週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#184 -’18. 峠の我が家の水抜き方法です。

2018年06月30日 19時52分18秒 | 別荘生活
お役に立てば幸いです。

我が家の水抜き方法です。
一般的な水抜きに付いてはスキップして、シングル水栓などに水が残る事によりシールドが凍結してしまう。
レバーなどを無理に動かせば凍結している水栓の中のゴムパッキンなどが損傷してしまう。
そうならい為に我が家で実施している方法です。
特別の方法ではなく、水回り関係を工事した工務店さんから取り扱いと説明を受けました。









水栓やシャワーなどの水回りで使用する息を吹き込むためのホースです。
斜めに切ってある所を水栓の先端に付けます。
ホースを斜めに切ってある為に水栓の大きさに関係なく利用出来ます。


取り敢えず台所シンクのシングル水栓での写真です。
水抜き栓を外してから我が家では息を通しています。



シングル水栓の右にあるのが水抜き栓です。
我が家のシンクしたの匂い止めはU字溝になっていないでストレートでした。
なので偶々匂い止めのカップを外している時に落としてしましました。


水栓の先端の水の勢いを弱くするのを外します。


外したこちらも落とさないようにしなければなりません。


ホースをこんな感じでつけて息を吹き込みます。
結構、往きで水分が吹き飛ばされますよ。
こちらは家内が室内で行い、私は外のボイラー(ガス湯沸かし器関係)の水抜きを行います。



今年の冬までたっぷり時間はありますが、我が家の方法です。
お役に立てれば幸いです。


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#279 -’17. 別荘を想い『新築別荘 or 中古別荘』

2017年09月23日 15時10分16秒 | 別荘生活
今回のタイトルは・・・・ですが、あなたはどちらを選択しますか。

別荘を想い『新築別荘 or 中古別荘』ですが、自分が別荘を考えた時は土地を先に買い約一年後に建物が完成しました。
なので、新築と中古の選択が生じる事なく選択肢は決まっていました。
しかし、冷静に考えれば実際は沢山の選択肢があるのです。

思考の範囲を狭める必要はありません。
人間熱意など集中すると視野が狭くなるのです。
これは、生存していく為に進化の過程で人間が獲得した特質です。
堅く言いましたが、一つの事に集中すると他の事が見えないと言う事です。
すなわち、別荘が欲しいと願う気持ちが心の隅に沸き上がると、その事に神経がドンドン集中するのです。
今まで何も気が付かなかったのに、別荘に関することに絶えず心が留まるのです。
興味を抱かない人には、何の価値も無い情報ですが、その事に熱中している人には大切な大切な情報です。
と、言う事は情報も理想像も心の中で増殖していくのです。
理想化し偶像化して描いていくのです。
各個人の価値観で自分の描く別荘に近づくべく行動するのです。

ここで、一つ提案なんです。
夢が大きく心の中で描いていると、夢はドンドン肥大化していきます。
際限なく大きくなっても心の中にある内は何ら問題がありません。
具現化する時に経済的裏付けが必要になり、現実を認識するのです。

でも、それで良いのではと思う心持になりました。
新築である必要がありますか。
今は、沢山の中古物件が出ています。
その沢山の中には貴方の価値観、希望に合致する物件が有る筈です。

峠の我が家の前を散歩する老人と話しました。
その方は永住のようですが、色々の情報を頂きました。
今では、中古の物件を売ろうとしても、5分の一になれば良い方だと言っていました。
ですから、時間は掛かるかっもしれませんが、中古物件で自分の好みに合う物件を見つける事が出来れば大変安く入手できる筈です。

子供が玩具を手に入れる心境と変わる事のない心理状態から少し冷静になるのも良いかもとの提案です。
代々、子供孫と引き継いでいくのもよしですが、もし、一時期の別荘生活から都会生活に戻るにしても損失が少なくて済むのです。
損失と言う言葉がそぐわないかもしれませんが、夢から覚める時が必ず訪れます。
別荘を長期間利用するのであれば、現役時代に活用期間が長い事を考えるのも一案です。

リタイヤ後に永住する人には多分、このスレッドは何の役にも立たないと思います。
一時期のロングステイと考える人に意味ある事だと思います。

隣町の富士見町からPoan(信州富士見町情報誌)が送られてきました。
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#249 -’17. 別荘生活を想い 『その後は如何に』(4回目)

2017年08月21日 12時36分47秒 | 別荘生活
今回のスレッド・タイトルは何とも抽象的なその後は如何にです。
言いたい事は決まっていますが、その全体を指し示す良い言葉が想い浮かびません。

経年変化による色々な問題や生活環境の変化に依って什器備品に止まらず、別荘本体の断捨離問題を述べてみたいと思った次第です。

何を捨てるのか?
それは、その後は如何に生活を組み立てるかによって変わって来る三つの道です。
別荘をどのように遇するかと言う事、即ち後の人生を如何に過ごすかと言う大問題です。

〇 一番目は、終の棲家として、今流行りの言葉で少し気になりますが「スローライフとかロハス」都会から田舎に移住する事です。
文脈上は都会から逃れてが一番ピッタリしますが、都会から逃れるの逃れるが気に入りませんりませんので、使用しません。)田舎に移り住み生活を始める場合、即ち別荘を生活の本拠地にする場合は問題は生じません。
別荘の断捨離問題、即ち処分問題も発生しません。

〇 二番目は、子孫に残す事、即ち相続させることです。
相続させるのであれば、こちらも面倒な問題は取り敢えず生じません。
我が家の息子たちは、別荘に全く興味を示しません。
将来的に相続するにしても、管理がままならなければ朽ち果てて行くのみです。
それも少し悲しいと言わざると得ません。
その事を理解したうえで売るなり、使用するなりの決定は子or孫に任せる事になります。

〇 三番目は、別荘生活に区切りを付けて都会に戻るという選択です。
都会に戻ると言う事は、別荘生活と決別する事を意味します。
人は自分自身の決定した事に変更するのを躊躇します。
過去の判断(別荘を購入したことや、その別荘で田舎生活を始めた決断)に決別する事に対して深層心理下で納得できない無意識の感情が有るのです。
己の選択が誤っていたと捉えてしまい、適切な判断を狂わせるのです。
過去の判断を修正する事は何の躊躇も要らないし、今現在の状況のみに従い判断すべきなのです。
何事においても中断して撤退することの難しさでしょうか。
でも、作戦など過去の判断を否定することでも躊躇なく実行すべきだと思いますし、その決断力が必要かと思う次第です。

それでも、田舎生活していない私が言うのですから、何の説得力もありません。
ものは考えようです。
田舎生活を夢見る人は32%も居るそうです。
定年後の10年間程度のロングステイと捉えらば、幸せな人生を歩むことが出来る幸せな方だと思うのですが。


個人的には三番目の、ロングステイと捉えて都会に戻るのが一番賢い選択かと思う次第です。
田舎生活は精神的にはロハスな生活かもしれませんが、資源的にはロハスな生活ではないと思います。
いつかは免許を返上しなければならない。
長寿を得たとしたら、都会と比べて公共交通機関の抜け落ちた田舎では生きて行くだけでも大変だと思う次第です。

ここでの問題提起は、別荘を構えていても、いつかはこの地に落ち着くのか(一番目の田舎暮らしの終の棲家)、別荘としてそのまま所持し続(二番目の相続)けるのか、別荘での生活をロングステイと捉えて田舎を去るのか(三番目)と言う事です。
その決断の時期が必ず訪れる事です。

現実と夢
夢と現実でのせめぎ合いです。
どこで折り合いをつけるか、それでも妥協を排除し夢を叶えたいと思うのが人間です。
それでも、自分の事ながら一秒先は分かりません。
だから反対に悔いのない残りの人生を大切に生きたいと思う心を無碍にできないのです。

このスレッドを書いて感じた事を!
だからこそ人間らしく決断できないのが現実です。
決断できなくても良いのです。
それこそが人が人である証だと思うからです
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#247 -’17. 別荘生活を想い 『管理別荘地と管理無し別荘地』(3回目)

2017年08月18日 12時08分30秒 | 別荘生活
今回のスレッドタイトルは管理別荘地管理無し別荘の違いです。

私が別荘と言う言葉から思い描く物は管理事務所によって、不在時も維持管理の手助けがされている所のみを頭の中に描いていた。
原村に通うようになり、人により気に入った景色なり風景の地を選択する二地域住居なる選択肢もある事を知った。
私の個人的な思いは、生活感が濃厚に漂う地は別荘としては好みではない。
不在時に管理事務所によって管理されていない地、即ち田舎の中にポツンと紛れ込む形態もあると知ったほどでした。
別荘と言えば管理地との認識でした。
しかし、田舎の気に入った土地を探す事は大変ですが、見つける事が出来れば自己の想いの丈にピッタリの所が手に入る事もたしかです。

別荘にも管理別荘地管理無し別荘すなわち田舎の中の別荘地がありますので、この違いを述べる事にします。
過去のスレッドの『「別荘生活」と「田舎暮らし」』でも述べましたが、別荘と田舎生活は相いれない異質の物だと思っています。
(管理別荘地で田舎暮らしをしている人も沢山居りますので、只の個人的な考えです。)

管理別荘地の長所
 不在時の建物の管理です。
ここで言う管理は、管理する組織体に依っても違うと思いますが、樹木の倒壊の伴う建物の損傷など、外的なものに限ります。
室内は、緊急時などやその他の入室しないと確認できない事などのみです。
依頼する人は事前に鍵を預けて依頼しておきます。
別荘、建物、設備などの維持管理(メンテナンス)など依頼する事ができます。
例えば、薪ストーブの煙突掃除など、勿論有料です。
管理別荘地内の道路は私有地になるから、積雪時に地方自治体は除雪してくれない。
公道であっても自治体に在って除雪が完全ではない事があるが、別荘地内の除雪&敷地内(有料)は一定量降ると除雪してくれる。
購入する時原村は積雪は少ないですよとの事でしたが、結構積ります。
別荘地内にゴミステーションがあり、ゴミ出しで困る事はありません。
都会では考えられませんが、所に依ってはゴミ出しも苦労するようです。
それと、地域全体での集団での勤労奉仕がありません。
管理別荘地では、場所にもよりますがショップ・レストランなどの営業ができません。
窮屈ですが色々と規約で決められていて、週末に非日常的な癒しの空間を求めてくる人達を迎えています。
朝起きたら隣の森林が伐採されていて工場が建つこともソーラーパネルが設置される事もありません。

短所は年間の管理料がとられると言う事です。
敷地内に家屋が建っているか敷地の広さにも依って異なりますが、最低で年間12万円越え程度です。
それと、田舎生活をする場合は地元の人達との交流が乏しいみたいです。
地域に溶け込むには、子供を通しての学校行事への参加や共通の地域活動への係わりが欠かせません。
リタイアしてからの別荘での田舎生活では地域に溶け込む事は困難なようです。
管理別荘別荘地の永住者が肩を並べ傷口を舐めあっているようなお付き合いでは、地元の住民から益々排除されてしまうかもしれません。
管理別荘地での永住は地元に根を張る方々と交流は難しいようです。
管理別荘地は非日常的な場所を選ぶことから、自然が多くてディベロッパーが一括開発するとなると街の中心部から離れます。
その結果、買い物など店舗から遠い所に位置する事になります。
歩いていける1~2キロどころではありません。
所に依っては5~10キロぐらい離れる場合もあります。
車が運転出来ない事態になれば、そく買い物難民です。


二地域住居(管理されていない別荘)即ち、田舎での生活の長所です。
先に述べた管理別荘地の短所は長所に変わります。
管理費が掛かりませんから、余分な出費は排除できます。
自分の気に入った土地を探すにあたって、制約が無くなります。
この事が最大の利点かもしれませんが、リタイア後に田舎生活を望んでいる方にはもってこいです。
溶け込む意欲さえあれば、素敵な田舎ライフを送る事が出来ます。

短所は管理事務所が無い事に起因する事です。
例えば、別荘として使用して居る内は維持管理など全て自分でしなければなりません。
所に依ってはゴミ出しすら苦労するところがあるようです。
都会では地方自治体の責務だと思うのですが、所変われば品変わると言う事でしょうか。
地方生活したこと無い方はこの事を念頭におさめて置く事が必要です。
管理別荘地はディベロッパーが大規模に開発しますから、地域全体が別荘地です。
個人の敷地を買うことになりますから、別荘を建てた後近くにどんな家屋が建つなり施設ができるか分かりません。
数か月経ったら林が伐採されてソーラーパネルが並ぶかもしれません。

別荘として使うのか、現役時代は別荘として使用しリタイア後は田舎生活を行うのかと言う目的に依って決めるべきかもしれません。



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#245 -’17. 別荘生活を想い 『交通費』(2回目)

2017年08月15日 16時32分04秒 | 別荘生活
第二回目のスレッドタイトルは『交通費』です

今回の話題は別荘(以下、二地域住居も含みます。)としての交通費関係です。
田舎暮らしを始めた方の交通費は別途にアップします。
本来の生活空間から別荘などに移動する経費に関してです。

現役世代とリタイア世代でも異なりますが、収入が限定されたリタイア世代にとっては大きな問題になって来ます。
別荘地を探す時、自分の好きな地域が選択の基本である事が普通です。
その地域への愛情が湧き、心休まる場所である事に間違いはありません。
別荘ですから、公共交通機関での買い物やその他の事をこなす事はできません。
車での移動と言う事になります。

好きだと言うだけで別荘地を決定すると、その後の利用に制約を受けますとの問題提起です。
別荘地を選ぶときは好きな地、気に入った風景の地域などが選択条件になります。
でも、そこに一つの条件を追加する事をお勧めするのです。
如何に気に入った地であっても、その後の利用を考えると外せない必要絶対条件だと思うのです。

それは、都会から別荘に通う地域が近いと言う事です
近いと言う事は、高速道路代が安く済むと言う事。
車を運転して走る時間が短くて済むと言う事です。
短いと運転での疲労も少なくて済むのです。
歳を重ねて来れば来るほど、遠い地に別荘を選ぶと利用頻度が低下します。
それが現実なのです。

別荘をゲットする時、希望に胸ふくらませますから距離の事など思考回路から欠落しがちです。
間違えない為にも、良い面だけを見ずにその後の計画などを見つめる事が必要かと思います。
田舎生活を望んでいる方は、遠くても問題は無いですが移動が欠かせない別荘は大切な条件なのです。

別荘として二地域住居生活をするなら、移動は欠かせません。
重複しますが遠いいと言う事は、移動にお金が掛かる、時間が掛かる、疲労が増えると言う事を頭の片隅に入れて探す事を強くお勧めします。

因みに、私の利用頻度が少ないのは、遠いいからではありません。
渋滞が無ければ自宅から別荘まで二時間です。
距離も170キロを切ります。
なのに、別荘に行く機会が減ったのかは、熱意が失われたと言うか、その他諸々したい事が沢山あるからにすぎません。念の為。

過去の私のスレッドに「別荘利用曲線」なるものがありますのでご覧頂ければ尚理解いた蹴るかと。
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#244 -’17. 別荘生活を想い 『健康寿命』(1回目)

2017年08月14日 16時20分05秒 | 別荘生活
お盆のこの時期、過去の回想ではありませんが、一つの区切りとして別荘とは何ぞやとの総括です。
何回か別荘の入手などを書きましたので、我が家の別荘の入手などは割愛しますが、土地をゲットして17年が過ぎ、家ができて16年が過ぎて17年目にはいりました。
別荘を造ったばかりの心躍る時期とは少し異なる、今までの時間的経緯を経て思った事を中心にシリーズ化してアップする予定です。

今回はその一回目です。
タイトルは『健康寿命』です。


別荘地を入手して新しい夢の家が建った方々の沢山のブログなどがアップされています。
嬉しさの余り、客観性に乏しいとも感じる昨今です。
時間がたった事で初めて感じる客観的な評価をアップする積りですが、人それぞれ考え方も価値観も千差万別です。
第一回としてアップする事も別荘生活、田舎生活、二地域居住に対する個人の価値観が反映されるので客観性は薄れると言う事をご理解ください。

それでは、記念すべきすべき第一回目としての記述です。
別荘生活二地域住居そして、終の棲家としての田舎生活は全く異なると言う事です。
その為に初回は、別荘生活をしたいのか、二地域住居なのか、田舎に骨を埋める積りでの田舎生活なのか?
どれを選択するかに依って、その後の生活は全く異なると思います。
自分自身の価値観にあったどの生活を送りたいのか熟慮せねばなりません。
楽しい事、良い事のみに、頭の中で妄想を膨らませては失敗してしまいます。
 
どの選択肢を選ぶにしても、全てにおいて低下していく事を念頭に置かねばなりません。
特に大事なことは個人個人の健康問題です。
医療機関が近場にあるかなどの事もですが、健康寿命が大切なんです。
健康寿命と平均寿命とは乖離し、健康で生活できる健康寿命は10年前後短くなっています。
60歳で田舎暮らし、65歳で田舎暮らしの開始だと一般的な健康寿命は10年前後から5・6年になります。
決断する時は問題は無くても老いは確実に迫ってきます。
今の健康状況も今の経済状況も必ず低下するのが一般的です。
自己の価値観や生活に対する想いを重ねて決断せなば失敗してしまいます。
田舎生活、別荘生活などを夢の中で膨らませるだけではなく、健康収入との兼ね合いを考慮して決断せねばなりません。
この二点は何処で生活するにせよ一番大事な事である事は間違いありません。
重複しますが、今の健康が未来永劫続くことはありません。
買い物にも苦労するかもしれませんし、通院にも苦労するかもしれません。
それ程、自分自身の健康寿命は都会に居ても田舎に居ても重要なのです。
記念すべき第一回としてアップするスレッドのタイトルは『健康寿命を配慮せなばならない。』と言う事です。

老いても、死が訪れる時期をただ待つだけの人生は意味が無い事は間違いありません。
死ぬ時まで夢を描いてこそ人間ですから、田舎生活の夢を描く事も重要かもです。

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#184 -’17. 村民税

2017年06月16日 22時00分27秒 | 別荘生活
今日、原村から平成29年度 村民税・県民税(家屋敷)納税通知書が届いた。
決して高価な金額では無いが、まじまじと見入ってしまった。

二ヶ所に住居を構えると言う事は、二倍ではないが固定費が膨らむ事を意味する。

原村から届いた文書を一部引用させて頂くと:

        村・県民税(家屋敷課税)の賦課について

・・・・・・一部省略
さて、平成29年1月1日現在において、原村に事務所、事業者又は家屋敷を有する個人で、原村に住所を有しない方は、村・県民税個人均等割額5500円が課税されます・・・・以下省略。


水道も、LPガスも、別荘の管理費も、中部電力の電気代も、浄化槽の管理費&その組合費もかかるのです。
その上、今回は風呂場の漏水と浄化槽への配管の修理と。
まもなく、20年に近づいてきましたから家の維持管理の経費も設備類の更新もせねばならない時期になってきました。

頭の痛いこと。

現役時代であれば、日中の勤務も何のその、金曜日のこの時間が嬉しくてうれしくて。
お山にスタートする事の出来る嬉しい時、それが花金の夜でした。
遠い過去とは言いませんが、そんな気持ちも薄れてきてしまいました。
人の心は何と移り気なのかと、思はずにはいられない。
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#145 -’17. 別荘の憂鬱

2017年05月22日 17時02分01秒 | 別荘生活
都会と田舎に居を構えれば出費も嵩むし、色々と気苦労も生じる事は致し方ない。
ストレス解消として絶大な魅力を秘めて居た時なら、別荘の出費も気苦労も何ら問題にならない。
時と共に別荘に関する考え方も変わり、今回の峠の我が家から帰宅して感じた別荘の憂鬱をアップしてみる。
因みに別荘の憂鬱など今まで思った事もなかった。
今回、突然そんな言葉が脳裏に浮かんだのである。
現役世代には通用しない365日お休みの我が身と同じ境遇の人に当てはまる場合があるといった程度の事である。

別荘、何と響きのいい言葉なのだろうか。
でも実際は根っこの生えた住まいに他ならない。
お手伝いさんなどを雇える特別なお宅は別として、一日三食家内は台所に立たなければならない。
全く台所に立たない自分なので家内の憂鬱な事があるのかは分からない。
今回の事は炊事とは関係ない完全に自分の視野に立った視点からのスレッドである。

その視点とは『形として存在する物は必ず壊れたり、消失すると言う事実である。』

今回の直接の原因は風呂場からの水漏れである。
外で作業をしていて、見るとはなしに水が滴り落ちる事に目が留まった。
水抜き水通しを行うボイラーの配管の下の方のパイプを巻く断熱材の所からヒーターの配線が出ている所からである。
最初は、ボイラーに直結する二本の太いパイプからだと思ったほどである。
そのには三ケ所のバルブがある。
其処を開けて閉めてみたが水の流出は収まらない。
量的にはポタポタが早い程度であるが、視線を上にあげると黒いビニールテープの所からであった。
其処からはヒーターの配線が出ている。
室内に入り、ボイラーの設置してある一番近い床下収納庫を外して脚立を立てて降りてみた。
お風呂場の下コンクリートに水か溜まっているではないか。
その水の逃げ場として断熱材の所から外部に出ていたのである。
ランプで照らしても正確には何処が原因の場所か特定できない。
コンクリートに滴り落ちる所は分かるがどこから伝わってくるのは正確には特定できない。
16年経つから壊れる所など出ても致し方ない。
その他の場所でも二ヶ所程、問題点が出ているので修理など依頼せねばならない。
そんな事を考えると帰宅してから憂鬱になったしまった。
お風呂の水漏れは必ず修理せねばならない。

その他の二ヶ所の内の一ヶ所はトイレである。
INAX(今はリクセル)のシャワー・トイレが点検時期の到来でスイッチが点滅している。
故障はしていないが、点検するまで点滅が点灯に変わらない。
此れも、心理的な負担になる。
後の一ヶ所は台所の排水が外部の集合桝に通じる所で配管が外れたようだ。
凍結深度より深いとこに埋めてあるようだが、以前にも一度壊れて修理してもらった事がある。
今回は、昨年の秋に気が付いたが、冬になるのでそのままにして春に修理する事にした。
今回の、風呂場の水漏れとこちらの排水管の修理依頼で頭がいたい。
形のあるもの外的な力など加えずとも、経年変化で壊れるのは致し方ないと思うが、その為に時間を割き、金銭的な出費が嵩み、渉外せねばならぬのが鬱陶しいのである。

鬱陶しいと思えば思う程、心に闇雲が覆いだすから前向きに考えた方が良いのは確かだが、自然にこの事に気が行ってしまうのである。

理解していても、やっぱり憂鬱で有る事に変わりがない。




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#224 -’16. 刈払機にナイロンコードカッターを装着して

2016年08月13日 13時12分30秒 | 別荘生活
管理別荘地に在って我が家の敷地内はそれ程草刈していない方だと思う。
個人的な考えだが、本来そこに在るべき雑草は此処での植生だから可能な限り残すようにしている。
しかし、管理別荘地では最低限度の管理を行わなければならない。
都会でも、ゴミ屋敷が最近話題に上るが、正しく管理されていない別荘地も又その価値を減じてしまう。
また、美観的にも見苦しいと訪れた他の別荘利用者に不快感を与えてしまう。
こんな事を考えつつ、別荘地は都会の花壇のお庭ではないし、家庭菜園も問題だと思っている。
人それぞれ考え方が異なるが、許容範囲内での管理にとどめている。
それでも、初夏から初秋までは原村でも草ぼうぼうに成ってしまう。
通路と景観を加味して刈払機で草刈に励まないといけない季節である。
ご近所に騒音をまき散らすエンジン刈払機。
静かだけど、パワーに欠ける電動刈払機がある。
原村の広い敷地内で利用するなら、充電式で無ければ長いコードが必要になるし、コード捌きしながらの作業になってしまう。

今年も何度か草刈を行ったので、建物の周りや石などの周りを丁寧に行いたいと思っていると、ディスクの刃では不可能だ。
鉄製のディスクカッターから以前も利用した事がある、ナイロンコードカッタ-に付け替えて作業をおこなった。
ナイロンコードカッターが二本ち切れて、新しい物に二本付け替えた。

以前も感じた事があるが、ナイロンコードカッター利用時の特性を述べて見たい
刈払い機の利用は時計で言えば9時から12時の刃の所を利用するのが基本だ。
意図的に他の所を利用する事もあるがディスクの回転(反時計回り)からして左側に刈った物が飛ぶことになる。
それがナイロンコードカッターになると回転を上げる事もあり、且つ切ると言うより弾き飛ばす感じで、砕石などの小砂利が我が身に飛んで来るのである。
小さな砂利とは言え高速ですからこれが結構痛い。
それを避けるのは本来の利用位置ではない、5時から2時の間の位置で刈り取ると小石などが前方に飛び、自分自身の所に飛んでこないのである。
ナイロンコードカッター利用時の鉄則である。


刈払機の利用の仕方はこちらです。

ディスクカッターからナイロンコードカッターに変えるので、ついでに刈払機のドライブシャフトにグリスを給油した。
グリスカップが付いていないから、意図的にグリスを補給しなければならない。
オートバイの動力伝達でもチェーンから車のようにドライブシャフトで行う物がある。
エンジンカッターはエンジンの動力をシャフトの回転を介して前方のディスクに伝えているのである。
なので、ドライブシャフトの所にはグリスアップが必ず必要なのである。

画像と共にその説明を行ってみる。

錆さびのディスクカッターを外して、ナイロンコードカッターを準備し終わったところ。
真中にあるのが刈払機用のグリスです。
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グリスアップ用のボルトナットを取り外しです。
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此方からグリスアップです。
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こちらのディスクカッターが付いて居た所でプラスチックのディスクに付け替える所です。
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此方からグリスを注入しますが、これが大変です。
グリスですから流動性が低く高い圧力を加えないとグリスが出てこないのである。
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ナイロンコードカッターを取り付けるディスクです。
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本体に取り付けです。
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本来のネジとは逆回転です。
エンジンカッターが廻る時緩まず、自然にしまって行く方向にする為にこのネジのみ逆切りです。
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コードカッターが完全に取りつきました。
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ディスクなら当たらないが、コードカッターだと飛散防護カバーに当たってしまうので少しずらした。
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スパナレンチでは舐める危険性があるので、可能な限りメガネレンチを使用する事にしている。
メガネレンチは六角形全面を囲うので角を舐めてしまう事が無いのである。
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今回は皮手袋をしていたので小石が飛んできても若干痛みを和らげる事が出来たのは幸いである。
エンジンチェーンソーの修理の時に大怪我する危険な事態に合った事がある。
その時以来、可能なら皮手袋を着用するようにしている。
装備は、危険を軽減します。
是非とも安全に配慮して作業をせねばと思い起しました。
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#364 -’15. 今年の原村を振り返り

2015年12月28日 10時24分44秒 | 別荘生活
今年の原村での別荘生活を振り返り。
以前であれば、原村に行けば必ずニコンのデジカメで撮影して何かを記録として残してきた。
しかし、今年は写真すら撮らずに帰って来たことが多くなってしまった。
HDのデータを見れば何月何日に行き、どこでどんな事をしたとの記録が必ずのこった。
それが、写真も撮らず、お山の家に行けば、近所の観光もせず渋滞を気にして直ぐに帰って来る日が続いてしまった。
興味の対象は限りなく薄れてしまった。
今年はいつお邪魔してどこに行き、どんなことをしたのかを確認するには自分のブログの『お山の日記』を閲覧せねば分からないと言う程になってしまった。

リタイヤしてからの別荘生活の方のブログを見ても更新回数が極端に減ってきている所を見ると我が家と殆ど変わらないのが現実の様だ。
現役時代にお山に来られる日を指折り数えていたのにである。
時の流れと気持ちの移ろいの何と儚い事か!
一年を締めくくる為にスレッドを立ち上げるべく、調べてみた。
その結果、今年2015年にお山にお邪魔した回数は13回であった。
年間30回をゆうに超えていた事を思い起すと隔世の感がある。
それでも月一ではお邪魔していたようだ。

原村から来年の家屋利用実績報告書(平成28年分)が送付されてきた。
今年の利用実績を提出する事で固定資産税が減額される。
今年は毎月利用の条件を達成できたので申請する積りである。

我が家の今年の利用で以前と大きく変わった事がある。
それは、連泊する事が殆ど無くなったことである。
連泊しても二泊が最高であった。
別荘のご近所には沢山の観光地や名所旧跡があるのにお邪魔する事が全くなくなった。
別荘地を購入して家を建てる前から蓼科には足繁く通っていた事もあるがご近所は行き尽くした感がある。
子供たちが幼い頃の白樺湖は大好きだった。
湖面には白樺の木の立枯れた姿がそれこそ素晴らしい景観を漂わせていた。
(上高地の大正池の白樺の立枯れた木々と同じであった。)
今では全く行かなくなってしまった蓼科牧場や第二蓼科牧場や御泉水公園など子供を連れて一日過ごすには最高の所だった。

峠の我が家ではネット環境がスマホ以外は利用出来ない事も大きく影響していのかもしれない。
こんな事を思う今年一年の別荘利用の状況であった。


画像は今日の10時のおやつで母と一緒に頂いた。
美味しいと喜んでもらえたので最高だ。


こちらは家内がネットの宅配にはまり届いた物。
ふるさと納税ならぬふるさと割があるとの事。
たった今届いた、そのふるさと割で3割引きになった前沢牛です。




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#331 -’15. 口コミ評価(別荘の評価も含めて)

2015年11月21日 17時49分56秒 | 別荘生活
ネットに溢れる口コミ評価は客観的也や?と感じるのは自分だけなのか。

自分のブログを含めて沢山の物事に対して、口コミ評価されるスレッドが立ち上がっている。
対象物は身近な所では買ったり、ネットオークションで落札した物まで多種雑多です。
全てではないが、家内もネットで買い求めた物の送料が浮く時は、口コミ評価をしている。
届いたばかりなのに、尚且つ未だ殆ど使って居ない内での製品に対する評価である。
多分、欲しい物を手に入れて気持ちは高まり、送料が無料になるとくれば厳しい判断はし難い状況である。
性能や使い勝手や機能評価と言うより、表示されていたものと違いが無ければ高評価になる。
性能面などは当たり障りの無い事をアップする事になる。
購入したてで客観的な評価を下せと言うのが土台無理かもしれない。
購入したての物に対する評価は、客観的でないし評価を下すには時間が短すぎる事を斟酌せねばならない。

欲しくて欲しくて手に入れた物ほど自分の物に出来た満足感・仕合感があり主観的な評価に陥り易い。
人間誰でも当たり前のことである。
物に依っては夢にまで見て、喉から手が出る程欲しかった物をゲットできたのである。
客観的な評価を下せと言うのが間違いなのである。
手に入れた事が嬉しくて嬉しくて、その嬉しさを誰かと分かち合いたいのである。
また、自分がこれ程気に入っていた物をゲットできたと自慢したいのである。
その物に対する思い入れが有れば有るほど、客観性は薄れて色眼鏡を掛けた主観的な判断に陥るのである。
主観的な評価に陥ったからと言って非難する事はできないのである。
個人個人の評価が沢山集まれば、そこには少しづつ客観性が派生してくるのである。
沢山の口コミが集まらねば客観的な事実と少し離れているかもしれない事を念頭に置いて置かねばならない。

別荘の購入に伴う口コミ評価について

口コミと言う言葉がそぐわないかもしれないが、同じ心理状態と言う事で此処から別荘等に付いての口コミです。
自分の描く状況に近い地を探し回り、何度も現地を訪れて吟味に吟味を重ねるのが一般的である。
土地が決まり、次の問題が建物である。
問題と言うとネガティブな意味に取られるかもしれないが、一般的には夢の具現化なのである。
だから当人は嬉しくて嬉しくて心が躍るのである。
土地に関する執着心も建物に関する思入れも大きければ大きいほど、口コミ評価という意味ではその評価は高くなる。
土地に対する愛着、建物に関する心意気。
子供に例えれば、欲しいと願っていたおもちゃをてにしたのである。

我が家で言えばそれではホームページかブログでも作り、別荘での出来事やご近所の出来事をアップしようかとなる。
最初の頃は新しい情報をアップする事で記事もあるが、一年二年そして月日が経つと、毎年変わる事の無い歳時記になるのである。
この時期はこのお話、この時期はこの場所での景色や風景鑑賞と。
アップする本人も熱意が失われてくるのは致し方ない。
その熱意の喪失が別荘に対する客観的な口コミ評価なのであろうか。
現役世代とリタイヤ世代では評価は相反する事になるのかもしれない。
現役時代には、仕事と言うストレスからの解放で別荘に行ける日を指折り数えていた。
リタイアすると、実生活のストレスも無くなり別荘の意味合いが殆どなくなる。
ホームページの記事やブログの記事のアップが少なる成るとそろそろ熱意も失われつつある予兆か。

現役時代なら必ずお山に行っていた筈の三連休でも東京に居る我が身を思いこんな事を考えてしまった。





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#172 -’15. 5月23日の日記

2015年05月23日 01時14分06秒 | 別荘生活
【5月23日の日記】午前1時14分
撮影は全てスマホです。

お山のに植えたお花が気になり、急遽出掛け事と相成った。
日曜日に予定が入っているので早く帰らねばならない。
ならば、土曜日に日付けが変わった直後に小淵沢インターを通過するように出発した。
こちらに来ていれば、朝一番から花壇に植えた花に水をやる事が出来る。

どこで買ったか忘れてしまったウォーカの素敵な小瓶。


【峠の我が家の草花】午前8時58分
朝一番に敷地内の草花を観察。
それと言うのも、敷地内のそこかしこに木の枝に満開の白い花が咲いている。
久しぶりにゆっくりと木々と草花を愛でてきた。
ズミ(こなし)の10数本あるとは思ってもいなかった。
赤い蕾がほころび白い花に変わっていくところが大好きだ。

咲いてしまったズミ。
読み返して気が付いた可笑しな言い回し「咲いてしまったズミ。」
この言葉の中に込められている自分の気持ちを表すと。
ズミの淡い赤い蕾が少し咲き出すと、淡いピンク色にそして完全に咲くと純白の花に変わるズミ。
その変遷、変化が大好き。



自生しているズミ。




終わりかけたクサボケです。
勿論、こちらも自生しているもの。



自生のヤマツツジです。



以前に生えていたところのイカリソウは消えて久しい。
我が家の敷地内からは絶滅していたと思っていた。
それが、今朝見つけるできた。
見つけられたのも嬉しいが、それら(上記)が植栽した物でなく、自然に自生して花を咲かせてくれているのが嬉しい。




草丈がほんの数センチの可愛らしい可愛らしい自生のハルリンドウです。
注意せねば踏み潰してしまう。
この草の植生からか、美味しがった所より通路上に生えている事が多い気がする。
もしかすると、草が生い茂る所では只見つける事が出来て否だけかもしれないが、この丈では太陽の光を浴びる事は叶わない。




自生しているレンゲツツジ。



自生していたタチツボすみ




植栽したブルーベリーの花が咲いた.



植栽したジュンベリーの花は終わり、小さな可愛らしい実を付けていた。



秋の紅葉が美しいので植栽したドウダンツツジ。


到着した時は特段寒くは感じなかった。
朝起きて見ると室温は16℃だった。
直ぐに薪ストーブを焚いた。
それでも、お日さまが上りだすと、ウグイ、カッコウ、ホトトギスがにきだした。



朝一番に敷地内の草花を観察。
それと言うのも、敷地内のそこかしこに木の枝に満開の白い花が咲いている。
久しぶりにゆっくりと木々と草花を愛でてきた。
ズミ(こなし)の10数本あるとは思ってもいなかった。
赤い蕾がほころび白い花に変わっていくところが大好きだ。


【お昼とお買い物】午後3時19分

家内が花壇に植えた、草花の手入れを終えて部屋に戻って来た
昼食をどこにいくかとなった。
竜神亭、ガムラスタンなど候補に上がった。
しかし、今日は土曜日である。
都会から来た観光客で混むのは必定で却下。
食後の買い物も考えて柚子の香に行って来た。
大正解であった。

自分が頼んだのは、海鮮ちらし丼セットで家内が頼んだのは、特選にぎりセット。









観光客、別荘族も来ていないこともリーズナブルな値段設定になる。
大満足の昼食でした。
美味しいし、満腹になりました。









この最後のデザートが今までに食べた事のない絶品です。
杏仁豆腐だと思うのだが、食感も味もちょっと違う。
まるで、アイスと杏仁豆腐がコラボレーションしたような絶品です。



D2とスーパーによって御柱街道を上って峠の我が家に帰り着いたのが午後2時でした。








【蜂の巣退治】午後5時55分

草木が生い茂り、昆虫達も活動開始。
我が家の敷地内のみ退治です。
早いものです。
蜂が巣を作っていました。
自然界の法則にのっとているだけですが、最低限排除している。
今シーズン、初退治です。


デッキにパラソルを出して、サラのC D を聴いている。


外では煩い位、鶯が鳴いている。
長閑な原村です。





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#062 -’15. 地方で第二の人生応援

2015年02月22日 15時27分05秒 | 別荘生活
昨日の日経新聞の夕刊のそれも一面に載っていた記事に異論反論オブジェクションです。
一寸古い言い回しですが。

日経の記事を引用すると:

地方で第二の人生応援 政府が有識者会議 移住に補助を検討 
 政府は高齢者の都会から地方への移住を支援する。バリアフリーの高齢者向け住宅をつくり、近くで生涯学習やボランティアなどができる仕組みを整える。健康なうちに地方に移り住み、退職後の「第二の人生」を楽しめるようにする。地方創生の目玉事業と位置づけ、月内にも有識者会議を立ち上げて財政支援などの具体策の検討に入る。
 政府が元気な高齢者の地方移住としてモデルとしているのが、米国で広がる「CCRC」と呼ばれる高齢者向け居住施設。』・・・・・略・・・・・。


政府が昨年実施した世論調査によると、東京に住む60代のうち地方に「移住する予定」か「移住したい」と答えた人は全体の約3割に達する。

自然界に存在する社会は生まれたての赤ちゃんから、棺桶に片足つっこんお迎え直前の自分達(自分で自分たちの世代を老人と言うのには少し抵抗があるが。)のような老人まで包含しているのがあるべき姿だ。
その中間にある幼稚園児からリタイヤ手前の壮年層まで雑多の如く混在しているのが社会です。
幼い子供は老人と接して色々の事を学び、老人は子供から元気を頂く。
本来のあるべき姿だ。
老人と接する事も無しに成人して行く子供たちに、目上の人に対して思いやりとか尊敬や畏敬の念がうまれるのだろうか。
そんな不自然な社会を政府が音頭をとって造ろうとしている。
自分の考えから自然にそのような社会ができるのなら致し方ない。
でも、公的な政府が旗を振って作るものではないと思う。

地方創生の目玉にする積りのようだが役人の貧弱な発想だ。
時が経てば地方自治体に財政赤字をもたらすことになる。
働かない世代の老人が地方に住んで、10年も経てば社会保障(健康保険など)の諸経費が財政を圧迫するのは目に見えている。
限界集落の元をつくるのであろうか。
高齢者が地方に移住してはいけないと言っているのではありません。
音頭をとって政府が行うべきものでは無いと言っているのです。
一時に同世代の者が移住するのは良くないと言っているのです。
都会である東京でも地方と同じ限界集落が存在するのです。
地方から出てきた世代が公団住宅に大挙して居を構えた団地。
新宿の戸山団地も多摩地区の巨大団地なども。
子供たちが成人して家を離れて団地に住むのは日本の経済発展を支えた団塊世代より少し上の方々でしょうか。
自然界に存在する社会とは言えない、偏った世代の集まる限界集落そのものです。
今では子供の遊ぶ声も聞こえない街になりました。
まるで、サイレント・スプリング(邦題沈黙の春)の如くの世界です。
反対に子供の声が五月蠅いと怒る老人も・・・・ですが。

有識者と言うのが曲者です。
役人の発想にお墨付きを与える方達です。
選択するのが役人ですから政策にOKを出すのは目に見えています。
農業の進歩に貢献すべき農業空港などその最たる失敗例です。
補助金が農業の発展に何ら寄与していないのです。
今回の発想も地方の創生に寄与するのでしょうか。
一時的には人口が増える事で消費経済の拡大はします。
でも、その損益分岐点も直ぐに逆転してしまいます。
真に地方発展に寄与するならば、雇用の場を地方に作るべきです。
例えば、市ヶ谷にある国の大集団の組織を地方に移転する。
それだけで、大きな地方発展になり、且つ都心の広大な土地を活用して国家財政を改善できます。
首都防衛を果たす為に東京の一等地に鎮座しているのは大昔の理論です。(近衛)
地方再生の為に地方に移転してその跡地を活用した方が国家財政も改善すること間違いなしです。
地方創生の為には国家機関を地方分散を促進すべきです。
本題から離れたので少し戻します。

新聞に載っていた『CCRC』が自分が20年以上前に知った物と同じか分かりませんが。
アメリカのリタイヤした世代が温暖なフロリダやアリゾナに移住して理想郷を造った。
警察官も老人たちです。
勿論腰にはピストルを下げていますが、ボランティアでした。
日本とはこれ程違うのかと思ったものでした。

同じ感じで日本では成り立つのでしょうか。

政府が音頭を取らずに、民間企業なり人それぞれが選択するのが本旨だと思う。
最後はまとまらなくなってしまったが、いつもの事なのでご容赦のほど。
時間が有れば加筆更正したいが何もせずに時間のみ過ぎ去る事になる筈。





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#060 -’15. うららかな春の如きに思うこと

2015年02月21日 12時53分18秒 | 別荘生活
毎日が休日の我が身にとってそれ程、土日が重要な意味合いを持たなくなって久しい。

以前で有れば土曜日の到来を指折り数えていた。
それと言うのも、金曜日の夜か土曜日の早朝に原村の峠の我が家に向かう為であった。
東京に帰宅した日曜日の夜に次に行ける日を夢見たいたのが遠い遠い過去になってしまった。
少しの変化は有っても、一年サイクルの歳時記の如くの時の移ろいも脳裏に記憶されているし、写真のデータとしてもファイルされている。
今の時期の凛とした早朝の静けさも、瞬時に脳裏に浮かぶ。
その「森は生きている」の如き静寂の中の白い雪一面の景色は捨てがたい。
なのに、人間の何とうつろ気のことよ。

そんな事を考えたのも土曜日である事を意識したからに相違ない。
我が家の近所でも車の行き来も少なくなり、時間の流れが緩やかに感じられる土曜日の昼下がり。
麗らかな春を感じさせる長閑さだ。
気温も10℃を超えてポカポカと春を感じずにはいられない。

原村を故郷と思えば、「故郷は遠くにありておもうもの」でしょうか。
それ程、遠くに感じる原村なりや。


15年におよぶ原村の生活を終える気はありませんが、遠くに遠くになるのは事実。
田舎生活を最初から夢見ていなかった自分であるが、時と共に心の変化は如何ともしがたい。


リタイヤ後、田舎生活を夢見た人も時の変遷と共に心が変わり、田舎を去るか? or 都会と決別して田舎に残るか? 決断の時が訪れるのだろうか。

本日の日経の夕刊に田舎暮らしの記事が載っていた。
この項を含めて後日アップする予定。
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#003 -’15. 別荘に有ると良い物

2015年01月02日 21時24分58秒 | 別荘生活
別荘に有ると良いもの、無くても良いもの編です。

峠の我が家には設置されて居ない床暖房です。

隣の芝生は青く見えるでしょうか。
それとも無いものねだりでしょうか。

峠の我が家を建築するとき床暖房に付いては全く問題にならなかった。
床暖房の話が有っても費用対効果などを勘案して却下していたかもしれないが俎上にすら上らなかった。

建て代えて30年近く経つ自宅ですら設計の段階で床暖房とセントラル掃除機の話がでた。
今より機器に関する信頼性の低い時に取り入れるか検討した。
直ぐに却下したのはセントラル掃除機である。
家のどの部屋でも掃除機の配管が伸びている。
掃除機を持ち運ばずに、先端部分を接続すれば良いとの、時代を先取りした感じだった。
でも、機器が壊れずとも、配管途中に吸い込んではいけない物を吸い込んでしまった時の事を考えた。
つまり物を取り除くだけで床を剥がさねばならないのではとの思いで取り止めた訳である。

床暖房は触手が伸びたが、器具の信頼性に一抹の不安が有った為にこちらも取り止めた。
(売却してしまったマンションには床暖房が設置されていた。)

今、考えて見ると峠の我が家こそ必要な機器ではなかったのではと思う次第。
マイナスの熱量を蓄えた(冷えたとの意味)家の床や壁を暖めるの有効な手段だ。
床面積の広い峠の我が家(+温度にしろ、-温度にしろ質量の大きな家)では、建物の断熱効果が高くても冷え切っているのである。
家を暖めた熱は断熱効果が高いので奪われて行くのは少ない。
しかし、冬の原村は冷凍庫の庫内に居るのと変わる事がない。
家全体の蓄熱効果が現れるのは翌日になってしまう。
一旦家が暖まれば、奪われる熱量だけ補えば良いので暖房機器は薪ストーブと反射型石油ストーブの二台の巡航運転になる。

では、今になって何故に床暖房の必要性を感じるようになったのかとの事である。

寒さも何のその、凍結した真冬の原村でも癒しの効果が勝っていた現役時代。
寒さも、雪かきも楽しいエクササイズで有った現役時代。
しかし、いつでも行けるし、諸々のエクササイズが大きなマイナス面になり、行く気を削ぐようになったリタイア時代。

リタイア時代なってみて感じる心地よい環境とはどんなものなのか?
ホテルのような至れり尽くせりを望ものではないが。
それでも全て自分で行わなければならない別荘での諸々の用事。
それがスイッチ一つで床がポカポカ暖かくなる。
こんなに良い事はない。

薪ストーブと石油ストーブ機器で暖を取ると空気は直ぐに暖まる。
でも、床等が暖められた空気に触れて薄らと泣き出すのである。
素足でも勿論、フローリングの床は寒くて歩けない。

時々しかお邪魔しない別荘と永住の住宅では、どちらが床暖房を必要とするか?
思考では、いつも利用する機会の多い永住向きと考える人が多いかも。
しかし、自分が考えるに別荘にこそ床暖房の良さが光るのである。
永住で有れば一旦、建物が一定の熱量を蓄熱すれば床暖房は必要としない。
熱効率の良い暖房に切り替えて済むのである。
勿論、床暖房が熱効率が良く維持管理を含めて低経費ならそれでよい。
反対に、別荘は到着すると建物は冷え切っている。
建物が暖まった頃には、別荘を後にしなければならない。
その時、対流熱、輻射熱を以て建物を暖めるのには時間が掛かるのである。
エアコンも各種ストーブも空気を暖めてその熱で建物を暖めるのである。
暖まった空気が冷え切ったフローリングや壁に触れて、飽和水蒸気を水分に変えて泣いてしまうのである。
床暖房なら伝導熱でフローリングを暖め、床が泣く事も無く快適にすごせる。

只、費用対効果の問題もあるので、経費的な事は十分に検討する必要がある。

画像は2005年12月25日に撮影した原村は白樺のこみちです。






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