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「失われた昭和」 宮本 常一の写真に読む 佐野 眞一

2012年11月19日 01時09分56秒 | 民話の背景(民俗)
 「失われた昭和」 宮本 常一の写真に読む 佐野 眞一 平凡社 2004年

 第一章 村里の暮らしを追って

 -----洗濯物-----
 洗濯物を見るとその土地の生活が見えてくるという。
この時代に、布、そして、あらゆる物がいかに貴重なものであったかということが洗濯物から見えてくる。
衣類はほとんどが手縫いで、既製服を見ることは少なかった。

 -----背負う・かつぐ-----
 運搬手段がまだ発達していなかった頃、人々は物を運ぶためにさまざまな工夫を凝らした。
背負うことで、身体のバランスは保たれ、両手は自由になった。
天秤棒で物を運ぶときには、両方の重さを均等にすることでバランスを取った。

 -----田畑の仕事-----
 農家の一年は稲作を中心にいとなまれている。
春の代掻きから、秋の収穫、脱穀、出荷まで、休む暇もなく働く。

 -----運ぶ-----
 自動車が普及する以前には、牛馬が貴重な動力であった。
背に荷をつけた牛馬は、坂道や階段、細い道も平地と同じように行き来できた。

 -----村落の仕事-----
 干した藁を利用しての草履や草鞋作り、縄をなうのは副業として行われた。
穀類や野菜は天日干しすることによって、貴重な保存食となった。

 -----女の世間-----
 暮らしを支えるための基本は水の確保にある。
主婦や子どもの一日は、水汲みに始まり、炊事、洗濯と続く。
主婦たちの集まる井戸の周りでは、文字通りの「井戸端会議」に花が咲いていた。

 -----願いと祈り-----
 村のさまざまな年中行事は、稲作を中心に行われてきた。
五穀豊穣を願い、災いが村や家に入ってこないように祈る真摯な行事は、素朴な形でいまに続くものもある。

 -----草葺きの家-----
 日本の農家では、草葺きの屋根が多かった。
その耐久年数は、茅で30~40年、麦藁で10~15年とされた。
屋根を作ったり、直したりの作業は、村人の協力のもとに行われていた。

 -----橋-----
 川に石を並べたもっとも簡単な橋から鉄骨製の橋まであるが、
日本の古い橋はほとんどが木の桁橋であった。
橋は集落と集落、やがて島と本土、島と島の距離を縮め、人々の暮らしを大きく変えた。

 -----共同の仕事-----
 村人が共同でする作業は、ユイ、モヤイ、スケなどと呼ばれ、
家普請、道普請、山林の管理、用水の保全はもちろんのこと、火災や洪水の非常時にも見られた。
村全戸の平等負担であった。

 -----村の大人たち-----
 田畑の仕事は労働時間が長いので、一休みは「タバコ」ともいわれ、楽しいひとときであった。
農業に定年はなく、寿命が続くまで働いた。

 -----村の子どもたち-----
 乳児はツグラに入れられるなどして育ち、やがて年長の子どもと遊ぶようになる。
その遊びを通して仲間意識を育て、村の担い手になっていく。