アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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奴隷の無責任こそが永続敗戦レジームを支えてきた

2015年12月23日 23時39分42秒 | 戦争法ではなく平和保障法を


 12月20日の日曜日に、堺市で行われた白井聡さん(京都精華大学専任講師)の講演会に行ってきました。
 講演会を主催したのは、「いま九条と私たち、非戦の市民講座」という団体で、今までも15回に渡り、慰安婦問題や沖縄問題、植民地支配や非正規労働問題について、それぞれの分野の講師を呼んで、講演会を開いてきたのだそうです。昨日の講演会がその16回目との事でした。
 講師の白井聡さんは若手の社会学者で、2年前に「永続敗戦論―戦後日本の核心」という著書を出した事で、俄然注目を浴びるようになった人です。
 その方が、午後2時から4時半ぐらいまで、JR堺市駅前にあるサンスクエア堺のホールで、「”戦後70年”『敗戦』を否認し続けてきた日本社会~なぜ日本はアジアと向き合えないのか~」というタイトルで、前述の「永続敗戦論」の立場から解き明かしてくれました。
 私が会場のホールに入った時は、既にほぼ満員で、前座の合唱コーラスがちょうど終わる所でした。ほどなくして白井さんが登場し、2時から3時半過ぎまで講演を行い、休憩を挟んで3時50分から、休憩中に視聴者から出されたアンケート質問に答えるという形で進められました。

 まず、「永続敗戦論」とは何か。私が理解した範囲で簡単に説明しておきます。
 毎年、8月15日になるとテレビや新聞で「終戦」記念行事のニュースが流れます。でも、本当は「終戦」ではなく「敗戦」だったはずです。第二次大戦で日本は負けたのですから。本当は、「なぜ負けるような戦いを日本がやったのか?」「なぜ、そんな戦いをしなければならなかったのか?」、きっちり総括すべきでした。そうしてこそ初めて、日本の明治以来の歩みが、「脱亜入欧」を旗印に掲げ、アジアを侵略していった歴史であり、自由民権運動や社会主義運動を押さえつけ、国民を「蟹工船」や「女工哀史」のような奴隷状態に押しとどめてきた歴史だった事が理解できるのです。その結果、天皇の下に一部の官僚・財閥・軍人・地主だけが政治を独占し、20世紀になっても、日本だけがそのような遅れた状態から抜け出せず、不況の打開策として戦争に突き進み、アジアからも世界からも孤立し、最後には空襲で国土が焼き払われ、原爆まで落とされた末に、無条件降伏しなければならなくなったのです。

 もちろん、一応は「敗戦」のケリをつけた事にはなっています。戦後の東京裁判で、東条英機を始め、13名の戦争指導者が絞首刑を宣告されました。しかし、その一方で、それ以上に多くの戦争指導者が、米国と裏取引をする事で、戦犯追及の手を逃れ、やがて政界に復帰してきました。現首相・安倍晋三の祖父の岸信介や中曽根康弘などが、その代表的な政治家です。
 その背景には、戦後ますます激化する東西冷戦がありました。反ファシズムの連合国として共にドイツ・イタリア・日本の枢軸国と戦った米国とソ連が、戦後対立を深める中で、日本を「反共の防波堤」にしようとした米国が、当初「ポツダム宣言」で掲げた軍国主義一掃・日本民主化の方針から次第に逸脱し、当時の戦争指導者を含む日本の保守勢力(自民党)を、「自分の手下」として育成するようになりました。

 日本は、表向きは戦後新しく生まれ変わった事になっています。大日本帝国憲法に代わって、「主権在民・戦争放棄・基本的人権尊重」の三原理を掲げた今の日本国憲法が制定され、共産党や労働組合も合法化され、婦人参政権も認められるようになりました。しかし、実際は、戦犯追及を逃れた当時の戦争指導者が生き残り、戦後も自民党の政治家として日本を支配してきたのです。
 それも、戦前には「鬼畜米英、米国と戦え」と国民を戦争に駆り立てた当時の指導者が、戦後はコロッと手のひらを返すように、「米国には絶対服従」とばかりに、米国の言いなりになって、ベトナム戦争やイラク戦争に加担した挙句に、今や集団的自衛権(自衛隊の海外派兵)まで容認し、憲法も変えようとしているのです。



 日本は、本当は敗戦の総括をきちんとしていませんでした。戦後の民主化も、国民が当時の戦争指導者を倒して革命によって勝ち取ったものではなく、あくまでも米国から与えられたものでした。憲法9条で戦争放棄を掲げた今の日本国憲法すら、日米安保条約とセットで、米軍による沖縄支配や横田・岩国などへの基地駐留と引換えに、米国から与えられたものだったのです。

 日本の自民党を始めとする保守勢力が、敗戦の総括をきちんとせず、上辺だけの反省でお茶を濁し、心の中では「あの戦争は正しかった、侵略戦争ではなかった」と思っている為に、その本音が至る所で露呈し、中国や韓国、米国から指弾されるたびに、また謝罪を口にしなければならなくなる。しかし、その謝罪も面従腹背でしかない為に、また同じような本音が露呈し、また謝罪に追い込まれる。
 そして、戦後、政界に復帰できた昔の戦争指導者も、米国のお陰で復帰できた為に、一生米国には頭が上がらない。だから、「今の憲法は米国による押しつけ憲法だ」と言いながら、憲法とは比べ物にならないほど売国的なTPP(環太平洋経済連携協定)は推進し、米国に日本の産業も国民の暮らしと健康も身ぐるみ差し出そうとしている。
 白井さんは、その状態を、「敗戦を否認しながら、ずっと敗戦し続けなければならないような状態に陥っている」という意味で、「永続敗戦レジーム」と名付けたのです。



 今の安倍政権は、中国や韓国との間で、靖国参拝や領土問題を巡って対立し、「戦後レジームからの脱却」を掲げ、憲法解釈を捻じ曲げてまで、戦争法(安保法制)を強行成立させ、自衛隊の海外派兵を本格化させようとしています。そして、将来の核保有をにらんで、福島原発事故以降も原発再稼働に突き進んでいます。
 その一方で、「米国から押し付けられた憲法を変える」「日本を守る」と言いながら、ひたすら米国の為に、TPPで日本の国土も国民の暮らしも米国のハゲタカファンドに貢ごうとしています。自衛隊の海外派兵も、「テロとの戦い」の名目で、ひたすら米軍の使い走りや盾に甘んじているだけです。

 「日本を守る」と言いながら、やっている事はひたすら米国の機嫌取りばかり。「愛国者」を装いながら、やっている事は他国に国を売り渡すような「売国奴」の所業。安倍政権の言っている事とやっている事は全く正反対です。なぜ、こんな矛盾した正反対な姿勢が取れるのか。
 無責任で、いい加減で、チャランポランだからです。日本軍の将校が、レイテ沖海戦やインパール作戦で、補給を一切無視した無謀な作戦を立て、下士官や一兵卒には玉砕を強要しながら、自分たちはさっさと本国に逃げ帰り、芸者とドンチャン騒ぎを繰り広げていたのと同じです。だから、今も、福島では放射能の汚染水がダダ漏れになっているのに、「冷温停止」「アンダーコントロール」の嘘までついて、原発再稼働に奔走できるのです。今まではせいぜい個別的自衛権(専守防衛)しか認められて来なかったのに、憲法解釈を勝手に変えて、憲法が禁じる集団的自衛権(海外派兵)も認めようとしているのです。昔、丸山真男という文化人が「無責任の体系」と呼んだ国家体質が、今もそのまま引き継がれているのです。



 そんな安倍政権でありながら、なぜいまだに内閣支持率が50%近くもあるのか。
 一つには、国民の堕落があると思います。白井さんはこれを「日本人の知的劣化」と言っていました。

 革命前の中国に魯迅(ろじん)という作家がいました(1881~1936年)。「阿Q正伝」「狂人日記」などの代表作で有名な人です。その魯迅の書いた作品の中に、「賢者と愚者と奴隷」という逸話があります。「部屋に窓もない」と嘆く奴隷に、「いつかきっと良い事があるよ」と慰めるだけの賢者に対し、愚者は「窓ぐらい作ってもらえ!」と奴隷を一喝し、自ら部屋の壁を叩き割って窓を作ってやろうとします。それに驚いた奴隷が、「主人に断りもせずに勝手な事をするな!」と愚者を追い払い、主人から「よくやった」と褒められます。そして、賢者にも「有難うございました。やはり、あなたの言った通り、良い事がありました」と礼まで言って。本当に偉いのは、慰めしか言わない賢者ではなく、実際に奴隷の為に窓を作ってやろうとした愚者の方なのに、奴隷はそれに気付かす、自分を奴隷状態に縛り付けている賢者や主人に礼を言ってしまうという、皮肉のこもった逸話です。

 これは、革命前の中国の逸話ですが、今の日本にも充分当てはまる話ではないでしょうか。例えば、消費税の8%から10%への引き上げに伴う低所得者層向けの緩和策として、一部の食品には従来通り8%に据え置く「軽減」税率が適用されようとしていますが、実際は従来通りの税率に据え置かれるだけなのに、まるで「軽減」してやったかのように言う安倍首相を「主人」に、それをもてはやす公明党などの取り巻き連中を「賢者」に、それが「軽減」詐欺である事を指摘して、逆に「ご主人様にケチばかりつけよって、反対するなら対案を示せ」と咎められる安倍批判者を「愚者」に、詐欺に騙されている事にも気付かず「軽減」税率適用や、安倍のやっている戦争法や原発再稼働、派遣法改悪の目論見に目を塞ぎ、「アベノミクス」のホンの一部のお零れや「1億総活躍社会」の宣伝に惑わされている多くの国民を「奴隷」に置き換えれば、今の日本の現状にそっくりではないですか。

 そして、その堕落は、安倍に惑わされている自民・保守派ばかりではなく、反安倍・反自民であるはずの左派リベラルにも、知らず知らずのうちに浸透してしまっているかも知れません。
 なぜなら、憲法9条で戦争放棄を定めた今の日本国憲法も、実際は日米安保条約とセットで、沖縄に基地を押し付ける代償として、米国から日本に与えられた「恩恵」でしかなかった事に、日本の左派も薄々は感じていたはずです。だから、安保廃棄の旗を掲げ、沖縄返還運動やベトナム反戦運動、イラク反戦運動にも立ち上がったのでしょう。60年安保の戦いでは、連日、数十万のデモ隊が国会周辺を取り巻き、全国各地に安保改定阻止の共闘会議が結成されたのでしょう。
 ところが、いつしか安保廃棄の課題は後景に退けられ、代わって9条改憲阻止や集団的自衛権反対のスローガン〈だけ〉が叫ばれるようになりました。もちろん、今はそれが緊急の課題である事は言うまでもありません。まずは、集団的自衛権行使を阻止しなければ、安保廃棄も何も実現できません。それには多大なエネルギーがいるし、長期的な戦略も必要です。しかし、そのシンドさを回避する為に、緊急の課題だけに留まり、そこに「満足」してしまっては、私たち左派リベラルも、「軽減」税率に安住する「奴隷」と同じ立場になってしまうのではないでしょうか。その事に気付かされた講演会でした。


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