民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「人の思い出は声に凝縮されている」 幸田 弘子

2013年11月23日 00時17分59秒 | 朗読・発声
 「朗読の楽しみ」 幸田 弘子 著   光文社  2002年

 「人の思い出は声に凝縮されている」 P-23

 前略

「かつての名優の記憶は、顔やしぐさなんかじゃなくて、声なのではないか」

 まったく同感です。
たとえば滝沢修さんの、渋い独特の声。
山本安英先生の、いつまでも若々しく、それでいて落ち着いた声。

 声の思い出に導かれて、顔や役や動作が次々に浮かんでくる。
人間の個性というのは、その声に凝縮されていると私は思います。

 日本だけでなく、たとえばパリで女優マドレーヌ・ルノーの芝居を見て、
たいへん感動したこともあります。
ルノーさんの人間、そして生きざまが全身から発散してこちらに伝わってきたのですが、
それはやはり、声を中心に生まれてくるとしか言いようのないものでした。

 芝居であっても、朗読のように作品を読むにしても、演じる者の生き方が問われる。
そうでなければ、人の心をうつことはむずかしい。
とくに朗読は、読む人の香り、匂いのようなものを表現できなければ、意味がないのではないか。
私はそう思って、ずっと朗読をやってきたのです。

 朗読は、声のもつそんなすばらしい喚起力を使った、人間の原点にいちばん近い芸術なのでは、
と思います。