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民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「書く力は、読む力」 その2 鈴木 信一

2017年01月19日 00時29分54秒 | 文章読本(作法)
 「書く力は、読む力」 その2 鈴木 信一(1962年生まれ、公立高等学校に勤務) 祥伝社新書 2014年

 文は必ず何かが足りない形をとりますから、疑問はいくらでも抱くことができます。しかし、その一つ一つに対応していたら、「読み」はかえって複雑怪奇なものになってしまいます。その軽重を見きわめ、一番に解決すべき疑問――すなわち「主題」は何かを見誤らないことがまず大事になります。
 そして、先を読み急ぐのではなく、疑問を抱いたらそれに対する答えを自分なりに用意する。このことはもっと大事になります。そういうひと手間を加えた人は、疑問が解決される個所に来たとき、それをけっして見逃しません。その問題に対する意識が高まっていますから、「読み」の感度も上がるのです。P-116

 そもそも、ひと言で片づくような話は主題になりません。文章に書かれることさえないのです。小説にしろ、評論にしろ、それが一定の字数を費やしてなされるのは、そうしなければ伝えられない何事かをそこに含んでいるからです。そして、その「何事か」こそが主題と呼ばれるものです。P-119

 文をつないでいく力――。これはいわば、「書くこと」における調整力のことです。文と文との関係が不自然でないかを見きわめる力です。一方、「読み」の調整力とは、文と文の関係を見定め、自分がいま何を読んでいるかを見きわめる力です。どちらも基本的には同じ力です。「読みの調整力」が備わっている人は、したがって、いざ書き手になれば、「書くことにおける調整力」もちゃんと発揮するものなのです。P-134

 一文を読み切る――。これは日本語を自分の中にいちど潜らせるということです。
 そうすることで、日本語なり日本語の型は、文字どおりその人の中に沈潜し、血肉化していきます。あとは歩みや呼吸と同じで、文はその人の生理的な好みに沿う形でおのずとひねり出されます。個人の文体はそうやってつくられるのです。P-138

「書く力は、読む力」 その1 鈴木 信一

2017年01月17日 22時59分39秒 | 文章読本(作法)
 「書く力は、読む力」 その1 鈴木 信一(1962年生まれ、公立高等学校に勤務) 祥伝社新書 2014年

 文は必ず「何かが足りない形」をとります。そして、「その足りない何かを埋める」ために次の一文は書き足されるのです。P-95

 こう書いた以上は、次にこう書かなきゃまずいんじゃないか?――そういう論理のささやきに耳を澄ましながら、私たちは書くことをなかば自動的に進めていく。これが書くことのメカニズムです。P-98

 書くことに必要な力があるとすれば、それはまず、前の文(書いてしまったこと)との整合性を保ちながら、文をつないでいく力だということになります。P-99

 不足を見きわめ、それを埋める文を追いかける。これが「読み手」の基本操作ですが、不足は埋められながら、一方でどんどん増えてもいきます。そのいくつもの不足の中で、一番に追うべきものはどれか。それが文章における「主題」です。その主題への見きわめがないと、「読み」は散漫なものになってしまうのです。
 もっとも、「読み」に無自覚な人はいて、そういう人はいつだって漫然と文字を追います。印象に残った言葉だけを野放図に頭に放り込んでいくというやり方です。当然、「主題」への気づきは鈍くなります。
 何よりも問題なのは、そういった「読み」をしているかぎり、けっして書ける人にはなれないということです。どういうことでしょうか。
 不足を追う習慣のある読み手が心に刻むのは、「印象に残った言葉」ではありません。「来てもらわなければ困る言葉」です。こう書いてある以上は、次にこう書いてもらわなければ困る。そうやって「来てもらわなければ困る言葉」を待ち構えるわけです。これは、書き手の「こう書いた以上は、次にこう書かなきゃまずいよな」と思って文をつないでいく意識と同じものです。
 つまり、すぐれた読み手というのは、読みながらにして同時に書いてもいるということです。したがって、いざこの小説の続きを書けといわれても、さほど困ることはありません。ここまでこう書いてある。だったらこの次はこう書くのが自然だろう。いやそう書くべきだ。そうやって、書かれてあることの中から書くべきことを引き出せるものだからです。P-108

「素読のすすめ」 その6 安達 忠夫

2017年01月11日 00時06分11秒 | 文章読本(作法)
 「素読のすすめ」 その6 安達 忠夫(1944年生まれ)  講談社現代新書 1986年

 「テキストの種類」 P-160

 いろいろ回り道をしてきたが、とどのつまり、素読は理屈ではない。文字通り、素人の立場で素直に読むこと、心をむなしくして、ひたすら読んでいくことである。「素」というのは、まだ色を染めていない、生地のままの白絹のことだという。

 だが、わたしたちは、いったい、どのような染料で心を染めるつもりなのか。何を読んだらいいのか。もちろん、何でもなければならないというきまりはない。素読の対象となるのは、漢文にかぎらず、日本の古典や現代文、外国および外国語の古典など、書かれたものはすべて、素読のテキストになりうる。絵本でも、マンガでも、週刊誌でも、かまわない。ただし、やがてそれが、あなたの白絹(?)を染めることになるのだ。

 テキスト選びの段階ですでに迷わざるをえないところに、わたしたち自由恋愛の時代の幸福と不幸、豊かさと貧しさがある。昔は親のきめた許嫁のように、四書五経とか、聖書とか、あらかじめのテキストが定まっていた。選択の楽しみもない代わりに、選択の迷いもなかった。

 だから、あなたが素読を思いたったとき、すでに意中のテキストがはっきりと決まっているのなら、即刻開始するのがいちばんだ。何よりも、この本に賭けてみようという意気込みと、いつか相手が心をひらいて、わたしの思いを受け入れてくれるだろうかという謙虚さが、素読というこの「愚か」にも似た営みをささえている。



「素読のすすめ」 その5 安達 忠夫

2017年01月09日 00時18分39秒 | 文章読本(作法)
 「素読のすすめ」 その5 安達 忠夫(1944年生まれ)  講談社現代新書 1986年

 「中村正直と明六社」 P-55

 徳川三百年の平和は、まがりなりにも儒教のイデオロギーによって支えられてきた。今やしかし,旧体制の崩壊に直面して、日本国民は指針を見失い、新時代をになうに足りる実践的な思想をもとめていた。

 福沢諭吉とならんで明治の青年たちに大きな影響を与えた中村正直(1832~91)の名は、スマイルズの『西国立志編』の翻訳者として以外、今日まであまり知られていないが、活発な文筆活動を通じてだけでなく、教育者として地道な足跡をのこした点でも両者は非常に似通っている。諭吉が文明開化の知的側面を推進する啓蒙思想家だとすれば、正直はその道徳的側面を代表する一人だといってよかろう。儒者であり、同時にすぐれた洋学者でもあった正直は、西洋文明の精髄をキリスト教に見いだし、儒教とキリスト教の一致点を真剣に模索して、ついには受洗するに至る。

 明治6年、アメリカから帰朝したばかりの森有礼の提唱で、啓蒙思想家の学術団体である「明六社」が結成された。初代社長の森有礼以下、福沢諭吉、西周、西村茂樹、津田真道など11名、中村正直もこれに参加している。その後、会員は30余名にふえるが、いずれも下級武士層の出身者であり、漢学の素養を土台として早くから外国語の知識を身につけた人々であるという点で共通している。

 翌年から『明六雑誌』を発刊、毎号20ページたらずの小冊子だが、日本の雑誌のはじまりといわれ、文明開化の象徴として指導的な役割を果たしていった。
 

「素読のすすめ」 その4 安達 忠夫

2017年01月07日 16時49分58秒 | 文章読本(作法)
 「素読のすすめ」 その4 安達 忠夫(1944年生まれ)  講談社現代新書 1986年

 「明治の漢学の盛衰」 P-54

 明治5年、西欧(とくにフランスの制度)にならった学制の改革がおこなわれ、私塾、寺子屋、藩校などは閉鎖を命じられた。漢学でつちかわれた底力が明治維新を支えてきたにもかかわらず、この年を境目にして欧化の波はいよいよ激しく岸辺を洗い、薩長出身の出世組も、旧藩の下級武士の出身者も、またそれ以外の庶民も、我先にヨーロッパ語の学習に身を投じつつあった。

 ところが西南戦争平定のあと、板垣退助を中心とする自由民権運動がさかんになるにつれ、文部省は西洋思想心酔の行き過ぎを心配して、東洋道徳重視の方向を打ち出し、漢学塾がふたたび隆盛をみるにいたる。

 明治18年、伊藤博文の新内閣組閣にともない森有礼が文部大臣になったので、またしても極端な欧化模倣の時代が訪れ、これが20年ごろまで続く。

 幕末から明治前半にかけて、羅針盤が目まぐるしく動き、五里霧中、和漢蘭洋どちらの岸辺を目指しているのかよく分からんようというのが、庶民の実感であったろう。