世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

マスメディアの報道被害こそ罪悪 ” 風評被害、自粛弊害、原発神話 ”

2011年04月11日 | 日記


みなさまの応援が励みになります

人気ブログランキング



マスメディアの報道被害こそ罪悪 ” 風評被害、自粛弊害、原発神話 ”


10日、日曜日の高円寺“原発いらないデモにカブリモノでチョロリと参加したが、政治的デモとは隔世の感、“清志郎”が蘇ってくるようなデモ行進だった。左翼傾向のある参加者もいるのだろうが、結果的には単なる市民の、原発への疑念が姿として現れた、と捉えたい。1万人規模になったようである。単に原発反対とか賛成ではなく、エネルギー(経済)と人間、そういう壮大な哲学テーマが我々日本人に突きつけられていると感じるべきなのだろう。

学研の徒である京大原子炉実験所の小出裕章助教の温厚にして知的話し口調も、原発推進に奔走する電力マフィア、原発マフィアの既得権益グループを構成する、国家支配層に大きな痛手を与えている。彼の素人に教える原発の実態は、極めて判りやすい。ネットメディアで、ここまで著名人になった小出氏をNHKがいつ出演させるのか、筆者は密かに観察している。

おそらく、日本の今後の政治において、「脱原発vs原発推進」は重大な政治における対立軸に浮かび上がってくるだろうが、議論が原発やエネルギー問題と云う議論に矮小化される危惧を持つ。 原発止まった故に電力が足りない、だから原発が必要だ論が真っ赤な嘘である事は拙コラム「電力不足の情報は正しいのか? 『ACジャパン』影の広告主は東電?」を参考にして頂きたい。

この原子力発電による電力で、生活の質の維持乃至は向上を望むか望まないか、或いは経済成長と人間の生命を、どのような計りに掛けるかは、小出裕章氏が口にしたように「人間一人ひとりの生き方の問題です」のひと言に帰するのであろう。筆者は晴耕雨読に象徴される生き方を選択するだろうが、違う考えの人も沢山いるわけで、国民的議論になることを切に願っている。

原発推進者の一人、石原が当然のように都知事に当選した。東国原、渡辺、小池がてんでんに票を集め、石原を当選させた。石原慎太郎が勝ったというより、三候補が勝てせてしまった、否戦意喪失の菅民主党が勝たせてしまった選挙だろう。まぁ石原の考えすべてが変と云うわけでもない。「4選して何をやるかと言ったら、同じ事をやるしかない。プラスアルファで災害対策だ。東京は日本のダイナモ。東京が止まれば日本も止まる。日本はこれから大変だ。我欲を抑えて、自分の生活をつましくしないと日本がもたない。日本人全体がスクラムを組みながら肩を組んでやろう」と語るなど、今の日本人に欠けている部分をおおいに今後主張して貰うことに期待しよう。ただ、言論統制はやめろよ。己の言説の弱さを白状するようなものだ。パチンコやめさせカジノ構想は矛盾するな(笑)この人に対しては、筆者などは、共感と嫌悪が入り混じる。

言論統制と言えば、ネット上に流言飛語の類があると云う理由で、サーバー管理者責任を厳しく取り締まろうと云う動きが活発になっている。総務省は総基消第145号において、東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語への適切な対応に関する電気通信事業者関係団体に対する要請なるものを出したが、実質的には「要請」ではなく命令だ。(この表現も流言飛語か?) 流言飛語はどのような時代でも湧きおこるものである。

ネット時代になり、言論コントロールを失った国家の暴挙の類だ。大本営報道が正確な情報で、ネット情報は事実に則していない、と云う言説は笑止な話だ。大本営発表で報道された事実を時系列に並べて、様々な疑念が生まれれば、なぜ前後で矛盾するか国民が考え、推測するのは勿論、憶測するのも自由な筈だ。矛盾や疑念を抱くような情報を保安院や官房長官会見で発言する事は許され、個人がその情報を元に、推測・推察・憶測することこそ、思考の自由であり、表現の自由である。

公式な情報を流す彼等にも、安心・安全を標榜し、パニックを防ぎたい思惑があるのなら、個人には、その思惑の裏に隠れた事実を考え示す自由があって良いではないか。たしかに、極端な流言飛語の類も、ネット上には流れている。しかし、それらの流言飛語は一目瞭然だ。それに惑わされる国民もいる事はいるだろう。だからといって、正規な推測・推察に至った情報まで、流言飛語として束ねて捨てようとするのは、ファシズムだと言わざるを得ない。

サイト管理者は、このような命令の類が出ると、容赦ない姿勢で抵触しそうなブログ等をひと束にして葬るのが常だ。国家からの通達により、の言葉ひとつで一切の抗議に反応しないものである。こういう風潮が蔓延すると、そこに言論統制ファシズムが定着する。

風評被害についても、火のないところに煙は立たない、という考えが国民の中にある。極めて自然であり当然だ。動物の防御本能のようなものであり、君子も危うきには近づかない。一度でも汚染の疑いがかかった地域の食物を当面口にしたくない感情は自然だろう。筆者などは、無理して自然な感情を押し殺して、敢えて茨城・千葉の野菜を口にするが、それは異なる思考によって行っていることだ。多分、関東近海モノのカレイやヒラメも口にするだろう。しかし、それを避けようとする生活者の気持を批難するつもりは毛頭ない。

それでなくても、世界一清潔好きで、ひ弱で、思考しない国民を作り上げた国家権力が、今さら国民に蛮勇や犠牲的精神や過度の潔癖体質をやめろと云うのは、あまりにもご都合主義ではないのか?世界一清潔好きで、ひ弱で、思考しない国民を60年がかりで育てたのだ。それを是正するには、強権など何の意味もない、ゼロかマイナスからの出発である。震災・原発だけがゼロ乃至マイナスからの出発ではなく、国家のありようもゼロ乃至マイナスからの出発だ。

自粛に対しても、経済界中心に悲鳴が湧きあがっている。しかし、つい先日まで買いだめはやめましょう!と延々と言っていたではないか。人間、日本人に、まだ自分だけ良い思いをするのはイケナイと云う心があるだけだろう。どちらかと云うと、美しい心根じゃないか。今度は、その心も悪いと言い出す。景気への悪影響を喧伝しはじめた。

しかし、日本は震災前から充分不景気だった。この自然災害で一段と景気が後退する事は、馬鹿でも判る。なら、あっと驚く景気対策でも打ち出せばイイだろう。 財源論がどうだこうだ言う前に、復興の大風呂敷を広げて見せてみろ。一気に景気などは上向く。景気なんてものは、マインド次第だよ。気持を前向きにさせる政治をしているかどうか、その事を死ぬほど考えるのが政治だ。財政論には言及しないが、被災者を救う事も、日本全体の国民の生活を救う事も、政治は実行しなければ、アイデンティティ自体、無いに等しい。

しかし、出発に際し、音頭を取るのが菅直人では、当面日本はゼロ時点に戻ることすら出来ない状態が続きそうである。菅直人及び菅支持議員は、「不人気」も「流言飛語」と思い込んでいるのではなかろうか。


みなさまの応援が励みになります
人気ブログランキング


よろしくお願い

https://blogimg.goo.ne.jp/img/static/admin/top/bnr_blogmura_w108.gif