週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#101 -’25. うさぎの神社で有名な三尾神社に参拝し 

2025年03月31日 10時45分48秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

尾神社の紹介を滋賀県神社本庁のHPから引用させて頂きます。

三尾神社 (ミオ) ~(みおんさん)
御祭神
伊弉諾尊
〔配祀神〕白尾神 黒尾神
御神紋
真向きのうさぎ
御由緒
「寺門伝記」三つの腰帯が赤尾神・白尾神・黒尾神となられ、それぞれ三ヶ所で出現された。最初の出現は赤尾神で、上の三尾(琴尾山 山上の祠)と称されたが、出現の時は太古卯年の卯月卯日卯の刻というだけで何の時代の何年という事が不明である。第二の出現は白尾神で、場所は現在の三尾神社(筒井の祠)とされている。出現の時は文武天皇の大宝年間の夏というだけで何年という事が知られていない。第三の出現が黒尾神で鹿関の地でこの神のみが称徳天皇の神護景雲三年三月十四日の出現とされている。三神とも御本体は一つで伊弉諾尊となっている。

社殿に関しては、貞観元年の春、園城寺の開祖である智証大師円珍が琴尾谷に復興した後、室町時代応永三十三年足利将軍が現存の本社を再興した物である。慶長四年には太閤秀吉が社殿の修理を加え、若干の朱印を下附せられた。本社が上の三尾(琴尾谷)より現在地に移ったのは明治九年の琴であり、明治十四年に郷社に加列された。明治二十二年には内務省より古社保存資金を下賜され、明治四十三年に県社に昇格している。
 
本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造 間口三間 奥行二間三尺
〔拝殿〕入母屋造 間口三間 奥行三間
〔その他〕
境内社(摂社・末社)
 
それではうさぎの神社こと愛情を込めてみおんさんと呼ばせて頂きます。京阪電車に乗って三井寺駅にて下車して疎水に沿って緩い坂道を登ります。
 
1   三井寺駅を降りて振り返り駅を撮影したものです。勿論駅員さんの言いつけ通りタッチはしておりません。正面はびわ湖方面です。
 
 
 
2   びわ湖大津の疎水に沿って三尾神社・三井寺へと歩を進めます。
 
 
3   閘門です。疎水を下り京都に船旅を味わってみたいものです。桜の咲き誇る時期なら最高ですが。
 
 
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5   疎水を通る船が見えます。
 
 
6   細いですが、三尾神社の参道が真っ直ぐ続きます。
 
 
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8   唐破風形式の門を潜ります。その先にあるのが拝殿です。
 
 
10   手水舎が囲われています。銅を盗む神を冒涜する輩がいるのでしょうか。何時から日本はこんな国になったのか。悲しい限りです。盗人もですが、盗品を買い付ける輩が居る事が問題です。
手水舎は、龍ではなくてうさぎさんです。
 
 
11   うさぎを祀る神社の三尾神社です。山門をくぐると親子うさぎが。かわいいですね。
 
 
 
12    拝殿の右側には、狛犬ならぬ狛夫婦うさぎです。
 
 
13    境内社の白山神社と愛宕神社
相殿です。
 
 
14     夷子神社と白髭神社です。
 
 
15   日御前神社です。
 
 
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17   うさぎの脇には干支には無い招き猫さんと干支の一番手の子(ね)さんがいます。どなたか置いたのかも。
 
 
18   三尾神社本殿です。
 
 
19    瓦にはウサギの姿が。
 
 
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21   社殿左にある境内社の阪下茂畑稲荷神社です。
 
 
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23   若い頃に日本一周をしてみたかった。
 
 
24   駒を進めて三井寺門前へ。
 

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#096 -’25. 石山寺を参拝して(その二)

2025年03月26日 18時49分55秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

今回は、石山寺全山を廻れた訳でありませんが、それでも前回の30連泊の訪問時より広範囲を参拝出来たのが良かったと思っています。

石山寺の境内図はこちらです。

1  本堂は撮影禁止です。外に向いて一枚、

2    源氏の間です。本堂の東端にある二間続きの部屋は、紫式部が「源氏物語」を書いた場所と伝えられており、源氏の間と呼ばれています。

本堂の外からしか見ることは、できません。

3    特別展の案内です。 (チケットを買った時、本殿内陣拝観券と石山寺と紫式部展『光源氏と運命の星」を行っている会場の石山寺豊浄殿入館券のセットけんでした。)

4     紫式部の供養塔と芭蕉の句碑です。

5  石山寺の経蔵です。経蔵内には国宝の淳祐内供筆聖教が納められていたそうです。

6   経蔵 経典を収めるための高床の校倉づくりになっています。ここの床下に腰掛石がありますが、人が居たために撮影できませんでした。   

7  同じ経蔵を撮影した物ですが、結界の役目を果たしているのかヒイラギが飾られています。

8  経蔵の裏側から桧皮葺きに苔が生えて素敵な絵に見えましたので一枚。

9    めかくし石

目隠しをして塔身を抱きしめることができれば願い事が叶うといわれています。

10  多宝塔です。

源頼朝の寄進により建立されたと伝わっています。

11  こちらにもヒイラギの小枝が。

12  多宝塔の本尊・大日如来坐像は今は疎開中です。

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14     摂社か末社かしかとは分かりませんが、神道の社のようです。

15   心経堂

石山寺に奉納された写経を納める輪蔵が安置されています。

16   何ヵ所かある梅林が見頃でした。しだれ白梅とその奥に紅梅が咲き誇っていました。沢山の梅林があり今年ほど梅を堪能した事はありませんでした。

17   紅梅ですが、スマホしか持参しておりません。明るすぎてスマホ画面に何もみえませんので、ピントはスマホ任せです。

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19   盆栽のように枝が芸術的に曲がっています。

20   まだ蕾の花も多くあります。苔と言うより黴(かび)と言うべきか。綺麗なので撮影です。

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24   左の月見亭と平屋建ての茶室が芭蕉庵です。

25   月見亭を下から見上げて一枚。建築技法は何処か鐘楼を思い起こす形状です。

 

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27   下ってきた所の第一梅園で一枚。

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33   一周して、珪灰石の所に戻りました。

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35   宝筺印塔

この塔の周りには、四国八十八ヵ所の砂が敷かれており、砂踏みができるようになっています。

36  石山寺を後にして塔頭に向かいます。

37  石山寺大黒天です。12年に一度の子の年に御開扉される秘仏特別拝観する事ができます。次の子年は西暦2032年です。

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39  石山寺参道の脇から出る形になりました。因みに、大黒様は頭巾を被り右手に打ち出の小槌、左肩に大きな袋を背負い、米俵の上に足を乗せている姿が一般的です。背負う袋は財宝を、右手の小槌は湧き出る富を、足で押さえる米俵は豊作を意味し五穀豊穣や商売繁盛など、主にお金にまつわるご利益があるとされています。

40   正門を出る所にカエルさんが見送ってくれました。

41   塔頭の入口に大津市のゆるキャラおおつ光くんも見送ってくれました。

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#094 -’25. 石山寺を参拝して(その一)

2025年03月25日 19時00分01秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

二泊三日の初日に訪問したのが石山寺です。

紫式部のゆかりの花寺と言う事で昨年の大河ドラマの関係で今年は観光客が増えたと思っていましたが、それ程でもありませんでした。

1   正門までの塀沿いにいろんな案内がありました。

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3   東大門に到着しました。

石山寺の正門で、鎌倉時代の建立とされています。

4    門の両脇には仁王像が祀られています。鎌倉時代の運慶、湛慶の作といわれています。

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8   塔頭のお寺です。

9   東大門からの参道です。桜が咲くと綺麗ですね。

10   塔頭の公風園です。

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12   大湯屋です。

妻を正面とする切妻造の建物で、内部は前室、脱衣場、浴室の三室構成となっています。

13   池には、大きな鯉が

14    比良明神影向石

東大寺の僧良弁僧正と近江の地主であった比良明神が出会った場所とされています。

影向石とは神様が降臨する石という意味だそうです。

15   龍蔵権現社です。天明の頃朽損し、明和年間(1764~1772)再興された。

16   特別公開の内陣参拝も含めたセット券を購入しました。

17  西国三十三所 観音霊場の観音様がお祀りされている観音堂です。

18   毘沙門堂です。

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20   境内の硅灰石です。

長い坂を上りつめると、正面に硅灰石の雄大な姿が目を引きます。国の天然記念物に指定されています。「石山寺」もこの硅灰石に由来している。

21   弘法大師と石山寺第三代座主の像を安置する御影堂です。

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24   蓮如上人が祀られている蓮如堂です。

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27    境内のいろんな場所に梅の盆栽が置かれています。

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30    本堂です。

滋賀県最古の木造建築です。

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#064 -’25. 桜神宮を参拝し

2025年03月02日 18時10分31秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

家内が参拝に訪れたのが2月27日でした。

桜新町のサザエさん関係での訪問で桜神宮にも参拝です。

何らかの物理的制約により直接参拝出来ない方に「遥拝」と言うインターネットから参拝があります。

渋谷からの246号の玉川通りを走っていた玉電が廃止されて、三軒茶屋からの専用軌道が在った世田谷線のみ残りました。廃止された線は田園都市線との名称で新設されて本来の名称がこちらに付けかえられました。東急田園都市線の桜新町駅から歩いて2分位です。

1  駅前の桜のモニュメントのかたちは特徴的なサザエさんの髪型どおりです。

2 サザエさん一家です。マスオさんにタラちゃんです。フルネームではタラオなんですね。

3  磯野家です。ロイドメガネ?を掛けた波平さんとふねさんの間にカツオ君とわかめちゃんです。

4   桜神宮の神明鳥居です。

5  拝殿前での参拝方法は二礼四拍一礼で出雲大社と同じでした。

6  願いことを書いたピンクリボンを河津桜に結びつけるようですが、桜の木にとって良いのか疑問が残るところでした。

しだれ桜おみくじもありました。

7    結ぶところも桜の形をしています。

8   まだ、満開ではありませんでしたが、ピンクリボンとあわせて色鮮やかでした。

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11  頂いたリーフレットには古式神道と名打たれています。名前も桜神宮となっています。どこか風格格式のある神宮を感じさせます。

12  ご祭神などが書かれています。

13  色々の御朱印があります。我が家も二種類ほど頂きました。

14  こちらは御朱印帳に記帳して頂いた物です。河津桜バージョンのラメが入っているのかキラキラとかがやいています。因みにこちらは500円でした。

15  こちらはメジロの番(つがい)が居る御朱印で600円でした。書き置きです。

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#058 -’25. 牡丹図 大覚寺 宸殿 牡丹の間 @ 東博特別展

2025年02月27日 08時52分20秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

今回は狩野山楽筆による牡丹図です。(出品目録  №  53)

開創1150年記念にあたる別名・旧嵯峨御殿と呼ばれている大覚寺展です。

『 ― 百花繚乱 御所ゆかりの絵画    ― 』

 

1  宸殿の 障壁画 とのタイトルが付いています。

2  狩野派の一人である狩野山楽の筆による障壁画です。

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4  宸殿 牡丹の間の牡丹図です。次に解説を記載します。

寝殿の最も重要な部屋を飾る襖絵。今を盛りと咲く牡丹を装飾的に描いた狩野山楽(1559~1635)の代表作。しかし、一部に引手金具の位置を動かしたり絵を補っている部分がみえ、本来どこを飾る襖絵として描かれたのかはあきらかでない。

5  作品番号 № 53 牡丹図 狩野山楽筆 18面です。

こちらも写真撮影可の第四章 D・E・F のF部屋にてんじされていました。

6  東博に来る途中で寛永寺の牡丹園のポスターを見たので、この後寛永寺に戻るか日暮里に向かうか躊躇した原因でした。過去に牡丹園には行っていますので先に行くことにしました。写真に残せると記憶にも残ります。

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次の写真からは過去に大覚寺に訪れて参拝した時に撮影したものです。

13  距離はあるものの牡丹の障壁画との間に空気以外の遮るものが無い空間に改めて感動を覚えます。

14  大覚寺の宸殿の畳の曳き方も一般的な日本間と異なっています。

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#050 -’25. 五千頭の龍が昇る聖天宮(その一)

2025年02月21日 14時41分48秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

五千頭の龍が昇ると言われる台湾の道教の聖天宮(せいてんきゅう)にいってきました。

所在地は  埼玉県坂戸市塚越51-1 です。

聖天宮の由来

建て主は康國典大法師。 四十歳半ばにして不治の大病を患い、ご本尊「三清道祖」と縁起をもたれたのを期に一命をとりとめ、完治されました。 深謝の念と、何人にも神様のご利益にあやかれるお宮を建てたく建造の地を探していたところ、なんと生国の台湾ではなく日本国のこの地にとお告げを授かりました。
聖天宮の名、佇まいや方角もお告げがあり、当時、正面の道、最寄の若葉駅もなかった雑木林のこの地を一から整地し昭和五十六年より着工に至りました。 台湾の一流の宮大工を呼び寄せ、十五年を掛け、平成七年に聖天宮を開廟しました。(聖天宮のHPからの引用です。)

宗教心を別にしてもその芸術性のある作品群を目にするだけでも訪問する価値があると感じた次第です。

1  道教と聴くとよく知らない自分としてはキョンシーを思い起こしてしまいます。

2  天に昇る勢いの沢山の龍が飾られています。天宮への門・天門です。

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5   獅子・唐獅子で一つの石から彫られています。子獅子が母獅子の鈴で遊んでいます。

6  至る所に沢山の彫り物が施されています。それも前面の作品の奥にも彫られたものが並んでいます。パズルを解くが如くの難解さです。

7  境内案内図に従うと、一番右手の建物は鐘楼です。その左手の大きな三重のような門が前殿とのこと。黄檗宗大本山萬福寺の総門の造りと何処か相通じる重なった門構え目にした気持ちです。色彩鮮やかな聖天宮とモノトーンの萬福寺の総門と対比するのも国の違いでしょうか。

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9  前殿の左端には鐘楼と対照的に鼓楼が建っています。どちらも登れますが余りにも風が強いので自分は鼓楼のみ登りました。

10  天門を見上げてその彫り物に素晴らしかに驚嘆です。

11  聖天宮が竣工した記念碑のようです。台湾ですから総て漢字です。大きな違いは、平面に文字を掘る日本式の石碑と文字を一字づつ浮き上がらせて彫る所が大変興味深く感じだ次第です。

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16  天門を潜り前庭にて見学していました。前庭から振り返り天門を眺めて一枚です。

17  既に参拝料はお支払いして天門を潜り前庭に入っています。これより正式に前殿(聖天宮)に入る事になるようです。

18  鐘楼と前殿の軒先とでも呼んで良いのかわかりませんが、沢山の龍が天を見上げています。

19 九龍柱です。

一柱の岩から彫られた九頭の龍の彫が深く石とは思えない彫刻です

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21  四大天王です。よく理解せずに説明文も読んでいませんでした。扉を閉めると四大天王は外に吹き曝しに堪えねばなりません。それで、ポリカーボネイト風の覆いに覆われているようです。

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24  竜宮城の天女さんは道教の宮から来たのかも。

25  お神籤を引く所から本殿を望んでいます。この後ろには、四大天王が佇んでいます。

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26  四大天王

27  門神で一枚の楠から彫られた門番の神様です。ハスではなく雲に乗っています。

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29  次の30の写真の拡大図です。前殿のお神籤の所か撮影した麒麟と唐子です。麒麟は伝説の瑞獣(ずいじゅう)で神様の使いです。聖人君子が現れる瑞祥として現れます。

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#043 -’25. 醍醐寺・三宝院の公開部分

2025年02月12日 15時56分53秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

醍醐寺の第59回京の冬の旅で特別公開された奥宸殿などの手前の部分になる常時公開されているお部屋などをアップします。

1   三宝院で頂いた御朱印です。

慈氏(弥勒菩薩のことだそうです)殿です。

2  拝観受付から入ると枝下桜が迎えてくれます。桜の時期はさぞかし素晴らしいことでしょう。

3   大玄関までの参道です。

4   大玄関に到着しました。名前は中国ぽいですが、日本独特の形状の唐破風です。

5   京の冬の旅と五大力さんのポスターです。

6   玄関入ってすぐに浜田泰介画伯の絵がありました。今回公開された純浄観の襖絵もそうです。

7   醍醐の花見に使われた幕?実際は幕ではなく壁に掛かれた絵(だまし絵)です。

8  浜田泰介画伯の襖絵をバックに三宝院流家元による生け花です。

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10  写経所です。

11  五大力尊仁王会の法要で巨大な鏡餅を持ち上げる「持ち上げ力奉納」で用いられる鏡餅です。

12  三宝院の庭園です。秀吉が自ら基本設計した庭です。池の中ほどにある左の島が亀で、左手が鶴島です。

13  お庭を眺めて、ひと休みしました。

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15 シロアリにくわれた後のようですが、芸術的なので一枚撮影です。シロアリならば、歴史的建造物を維持していくことの大変さを感じます。

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17   表書院です。撮影可の案内があります。

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19   表書院上段の間です。襖絵は長谷川等伯一派の作といわれていています。

20  上段の間の床の間に仏様が安置されていますが、こちらは撮影不可です。

21   下段の間の襖絵は、石田幽汀の作で孔雀と蘇鉄が描かれています。

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23  こちらは三宝院内から撮影した国宝の唐門(勅使門)です。

24  勅使之間です。襖絵は長谷川等伯一派の作といわれ、竹林花鳥図です。

25  秋草の間です。襖絵は、秋の七草が描かれています。

26  葵の間です。襖絵は、葵祭の様子が描かれています。

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#041 -’25. 醍醐寺を参拝し(1月19日)

2025年02月10日 17時36分19秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

ホテルをチェックアウトして、石清水八幡宮に行くために三条駅に。ところが京阪電車が人身事故で不通になり予定変更した先が醍醐寺でした。

自分は30連泊31日の旅で訪問していますが、家内は訪れておりません。凄く良い所だったので、こちら醍醐寺に行くことに決定しました。交通ルートの選択ミスもあり結構時間が掛ってしまい、新幹線の乗車時間の縛りがあり気持ち的に最後の方は・・・・ですが。

今回京都の冬の旅での特別公開されていた素敵な三宝院は別スレッドでアップします。

総本山醍醐寺は1100余年の歴史の中から現代に生きています。

総本山醍醐寺 歴史/縁起

総本山醍醐寺200万坪におよぶ広大な境内地にそびえる国宝五重塔は、静かに1,100年以上の時の流れを語り伝えています。

京都御所の東南、東山を越えると山科盆地がひろがり、この地は古くから大和・宇治・近江を経て遠く北陸に到る幹線道路があり、平安京の東南近郊の一地区として注目されて来た場所です。醍醐寺は、この盆地の東側、笠取の山頂にかけての広大な地域に位置し、山頂一帯を「上醍醐」山裾を「下醍醐」と称しています。

平安時代の初期、聖宝理源大師は、自刻の准胝・如意輪両観世音菩薩を開眼供養し、醍醐寺開創の第一歩を上醍醐に標し、以来、醍醐天皇、穏子皇后の帰依のもと、上醍醐に薬師堂を建立、薬師三尊を奉安、鎮護国家のために五大堂を建て、五大明王を奉られました。
醍醐寺縁起は醍醐寺開創について、『ある日、聖宝が深草の貞観寺から東のほうをご覧になると、五色の雲がたなびいているのが見え、その五色の雲に誘われ山に登り山頂に着いたときに「まるで生まれ故郷に帰ったような思いがした」そうです。谷間をご覧になると、一人の老人が湧き出る水を飲んで、「甘露。甘露。ああ醍醐味なるかな」と言っていました。聖宝は老人にこの地に寺院建立をしたいと声をかけられました。老人は、「ここは、諸仏・諸菩薩の雲集する地で、私は地主で横尾大明神である。この地を差し上げ、長く守護してあげる」とおっしゃられ、姿を消されました。』と伝えています。この水は醍醐水と呼ばれ、現在も枯れることなく湧き続けています。
さらに下醍醐に釈迦堂を建立し、山上・山下にわたる壮大な寺院計画がなされました。醍醐天皇の願いは、朱雀天皇・村上天皇に受け継がれ法華三昧堂・五重大塔が建立され一山の尊容が整いました。

平安時代末には、白河上皇・源氏の帰依と共に多くの堂宇が建立され広大なる一山の整備がなされ、鎌倉時代になると真言宗事相の根本道場としてその権威を高め、同時に多くの密教芸術を生み出しました。南北朝には足利尊氏の帰依を一身に集めた賢俊座主、足利義満将軍率いる室町幕府において黒衣の宰相と言われ重んじられた満済准后、桃山時代の義演准后は、秀吉の帰依のもと「醍醐の花見」をもって一山を中興、江戸時代の高演座主は、修験道(山伏)3千名を伴い二度にわたる大峯山入峰をなし、修験道興隆を計る等々、歴代磧徳を迎え寺は護られて来ました。しかし、近代、明治の廃仏毀釈、昭和の農地解放の悲風は容赦なく山内を吹き荒れ、寺領は返還し寺の護持基盤が大きく揺れるなか、歴代相承の什宝は、あたかも浄水を一滴ももらさず器から器へと移すがごとく伝承されました。

今日、一山は永世護持のため全山「史跡」に指定され、さらに平成6年12月には「世界文化遺産」に登録されました。まさに世界的な「木の文化」「紙の文化」の宝庫と認識するとき、着々と伝承される法流血脈のもと祈り続けられる信仰の尊さを思わずにはいられません。

現在、醍醐寺は、総床面積1千坪の霊宝館に於いて、国宝6棟、重文10棟を含む92棟の建造物及び信仰対象の諸尊像を除く一切の文化財を管理保管しています。(HPから引用)

 

1  五七の桐の紋が参拝券に印刷されていました。

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3 醍醐駅から徒歩にて到着しました。タクシーを捕まえる積りでいましたが、乗り場も分からずバスの時間が良くわかりませんでした。

総門の脇には枝垂れ桜がありましたから、桜の季節には風情があって美しいと。

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5 こちら、三宝院は素晴らしく良かったです。

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7 三宝院の国宝の唐門です。菊と五七の桐の紋が門扉に施されています。

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10 西大門(仁王門)が見えています。手前の広い通路は桜馬場と呼ぶそうです。

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16  前回来た時は左右の松?などが倒木していて幕で囲われていました。今は処理も済んでご覧の通りです。

17  国宝の醍醐寺の金堂です。

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20 国宝の五重塔は、醍醐天皇の菩提を弔うために朱雀天皇が起工し村上天皇の天暦5年(951年)に完成した京都府最古の木造建築物だそうです。凄いですね。木々がなぎ倒される台風でも台地に建つ五重塔。心柱と建築技術の素晴らしさに感嘆します。

21 不動堂

不動明王を中心に五体の明王が祀られています。

22 こちらに来るのに時間が掛りましたので、グーグルマップで醍醐寺前のバス停でチェックして、食事時間など検討して戻る事にした次第です。後日また訪れたいところでした。

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#038 -’25. 第59回 京の冬の旅《六角堂・因幡堂・椿寺》

2025年02月07日 19時02分11秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

京の冬の旅の表紙に写真が載っている五劫思惟阿弥陀如来像です。我が家で愛情を込めてアフロヘアーの仏様と呼んでいます。

この髪の毛(螺髪)は気の遠くなるような長い時間、思惟をこらし修行をされた結果、このような螺髪を積み重ねた頭となられたようです

最初に金戒光明寺で拝観して、すごく印象に残りました。

1  金戒光明寺では外にあり、以前の訪問で探しに行って参拝しました。地蔵院の仏様は、冬の旅での公開です。五劫思惟阿弥陀仏の五劫思惟とは:ごこうしゆい/五劫思惟

阿弥陀仏法蔵菩薩であったとき、五劫という長久の時間、思惟して、建立する浄土やその浄土荘厳する清浄な行を選取したことをいう。『無量寿経』上には、「時にかの比丘(法蔵)、仏の所説の厳浄の国土を聞き、みなことごとく覩見とけんして無上殊勝の願を超発す。その心寂静じゃくじょうにして、志所著しょじゃくなく一切世間、よく及ぶものなし。五劫を具足して荘厳仏国清浄の行を思惟し摂取す」(聖典一・二二四/浄全一・六)とあり、この五劫思惟において、自らが仏となった際に構える浄土と、浄土を建立するための清浄の行を選び取っている。またあらゆる浄土の中より諸々の粗悪を捨て善妙を選び取り、往生行としては諸行を選捨して念仏一行を選取している。これはひとえ衆生救済のためである。法然はこれに仏による選択の意義を見出し、超世の大願である四十八願選択発願した時期とする。法蔵菩薩はこの五劫思惟の後に、世自在王如来の前で四十八願を起こし、それを成就して阿弥陀仏となった。奈良の東大寺には善導作と伝える五劫思惟阿弥陀仏像がある。元来、五劫思惟法蔵菩薩思惟であるが、この像は、阿弥陀仏思惟とし、等身坐像で蓮華台座に坐し、両手合掌して胸にあて目は半開きにして沈思の姿を示している。また京都地蔵院(北区大将軍川端町、通称椿寺つばきでら)の本尊五劫思惟阿弥陀仏である。(新纂 浄土宗大辞典からの引用です

次の写真の上段は金戒光明寺に参拝した時です。その下段の写真は地蔵院(椿寺)では写真撮影できませんので、冬の旅から借用したものです。

2  今年の一月に京都にお邪魔した時の 第59回 京の冬の旅 のパンフレットです。表紙の左下には阿弥陀仏が載っています。

3  

4  小冊子に頂法寺(六角堂)・平等寺(因幡堂)・地蔵院(椿寺)の紹介です。

5  最初に地蔵院(椿寺)に参拝しました。訪問日は1月17日相国寺参拝の後、バスで北野白梅町まで行き、歩いて3分位で到着しました。

6  地蔵堂 - 鍬形地蔵様を安置しています。

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8   豊臣秀吉が寄進した五色八重散椿ですが開花はまだ先のようです。

9 帰る時の山門を撮影しました。

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〇  頂法寺(六角堂)に参拝にお邪魔したのは翌18日です。

阪急嵐山から電車で、烏丸駅で下車して、歩いて来ました。撮影順です。

11  特別公開のご案内です。

12  六角堂の由緒です。

13   

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15   六角堂は「いけばな発祥の地」で現在も華道家元池坊の拠点となっています。隣接する「いけばな資料館」での寺宝特別展示もみることができました。

 

16  いけばな資料館の入口です。

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19  こちらはビルに入った一階に5種類の野鳥が飼われていました。

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22   こちらで御朱印を頂きました。

23  凄く達筆で戴くだけで絶大なご利益がありそうです。

24   今回は、本堂内陣部分に入って拝観できました。

25   隣の建物のエレベーターから六角堂の屋根を眺めることができます。

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〇  平等寺(因幡堂)

27   六角堂から戻るかたちで烏丸通を下って平等寺に、裏から入りました。因幡薬師の石柱がありました。

28  本尊の薬師如来立像は、度重なる火災の被害に遭いながらも難を逃れてきた創建当初のご本尊です。コロのついた厨子で緩衝用の頭巾を被っています。

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31    本堂でお参りしてから、特別公開のご本尊の薬師寺如来を参拝しました。撮影はできません。

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34-1  ご本尊の因幡薬師の御利益の無病に因み、六猫(むびょう)でお守りの裏表に六匹の猫が刺繍されていました。

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#022 -’25. 相国寺一般公開の狭間に落ちて

2025年01月23日 19時27分25秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

京都に到着してそじ坊で昼食を摂って向かった先は大本山相国寺です。

相国寺に入ったのは西門からで、承天閣美術館に入館して境内を出たのは一番南の総門からです。本来ならば勅使門脇の総門から入り総門から出るのが良いのかもしれませんが、地下鉄駅からの関係で同志社大学脇を通り西門へ。

臨済宗相国寺派の大本山

 相国寺は、京都五山第二位に列せられる名刹です。正式名称は萬年山相國承天禅寺
 十四世紀末、室町幕府三代将軍の足利義満により創建されました。幾度も焼失と復興の歴史を繰り返しましたが、現存する法堂は日本最古の法堂建築として一六〇五年に再建された物を今に伝えています。
 夢窓疎石を開山とし、創建当時は室町一条あたりに総門があったといわれ、北は上御霊神社の森、東は寺町通、西は大宮通にわたり、約百四十四万坪の壮大な敷地に五十あまりの塔頭寺院があったと伝えられています。(HPから引用です。)

その前に

1 地下鉄烏丸線今出川駅で降りて相国寺の西門に向かいました。レンガ造りの素敵な同志社大学です。

2 薩摩藩邸跡の石柱がありましたので撮影してきました。

3 二本松屋敷の高札が建っていました。

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5 今出川通を通れば総門へ、私達は烏丸通を通って西門に向かいました。前回30連泊の旅で訪れた時と風景が異なっていたので、何かおかしいと思いつつ境内へ。

6 こちらも道路の反対側に同志社大学の施設が。

7 西門に到着です。

 

相国寺の名前の由来

 「相」は「しょう」と読みます。顔の相、人相など、形を意味するときは「そう」と発音しますが、宰相、首相等という時は「しょう」と発音します。「相国」とは国をたすける、治めるという意味です。中国からきた名称ですが日本でも左大臣の位を相国と呼んでいました。
 相国寺を創建した義満は左大臣であり、相国であることから、義満のお寺は相国寺と名付けられました。また義満の時代は中国では明の時代でしたが、このとき、中国の開封に大相国寺という中国における五山制度の始まりのお寺がありました。この大相国寺の寺号を頂いて「相国寺」と名付けられたのです。
 中国、開封市の「大相国寺」は現在も存在しており、相国寺とは友好寺院の締結をしています。両寺院には友好の碑があります。

8 大本山相国寺全景です。こちらの全体図は帰る時に総門脇で撮影した物です。

9 西門から入った撮影順にアップします。

10 境外塔頭の金閣寺に何処か似た所を感じる宝塔です。(金閣寺の正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。
舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。)HPからの引用です。

12 相国寺承天閣美術館に向かっています。数多くに若冲などの絵を所有していた相国寺ですが。

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14 勅使門から天界橋を渡り今は無き仏殿跡を通り一直線に法堂に向かいます。

15 鳥居の建つ弁天社と宗旦稲荷の間に大きな鐘楼が鎮座しています。

16 後ろを振り返り撮影したもので、遠くに見えるのが総門です。

17 再掲の鐘楼です。

18 多分、檜皮葺の弁天社です。

19 法堂です。

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22 宗務本所です。

23 こちらに秋の特別拝観が終了した旨と春の特別拝観開始の案内がありました。我が家はその狭間におちてしまいました。

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24 勿論、観る事は叶いません。

25 承天閣美術館を見学して総門に向かい帰路についている所です。中央の石橋が天界橋です。

26 金網に囲まれている勅使門です。

27 総門の外から撮影しています。向かって左側に勅使門があります。

過去のアーカイブとして、相国寺の参拝を許された時のスレッドをこちらにアップします。

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#010 -’25. 萬年山 法輪寺を参拝し(1月10日)

2025年01月10日 21時23分40秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

西早稲田にある萬年山法輪寺です。

400年以上の歴史があるお寺。早稲田に日蓮宗、萬年山 法輪寺として現在に則した布教を行っているとの事です。

特に特徴的なことは、身を清める手水舎てみずしゃ or てみずや)や手水鉢ちょうずはち)などに美しい花が浮かび、身と心をいやしてくれる。

法輪寺のお知らせとして

【現在の開門時間】

7時30分〜16時30分

※時間内のお参りをお願い致します。

【寺務開業時間】

9時00分〜16時00分

HPに書かれています。

それでは、頂いて来た切り絵の御朱印と写真をアップします。

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2  切り絵の巳年の御朱印です。


3    法輪寺の参道❓️

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5  日蓮上人像です。

 手水舎の傘とお花です。

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8   本堂前の色鮮やかな花手水鉢

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12   山門の天井には花風鈴が

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14   カエルの花手水にはお賽銭が乗っていました。

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18   通りの向かいは穴八幡さまです。

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#284-’24. 熱田神宮を参拝して

2024年10月25日 09時02分54秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

新幹線で名古屋に到着しJR線・地下鉄線を乗り継いで熱田神宮に到着しました。悠久の時を超え、神話が息づく社とHPに書かれていた。以下はHPからの引用です。

熱田大神に加護を祈る

熱田大神を主祭神に、相殿神には、天照大神、素盞嗚尊、
日本武尊、宮簀媛命、建稲種命をお祀りしております

御祭神  熱田大神(あつたのおおかみ)

熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)・御神体としてよらせられる、天照大神のことです。天照大神は、言うまでもなく、皇室の御祖神とも至高至貴の神とも仰がれ、人々に慈しみの徳をあたえられる神です。又、相殿神は「五神(ごしん)さま」と呼ばれ、草薙神剣とゆかりの深い神々で、宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として仰がれる神々です

御霊代  草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)

 

皇位継承のみしるしである三種の神器の一つです。日本武尊は、神剣の大いなる御加護により東国を平定。尊のなき後、神剣は宮簀媛命により熱田の地に祀られ今日に至っています。神剣の名「草薙」は、尊が東国において、この神剣により草を薙いで難をのがれたことが由来となっています。 

1 至って簡素な熱田神宮のご神印です。

2 境内にはあと二社、計三社ありますが、その他の 別宮  八剣宮 と 摂社  上知我麻神社 のご神印はいただきませんでした。

3 境外二社は 摂社 高座結御子神社 と 摂社 氷上姉子神社です。

4   熱田神宮正門(南門)です。

5   境内図です。ひつまぶしの予約時間までに戻らなければならないので、全部参拝することは、できませんでした。

6 佐久間大善亮勝之が寄進した大石燈籠です。高さ10メートル(ものに依っては8メートル)とこちらには書かれていました。南禅寺にも大きな佐久間燈籠があります。日本の三大燈籠はこちらです。

7 正門(南門)を潜って入って直ぐの南新宮社孫若御子神社(ひこわかみこじんじゃ)の鳥居です。摂社か末社かと。

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9 土偶が眼鏡を掛けて居るが如くなので、就いた名なのかも。

10 二十五丁橋(にじゅうごちょうばし)石版を25枚をもって造られている名古屋最古の石橋だそうです。太鼓橋なので滑ると危険なのでワイヤ網などで覆い安全に渡れるように配慮させていました。因みに板石25枚をもって造られている名古屋最古の石橋です。

11 同じ二十五丁橋です。橋の形状が分かるように戻る時に横から撮影しました。

12 南神池ですが、鯉などが泳いでいるためにテグスを張って、カワウなどの害を防いでいました。

12 献酒された薦被りの日本酒です。

13 熱田神宮の歴史が書かれています。

14 神社の御神木で多いのが、楠ですがこちらのは実際に神が宿るが如くの姿をした大楠です。

15  境内には多くの楠の木が茂生している。その内、特に大きなものが七本あったので、俗に七本楠と称している。この楠は弘法大師お手植えとも伝えられ、樹齢は千年以上といわれている。

(木札の説明より)

16 本宮授与所です。ご神印もこちらで頂きました。

16 少し離れて全体を写るように撮影しました。

17            本宮(ほんぐう)

ご祭神は熱田大神(あつたのおおかみ)です。

三種の神器奉斎の社で、社殿は伊勢の神宮とほぼ同じ神明造りです。(石段上は撮影禁止)

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20 神楽殿前では七五三祝いと新生児のお宮参りを一緒にしてのお祀りです。

21 神楽殿を正面から撮影しました。注連縄が架かり三つ葉葵と五七の桐の紋でした。

22 授与所の先は本宮です。

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24 斎館・勅使館です。こちらと神楽殿の間の小径(撮影禁止のこころの小径)を進むと熱田大神を荒魂(あらみたま)をおまつりしている一之御前神社にすすみます。清水舎、そして明治26年の本殿御改造までは草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を奉していた土用殿と御田神社と龍神社があります。

25 一礼して本宮前の大鳥居を潜ります。

26 本殿から南門へ戻る途中に在りました熱田神宮と歴的人物や出来事です。こちらは徳川家康です。

27 安土桃山時代の豊臣秀吉です。

28   織田信長と熱田神宮の関わりと寄進した信長塀の説明です。

29   信長塀です。今回信長塀を知りましたが、三十三間堂(蓮華王院)で秀吉公の太閤塀を拝見しました。

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主 神   熱田大神(あつたおおかみ)

相 殿 神

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33   宮きしめんのお店です。手前の池に浮かぶのはオブジェ風の帆掛け舟です。

剣の宝庫草薙館と文化殿(宝物館)は追ってアップする予定です。

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#269 -'24. 成田山川越別院を参拝し

2024年10月11日 06時36分21秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

既に一ヶ月が過ぎようとしている9月11日に小江戸こと川越をお邪魔しました。

昼食を頂いた後にお邪魔したのがこちら不動明王を祀る成田山川越別院です。

A 成田山川越別院ですから、勿論頂いた御朱印は不動明王さまです。

B 次からは成田山川越別院のHPからの借用です。

C

D 不動明王ですから、御護摩です。本堂は階段を上がった二階部分になります。一階のホールで墨観を拝見して気に入った画を購入させていただきました。その後、本堂建物内から階段を上がると御護摩が始まるところでした。

再度参拝に訪れる時は、御護摩のお焚き上げをお願いする積りです。

 

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10 勿論、絵馬も不動明王さまです。

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#268 -’24. 御朱印帳 (東京十社めぐり)

2024年10月09日 16時09分09秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

今回は東京十社めぐりとの事で新しく専用の御朱印帳を購入しました。

御朱印帳は木材を薄くスライスしたもので造られています。鉋(かんな)で木を削った感触ですが、弾くと木質の感触と音がしますから一定の厚みがあるようです。

本で言えば序とか前書きにあたる所に今回東京十社めぐりに関する事が書かれています。東京十社は個別に一社づつアップします。今回は御朱印に記帳されている物や頂いた御朱印をアップします。

A 東京十社めぐりの御朱印帳です。非常に個性的な木材で装丁されています。

B 【元准勅祭神社 東京について十社について】書かれています。

読めますか?

C 【主要交通路】が書かれています。

D こちらの結界の如くの順路で巡礼する必要は無いとの事ですが、こちらの巡拝路程図に巡礼する方もいらっしゃるようです。

1  根津神社 (根津権現)

 

2  神田神社(神田明神)

 

3  亀戸天神社(東宰府 亀戸天満宮)

 

4  白山神社

 

5  王子神社(王子権現)

 

6  日枝神社(山王さま)

 

7  品川神社 

 

8  富岡八幡宮(深川八幡)

 

9  氷川神社(赤坂氷川神社)

 

10  芝大神宮(芝神明さま)

 

 

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#261 -’24. 【解説】空海の深遠な教え。

2024年10月04日 04時21分49秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

自分に対する教えです。

 

【解説】空海の深遠な教え。人生の後半を充実させる6つの考え方。穏やかで心豊かな老後にするために知っておきたい6つのこと。

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