〇京都アニメ火災から
非常に沢山の方が一人の方の放火から命を落としたようである。
犯人の心の中にそれほどまでの憎しみを植え付けたのは何だったのか?
憎しみを心の中で培養して大きくせずに小さくしていく方策や憎しみ自体の芽を摘む心を作るのはどうすれば良いのだろうか?
事実関係が分からない状態では何とも言い難いが、言わずにはいられない。
この火事の災難で前途ある有為な若き人々が亡くなった事に対し心より哀悼の意を表します。
〇選挙妨害
朝日新聞デジタルの記事の引用です。(廃刊になるべき新聞と思っていますので他社の記事をネットで探しましたが見つかりませんでしたので引用元とします。)
「選挙妨害か確認中」と道警見解変える ヤジの市民排除」
札幌市で安倍晋三総理の街頭演説中にヤジを飛ばした市民を警官が取り押さえて排除した行為について、北海道警は17日、聴衆同士のトラブルを防ぐための通常の警察活動だったと説明した。当初は、ヤジが公職選挙法違反(選挙の自由妨害)にあたる「おそれがある」としていたが、「事実確認中」と見解を変えた。
演説者が総理に限らず、政見の演説を妨害することは是とされるべきなのでしょうか。
選挙演説でない場合、一般的には一市民が自分の考えなどを発言することに対し国家権力(ここでは北海道警察ですから国家権力では無く地方自治体なので公権力と言うべきかも。)が表現の自由に対し制限する事として問題がありそうに形式上は見えます。
しかし、その実態は演説者の表現を妨害しているにしか過ぎません。
大切な民意を国会や地方議会に反映する選挙活動に於いてその判断材料を奪う行為です。
先の衆議院選挙などでも特定の集団に属すると思われる一部の人々のヤジや怒号や同一プラカードなどに依って演説が妨害されました。
これは、憲法に保障する基本的人権の表現の自由と呼べるものでしょうか?
私個人としては甚だ疑問です。
(第21条1項では『 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する 』 と定めている。
この表現の自由は、個人の自己実現とともに、
民主政治を支える重要な自由でもある。
表現の自由は内心の自由とは異なり、個人の自由や権利との関係で 「 制限 」 が必要とされる場合がある。
プライバシーの保護や公共の福祉の為に最小限の制約を是としている。
しかし、選挙運動時での運動妨害にも民主主義を否定するものとして活用すべきであると思わずにはいられない。
選挙ポスターを剥がす事とと、選挙運動(選挙演説)を妨害することは民主主義に対する挑戦であり何ら法的に保護されるべき自由ではないとの社会通念が醸成されるべきである。
自説と異なるからと演説や表現を妨害することが本当に良い事なのであろうか。
社会として、公権力の介入をまたずに自発的に妨害活動が起こらない事が最善の社会と思うのだが。
その前段階として、形式的ではなく本質的な成熟した民主主義の世の中になるまでは排除すべきであると強く感じる。
(朝日新聞は憲法で保障された表現の自由を公権力が犯したとの立場のようである。)
今朝のヨーグルトです。