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●地域と収入の格差 マネーが人を支配する時代
世界経済は米国覇権死守の煽りをうけ、極めて軟調な展開になっている。その死守に走る米国経済が真実堅調であるなら、現状のようなグローバル経済環境において、米国一人勝ちはあり得ないのである。その米国経済は経済指標となる統計数値が良好なものに見せるために、金融業界にと不動産を自動車に置き換えて、サブプライムローンに拍車をかけている。つまり、その証拠ではないが、金融と自動車産業が一見好調の波に乗り、ウォールストリートを賑わしている。このような怪しげない数値でも、その場凌ぎは出来るわけで、市場を賑わすネタさえ提供すれば、後は金融業界のミッションになる。まあ、創造景気が起きているのは事実だからねつ造だとは言えないあたりが、実に憎いのである。
アメリカ政府には関わりのないところで、米国景気はつくられているが、そのような幻想的統計数値を見せかけと知りつつ、見逃しているのだから、一種未必の故意と阿吽の呼吸が合致し、利益損得で両輪が回っているのだろう。しかし、アベノミクス同様に、創造された好景気なのだから、必ずや夢は醒めることになる。日経新聞に限らず、日本のマスメディアは14日の東京株式市場が敗北的364円安をつけた事実を明確に報道していない(書いてはいるがベタ扱いだ)。にもかかわらず、明日は戻り相場になりそうだなどと、そう云う予測だけはトピック扱いになっている。
米国景気が堅調な理由は、返済が可能かどうか考えずに、貸し手がいれば、借りるだけ借りた者の価値と云う価値観さえあるように思える。アメリカン・ドリームを夢みて、キリギリス的生き様がアメリカンなのだろう。ゆえに、高橋洋一氏のような経済学者が排出するのだが、宇沢氏が口走ったように、竹中平蔵なんてのは、経済学者でもないには、筆者も吹きだした。まあ、おしゃべりはこの位にして、以下の朝日の記事を読んでみよう。考えさせられる問題点が多数見つかる。記事の後で、筆者なりの考えを簡単に披露してみようと思う。
≪ 大学進学率の地域差、20年で2倍 大都市集中で二極化
大都市と地方で高校生の大学進学率の差が広がっている。今春の文部科学省の調査から朝日新聞が算出すると、都道府県別で最上位と最下位の差は40ポイント。20年で2倍になった。家計状況と大学の都市集中が主因とみられる。住む場所の違いで高校生の進路が狭まりかねず、経済支援の充実などを求める意見がある。
文科省の学校基本調査(速報値)から、4年制大学に進んだ高卒生の割合を、高校がある都道府県別に算出した。今春は全国で110万1543人が高校(全日・定時・通信制と中等教育学校)を卒業。大学には浪人生を含む59万3596人が入学(帰国子女など除く)。進学率は53・9%だった。
都道府県別では東京の72・5%が最高で、次いで京都(65・4%)、神奈川(64・3%)、兵庫(61・7%)など。最低は鹿児島の32・1%で、低い順に岩手(38・4%)、青森(38・6%)など。40%未満は5県だった。
大都市圏では愛知と大阪が58・1%、福岡52・8%などだった。
進学率は20年前に比べて全都道府県で上昇し、全国平均も32・8%から21・1ポイント伸びた。一方、都道府県別の最大差は広がり、1994年の19・4ポイント(東京=40・8%と沖縄=21・4%)の約2倍になった。
拡大の一因は大都市圏での進学率の急上昇。大学の集中が進み、20年間で東京は32ポイント、京都は27ポイント、神奈川は25ポイント伸びた。今春は南関東と京阪神の全7都府県が上位1~10位に入り、2大都市圏の高い進学率が目立つ。
下位地域は伸びが鈍く、20年間で鹿児島8ポイント、岩手16ポイント、青森17ポイントだった。下位には従来、北海道・東北・九州の道県が並ぶ。上下位地域の固定化と差の拡大で、二極化が進んでいる形だ。
進学率が伸び悩む地域には、県民所得の低い地域も多い。都市部の大学を選ぶ際に、下宿代などがネックとなるケースもある。
「大学進学の機会」の著書がある小林雅之・東京大教授(教育社会学) は「選択は個人の自由だが、能力や意欲のある若者の進路が居住地の環境で限られるのは社会的損失だ。大学整備は専ら私学に依拠し、大都市集中につながった。その結果、私学の半数近くが定員割れで苦しむ一方、地方では多くの高校生が望んでも進学できないという矛盾も生じている。家計負担軽減には給付型奨学金の充実が急務。地方の短大や専門学校の活用も有効だ」と話す。 ≫(朝日新聞デジタル:岡雄一郎)
国政に目を転じれば、国会の焦点を数え上げれば切がない。どこにどのくらいの目くじらを立てて論うように罵っても、矜持のない連中に、数の論理と権力の集中を与えてしまった以上、嵐が吹きすさぶのを傍観するしか選択肢はない。それが我々が民意を反映できる民主主義と崇めていたわけだから、如何ともしがたい。どの政党が政権を取ろうと、現在繰り広げられている安倍政権のように、恥じらいさえ捨て去れば、国会の議論など蔑ろに、妥協的産物を生むこともなく、自己陶酔の目的を官僚たちの自己目的を内在させる権利さえ認めれば、粛々と国民不在でも、政策が堂々と行える事実を知ったことは、デモクラシー的手法で選択をしても、選択された目的に合致しない政策でも、事もなげに可能だという詐欺まがいの制度であることに気づいたわけである。
故にと云うわけでもないが、現在の安倍政権の行う政治がピリオドを打たない限り、今後起きるであろう悪夢も含め、国民の大多数が虐げられる政治は続くのである。此処まで、合法的に政権が独裁制に近似した政策が行えるのであれば、失敗の暁には、独裁者が粛清される制度の方がマシなくらいで、ただ単に、歴代総理の年表に名を連ねるだけでは、責任のせの字も負うことはない。こんなデモクラシー制度しか思い浮かばない人知の歴史こそ、だらしがないのか、そのように思わせるに充分な安倍政権の独裁である。大きな目でみれば、このような悪しき前例が、デモクラシー制度においても起きうるという事実を目撃していることは、大変に貴重な体験である。
そういう意味では、民主主義の制度上の欠陥が明らかになったのだから、これらの強力な歯止めのきくリスク管理は早急に求められるだろう。そうしないと、どの政党、政治家が権力者に就くたびに、独裁のリスクを常にはらむ。代議制を選出する議会制民主主義の成立には、選出してくれた有権者の様々な要求をコントロールし、マネージメントすることが、属人的に成り立つものだという、代議員の性善説に依拠するわけだが、この代議員連中の昨今の為政を見る限り、性悪説に依拠したシステムへの構築がない限り、談合政治だけが跋扈するだろう。談合の対象とならない一般庶民は、なんということはない、詐欺に遭うために投票行動を起こしていることになる。
上記参考の記事のように、教育機会均等における地域間格差もあるし、当然、就労地域間格差があり、結果的に収入の格差も生じる。少子高齢化な人口構成と、先進諸国の経済成長の自然増は極めて僅かに残るだけなのだから、領土拡張、支配地拡張、影響力の拡大といった、終わりなき争奪戦が展開するだけなのである。その争奪の過程で、武器製造や民間ダミー軍事企業など、一部の業界に利益は還元するが、彼らは再投資と云う休みないミッションに追い立てられるので、性善的行為をしている余裕がないのだ。つまり、庶民に分け与える分はない、と云うことになる。
しかし、欺瞞性を帯びた議会制民主主義においては、選挙の洗礼があるので、集票マシーンとなり得る業界や宗教など群れている部分を持つものに厚く分配のなされる為政が行われるが、財政状況が、多くの出費を許さないとなれば、何処からか集金して、その元を作らねばならない。この分野は、官僚が最も得意とする分野で、自らの利権の拡大も見込めるので、新しいシステム導入に手揉みすることになる。かくして、群れるチャンスがなかった人々は、官僚の作り上げた集金マシーンの餌食になるだけで、ご利益は年年歳歳減じていくのである。
面白いものだが、人間の知恵の産物だった、たかがマネーを便利に使っているうちに、気がついたら、人間がマネーに使われているという、世にも珍しい怪現象が起きているのだ。さらに面白いことは、人は、金を手にして、自分の何らかの欲望を満たしたとき、マネーの使い手だと認識してしまう点だ。その所為だろうか、自分がマネーに支配されていると気づかないのは。無機質であるべきマネーが、今や命を得て有機物になっている。人間がこの罠から逃れるためには、天変地異のような「価値観の大転換」そう云うものが必須なのだろう。少々、とりとめのないところで時間が迫ったので、本日はこの辺で。
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