[59] 企業スポーツの衰退と地域型スポーツの可能性 (2002年09月06日 (金) 14時18分)
都市対抗野球は、いすゞ自動車(藤沢市)の初優勝で、3日終えました。いすゞ自動車の野球部は、今シーズン限りで休部(事実上の廃部)が決定しています。社会人(企業)野球(かつてノンプロといっていた)にとって、もっとも重要な公式戦の優勝をもってチームが消滅するわけです。今日(6日)の新聞の地域版に、藤沢市役所に優勝報告に訪れたと報道されています。市長が会社に存続要請をするとのことだが、これまでの他社の例からしても、会社の方針は変わらないでしょう。
かつて都市対抗野球は、新聞のスポーツ面を大きく飾るほど人気がありました。戦前から50年代までは企業ではなくクラブチームも盛んでした。60年代に一番高揚したでしょうか、都市対抗にふさわしく、地域の代表といういう意味を込めた関心もたれたものでした。70年から80年代は企業として力を入れ整備したため、地域性が弱くなっていき優秀選手のプロへつながる意味が強くなりました。
日本のもっとも国民的スポーツである野球に企業が力を入れることは、企業の社会的存在を明示する効果をもたらしたし、内部的には宿泊等の厚生施設などとともに企業への帰属意識(愛社精神といったもの)を高揚させる効果を期待されていました。
野球ばかりではなく日本のスポーツは、競技の世界水準を維持することは、主として企業の貢献に負うこと大でした。70年ぐらいまでは、大学スポーツもでした。ところが90年代のバブル崩壊を機に、企業がスポーツから撤退しだしました。その種目の世界水準を維持できた名門といわれる女子バレーの日立、スピードスケートの王子製紙など枚挙に暇がないぐらいです。
このような競技スポーツが、企業と学校によって担われているのは、日本の特殊事情といっていいことです。これについて朝日新聞(8月24日)土曜日の『Be』の「土曜自説」で、参議院議員の橋本聖子氏(かつてのスピードスケートと自転車競技のオリンピック選手)が述べています。
「一企業が丸抱え選手を養成するとする今の仕組みは、明らかに曲がり角に来ています。(中略)国や企業がスポーツに対する考え方を変えるチャンス」とし、「ドイツでは、企業の運動部よりも、地域のスポーツクラブの方が大きな役割を果たしています。種目ごとにコーチの資格制度があり、地域のスポーツクラブが一定の資格を持つコーチを雇うと、州のスポーツ連盟などから補助金が出る仕組みもあるのです。こうした制度を財政面で支えているのが、企業からの寄付です。」
と、地域スポーツと財政についてドイツモデルを述べています。
ドイツの場合地域スポーツの中核になっているのが、多くの都市にあるプロサッカーチームです。それが多様な種目にも取り組める施設を持っています。選手養成に限らず、誰もがスポーツを楽しめるようになっていいます。スポーツ権という考えが国民に浸透しているので、むしろ市民スポーツの発展が、競技スポーツという考えていってよいでしょう。
じつはこのドイツをモデルにしているのが、Jリーグです。「Jリーグ100年構想」に橋本聖子氏が言いたいことを、スポーツ権とスポーツ文化を国民のものにという観点から、壮大な構想を描いています。具体的な例として最近報道されていることでは、学校グランドを芝生にしていること(9月になってから横浜と京都の小学校2校ずつ)もその一環です。サッカークラブでは、アントラーズやベルマーレが、サッカー以外の種目への取り組みを開始しています。
地域のスポーツという点では、フリューゲルズの解散後サポーターの手でFC横浜を作ったこと、アイスホッケーの古河電工解散後の日光バックス、などいくつも例はあります。ただしチームとして維持できているのは少ないのです。野球では企業が激減の中で、市単位のクラブが増えています。ただし運営は困難を抱えているようです。Jリーグでは、ヴァファーレ甲府が経営条件を(観客動員1試合平均3000人以上など)クリアーして危機を脱し、水戸ホーリホックが厳しい状況にあります。日本でもスポーツ権というといい方ではなくとも、スポーツを享受するという実践がいくつかおこなわれてきています。
Jリーグはホームタウン制をとり、自治体の施設を使用しています。財政は、観客収入、スポンサー、あるいは自治体や会員からの寄付などです。サッカー協会内部では、クラブの経営アドバイスをしたり、コーチ養成システムがあり、選手引退後の職業ガイダンスを開始しました。
橋本聖子氏はドイツを紹介しながらも、主として企業と一般の寄付を誘導するために、税金の優遇対象スポーツ団体を現在の日本体育協会、JOC、日本レクリエーション協会に限定しているのを拡大すると主張しています。
これまでスポーツ関係者が議員になっているが、それは名前が知られていて当選しやすいという意味合いです。国民のスポーツ権とスポーツ文化のあり方の政策を持っていないため、スポーツのありかたが国会で語られません。したがって、国としてのスポーツ政策(競技強化に限定しないもの)が作られないのです。彼らの競技体験からして、期待するのが無理なのかもしれません。
スポーツ関係議員に依拠するだけではなく、政党としてのスポーツ政策をどの程度持っているかも問われることです。政府の政策の具体化で重要となる行政の所管が、文科省であり独立した部局(スポーツ・青少年局で、スポーツ振興も掲げているが学校体育、学校給食、青少年の健全育成などもあつかう)にさえなっていないのが現状です。
そんな意味で議員である橋本聖子氏の発想は、現時点では貴重と見た方がよいのかもしれません。さらに「Jリーグ100年構想」を読むと、スポーツ全体の政策の生まれてくること間違いなし、です。
都市対抗野球は、いすゞ自動車(藤沢市)の初優勝で、3日終えました。いすゞ自動車の野球部は、今シーズン限りで休部(事実上の廃部)が決定しています。社会人(企業)野球(かつてノンプロといっていた)にとって、もっとも重要な公式戦の優勝をもってチームが消滅するわけです。今日(6日)の新聞の地域版に、藤沢市役所に優勝報告に訪れたと報道されています。市長が会社に存続要請をするとのことだが、これまでの他社の例からしても、会社の方針は変わらないでしょう。
かつて都市対抗野球は、新聞のスポーツ面を大きく飾るほど人気がありました。戦前から50年代までは企業ではなくクラブチームも盛んでした。60年代に一番高揚したでしょうか、都市対抗にふさわしく、地域の代表といういう意味を込めた関心もたれたものでした。70年から80年代は企業として力を入れ整備したため、地域性が弱くなっていき優秀選手のプロへつながる意味が強くなりました。
日本のもっとも国民的スポーツである野球に企業が力を入れることは、企業の社会的存在を明示する効果をもたらしたし、内部的には宿泊等の厚生施設などとともに企業への帰属意識(愛社精神といったもの)を高揚させる効果を期待されていました。
野球ばかりではなく日本のスポーツは、競技の世界水準を維持することは、主として企業の貢献に負うこと大でした。70年ぐらいまでは、大学スポーツもでした。ところが90年代のバブル崩壊を機に、企業がスポーツから撤退しだしました。その種目の世界水準を維持できた名門といわれる女子バレーの日立、スピードスケートの王子製紙など枚挙に暇がないぐらいです。
このような競技スポーツが、企業と学校によって担われているのは、日本の特殊事情といっていいことです。これについて朝日新聞(8月24日)土曜日の『Be』の「土曜自説」で、参議院議員の橋本聖子氏(かつてのスピードスケートと自転車競技のオリンピック選手)が述べています。
「一企業が丸抱え選手を養成するとする今の仕組みは、明らかに曲がり角に来ています。(中略)国や企業がスポーツに対する考え方を変えるチャンス」とし、「ドイツでは、企業の運動部よりも、地域のスポーツクラブの方が大きな役割を果たしています。種目ごとにコーチの資格制度があり、地域のスポーツクラブが一定の資格を持つコーチを雇うと、州のスポーツ連盟などから補助金が出る仕組みもあるのです。こうした制度を財政面で支えているのが、企業からの寄付です。」
と、地域スポーツと財政についてドイツモデルを述べています。
ドイツの場合地域スポーツの中核になっているのが、多くの都市にあるプロサッカーチームです。それが多様な種目にも取り組める施設を持っています。選手養成に限らず、誰もがスポーツを楽しめるようになっていいます。スポーツ権という考えが国民に浸透しているので、むしろ市民スポーツの発展が、競技スポーツという考えていってよいでしょう。
じつはこのドイツをモデルにしているのが、Jリーグです。「Jリーグ100年構想」に橋本聖子氏が言いたいことを、スポーツ権とスポーツ文化を国民のものにという観点から、壮大な構想を描いています。具体的な例として最近報道されていることでは、学校グランドを芝生にしていること(9月になってから横浜と京都の小学校2校ずつ)もその一環です。サッカークラブでは、アントラーズやベルマーレが、サッカー以外の種目への取り組みを開始しています。
地域のスポーツという点では、フリューゲルズの解散後サポーターの手でFC横浜を作ったこと、アイスホッケーの古河電工解散後の日光バックス、などいくつも例はあります。ただしチームとして維持できているのは少ないのです。野球では企業が激減の中で、市単位のクラブが増えています。ただし運営は困難を抱えているようです。Jリーグでは、ヴァファーレ甲府が経営条件を(観客動員1試合平均3000人以上など)クリアーして危機を脱し、水戸ホーリホックが厳しい状況にあります。日本でもスポーツ権というといい方ではなくとも、スポーツを享受するという実践がいくつかおこなわれてきています。
Jリーグはホームタウン制をとり、自治体の施設を使用しています。財政は、観客収入、スポンサー、あるいは自治体や会員からの寄付などです。サッカー協会内部では、クラブの経営アドバイスをしたり、コーチ養成システムがあり、選手引退後の職業ガイダンスを開始しました。
橋本聖子氏はドイツを紹介しながらも、主として企業と一般の寄付を誘導するために、税金の優遇対象スポーツ団体を現在の日本体育協会、JOC、日本レクリエーション協会に限定しているのを拡大すると主張しています。
これまでスポーツ関係者が議員になっているが、それは名前が知られていて当選しやすいという意味合いです。国民のスポーツ権とスポーツ文化のあり方の政策を持っていないため、スポーツのありかたが国会で語られません。したがって、国としてのスポーツ政策(競技強化に限定しないもの)が作られないのです。彼らの競技体験からして、期待するのが無理なのかもしれません。
スポーツ関係議員に依拠するだけではなく、政党としてのスポーツ政策をどの程度持っているかも問われることです。政府の政策の具体化で重要となる行政の所管が、文科省であり独立した部局(スポーツ・青少年局で、スポーツ振興も掲げているが学校体育、学校給食、青少年の健全育成などもあつかう)にさえなっていないのが現状です。
そんな意味で議員である橋本聖子氏の発想は、現時点では貴重と見た方がよいのかもしれません。さらに「Jリーグ100年構想」を読むと、スポーツ全体の政策の生まれてくること間違いなし、です。
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