名古屋城本丸御殿その一の続きです。
今回は、対面所~身内だけが立ち入れる豪華かつ私的な社殿~ 藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた建物です。上段の間’(18畳)・次之間(18畳)・納戸一之間(24畳)・納戸二之間(24畳)の四部屋からなり、上段之間と次之間の障壁画は『風俗図』と呼ばれ、京都や和歌山の四季の風物や名所が穏やかな筆致で描かれています。
上洛殿~細部まで絢爛豪華。技術と贅の粋~ 1634年(寛永11年)の三代将軍家光の上洛に合わせて増築された建物で、上段之間(15畳)、一之間(18畳)、二之間(22畳)、三之間(21畳)、松之間(20畳)、納戸之間(10畳)の六部屋からなります。襖絵・天井板絵や、絢爛豪華な彫刻欄間、飾金具等で彩られ、贅の限りをつくしていました。王の正しい行いを描いた障壁画『帝鑑図』は、当時33歳の狩野探幽によるものです。
〇 名古屋城本丸御殿・対面所
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2 対面所納戸次之間です。
3 撮影位置を少し左に寄って、柱が画面を二分割しますが。
4 対面所納戸上之間です。
5 対面所次之間から上段之間を
6 上段之間です。
7 上段之間と次之間の障壁画は、風俗画と呼ばれ、四季の風物や名所が描かれています。
8 対面所次之間の天井は、黒漆の格天井です。
9 対面所から上洛殿に通じる鷺之廊下です。
10 鷺之廊下の金箔の壁にはシロサギが飛び交わっています。
〇 名古屋城本丸御殿・上洛殿
1634年(寛永11)、三代将軍家光が京都に上洛する途中、名古屋城に宿泊します。それに先立ち増築されたのが、本丸御殿で最も絢爛豪華な上洛殿です。江戸時代には御成書院と呼ばれていました。
11 京都のお寺などで見かける梁の上の工作物を良く見かけます。案内の方に聞いて結界を意味する竹節欄間だと教えてもらいました。普通に見かけるのは、白木ではなく漆で塗られています。建物の強度を保つものだと勘違いしていました。
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15 上洛殿の釘隠しですが、かなり立派なものです。
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21 上洛殿上段之間です。最上格の格天井には、板絵も描かれています。
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23 上洛殿一之間です。豪華絢爛な彫刻欄間で贅の限りを尽くしています。
24 上洛殿二之間です。
25 上洛殿三之間です。
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27 梅之間です。
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29 天守閣木造建築復元の立派な募金箱です。
湯殿書院と黒木書院につづく
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