アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

「革命」フランスと「奴隷」日本の違い

2010年10月31日 21時39分00秒 | その他の国際問題
・飛幡祐規のパリの窓から:年金改革反対運動に揺れるフランス(レイバーネット日本)
 http://www.labornetjp.org/news/2010/1023pari
・「高校生であることと市民であることは矛盾しない」 (仏年金カイカク反対の高校生運動指導者の言葉)(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2061.html
・年金カイカク反対デモをするフランスの高校生たち(同上)
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2051.html
・フランス:上院が年金改革法案採択、労組側はデモ継続へ(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20101023k0000e030016000c.html
・フランス:マルセイユ、路上にゴミ1万トン…スト2週間超(同上)
 http://mainichi.jp/select/world/news/20101026k0000e030034000c.html

 日本ではあまり報じられていませんが、フランスでは、この夏以降、年金制度の改悪に反対する人民の闘いが急速に広まっています。サルコジ政権が進める、年金支給開始年齢の60歳から62歳への段階的引き上げや、年金保険料支払い期間の1年延長などの措置に対して、野党や労組は一致して反対を表明しています。フランス国内の世論調査でも、国民の約7割もの人々が、この改悪案にノーを突きつけています。各地のデモやストには、既に300万人近くの人々が参加するまでになっています。その中でも特に、若者や高校生が続々と反対運動に立ち上がっている事が、この間の大きな特徴です。村野瀬さんのブログにその若者の声が掲載されていますので、その一部を次に引用しておきます。

・(何故デモに参加するのか問われて)「なんでって、引退の時のためだよ!」
・「何歳までかわからないけど、ずっと働かされて仕事で死ぬのは嫌だよ。横断幕もないけど、適当に即興でデモをやっているよ。」
・「引退は若者の問題である」「若者は苦役にあえぎ、高齢者は貧困にあえぐ、こんな社会は要らない!」(若者たちがデモで掲げたアピール・スローガン)
・「仕事からの引退は高校生の問題でもある。ぼくらの両親はぼくらのために働いて、ぼくらは両親のために働く。親たちがあまり遅い年齢にならないうちによい引退生活をおくれるように。ぼくらがその年齢になるときにはもう年金システムはないかもね。」
・「若者に仕事を与えず、高齢者にはさらに仕事をさせるってことか。」

 このフランスの高校生たちの何と偉い事か!自分たちが高校生だった頃はどうだったか振り返ってみれば、その偉さが分かります。実際に、私も高校生の頃は、年金や高齢者の雇用・福祉の問題なぞ、及びもつきませんでした。それが、このフランスの若者たちは、将来の年金支給額がそれまでの生涯賃金によって決定づけられ、若い時の低賃金・不安定雇用がそのまま老後の福祉の貧困に繋がっている事を、既に高校生の年齢で見抜いているのです。
 翻って今の日本の若者は、高齢者は一体どうでしょうか。若者は若者で、「俺らはこんなに低賃金で働かされているのに、何でオヤジは俺たちよりも恵まれているのだ」と、「妬み差別」宜しく、その不満の矛先を「団塊の世代」に向けるしか能がない。もう方やオヤジもオヤジで、「俺らはひたすら馬車馬のように働いてきたのに、今の若者はたるんどる」と、高度成長期にしか通用しない精神論を一方的に振り回すばかりで、今の貧困問題の深刻さをなかなか理解しようとしない。そうして、フランスの若者が「搾取されている事自体に怒る」のとは対照的に、日本では若者も高齢者も「搾取が公平でない事に怒る」(呆)。この違いは一体どこから来るのでしょうか。
   

 一つには歴史の違いがあるでしょう。フランスは何と言っても「フランス革命」「人権宣言」の国です。人民自らが国王専制を倒して自由と人権を勝ち取ってきた歴史があります。
 この点については、フランスは欧州の中でも特に秀でています。英国がいまだ王室や貴族のくびきから完全に解放されずに、米国の言う自由が所詮は「資本家天国の下での搾取の自由」でしかないのに引き換え、フランス人民は、国王・貴族の圧制とも資本家の横暴とも、互角に闘ってきたのですから。
 翻って日本ではどうか。明治維新は、単に権力者が幕府から天皇の政府に交替しただけであって、お世辞にも革命だったとは言えません。戦後の民主化も、それを米国に強いる上で日本国内外の世論の後押しがあったとは言え、それでも直接的には米国から与えられたものでしかなかった。日本にも、自由民権運動や大正デモクラシーなどの形で一定の芽生えはありましたが、これが革命にまで発展する事は遂にありませんでした。

 それが日仏の学校教育の違いにも現れています。日本では、「ゆとり教育は子どもを甘やかす」「競争教育でビシバシ鍛えろ」と、愚にもつかない精神論が今だに幅を利かせています。しかし、フランスではそうではありません。日本の様に「とにかく覚えろ、無条件に従え」と競争で締め上げたり、それに付いて来れない落ちこぼれを「ゆとり教育」で放ったらかしにするのではなく、「何故そうなるのか」「ずっとそのままで良いのか」「変えるとしたら、どこを、どのように、どの方法で変えるべきなのか」を、みんなでとことん議論する中で、何らかの結論を導き出そうとします。その中から、付け焼刃ではない真の学力が育まれるし、付和雷同でも利己主義でもなく、自分の人権も他人の人権もともに尊重できる人間が育つのです。

 その件でいつも不思議に思うのが、靖国右翼だけでなく橋下徹あたりの政治家までもが、「平成維新」と称して、やたら当時の価値観を持ち上げようとする事です。確かに坂本龍馬はカッコ良いですが、あれもドラマだから言える事であって、21世紀のこの日本の現実政治に、当時の尊皇攘夷の価値観をそのまま持ち込まれたのでは、国民は堪ったものではありません。幾らそれが例えに過ぎないにしても、あまりにも例えがアナクロ過ぎます。
 今だ「真の革命成らず」の日本では、ストやデモは「あまり良からぬ事」にしか過ぎず、それよりもひたすら「暴れん坊将軍」「水戸黄門」的なものにすがろうとする、そんな封建的な雰囲気が、この21世紀になってもまだ其処彼処(そこかしこ)に残っているでしょう。その寄りかかりの対象が「小泉純一郎」「橋下徹」であったり「小沢一郎」であったりする訳ですが、これと北朝鮮の金正日崇拝と一体どこが違うのでしょうかね。「日本は北朝鮮とは違って民主的だ」と、幾ら上辺だけ取り繕った所で、本質的な部分では何ら変わらないと思うのですが。北朝鮮の国民も、これが「我々流の民主主義」だと思い込んでいるからこそ、自国の正式国名に「民主主義人民共和国」の文字を冠しているのでしょうに。

 以上少し横道に逸れましたが、勿論、そのフランスの民主主義にも限界はあります。その最大の限界は、せっかく革命と人権の理念を掲げながらも、長い間その対象が生粋のフランス人だけに限られ、旧植民地の人たちや東欧・中東からの移民については、ほとんど顧みられなかった事です。いまだに南太平洋のタヒチやニューカレドニアに広大な植民地を有し、そこで核実験を繰り返し、フランス国内でもロマ人(ジプシー)やユダヤ人、アフリカ・中東系移民に対する差別が激しいのも、フランス人が植民地主義から完全に決別できていないからです。
 でも、それも近年、世論の運動や政府の施策によって、徐々に克服されつつあると聞いています。この点についても、翻って日本はどうかと尋ねられたら、返す言葉がないですね。在日コリアン・中国人・東南アジア系・日系外国人に対する差別が、今も拡大再生産されている現状一つとっても、日本人が植民地主義のくびきから完全に解放されるのには、まだまだ時間がかかるでしょう。

 ただ、これだけは確実に言えるでしょうね。
 若し日本でもフランス式の民主教育が行われていたら、ウチの職場の社畜・奴隷労働がそのまま容認されるような事はまず有り得なかったでしょうし、従業員と会社、下請けと元請の関係も、とっくに、もっと民主的なものになっているでしょう。
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新社会の創造に向けて (head@nihontec.jp)
2010-11-06 16:19:00
あらゆる現場から労働需要が減少しています。時代が進むということは、技術が進むことと同じです。技術の進化は決して止まる事はなく、その進化が今後も現場の労働需要を減らして行くはずで、この事実は変わりようがありません。今現在、社会はすでに壊れてしまった自由経済のシステムの代わりに10年.100年.千年を見通す新たな経済システムを作るという、次世代への責任があります。その事実を認めた上で、2つ3つの事を確認しなければなりません。

①この社会がだれのためにあるのか? 国民の判断そのものが、政治であるという事実の確認。

②ほとんどの国家が、膨大な国債を積み増しており、その圧力は責任を取らない政治家には解決不能になった。この借金というマネーだけが積み重なっていく虚構の自由経済は、利子を領収する権利を持つ金貸しのためにある。国家にはもはやこの虚構のシステムを潰す力がなく、国民に真実を告げずに新たな国債を積み増すという愚行があるばかりです。実際すでにシステムは死んでおり、問題は国民の「冷静な判断をいつ仰ぐか」という政治によってのみ解決でき、国民のみが「国民の合意」という最後の政治力=決定権を持つことを確認する義務が末代のためにある。

③国民自身が決定権を行使するためには、諸問題の冷静な分析と事実関係を公表することであり、ワナをしかけないスポークスマンをより多くのメディアに送り込み、国民の選択肢を広げることの確認をすることで、より多くの人々にとって理想に近い社会が成立します。

次世代は「利子・利益」の否定によってなりたち、それと共存することはできません、なぜならば利益が正義を代弁出来る限り、博打社会の象徴である金融は正当化され、システムとして金利が金利を産みつづけ「金融の成長」は進み、世界に滞留するマネーは実需の十数倍になり、それは地球上70億人の内のわずか数万人の懐に再び収められます。社会的生産手段は社会の共有によって「そこにある必要」に応えられます。

マネーが求めるのはより多くの利益だけです。「儲けたい」というただ一点の欲望によって生まれる利益では、社会や国全体を運営できません。ヨーロッパ各市で水道事業が民営化され、その市民が多大な不利益を被っているように、成熟した社会にとって民営化は公益にはつながりません。公益を代表する国益が「多くの命」の安堵だとしたら、多くの命は生まれつき持ち合わせている自分の政治力を認識すべきです。

乱暴な話ですが、日本国民1億2777万人の内15歳未満を除いて1億1077万人に、ノルマ達成に付ひと月に25万円ずつ配ったとしたら、27兆6.925億円が必要になります。(心配いりません。借金にならない政府貨幣があります)これを毎月10%づつ減価する機能を持った政府貨幣で配給したとすると、毎月同じように政府に27兆6.925億円の収入が生まれます。この金額は人口の増減によって多少変化しますが、永遠に回り続けるお金です。目的は利益ではないので、このお金は増えも減りもしません。地方政府ごとに、その政府の全ての「必要を満たす」のが経済=経世済民です。税金を取らず全ての国民に仕事を与えられる「21世紀型政府」は国民の同意で成立いたします。

この生活保障の上で仕事になります。農漁業を含め全てが省エネ、無理無駄の廃止と省労力を原則にしますから、必要な労力は今の半分か3分の2に激減するはずです。勝手に食って税金払えという資本主義の下で、システム維持に不可欠な証券・保険・銀行等を始めとするマネー増殖機関が不要になります。さらに現在電気料金の3分の2が工場及び事業所で消費されており、ここが減っていくのです。価値観がすっかり変わってしまい、無駄なものは作らないし使わない、必要に満たされた日常生活と心がとっても豊かな時代がきっと到来します。

沿岸漁業のほとんどの漁業資源は、養殖を含む資源増加を目的にし、確立されつつある大型魚の養殖技術と、1~2年魚である小魚の保護育成を図る必要があり、地元の高校や大学を不要になりつつある従来のサラリーマン育成機関から、地元資源の保護育成機関に変身させる必要がありますし、技術革新によって段々畑を耕せるような、4足歩行の農業ロボットを開発するのも急務です。

このロボットと牛や豚や鶏によって、限界集落も足の踏み入れ場所もなく衰退する巨大な山林も、立派な資源に生まれ変われます。外国産の大豆やトウキビがなくても牛も豚も鶏も育ちます。食糧の自給を考えられないのは、国家として日本が、米国にも中国にも韓国にも、ほとんどの国に対して輸出超過国だからです。国際収支のバランスをとるために農産物の輸入を政府が主導します。今後も自国の農産物を犠牲にする売国政治を続けるには、世界人口の急増と、地下水が激減し砂漠化するアメリカ西部のように、世界的な農地面積の縮小がつづき、今後はあまりにもリスクが大きいのです。食糧の自給自足は達成すべき国の目標です。

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