東京から新大阪→御堂筋線→なんば駅→南海高野線→極楽橋に到着までのスレッドです。 2024.05.18.19.44.03
1 JRから新幹線の改札口は大混雑していた記憶があり新幹線ホームに早めに上った。
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3 乗車する新幹線が入線してきました。
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5 旧都庁の跡地に建った国際フォーラムです。東京駅を出ると右側に見えて来ます。
6 山手線の電車の屋根が見えて来ました。
7 今は高い建物が多くなりましたから埋もれて居ますか、NECのビルが見えます。
8 富士山が見えてきました。
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10 定番のスジャータのアイスクリームです。カチカチに凍っていますから少し時間をおいてから頂きました。
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12 富士山の残雪も少なくなりました。
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15 浜名湖を通過した辺りかと。
16 名古屋直前です。
17 京都タワーが見えて居ますが、今回は新大阪まで行きそこから御堂筋線に乗り換えます。
18 予約したこちらの特急「こうや9号(11時15分発)」に乗れないかもと思っていましたが、急ぎに急いで間に合いました。
新大阪10時36分着、御堂筋線に乗り換えて難波から南海線なんば~極楽橋に向かいましたが、初めてなのでスクリーンショットで乗り換え口など撮影して遅れないように準備しました。(実際は大忙しでしたが、一本前電車でなんばに到着できました。)
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20 なんば駅から特急こうやで、極楽橋に向かいます。
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22 一番前の席は生憎ゲットできませんでした。その方達は途中でおりましたが、その後また乗車してきました。通しで乗車する我が家では予約できませんでした。
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24 りんかんでんえんとし駅で反対側のを撮影です。この駅辺りから単線かも。
25 万世のカツサンドを東京駅で買ったものです。
26 橋本で下って来た「こうや」とすれ違いました。
27 天空号です。
28 九度山です。六文銭の旗印で有名な真田幸村親子が14年間幽閉されていた所です。通り過ぎかけて撮影できました。
一部引用させて頂きます。
幾度の合戦を繰り広げたその武名からは、想像しづらいかもしれない。名将として知られる真田信繁(幸村)が、蟄居(ちっきょ)の間に夢中になっていたものがある。 慶長5年(1600)9月の関ヶ原合戦後、真田信繁は父・昌幸とともに九度山(和歌山県九度山町)に逼塞していた。その後の生活で、信繁の心の慰めになったのは連歌だった。 年未詳9月20日付の信繁の書状(宛名欠)では、自らの窮乏生活を宛名の主に伝え、兄である信之に伝えてもらうよう依頼している(「長井彦介氏所蔵文書」)。兄を頼ったのは、やはり真田家の当主でもあり、また金銭的な援助が期待できたからであろう。 書状の後半部分では、高野山での苦しい生活を推察いただきたいと述べている。しかし、追伸では信繁が九度山で連歌を学んでおり、機会があれば興行したいと書いている。信繁の日々のささやかな楽しみは、連歌だったようである。
29 極楽橋に到着し、外国人も日本人も下車してケーブルカーに乗ります。
30 極楽駅です。
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