このところ9月議会の準備の日々です。
日ごろから様々なご相談やご提案をいただきますが、その解決や取組の他に、自分が思う課題や事柄についての勉強やら調べものなどを、行う日常であります。
そして、次の議会に向けての準備も今している次第です。
年に四回一か月間位の定例議会と、大体毎月~2か月位毎の委員会、プラス担当の会議があるのですが、「少ないな!」と、思われるかもしれませんね。
でも、議会が終了するとすぐにつうしんの作成と議会報告会の開催、そして次の議会の準備、もちろん常に相談や会合があり、となるとまあ、一年の速いこと!
年齢を重ねるとさらに加速している感じ。
この間冬服を仕舞って夏服にしたと思ったらきっとすぐ又衣替え。
今年の夏。
梅雨の季節に雨が降らず、今になっての長雨ってなんでしょ。
なんとこの天候は40年ぶりのことだそうで。
トマトもナスもまだまだ食べたいのに。
40年前、と言えば、独身最後の夏でした。 そう思うと、私の年齢では40年前などついこの間。
そう思った時、思い出したのです。
結婚して一、二年目の時に、働いていた障がい者施設で、<五年勤続ご褒美の旅>がありました。
場所は「フィリピン」。 初めての<外国>でした。
マニラの視覚障がい者施設なども見学しましたが、観光が主のツアーでした。
私たちのほかにも、ご夫婦で参加された方がいらして、一緒にいろいろ巡りました。
そのご夫婦の夫さんが、「観光、というより、見たい島があってね。」とおっしゃっておりました。
二日目、でしたか、ホテルに早めに帰った私たち一行は、島の見える海岸に散歩に行きました。
見える島の名前は「コレヒドール」
アイスを買って食べながら海を見ている私たちの前に、島を見て佇んでいる夫さんが。
夕日で辺り一面オレンジ色の中、生暖かい風に吹かれながらただ立っている夫さんの背中には、なぜか近寄り難い影がありました。
旅の終わりころに、「コレヒドール島」のことを話してくださいました。
「コレヒドール島」は、先の戦争の激戦地で数多の戦友が亡くなった。
夫さんはその凄惨な戦いから生きて帰ってこられたごくわずかな人の一人だったのです。
島に行く時間は残念ながらとれなかったので、せめて島の姿をみておられたのです。
きっと一言ではとても表せない、いろいろな感情や思いで胸を一杯にしながら。
私たちにとっては<ご褒美の旅>でしたが、そのご夫婦にとっては<慰霊の旅>だったのです。
その時、敗戦から35,6年。
今、自身がこの年齢になって改めて、わかります。ついこの間の戦争だったのです。ついこの間の悲劇、理不尽な死の体験なのです。
今年は敗戦から72年。 あと20年のち位には 戦争体験をされた年代のご存命は難しい。
でもね、考えてもみて下さい。
世界のあちこちで戦争が起きています。それに、核廃絶どころか、抑止の意見もまとまらない。(日本の態度は恥ずかしい!)
72年間、(南スーダンに自衛隊が行かされた時はとても不安だったけど)戦争していない日本としては、なにがあってもずっと「戦後」でなければいけませんよ。
戦争は、何をどう言ようが、<殺し合い>ですから。