上野ウエルカム・パスポートでも無ければ入る機会がなかったと思える台東区立下町風俗資料館です。
そこで頂いたパンフレットから引用させて頂き説明します。
古き良き下町の文化を
永く後世に伝えるために・・・
明治・大正頃までの下町には江戸の名残がありました。しかし大正12年(1923)の関東大震災、昭和20年の戦災によって、ほとんどその面影をなくし、さらに目覚ましい復興を遂げた戦後、特に昭和30年代後半には東京オリンピックを契機とする再開発が積極的に進められ、街はすっかり様変わりしました。人びとの暮らしも又時代とともに変化し、便利さを手に入れた代わりに、古い時代の大切なものが忘れられようとしていました。
古き良き下町の文化が失われつつあることに、憂いの声が上がったのは昭和40年代のことでした。それは次第に下町を愛する人びとの間に広がり、やがて庶民の歴史である下町の大切な記憶を次の世代へ伝える資料館設立の構想が生まれたのです。これを実現するために台東区内外からたくさんの貴重な資料が寄贈されました。
多くの人びとの長い歳月を掛けた願いが実り、台東区立下町風俗資料館は、昭和55年(1980)10月1日、ここ不忍池畔に開館したのです。
以上が資料館から頂いたパンフレットに記載されていた案内の引用です。
天邪鬼の自分から一言。
古き良き時代と過去を単に美化してみる事は好きではない。
過去よりも少しでも進歩した良い時代になっていると思っている。
老人の単なる愛着で安易に「古き良き時代」と言う事は好きではない。
台東区立風俗資料館入り口です。 20171227195946
左に丸い赤い旧型の丸いポストが、右にはご覧の通り大八車が置かれていました。
人に依っては、大八車に思い出が無いかもしが、私の記憶の中にはシッカリと残っています。
長尺物の運搬はマツダやダイハツのオート三輪車が大活躍でした。
それでも、土木関係の親方の所にこちらの大八車があり大活躍していました。
時代劇映画の中だけではありません、実際にこの年末には長い竹を乗せて一軒一軒正月の飾り付けしていきますし、お祭りの時の飾りつけにも活躍でした。
(ここで思い出を:お正月にはお大尽は門松を飾りますが、そんなお宅は10軒に一軒程度で一般庶民は長い竹を左右二本玄関や門に立てて下には松で上に稲わらを編んだものに白い紙を付けて飾りました。お正月が終わると長い竹は物干しの竹竿になりますし、竹竿が余っているときは竹馬にしたものでした。)
オート三輪でこんな事を感じました。
材木屋さんが配達する時、少ない柱などの運送にはオートバイの脇に荷物運搬用のサイドカーを付けてい居たことから由来しているのかも。
オート三輪は小回りが利くが、転倒しやすいとも。
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今は凧揚げをした事の無い子供さんも増えていると思いますが、自分達が子供の頃はお正月と言えば男の子は凧揚げが定番のお正月の遊びでした。
武者の書かれたこの長方形の凧と、少し高い奴凧やトンビ凧等がありましたが、私があげていたのは勿論安い長方形の和凧です。
凧に付いている何本もの糸を指で挟み絞っていって凧の中心で且つ上下を調整しました。
天井凧にならなく良く上がるように調整しました。
糸を調整しても回転したりしてなかなか上手く上がらないのが現実でした。
その為に、凧のバランスを取るために新聞紙を細く切った長いバランス用の重りを凧の一番下に付けてあげた物でした。
上手く上がると何処に有るのか分からない具合遠くにまで行った時は気分最高です。
風が無いからと走って揚げると天井凧になる言って嫌いました。
今にして思うと科学的ではない気もしないでもありませんが。
人力車が置かれて居ますが生まれてこのかた、観光地以外で見たことがありません。
タクシーと言えばルノーやヒルマンやオースチンでした。
生まれた時から勿論、東京都水道局の水道ですから井戸はご近所にもありませんでした。
でも、洗濯盥や洗濯板は良く見ましたし、我が家でも実際使用していました。
今回、写真でアップしていませんが、
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幼い頃に通い詰めた駄菓子屋です。
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原村のお山にも飾ってありますが、こんな大きく高価な物ではありません。
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ミシンやTV等幼い頃を思い出します。
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炊飯器が飾ってありますが、ガス釜です。
蓋をして左右に回すと中蓋に圧力をかける事の出来る形式の物が展示されえいました。
我が家でも東京ガスが来ていましたから、薪など一切家事には使用しません。
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大きな思い出の東京オリンピックです。
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10円紙幣は記憶にあるような気もしますが、定かではありません。
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大川に架かる橋は橋の形式のデパートのようです。
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蓮の池の先に見えるのが不忍池辨天堂です。
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東京都も野生動物への餌やりを止めるべく啓蒙活動を始めているようです。
野生動物に給餌する事はやめましょう。
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