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また文字を書いた

2006-03-10 11:30:45 | 子どもからの発見
 いつも幼稚園ごっこを大々的に長時間やるのに、簡単な学校ごっこになった。海は、小学生の兄のいる子どもと友達になっているからか、そこからの知識が相当多くなっている。ペットボトルのキャップ集めもそのようだ。
 学校ごっこでまもなく別な部屋で勉強することになり、文字を書いた。サインペンで、か け き い こ い も つ と書いた。 も は鏡文字である。も をかがみ文字で書く子どもはよく見かける。書ける文字を書き出したのか、側にあった文字を写したのか定かではない。

 文字を読むことは、5、6歳の発達課題として可能である。しかし書くことは、鉛筆を持つ、文字の形にしていく鉛筆の運びかたを教えなければならないとされている。
 ところが読むこと同時、あるいは読むことより早く書くということをする。文字に接する環境の変化があるからだろう。

①幼保で早くから文字を取り入れるようになっている。ある保育園を訪ねたとき、3歳児でかるたをしていた。4歳児の保育室で文字よる表示が様々なされていた。これらは発達課題からしたら、かなり早いことをしている。
②絵本、テレビ、ビデオ、おもちゃなどが文字への誘導するものが増えている。
③さらに「くもん」に象徴されるように、早期から文字や数字を操作することを教えるところに通っている子どもが披露するため、子どもたちに広がる。
④多くの子どもが2歳ぐらいから、何らかの描く行為をするようになっている。サインペンなどは筆圧がともなわないので書ける。

 ひらがなは音声文字なので、言葉を読んだり書いたりするとは限らない。そのため早い時期から文字を読んだり書いたりすることが、言葉とその内容へ着目できなくなる場合がある。読むのは、記号を音にすることで、書くのは音を形にしているだけになるというという、知的力と結びつかない作業になる場合がある。大人は、子どもが文字の読み書きをどのように取り込もうとしているか、見極めてやらなければならない。
 このようなことからして文字の読み書きを早くしすぎることが、文字が言葉を豊富にする、言葉の内容理解ができる、言葉によるコミュニケーションを高める、といったことを阻害することもありうると、わたしは気になっている。
 ひらがなを書くことは、かなり高度な形の視覚的弁別能力(文字を読めること)があって、その上それを描くという抽象度の必要な作業である。見よう見まねで覚えたとしても、子どもの内部にそれらを整理されるかどうかをみてあげたほうがよいのである。
 ついでにサインペンで書くのから鉛筆への移行は、質的な違いがあることに注意をはらってあげなければならない。鉛筆は、書き文字に必要な、力を入れる抜くという筆圧が課題になる。それをしないでしかもシャープペンシルに移行すると、いまどきのレタリングのような文字になると思われる。

 文字の獲得は、言葉の意識化、自覚化、抽象化の過程で可能になる。




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