絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

朝青龍の処分の仕方-問われるは高砂親方の責任

2007-08-07 16:02:06 | テニス・他のスポーツ
 朝青龍は、全治6週間のけがの診断書を提出し、巡業を休むとした。親方が協会に提出したときはすでに帰国をしていた。おそらく暗黙のうちに受理承認する慣行なのだろう。少なくとも朝青龍はそう理解し、家族とともに帰国したのだ。
 ところが診断書提出の25日に、モンゴルでのサッカーイベントで、試合に興じる映像が日本のテレビで流された。それに協会は憤り、高砂親方は日本に戻るように指示した。それから5日間を経た30日に単身で日本に戻った。
 協会の反応は早かった。朝青龍が戻る前から、巡業参加させないとした。日本に戻るのをみて、本人と親方の事情聴取をせずに、1日に朝青龍に2場所出場停止と4カ月の謹慎と、親方とともに4カ月減給30%という処分を下した。

 この処分を実行した場合は、相当厳しいものであり、暗黙の引退勧告も意味しているのではないだろうか。謹慎条件からして、稽古場だけに限られた稽古となり、出稽古で培われる相撲勘が低下するだろう。稽古量が少ないといわれ26歳の若さといえども、横綱の強さを維持できるのだろうか。
 ことは重大なのに、日本に戻っても記者会見はおろか親方との面談もしなかった。朝青龍が記者会見をしないのであれば、処分された高砂親方だけでも記者会見をして事情説明をすべきではないか。処分した協会としては、親方に記者会見をして事情説明をうながすべきだろう。

 ところが高砂親方は、昨日(6日)朝青龍を訪ねてテレビのインタビューで朝青龍の様子を説明している。この高砂親方のノーテンキな行動は、とても師匠として横綱を教育しているとは思えない。親方として監督責任が問われ処分されているのに、そのことについてふれないで、子どもの使いのように偵察しただけである。
 前日精神科医というのが訪ねて、「神経衰弱(この概念は今は使わない)で、うつ病の一歩手前でありモンゴル帰国がよい」と朝青龍を代弁し、協会の処分を覆すような談話を発表している。この精神科医は、とても専門家とは思えないほどあやしい。
 この辺のいきさつを見ると、相撲を成り立たせている協会、親方、力士という組織的関係が機能していないようである。日本の伝統文化の暗黙知で成り立っている相撲協会という組織が、外国人である朝青龍に対しては力を持ち得ないものになっている。

 ところで協会の処分理由は何なのか。仮病を使って巡業という業務を放棄した、ということなのか。とすると、診断書を書いた医師の文書も問われることになる。それともけがは、相撲はだめでもサッカーはだいじょうぶということかもしれない。そして今は当初のけがではなく、モンゴルへ帰国せねば、という次元の違う問題になってしまった。このままでは引退ということに追い込まれかねない。
 事情聴取もせずに、日本へ戻るのを待って厳しい処分を下す協会のやり方は、一般社会の手続きとは異なるものである。

 朝青龍の横綱昇進にあたっては、品格に問題があるが師匠の教育でつくられるとい条件つきではなかったか。ところが無断帰国は見過ごされ、たびたび問題行動を起こしており、品格教育は実っていない。土俵上の所作は、大相撲では戒められている勝ち誇る表現をするし、モンゴル相撲のそれの延長線にあるものである。これらについては、高砂親方の師匠としての教育と部屋の力士の監督責任は重大といえよう。それに対しては、改善を迫らない協会としても責任があるはずである。ご意見番としての横綱審議会も無関係ではないだろう。
 朝青龍は、家族をモンゴルに残してきていることからして、ことの重大性は理解していないのではないだろうか。あるいはこの夏はモンゴルで暮らすプランがあり、それを強行しようとしているのかもしれない。朝青龍の行動は、強いものが上位であるという力士としての視点だけを規範にしているようである。
 これまでも、親方に無断で帰国することは常態化しているという。今回の帰国も横綱が一人ではないし、長期休暇を取るぐらいのつもりだったかもしれない。朝青龍の一連の行動をみると、相撲協会を最高位の力士として担うといった感覚が伝わってこない。
 朝青龍はモンゴルでは国家的英雄であるだけでなく、モンゴル経済界に影響及ぼすぐらいビジネスに加わっているといわれている。たびたびの無断帰国もそういった事情からかもしれない。

 相撲は現代日本社会にあっても、今や日常の暮らしの文化とは異質の封建的しきたりを持っている世界である。スポーツとせずに神事的側面を規定している。そのこともあって技と力だけの社会なのに、子弟力士がある程度まで成功するのは、相撲界独特の文化の理解をすることに時間を必要としないからという要素もあると思える。
 しきたりという暗黙知で品格といわれても、相撲界の構成員と昇進の仕方が変化している。そうとう前から大学卒が増え、新弟子からたたき上げられて相撲世界独特の文化を体で体得していく力士が少なくなっている。しかも日本の封建的文化を残している相撲界文化の理解は、外国人にとっては難しい。ところが幕内42人中13人が外国人力士であり、その比率は31%である。プロスポーツではなく、国技として神事的側面を重んじる文化としては、異なる文化の比率が高すぎる。
 一方にはこのような状況からして暗黙知だけでなく、何か事が起きる都度処分をするのではなく、さまざまな約束事(就業規則や契約といったもの)を文章化する近代的合理的な組織にしていく必要に迫られているのではないだろうか。

 朝青龍問題は当分テレビのワイドショー、スポーツ新聞、タブロイド紙、週刊誌をにぎわすことになるだろう。協会という前近代的組織ゆえに、記者会見等で問題を整理しないため、メディアは次々と話題提供する人を登場させると結構続きそうである。
 そういったメディアによるバッシングが、国民的カタルシス(感情浄化、気晴らし)作用をする社会現象が、教養や理性を低下させ非寛容な社会になることが、最も警戒をしなければならないことなのである。

コメントを投稿