世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

大増税路線まっしぐら 挙句に愚昧政治家の大政翼賛会か、気が狂っている

2011年04月01日 | 日記


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大増税路線まっしぐら 挙句に愚昧政治家の大政翼賛会か、気が狂っている


どのような屁理屈をつけようとも、菅や谷垣が洗脳されている財務省主導財政健全化政策は間違っている。

デフレと不況が重なり合っていた我が国を襲った、甚大なる大災害と人災東電原発事故の処理、復旧、復興の財源を国民に押しつけるような政策は、基本的人権を踏みにじっている。財政論云々のレベルに至る前に、人としての道を踏み外している。

どれほど将来を見据えた壮大なビジョンが出来あがっても、その財源はオマエ等から召し上げてやる。このような発想にしか至らない政治屋どもが、財務省の財政健全化路線に乗っかり、抱きつき、どさくさに紛れて二頭のウサギを追いかけるなど愚の骨頂である。

このどさくさ紛れの増税路線で意見が一致する政治屋・菅と谷垣は仙谷・森と云う政治ゴロを仲介人に今や堂々と結託しようとしているのだ。このお膳立てには、朝日新聞も深く関与していると推察できる。

大政翼賛的大連立など烏合の衆の連立に過ぎない。筆者が主張する「時限的救国政権」は「国民の生活が第一」の連立である。或る意味で、この表面化してきた大政翼賛連立構想は、現在の悪しき民主党Bと悪しき自民党Bが財務省を足場に、単に権力を握り続けようとする権力掌握政局である。壮大な騙し絵である。

ところが、多くの国民には、この騙し絵の意図がまったく見えていない。気の毒であり、自業自得でもある。この国難的大惨事に立ち向かう時、財政論などが幅を利かせている事自体、異様だと思う人間的感覚が麻痺しているのだ。政治屋も役人もマスメディアも国民も、なんて事はない、人間性を失っているのだ。

こう云う時は、理性よりも感情で動く情動が幅を利かせる方が人間の営みを救う事が多い。勿論、その情動は豊かな人間性に裏打ちされる必要があるが、利害損得や経済原理に左右されてはならないのである。 今日のコラムは理屈抜きに、筆者も情動で書いている。

今どき、増税を口にするようなヤツらは、人間ではない。家が燃えている最中に、瓶の中の銭を勘定している守銭奴である。家が燃えているのだから、逃げ出すか水を掛けるのが人間である。

一見理に適っているような菅や谷垣の政治屋が手を結ぶ方向性は、あらゆるかたちで、被災者を苦しめるであろう。現状の惨憺たる経済ファンダメンタルをも更に悪化させる。下手をすると税収の過激な減収のような国家財政を生みだす危険すらあるだろう。これぞ、角をためして牛殺す惨状だ。

財政危機そのものが胡散臭いものだと云う議論が隠ぺいされたまま、財政健全化に形振りかまわず走りだす財務省の僅かの役人集団に、国民が殺される危機である。今までも充分に財務省の役人や政治屋や守銭奴経済人に半殺しに遭ってきた国民が、最後のとどめを刺されるような政策が実行されようとしている。怖ろしき事である。

増税と名のつくものは、現時点では絶対に駄目である。方向は大盤振る舞いに向かうべきだ。大政翼賛するなら、大盤振る舞いに向かい、人間のマインドをたかめる事だ。国民の意識を昂揚させる情動が必要だ。火事場で読書を愉しむような人間に政治を任せていると、日本の沈没は正夢になってしまう。

今日の感情的コラムの論理的検証は追々行っていくが、今求められている政治は阿修羅のごとく立ち上がり、国民に夢を与えることである。国民から銭を盗もうとすることではない。その為に知恵を絞る財務省・政治家で無き者は去れ!水沢に去れではないぞ!筆者は民主党A、自民党Aの存在を知っている。ただ、これらの政治家に立ちあがる勇気があるかどうか、いまもって判らない。


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