世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

枝野会見から読み解く、警戒区域設定などに情報隠し、世論誘導はないのか?

2011年04月22日 | 日記


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枝野会見から読み解く、警戒区域設定などに情報隠し、世論誘導はないのか?



枝野官房長官が22日の会見で、東京電力福島第1原発から20キロ圏の警戒区域の外側に「計画的避難区域」を設定、住民を避難させるよう福島県知事や関係市町村長に指示した。 先に発表した20キロ圏内「警戒区域」(立ち入りにより法的罰則あり)と「計画的避難区域」、もう一つ「緊急時避難準備区域」と云うものも出来た。

20キロ圏内を「立ち入り禁止」したわけだが、欧米メディアや反原発学者等々が指摘してきた「今後住むには適さない区域になる。農作物等々の生産も難しいだろう」と云う、日本のマスメディアが無視し続けた警鐘の方が正しかったことが証明されつつあるようだ。

枝野官房長官は例によって“ただちに会見”を行ったのだが、この警戒区域を政府が決定した根拠を、まともに信じるか信じないかは、人それぞれの判断だ。筆者は決定した事実は事実と容認するが、根拠に関しては非常に懐疑的だ。

≪ 「私からまずご報告を申し上げる。まず、警戒区域の設定について申し上げる。東京電力福島第1原子力発電所から 半径20キロメートル圏内の皆さんには大変なご迷惑とご不便をおかけしている。この地域においては、プラントもいまだ安定していない現時点においては、放射線量の多い少ないにかかわらず、安全上の大きなリスクが懸念されるため、決して立ち入らないでいただきたいと繰り返しお願いしてきた」 「今般、関係自治体との調整も整ったことから、この区域を災害対策基本法に基づく警戒区域に設定することとした。さきほど原子力災害対策特別措置法に基づき、原子力災害対策本部長から、福島県知事および関係市町村長に対する指示を発出した。22日午前0時をもって『警戒区域』として設定される予定だ。これにより、緊急事態対応に従事する方や、市町村長が一時的な立ち入りを認める場合を除き、当該区域への立ち入りが禁止されることとなる。この結果として、 20キロ圏内にお住いだった方の防犯上の懸念にも応えることになればと思っている」(枝野発言)≫

特に≪放射線量の多い少ないにかかわらず、安全上の大きなリスクが懸念されるため≫と云う部分だ。安全上の大きなリスクは原発事故が起きた瞬間に周辺住民の健康への安全は冒されていたわけで、何も今頃になって、その状況が変わったとは思えない。

政府の今回の「警戒区域」、「計画的避難区域」、「緊急時避難準備区域」の決定が枝野官房長官や菅直人が語る根拠に疑念が残るのだが、その一つが東京電力及び政府の住民への賠償問題が絡んでいるように思える。

民主党渡部恒三(偽肛門)の甥で原発推進の佐藤雄平知事は、東電の願望工程表が発表された事をうけ、清水社長の謝罪訪問をパフォーマンスで拒否していたが、工程表発表を根拠に謝罪会見に応じた。そして「県民は不安でいっぱい。補償問題にしっかり取り組んでほしい」と語っている。 今回の3か所の原発に関するリスク区域指定の決定が損害賠償に大きく関わっているからだ。

文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会は早速、東京電力の住民への賠償範囲等々を議論する叩き台としている。しかし、東電がその全額を支払えないのだから、原発賠償法の例外規定を適用、概ね国家が被害者への賠償を行う方向に舵を切っている。総額は1兆円を越えると予想されるが、この指定3区域全体に、稲の作付禁止措置も出そうなので、農作物、近海魚介の補償等も考慮に入れなければならない。 国家が支払うと言うと聞こえは良いが、なんて事はない、全額近くが国民の税金で賄われると云う事だ。

今回の3か所の原発に関するリスク区域指定の決定は住民の安全云々ではなく、賠償問題を迅速且つ適格に行うための措置だったのだろうと云う疑念である。レベル7の評価もその辺にあると考える。

東電の処遇については、多くの議論が生まれているが、本日はその事には言及しないが、東京電力だけの問題とせずに、我が国のエネルギー政策の総括的議論をするべきだが、多くを望むべき土壌が形成されているとは思えない。 もっと怖い疑念もある。

もうひとつの疑念。現時点で東電の福島第一原発の冷却停止に向けた工程表があたかも「錦の御旗」のように扱われているが、笑止な話だ。あのような願望表なら、子供のサンタから貰いたいモノ一覧をツリーの下に置いたようなものではないか。つまり、刻一刻と原発事故を冷却停止させる為の手立てが枯渇しかけているのではないか、と云う不安だ。東電・保安院・政府もマスメディアも冷却停止に向かった作業をしているように見せているだけではないのか?と云う疑問である。

最近気がついたのだが、日増しに原発事故対応の「原発劇場」な報道が自粛されつつあることだ。映像化するシナリオが枯渇している証拠という見方も出来る。もしかして、原発の暴走を止められないと関係者が腹を決めた可能性さえある。何としても、大きな爆発と甚大な放射能の撒き散らしは避ける努力が可能かもしれないが、6基すべてを安全にする目標を事実上放棄し、常に放射能が漏れ続ける状況を受け入れる決意をしたと考える事も可能だ。

しかし、この決意を国民に語ることは政府として容易ではないだろう。しかし、国民にとって、それが一番困るわけだ。だとすると、その放射能の漏れが、どの程度の範囲で、どのような健康被害が起きるのか、我々国民は最低限の情報と素人知識で、今後の放射能漏れに対応しなければならなくなるのだろうか?

大袈裟に考えるもの日常生活に混乱が起きるし、過小評価することで、国民が数10年単位で生命を脅かされるのも堪ったものではない。政府も国民も、この放射能漏れを忘れるわけにはいかないのだ。政府の本当の真意が知りたいところだが言わないだろう。困った奴に政権を握られたものである。

実は筆者は、この原発事故情報の最初からの顛末は、菅が総理である限り、何一つ出てこないと考えている。彼も原発事故処理の責任者なのだ。当事者だから言えないのだ。勿論、それ以外の方が大きいのだが、原発事故の事実を知る為にも、当事者は退場させるのが正しい情報に接する唯一の方法である。


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