです。

 子どもが自分のイヤなことはイヤだと言え、相手に合わせるのではない自分がほんとうに感じていることを、十分にことばにできるようになるためには、なによりも、母の、父の、友だちの、そして教師の、じかに子どもにふれてくる声の呼びかけが必要です。そのなまなましい声を、大人たちに持ってほしい。それに応えることによって、子どもの声は成長し、自分のことばになる。人という生きものは、ことばによって、人間になるのですから。

 竹内敏晴 1925年(大正14年)、東京に生まれる。東京大学文学部卒業。演出家。劇団ぶどうの会、代々木小劇場を経て、1972年竹内演劇研究所を開設。教育に携わる一方、「からだとことばのレッスン」(竹内レッスン)にもとづく演劇創造、人間関係の気づきと変容、障害者教育に打ち込む。