週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#094 -’24. 金沢市立安江金箔工芸館を見学して

2024年04月25日 21時16分44秒 | 国内旅行

ひがし茶屋街の街歩きの次に訪れたのが、金沢市立安江金箔工芸館です。漆器と金箔で頭に浮かぶのが金沢です。延性率の高い金ですから、凄い薄さまで金の延べ棒が伸びる事は知られています。

次にHPから金箔工芸館の概要を引用させて頂きます。

金沢市立安江金箔工芸館の概要

現在、わが国で生産される金箔のほとんどが金沢で作られています。
当館は、金箔職人であった安江孝明氏(1898~1997)が、「金箔職人の誇りとその証」を後世に残したいとの思いから、私財を投じ金箔にちなむ美術品や道具類を収集し、北安江の金箔工芸館で展示したことが始まりとなっています。その後、館は、本市に寄贈され、国内で唯一の金箔の博物館として運営されてきましたが、周辺の状況の変化や館の老朽化のため、平成22年秋に東山に移転しました。町屋の蔵をイメージした新しい館には、金箔が使われている箇所がいくつかあります。外壁に表示した館名や入口の館名ロゴ、ホールの天井にあるドームには、純金3号色といわれる金箔が貼られています。館内には、新しく金沢箔技術振興研究所が設置され、金沢箔の振興のために金箔に関する調査研究に取り組んでいます。藩政期には、幕府により厳しく生産を制限されていた金箔ですが、今日の金沢で100パーセントに近い生産量を誇る背景には、金箔に対する金沢の人たちの並々ならぬ情熱と努力があったからにほかなりません。工芸館では、金箔に関する美術品や金箔の性質の紹介とともに、厚さ1万分の1ミリメートルの金箔に込められた、先人たちの熱い思いを紹介していきたいと思っています。
皆様のご来館を職員一同心からお待ちしています。

1     美術館等は、月曜日が休館のことが多いのですが、こちらは火曜日でしたので、見学することができました。

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4 金銀銅と三品目が展示されていますが、勿論価値の高い金のみレプリカです。

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7 延性の高さゆえに出来る薄さの金箔です。

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9    金と他の金属との重さの比較が体験できます。 自分もこちらを持ち上げて重さを実感する事が出来ました。重さは図にある通り、イリジウム 密度(比重) 22.56 /㎤  > 白金(プラチナ)密度 21.45/㎤  >金 密度 19.3/㎤  >鉛 密度 11.35/㎤  >銀 密度 10.5/㎤  >銅 密度 8.96/㎤  >鉄 比重 7.87/㎤  > ・・・・・。黑い丸いぼっちが付いている所は引き上げて重さを体感する事ができます。

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13    「100枚の金箔」と名付けられたオブジェです。流石に照明が当たっていても、そのあたり場所に因り金の箔の透過具合により明るさが異なります。

14    金箔が、惜しみなく使用されている金沢仏壇です。

15    リーフレットの表紙を飾る、洛中洛外図屏風です。(伝  岩佐勝重   江戸時代初期)

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17     能装束の代表ともいえる豪華な唐織の装束です。

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19 洗面所の花瓶が倒れ、金箔が流れています。その上を歩いたのは?

我が家のナナちゃんの悪戯ではありません。念の為

20     床や階段にも

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22      入口にある金箔を張ったテーブルと椅子です。テーブルには、金箔が140枚、椅子には53枚使われています。

最期にこちら金沢市立安江金箔工芸館を見学しての個人的な感想です。

沢山の方がひがし茶屋街等を探索していましたが、こちらに見学に訪れて居たのはヨーロッパ系のご夫婦一組だけと日本人が数名でした。落ち着いてみることが出来、且つ低料金でした。拝見したVTRそして、そこには四季の金沢が美しく描かれており素敵な奥深い金沢の工芸の歴史を、垣間見る事ができました。

時間が許すんであれば、ひがし茶屋街からも主計町茶屋街からも近いですから、是非立ち寄る事を強くお勧めします。

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#093 -’24. ひがし茶屋町そぞろ歩き

2024年04月25日 11時12分33秒 | 国内旅行

金沢文化を代表する茶屋街のひとつ。和の趣を感じるフォトジェニックな写真を撮影するには最適なスポットです。着物をレンタルした女性観光客が伝統的な町並みをバックに撮影している姿が多く見られます。また、格式ある割烹や、お洒落な町家カフェ、伝統工芸品を扱うセレクトショップなどが立ち並び、金沢らしいグルメやショッピングが楽しめます。作家・五木寛之作品『朱鷺の墓』の舞台としても有名。外国人観光客も多く、情緒溢れる古い町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。金沢旅物語から引用させて頂きました。)

1 柳が風になびき弁柄色(べんがらいろ)の外壁と奥に続く茶屋街などをと相俟って、この広場は観光の集合離散場所としてフォトジェニックな装いを呈している。

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3 お茶屋さんでアップした志摩の建物内でも多用されていた弁柄色が退色に強い事で外装が独特の風情を醸し出している。

4 創業寛永二年の加賀藩御用菓子司の森八です。

5 持ち帰りし易い葛きりを買い求めました。

6     ひがし茶屋街の入口にある明治創業の老舗の洋食店です。

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8 我が家はこちらの懐華楼さんではなく同じお茶屋さんですが、志摩さんに入り見学しました。時間があればこちらの懐華楼さんにもお邪魔したかったですが、パスして次に進みました。

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13 造り酒屋なのかも、新酒が出来ると杉玉を軒先に吊るして新しいお酒が出来た事を知らせる役目を果たします。

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15 麩と言えば・・・・・です。

16 玄関脇になど沢山の玄関先で見かけたこちらのトウモロコシを飾った物。気になり調べてみると『魔除けになると言うトウモロコシ。古くは雷避けのお守りが転じて、家内安全や無病息災のお守りにもなった』そうです。

17 こちらも石川の地酒です。ひがしやま酒楽さんです。

18    東山菅原神社です。

19      桜が満開の宇田須神社です。

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24 桜が咲きこぼれる境内には、沢山のサクラの花びらならぬ桜の花一輪毎おちていました。桜の花が開花した後に低温に成ると花一輪ごと落ちる事もあるようですが。いたずらする小鳥さんがいるようです。正確には盗蜜する為に一輪丸ごと口にくわえるそうです。嘴の関係か上手く蜜のみを吸い受粉を手助けする事が出来ないようで、丸ごと一輪嘴で千切り盗蜜するとの事。椿ではありませんが、桜吹雪も素敵ですが、桜の花の絨毯も素敵です。

25 ウエザーニュースからの引用です。

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28 真宗大谷派の藤島山と号する円長山です。

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#092 -’24. 志摩・ひがし茶屋街(その二)

2024年04月24日 09時38分04秒 | 国内旅行

ひがし茶屋街の志摩のそのニです。1階に降りてきました。

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2      階段を降りると、石室がありました。石室は、石組み造りの地下貯蔵庫です。工事中となっていました。

3    台所です。

4     料理は、仕出し屋から取り寄せていました。棚にある徳利などの道具類は、ここで使われていたのでしょう。

5    井戸、は、創建当時のまま残っているそうです。

6 井戸の上には竹が組まれて蓋がされています。つるべ式の井戸のようですが一番原始的な方法です。

7     廁屋をでたところにある、手水です。こちらも風情があります。

下の香炉?は、丁子風炉で防臭に用いたそうです。

8  一階、奥棟に「寒村庵」があります。ここは、重要文化財ではありません。(日本茶生活からの借用です。)

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10      ここで、庭を眺めながらお抹茶とお菓子を、腰掛けて頂きました。

カウンターは、足をおろせる掘りこたつ式です。

11 寒村庵から中庭を眺めながら抹茶を頂きます。

12 日本の粋を感じさせる丸窓には竹細工が良く似合います。

13   葉っぱは、椿ですが、お菓子は桜をイメージしています。

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15   幼い頃我が家にも着物を懸けておく二つ折りに出来る衣桁(いこう)がありました。帯が掛けられています。

16 お茶屋として使用されたいた頃の資料などが展示されています。こちらは一階です。

17   芸妓さんが、お化粧など、お座敷にでる準備をしていた部屋です。今は、漆器、金工、焼き物など、当時の品々が展示されています。

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19   帳場です。芸妓名、時間などを記帳し、精算は、後日だそうです。

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#091 -’24. 志摩・ひがし茶屋街(その一)

2024年04月20日 17時15分29秒 | 国内旅行

京都・島原の角屋と、ここ金沢のひがし茶屋街にある志摩が国指定重要文化財指定されています。

志摩のHPから説明文を引用させて頂きます。

ひがし茶屋街

ひがし茶屋街は文政三年(1820)に加賀藩がこの近辺に点在していたお茶屋をここに集めて町割りしたものである。
格子戸と大戸、それに二階の造りが高い町並みは、藩政時代の面影を今も残している。ここでの遊びといっても、琴、三弦、舞、謡曲、茶の湯から、和歌、俳諧に及ぶものであり、巾広く高い技能と教養が要求され「芸どころ金沢」の礎となった。
現在この茶屋街は、国の重要伝統的建造物群保存地区となっている。

志摩(国指定重要文化財)

「志摩」は、文政三年(1820)に建てられたお茶屋の建物で、これまで手を加えることなく、江戸時代そのままに残っており、学術的にも貴重な文化遺産として高く評価されている。

お茶屋は、2階を客間とし、押し入れや物入れ等は作らず、あくまでも遊興を主体とした粋な造りとなっている

 

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3 見学は、靴を脱いで、展示物保護のため、荷物をロッカーに預けます。撮影はスマホのみOKです。

3’ 階段を上がって二階からの見学です。スペイン語をしゃべっている団体フランス語をしゃべる人が多かったです。

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6 芸を見せる芸妓さんなどと共に男衆の太鼓から来た太鼓持ちでしょうか。お囃子で場をもりあげるのでしょうか。至って庶民的な感じがします。

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9       2階から中庭を

10 三味線が何棹もならんでいます。鐘と太鼓と三味線とクラリネットとくれば、新装開店などの宣伝で子供の頃、チンドン屋さんに付いて行った記憶があります。今では死語ですし知らない方も多いかと。(宣伝媒体で見かけなくなった物:アドバルーン、セスナ機による広告を牽引しチラシを空中から散布することなど、今で思うと良く許可されたと思うほどです。)

11 掛軸が掛かっているので床の間かと思います。そしてお琴がありますから、本来は床の間に置くのは・・・・ですが、ここを背にして主客が座り前の所とその前座敷で芸を披露されるかと。

12 琵琶法師の楽器の琵琶です。果物の枇杷では漢字が異なることを今知りました。

13 チンドン屋さんの太鼓そのままです。

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16 前座敷の説明です。

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18 ベンガラ色の壁に春慶塗りの違い棚が調和したひろまだそうです。

19 こちらは下半分のおなじひろまです。

20 とか武士は食わねど高楊枝を何処か思いおこします。江戸っ子にも通じる武士の魂なのかも。町人も沢山いましたが、人口割合では地方から江戸詰め武士と、参勤交代で江戸に上る武士で武士が多かった為かも。

21 三味線が何棹もかかっていました。嘘か本当か知りませんが、猫派の猫好きの我が家にとっては許せいない・・・・です。本当なんでしょうか。

22 ガマが居る理由を知りたいです。ガマの口にお金が入る、がま口と何か共通項がありそうな。ガマの前には小銭が・・・・です。

23 歌舞伎や能を見て感じる事ですが、指先が凄く痛いのではと心配しながら見ています。

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25 囲炉裏や沢山の火鉢などで暖をとったのでしょうか、天井が燻っています。

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#090 -’24. ホテルをチェックアウトし、ひがし茶屋街へ(序)

2024年04月20日 09時14分39秒 | 国内旅行

今回の一泊二日の金沢の旅もやっと二日目の朝を迎えました。

前日は満開の金沢城などのサクラを堪能しての二日目です。

帰京の新幹線も決まっていますので、朝食後チェックアウトして荷物をホテルに預けて、出発です。先ずは金沢駅にバスで向かい、乗り換えてのひがし茶屋街観光です。

1 ホテルで金沢観光用に使用する一日乗車券を購入しています。心置きなく利用できます。先日TVで放映していた金沢の旅でも映像に写っていた中田屋さんなどです。

2 橋場町緑地と火の見櫓(再建されたもの)です。

3 浅野川両岸の桜並木が満開でした。

4 橋場町緑地に建つ火の見櫓から上流方面に向かっての一枚です。画面左は浅野川です。

5 浅野川大橋中央は金沢市の眺望点として登録されているようです。遠くに見える卯辰山、戸室山などです。

6 上流方面を撮影した物と思われます。

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9 浅野川大橋を渡りひがし茶屋街に向かう途中で出会った保育園児のようでした。どこでも幼い子供たちは可愛いですね。

10 歴史を感じさせる商店の造りで一枚。

11 一番最初にきんつばの中田屋さんの前を通りましたので荷物になるとはおもいましたが、買ってしまいました。二階でお茶ときんつば等頂けますが、買い物だけで先を急ぎました。

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13 ひがし茶屋休憩館に向かいました。

14 歩き回る程あるいていませんが、無料休憩館の文字が目に入り近いし向かいました。

15 完全な復元保存ではなく手を加えて補強などしての保存だと教えて貰らいました。

16 鉄製では無いので実際に使っていなかったようです。茅葺屋根には茅を保護するために家の中で火を焚き、大黒柱・梁や柱や茅葺などコーティングする事で保護する事が重要かと。

17 突き当りの所に階段を兼ねた箪笥がありますが、二階は無いとの事でした。

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#088 -’24. 兼六園の春

2024年04月18日 23時18分33秒 | 国内旅行

金沢城公園の石川門を潜り、日本三名園の兼六園に向かいます。

兼六園を観賞すると言うより、最短距離を歩いたに過ぎません。兼六園の雰囲気と香りを肌に沁み込ませた程度です。

次の三枚の画像は兼六園のホームぺージからの借用です。

 

すぐれた景観の代名詞「六勝(ろくしょう)」

六勝とは、[宏大(こうだい)][幽邃(ゆうすい)][人力(じんりょく)][蒼古(そうこ)][水泉(すいせん)][眺望(ちょうぼう)]のこと。宋の時代の書物『洛陽名園記(らくようめいえんき)』には、「洛人云う園圃(えんぽ)の勝 相兼ぬる能わざるは六 宏大を務るは幽邃少なし 人力勝るは蒼古少なし 水泉多きは眺望難し 此の六を兼ねるは 惟湖園のみ」という記述があります。その伝えるところは、以下の通りです。「庭園では六つのすぐれた景観を兼ね備えることはできない。広々とした様子(宏大)を表そうとすれば、静寂と奥深さ(幽邃)が少なくなってしまう。人の手が加わったところ(人力)には、古びた趣(蒼古)が乏しい。また、滝や池など(水泉)を多くすれば、遠くを眺めることができない」そして、「この六つの景観が共存しているのは湖園(こえん)だけだ」と結ぶのです。すばらしい景観を持した庭園として賞された湖園。兼六園は、この湖園に似つかわしく、六勝を兼ね備えているという理由から、文政5年(1822)、その名を与えられました。

 

1 こちらは金沢城公園の石川橋からのサクラです。

2 いま来た道を振り返り。

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4 兼六園に入る直前から道が狭い事も有り沢山の人の流れに従い歩を進めました。

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6 徽軫灯籠(ことじとうろう)

足の形状がお琴の弦を支え音程を決める琴柱(ことじ)に似ている事から琴柱と呼ばれるそうです。

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9 原村に峠の我が家にある赤松とは大違いですが、枝ぶりも芸術的で美しいです。

10 六つの内の一つであり特に眺望(ちょうぼう)が素晴らしい、超膨台です。

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20 その台座石です。

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23 ここを下ればホテルに戻る一番近い真弓坂口です。

24 振り返った所は瓢池です。

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28 真弓坂で大通りにでます。そのすぐ先には21世紀美術館もありました、地震の被害で開館していないようでした。

29 特別名勝 兼六園 真弓坂口を出て。

30 歩いてもホテルまで10分程度ですが、バスを待つ停留所からです。

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#086 -’24. 満開の桜を石川橋上から眺め

2024年04月17日 20時00分01秒 | 国内旅行

時は令和6年4月7日(日曜日)午後3時45分撮影の 一枚目からです。

石川門を出てお堀通りを跨ぐ緑青の噴く石川橋からの満開の桜です。

30枚目の最後の写真を撮影した時刻は午後3時50分の4~5分間でした。

人混みを避けて出来るかぎり人物が入らない様にした積りでした。

そんな配慮も出来ない程の大勢の人が立ち止まるから余計に渋滞し混雑していました。しかし、それに値する素晴らしさでした。その原因を作っている我が家の夫婦ですが。

1 石川門を潜り石川橋の方向に視線が行くと綺麗な満開の桜とそれを愛でる多くの方々が目に飛び込んできました。

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18 緑青が噴いているように見えますが良く考えると、橋の欄干は多分鉄製かと思われます。青銅では価格的に見合わない感じですし。で、緑青色と言うべきか群青色少し明るくした感じでした。

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22 いつもは空いていると思われる通りも大渋滞です。

23 前方は兼六園です。

24 太陽の方向を向いていますから白飛びしている感じです。目には大変美しく鮮やかな桜を満喫できました。

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26 石川橋から右手後方を撮影しています。写っているのは石川門にある櫓です。

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29 百間堀と言う名前がついていますが、今は車が通る大通りになっています。

百間堀金沢城ガイド―攻城団より引用)

百間堀は金沢城でもっとも幅が広く規模の大きい外堀でした。現在、百間堀は埋め立てられて道路になっています。兼六園と金沢城石川門の間に走っている道路なので、バスで訪問する際にはまさに百間堀跡を走ってると思います。
当時の百間堀には土橋が架かっていました。

 

30 私達は石川橋を渡り兼六園に向かいます。

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#084 -’24. 橋爪門から三の丸広場を通り石川門へ

2024年04月15日 16時10分42秒 | 国内旅行

半日で金沢の有名処の観光地を見て回るのは不可能です。歩いた中での一代イベントが金沢城公園内の金沢城です。兼六園めぐりのHPから一部引用させて頂きました。

兼六園と金沢城公園

金沢城公園は、加賀百万石前田家の居城であった城が一般に広く開放された歴史的空間です。外庭であった兼六園と共に石川県民の宝であり、多くの方にその素晴らしさを是非とも味わったいただきたいと思います。
重要文化財に指定されている「石川門」「三十間長屋」「鶴丸倉庫」のような歴史的な建造物、近年再建された「菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓」の壮大さ、また本丸園地付近で感じられる豊富な植物や動物など、見どころがいっぱいです。
そんな金沢城公園の概要と見どころをご紹介したいと思います。

今回アップするのは橋爪門から三の丸広場を経て石川門までです。

1 左側の五十間長屋の一段下がっ道の先の橋爪門を通ります。

2 高札の通り橋爪門の直前です、進入禁止の階段を上ると五十間長屋二出ます。

3 直線的に攻め込まれない様に90度通路が曲がり、小さな枡場の所に誘い込みここで撃退します。(橋爪門の所も石川門の所も同じ構造です。)

4 最初の橋爪門を潜り、小さな広場を直角に左に曲がり、こちらの門を潜り橋を渡るとその先は三の丸広場です。

5 橋爪橋から右手の建物を撮影しました。名がしかと分かりません。一番手前に写っているのは橋の欄干です。

6 お濠の先に見えるのは石川門に併設されている櫓です。

7 左に見えるのは五十間長屋です。

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10 三の丸広場の先に見えるのが実質大手門に相当する河北門(かほくもん)です。立派な門が復元されましたが、ここを通り新丸広場方面に向かう時間はありませんでした。

11 左手遠くに見えるのが五十間長屋で、右手に見えるのが河北門です。撮影している後方が石川門です。 

12 河北門(かほくもん)に寄って撮影です。

13 兼六園に向かう為に石川門に向かいます。

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15 想像以上に桜が満開で日曜日の午後を多くの方が満喫していました。

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18 不鮮明ですが、赤い所が現在地で右方向の兼六園に向かっています。潜る門は石川門でお堀通りを立体交差で通過します。

19 防御を高めるためにロの字型に造られた石川門を潜り、石川橋を渡ります。橋の上からの満開のサクラを愛でるために橋の上は大混雑です。

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#080 -’24. 五十間長屋に向かい(菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓)

2024年04月13日 16時09分14秒 | 国内旅行

玉泉院丸庭園を左手に見ながら工事中の二の丸を越えて五十間長屋に向かいました。本丸園地・二の丸広場(工事中)・三の丸広場と金沢城公園を最短で横切ります。午後の半日ですから、時間は有効に使用するために素敵な所もショートカットです。

🔵 金沢城公園

天正11(1583)年、前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。
キリシタン大名として知られる高山右近を招き、築城の指導をを仰いだと伝えられています。
西丁口から尾坂口へと大手が変更されたのもこの頃です。
しかし、当時は城内に重臣たちの屋敷があり、決して広い城ではありませんでした。
慶長7(1602)年、落雷により天守が焼失した後、天守は再建されず、
本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられました。

寛永8(1631)年の火災の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより
城の構造が変化するなかで、武家屋敷も城外へと出されました。
内堀を掘り、土を掻き上げて各曲輪が区画されていきました。

宝暦9(1759)年の火災では、城のほとんどを焼失しました。
その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、
本丸の櫓は再建されませんでした。
細工所が新丸から堂形へ移されたのもこの時期です。現存する石川門は、
この後天明8(1788)年に再建されたものです。

平成13年に復元された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、
文化5(1808)年の二の丸火災の後再建され、明治14(1881)年の火災で焼失したもので、
安政頃の景観を再現しました。金沢城公園HPから引用させて頂きました。)

🔵 金沢城公園(菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓・橋爪門)

石川の伝統を今に伝える金沢城公園

石川県を代表する景観が広がる金沢城公園。そのシンボルともいえるのが、「菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓・橋爪門」。外観の素晴らしさはもちろんのこと、史料に基づき史実を尊重し、伝統的な木造軸組工法で復元した内部も必見です。また、公園全域が国指定史跡金沢城跡に指定されています。文化の森お出かけパスのHPから引用させていただきました。)

1 左手の覆いで囲まれている所は二の丸広場で工事中か遺構など調査している感じです。その覆いの先に見える櫓が五十間長屋に連なる菱櫓です。

2 正面に見えるのが五十間長屋です。こちらは有料施設ですが、我ら二人は65歳以上なので無料でした。

3 右手に見える橋・極楽橋を渡ると重要文化財の三十軒長屋です。

4 一番右手の坂の所の門が橋爪門でこの後に向かう三の丸広場方向です。長屋の屋根越しに見えるのが橋爪門続櫓です。

5 平成13年に忠実に復元建築された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓です。

6 弓などで相手を攻撃する時にも活躍する狭間です。城外を観察る目的もありますが今回は満開の桜を愛でる事ができました。

7 その狭間越しに三の丸広場の先の石川門方面を望んでいます。

8 日本の伝統的な建築工法である木造軸組工法です。

9 本丸園地の方角を望んでいます。今は無き本丸です。

10 橋爪門続櫓の内部です。開口部にはその空間を利用してエレベーターを設置したようです。

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12 本来、火災などで焼失する前の全景が模型で再現されています。

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19 二の丸広場です。

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21 木造軸組工法を示した模型が展示されていました。

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23 モニター画面設置されて画像を見る事が出来る場所には電気カーペットで暖をとる事が出来るようになっていました。

24 石を確保しておき上から落とす方法で壁や石塀等を登って来る敵を撃退します。

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28 橋爪門を潜り三の橋を渡り三の丸広場に出ます。

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#079 -’24. 玉泉庵(玉泉院丸庭園)で抹茶を頂いて

2024年04月13日 05時00分01秒 | 国内旅行

尾山神社から鼠多門橋を渡り金沢城公園(玉泉庵)に向かいます。

金沢城公園マップ

 

金沢城公園 玉泉院丸公園

玉泉庵

江戸時代に露地役所(庭の整備管理に関する役所)があった場所に休憩所「玉泉庵」を整備しました。
室内からは、色紙短冊積石垣をはじめとした意匠性に富んだ石垣群を借景に庭園を一望することができます。
また、週末の夜間はライトアップされた幻想的な姿をお楽しみいただけます。
和室では抹茶と季節ごとのオリジナル上生菓子で呈茶を行うほか、茶会など貸切りで専用利用もできます。(金沢城公園のHPから引用です。)

 

1 早速、尾山神社の裏手から正面に鼠多門を望み橋を渡り金沢城公園に向かいます。橋の名前も鼠多門橋です。

2 金沢城公園には金沢大学が在ったとの事。今はありませんが。

3     尾山神社を抜けて、金沢城公園へ向かいますが所々に能登半島地震の爪痕が残っています。

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5 最初見た時は、東ヨーロッパの建物などに窓の絵を描き実際には存在しない騙し絵的にみえました。余りにも鮮やかなのでそんな印象を感じたのかも。騙し絵ではありません。

6 道路を飛び越えて鼠多門橋を渡り金沢城公園に行けますから良い構造です。

7 能登半島地震により通行できない箇所などが明示されています。金沢の観光地を只眺めていると何も感じませんがやっぱり大変な元旦でした。

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10     鼠多門と鼠多門橋。金沢城の西側、黒い海鼠漆喰が特徴の鼠多門です。

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12    二の丸広場に向かっています。

13    玉泉院丸庭園は、城内に引かれた辰巳用水を水源とする池泉回遊式の大名庭園で、高低差が22mもある立体的な庭園です。

14 今回の訪問時は地震の影響で玉泉院丸庭園に入る事はかないませんでした。

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16    玉泉院丸庭園の前の玉泉庵で一服です。

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19     玉泉庵のお部屋から、抹茶を頂きながら、お庭を拝見です。

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21    季節の上生菓子は、森八の春愁だそうです。上品なお菓子でした。

22   器は、ブルーが九谷焼で茶色が大樋焼です。

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29     枝垂れ桜は、3分咲き?位かな

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35     本来なら、玉泉院丸庭園の中も観られるのですが、能登半島地震に寄り一部崩壊したため、通り抜けできませんでした。

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#077 -'24. 長町武家屋敷そぞろ歩き編

2024年04月12日 10時17分52秒 | 国内旅行

野村屋敷跡にも多くの素敵な所がありましたが、長町武家屋敷として一括でアップします。

1 マンホール蓋ですが、金沢市の紋章だとおもいます。

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6    犀川を水源として長町を流れる用水で、古くから人々の生活の場で重要な役割を果たしてきました。武家屋敷の土塀を背に流れる用水は、昔と変わらない風情と情緒を感じられます。(金沢旅物語より)

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8 ここ迄が大野庄用水の写真です。

9 旧加賀藩士高田家跡です。

復元された長屋門と池泉回遊式庭園

高田家は平士に属する中級武士で、家構えに長屋門が許されていました。門左側に厩、右側が仲間部屋(ちゅうげんべや)となっており、当時のくらしぶりがわかります。大野庄用水を取水した庭園も見どころです。(金沢・長町武家屋敷 散策マップから引用です。)

 

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12 重厚な枝ぶりの赤松が枝を伸ばしています。

13 また、大野庄用水の通りへ。桜が綺麗に咲いています。

14 金沢市の足軽資料館です。

    屋根は昔ながらの石がおいてあります。

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 加賀藩足軽の堅実な暮らしぶり

加賀藩の下級武士足軽が住んでいた清水家、高西家を移築しました。当時、足軽は庭付き一戸建ての屋敷に住み、質素に暮らしていました。ここでは、足軽の暮らしや歴史を紹介しています。 (散策マップから引用です。)

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17  六脚の膳が備えられていますが、一番手前の上座の席は当主のようです。この席のみ徳利がありますから、お酒を頂いているようです。その対面の一番奥にはお櫃らしき物が置かれています。配膳などの給仕を行っていたようです。(鹿児島の薩摩藩の学友から聞いた話では、畳の間から一段下がった板の間の所が今の主婦のせきだったと。)

18 炊事も今と同じ板の間です。土間ではありませんから寒さ厳しき金沢にあっては家の暖も取れるようにしたのかも。

19 寅さんの世界でしょうか。柳行李(やなぎこうり)があります。

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#075 -’24. 加賀藩千二百石野村家・武家屋敷跡

2024年04月11日 19時52分27秒 | 国内旅行

加賀藩で千二百石の禄を食んでいた野村家の武家屋敷跡です。20240411123124

頂いた説明文から一部引用させて頂きます。

野村家跡

天正十一年(1583)藩祖前田利家が金沢城に入城して、加賀百万石の基礎が築かれたのである。直臣として従った野村伝兵衛信貞家は、禄高千石から千二百石と累進して、代々を御馬廻組々頭、各奉行職を歴任し、この地に千有坪(三千平方米余)の屋敷を拝領し、家督は十一代にわたって、明治四年の廃藩に至った由緒ぶかい家柄である。  以下省略

世界が認めた日本庭園と建築美

石畳や土塀など、往時の面影が今も色濃く残る長町武家屋敷跡。その界隈で唯一、一般公開されているのが武家屋敷跡 野村家です。格式のある建物と風情のある庭園が見事に調和しています。加賀藩のお抱え絵師によって、「上段の間」に描かれた襖絵や野村家伝来の刀剣、甲冑等は必見です。2009年発行の外国人観光客向けガイドブック『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』で二つ星として紹介。米国庭園専門誌の2003年度日本庭園ランキングでも3位に選ばれています。  (金沢旅物語から引用させて頂きました。)

 

1 武家屋敷としては、移築された事もあり破格の庭に感じた。素晴らしい歴史を今に残す家構である。

2 欧米人が沢山訪問していました。

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5 奥の間の床の間と段違い棚です。

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8    上段の間です

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10    仏間の掛け軸です。

11 不細工をよしとしない棟梁のこだわりの釘隠しの細工ものです。

12 日本刀の歴史が脈々と受け継がれて、刃物を研ぐ日本の調理人など源流でしょうか。美しくそれで且つ強く切れ味の素晴らしい刀鍛冶の匠の世界です。

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14 鐙です。

15 キセルや灰皿など蒔絵が施された煙草盆です。

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17 女子の武具としての感覚が強いですが、剣道と薙刀で勝負した所を観たことが有りますが、脛を切り付けられますから剣道では歯が立ちませんでした。

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20 12進法かと漠然と思っていましたが、日本では4進法だったと今回はじめて知りました。

21      濡れ縁で座ったまま観ることが出きる庭園です。

22 この箱の中にうぐいすを入れて鳴き声を聴くのだそうです。

23     茶室への途中に手水鉢がありました。

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26     2階にある茶室(不莫庵)です。

27 天井の形が船形している形式かも。

28 桐板天井に神代杉の一枚板をおき、緑松で押さえた珍しい茶室との説明が書いてありました。意図して虫などにくわれた風の造形美の天井の様です。

29 野村伝兵衛の着用した甲冑です。腕は自由に動くように鎖帷子なんですね。でも、防御力は弱そうですが。

30 すべての襖絵には、保護のためのアクリル板がはめ込まれていました。

31 盆栽の如くですが木の幹の中心部の所が枯れて朽ち果てています。外側の年輪的に新しい所が木として生きているようです。

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#073 -’24. JR東日本を利用して(グランクラス)

2024年04月10日 14時37分51秒 | 国内旅行

スーツ君のユーチューブ動画を見てJR東日本の最上級クラスのグランクラスなるカテゴリーを知りました。京都や奈良など関西方面ですとJR東海ですからグリーン車しかありません。乗る機会がありませんでしたが、今回は短時間ですが乗るチャンスに恵まれたのでグラン・クラスに乗車してみました。

今回、自分が驚いたのはスマホPASMOで総て完結した事です。その為に紙などに印字されたものが何もないです。JR東海ですと東京駅新幹線改札をスイカやパスモで通過すると新幹線乗車券ならぬ座席標が超高速で出券されます。JR東日本では、新幹線改札機を自分の登録したPASMOで通過するとメールが届きました。(新幹線改札を通過した事と座席番号が明記された物が届きます。)

グランクラスの特典 ① ビューゴールド・ラウンジが利用できます。(本来はビューゴールドカード保持者用みたいです。)② 90分以内の利用で、ソフトドリンクなど頂けます。 乗車後は亦、格別のサービスがあります。今回の乗車は我が家の二人のみでした。一番前に予約していたキャンセルか変更したようで、我が家貸切のコンパートメントでした。 

頂いたリーフレットから引用させて頂きます。

 

Smart Premium Cabin

自分らしく過ごすための

心地よさをたいせつにしている。

本質を見極めながら、

必要な価値を賢く選びとっていく。

そんなあなたにふさわしい、

極上のプレミアム空間をご用意しました。

18人の特別なお客様

お一人おひとりの気持ちに寄り添い、

この上なく上質な時間を

お約束いたします。

〇 お飲み物 リフレッシュメント、おつまみ、茶菓子にも合うお飲み物をご用意してあります。

 お酒  ビール、ワイン(赤・白)、日本酒、コニャック、ノンアルコールスパークリングワイン

 温かいお飲み物  日本茶、ハーブティー、コーヒー

 冷たいお飲み物  りんごジュース、黒烏龍茶、コーヒー

〇 アメニティ 

  スリッパ、靴ベラ、ブランケット

〇 リフレッシュメント(軽いお食事)

  洋食、和食

〇 おつまみ

  米沢牛いりささみ

〇茶菓子

  蔵王クリームチースとレモンのパンウドケーキ

以上要点のみ引用しました。

1 東京駅でのビューゴールド・ラウンジを利用しました。利用時刻は午前八時からですが、新幹線が出発する時刻が午前8時33分発のかがやき521号です。ラウンジでノンビリしてられませんが、次のグランクラスに遅らせる事無く、旅を優先しました。この時も8時ジャストのラウンジに入り接待を受けたのは、我が家の二人だけでした。

2 飲み物はカフェラテをお願いしました。クッキーと一緒に持ってきてくださいました。

帰る時に、今回は特別にペットボトルのお水も頂きました。

3 記念にラウンジのトイレにも寄ってきました。

4 北陸新幹線の改札を通過するとネットから予約した家内の所にメールが届きます。スイカでタッチしても何のチケット類も出てこないので、係員の方に尋ねてしまいました。同じJRですが、JR東海とJR東日本では微妙にシステムがことなるですね。

 

5 発車10分前程にはホームに上がって新幹線が入線していれば写真を撮る積りでいました。大きなバゲージを置く場所も指定されているようでした。

6 かがやき521号の先頭は12号車で運転席と通り抜けが無いように先頭にグランクラスの18席が確保されています。

7 清掃が完了するまで少し待ってから乗車しました。

8 六角の一角が変化したGのロゴマーク使用した感じです。桜のシーズンにマッチさせたわけではありませんが、豪華さを醸し出していました。

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10 グランクラスのコンパートメントに入ると白い皮張りの三列シートが並んでいました。リクライニングしても座席の外側のシェルは動きません。他の方シートを倒す事でのご迷惑はかけない造りです。

11 こちらは一人用の席です。

12 一番前まで行って撮影させて頂きました。こんな感じです。

13 我が家の席です。

14 前席の間に冊子やスリッパが入っていました。

15 グランクラスアテンダントの方が最初にメニューと米沢牛入りさらみ、ペットボトルのお水のセットをサーブしてくれました。

16 飲み物はビールを頂き、軽食は私は和食を、家内は洋食をお願いしました。缶ビールもプレミアムでした。

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18 こちらは家内の洋食と信州産りんごの缶ジュースです。

左上のパウンドケーキは、希望すれば頂けます。

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20 地上駅の東京駅を出発して上野駅では地下駅に下り、日暮里駅辺りで地上に出て来た新幹線です。

21 田端駅辺りを通過です。見える木々は桜で有名な飛鳥山公園あたりです。都電も急勾配を上って行くところです。

22 遠くに残雪が見える軽井沢辺りです。

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#071 -’24. 4月8日の朝食です。

2024年04月08日 08時12分44秒 | 国内旅行

今日は花まつりです。

金沢東急ホテルは、花まつりに関連する飾り付けは有りませんでした。

ちょっと寂しくもありますが✨

バイキングの朝食会場は98%位、欧米人でした。日本人もほんの少しです。中国人は皆無でした。

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#070 -’24. 金沢駅に到着

2024年04月08日 06時41分40秒 | 国内旅行

金沢駅に11時過ぎに到着です。乗車したのはかがやき521号で東京駅8時33分発です。金澤到着は午前11時07分でした。写真の東京行は金澤到着時に反対ホームに停車中のかがやき528号です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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