アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

南米左翼は果たしてスターリン主義を乗り越えられるか?

2009年03月29日 12時45分54秒 | その他の国際問題
  

 WBCの話題で飛んでしまいましたが、実は同時期に標記のテーマでエントリーを書くつもりでいました。発端となったのは、ミクシイでの、ある人(仮にAさんとします)の下記の書き込みで始まる、一連の対話内容です(但し一部編集済)。皆さんは、この議論の内容について、どう思われますか?

●Aさん:

 キューバ、ホンジュラス、ニカラグア、パナマ、ハイチ、グアテマラ、ベネズエラ、ブラジル、エクアドル、ガイアナ、ボリビア、チリ、パラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイ、そして15日にエルサルバドル・・・・

 何のことかって?
 中南米で次から次へと誕生している左翼政権のことですよ。
 増えているのは以前から知っていましたが、いつの間にやら16もの国が「社会主義」や「反資本主義」を掲げる左翼・左派系政権になっていたんですね。そしてそれらの左翼政権は、キューバを抜かして全てが合法的な選挙によって誕生している。
 ソ連・東欧の共産圏が崩壊したはずなのに、21世紀に入って20世紀以上の数の左翼政権が生まれているこの事態をどう説明できるのか?

 それらの国の多くが出場しているWBCを観戦しながら、なかなか複雑な想いに・・・・

●プレカリアート:

>21世紀に入って20世紀以上の数の左翼政権

 そう言われて初めて気が付きました。20世紀に存在した「社会主義国」の名を、現存するものも含めて列挙すると、右回りにソ連・モンゴル・中国・北朝鮮・ベトナム・ラオス・カンボジア・アルバニア・ブルガリア・ルーマニア・ハンガリー・ユーゴ・チェコ・ポーランド・キューバ・・・の15ヵ国となる。
 その中には、北朝鮮の様に「実態はどうなのか?」と突っ込みを入れたくなる国や、旧ソ連やカンボジアの様に名実共に「非・社会主義化」してしまった国もあるし、「それ以外のアンゴラやモザンビークはどうなのか?」という問題もあったりするのですが、それはまあ今回横に置くとして。

>キューバ、ホンジュラス、ニカラグア、パナマ、ハイチ、グアテマラ、ベネズエラ、ブラジル、エクアドル、ガイアナ、ボリビア、チリ、パラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイ、そして15日にエルサルバドル・・・・

 これは多分、17日付しんぶん赤旗の、「エルサルバドルに左派政権誕生」の記事(写真・地図参照、地図が当該記事に添付の「当該16ヶ国」の内訳)からの引用なのでしょうが、上記の基準も非常に大甘というか。
 キューバ、ニカラグア、ベネズエラ、ボリビアは当然として、まあブラジルのルラ政権も、最近の評価は色々あれど一応左派である事は間違いないとしても、ハイチやホンジュラスまで含めてしまうのは、どうかという気がします。ハイチのプレバル政権なんて、どう贔屓目に見ても、せいぜいが、かつてのフィリピンのアキノ政権か、インドネシアのメガワティ政権止まりだと、思うのですが。
 多分、上記の線引きは、「中道左派より左」と「保守」の間で引いたものと思われますが、そんな基準だと、米国ブッシュと一緒になってイラク戦争に加担した英国の労働党政権すら、「左派政権」としてカウントされてしまいます。

 その他にも、細かく指摘していけばキリが無いのですが、それでも南米左派の躍進が、それまでの新自由主義礼賛の時代風潮を、大きく変えたのは事実ですから。この日本でも、それは「蟹工船」ブームや、アキバ事件以降のネットの書き込みや、派遣村の動きとなって出てきていますしね。

●Aさん:

 オレね、中南米左派やラテンアメリカ社会主義に対しては、僅かですが期待をもっているんですよね。
 その理由は、①たとえ貧しくとも、それらの国々がアメリカ文化圏に属していること。つまり、それらの国々は、20世紀社会主義のような「人類史の本道の外部に咲いたアダ花」なんかではなさそうだということ。中南米諸国は、良くも悪くも資本主義の経済や文化を知っているし体験しているということです。この点は同じ後進国から社会主義の道に踏み出していった、かつての「20世紀型社会主義」とは決定的に違うんじゃないかな?特に、文化の問題が。(旧ソ連や中国みたいな「大国主義」と無縁だという点や人間関係=民主主義の問題なんかは大きいんじゃない?)
 そしてそのこととも関係すると思うけど②中南米社会主義は、どうも旧ソ連・東欧、中国・ベトナム型の一国社会主義を批判的に総括しているフシがあること。先月の「首脳会議」でも「国家社会主義の超克」みたいなことが話されていたようですよね。
 つまり、つい先日この日記で書いたオレの杞憂は、どうも外れそうだということですね。

 どうでしょ?

●プレカリアート:

 Aさんの記事をベースに、私も自分のブログに関連記事を書こうと、各種資料に当たり始めたところですが。とりあえず目に付いたものから。

・エルサルバドル革命史
 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/history/elsalvador/elsalindex.htm
・エルサルバドル 一九八〇年~一九九四年 人権、ただしワシントン式
 http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/persons/kh54.html
・遥かなるサルバドル(不可視の学院)
 http://black.ap.teacup.com/fukashinogakuin/

 エルサルバドルの解放闘争って、オリバー・ストーンの映画にもなっていたのね。それで、その歴史も、権力内部では親米派と極右の暗闘があり、革命勢力の間でも軍事路線派と政治路線派の主導権争いがあったりして、まるで1930年代のスペイン戦争を髣髴とさせる状況があったのですね。そんな中から、「死の部隊」や「サルバドル・オプション」との闘争の苦難の末に、今のFMLN政権誕生や、南米左派躍進の現状があるのだという事を、改めて再認識しています。
 「しんぶん赤旗」のくだんの記事ですが、第一面で選挙勝利の意義を取り上げているのは良いのですが、そういう歴史的背景には余り踏み込まずに、いきなり「反グローバリゼーションの勝利」みたいな所に、結論を持って行っているような所が見受けられたのが、まあ残念と言えば残念です。共産党も、確か80年代には、ニカラグア革命やエルサルバドル解放闘争への連帯活動にも精力的に取り組んでいた筈なのに、そういう事を何故もっと紹介しないのかと、少し不満の残る記事でした。
 それでも、産経・読売辺りの、「反米左翼が躍進しやがって、反日の北朝鮮や中国がまたのさばる」式の見方しか出来ないバカウヨ記事よりは、よっぽどマシですが。

●Aさん:

 オレさぁ、キューバやベネズエラの大使館関係者をチョイ知ってるんだけどさ、南米左翼って、人間的には波長が合いそうなんだよね。
 連中って、カストロやチャべスに対しても言いたいこと言うし、「個人崇拝」といっても南米では北朝鮮とかなり違うみたいね。
 あと、音楽やスポーツなどの文化面も。
 オレの先生が南米左翼を「官能的社会主義だよ」と評したの、良く判りますわ。
 儒教左翼よりオモロイ!
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12 コメント

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難しいですよねw (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2009-03-29 17:27:38
民主主義(というよりも、正確には議会制度)の歴史もその「土台」としての商品経済の発展も西側先進諸国より未熟だったハズの中南米社会に、貧困問題を凌駕するような活力や魅力が感じられる理由が我々には良く判りません。

例えば音楽や舞踏、スポーツなどの文化領域。
それらをその背景ともなって日々生み出す中南米社会。
そこには、「人種的優位性」などでは説明がつかない中南米諸民族の活力や優位性が確かに感じられます(ということは、カストロのキューバもアジア野球なんかをなまじっか勉強しちゃ、かえってマズいことになっちゃうのかもしれませんが・・アジアとも異なる汝の道を歩め!ということ)

アングロサクソン的資本主義が現在破綻に向かっているように、20世紀はロシア的スラブ的社会主義や儒教的アジア的社会主義の限界も表示させたと思います。
これらの「社会主義」の限界は、社会主義以前にすでにロシア的アジア的資本主義に制約が、もっと言えば、それらの地域の前資本主義時代の社会にもともと大きな制約があったということなのではないのか?

調べ考えなければならない問題は案外多いように思う。
メキシコ革命 (三浦小太郎)
2009-03-29 19:12:05
現在の南米の政治についてはまるっきり知らないのでコメントは出来ませんが、メキシコ革命の本は以前読んで、これほど『面白い』革命史があろうかと思ったことがあります。

サパタとかパンチョ・ビリヤとかフランシス・マデーロとか、もう名前からしてなんか面白いが(笑)革命とは凄まじくも面白いものである、という想いを最も感じさせてくれるのは、私にとってはフランス革命でもロシア革命でもキューバ革命でもなくメキシコ革命。

中公新書の『メキシコ革命』が一番読みやすくまとまってるんでしょうけど、『叛アメリカ史』豊浦志郎著 ちくま文庫 もしくは朝日選書「メキシコ革命物語」を是非読んで欲しい。いや、絶対に面白いこと補償しますから。そして、おそらく南米民衆の最も根源的な精神にこの革命は根差していると思う。
エミリアーノ・サパタとゲバラ、ブサンスノー (プレカリアート)
2009-03-29 23:37:37
 三浦さんが紹介された中公新書のその本、私も読みました。考えて見れば、メキシコ革命って、フランス革命やロシア革命に匹敵する位の、否それ以上に、その後の世界の発展に寄与したのですね。

―まず、革命が始まったのが、ロシア革命に先立つこと7年前の1910年。日本ではまだ明治時代ですよ。この時代に、最初は独裁者ディアスに対する単なる地方反乱として始まったのが、次第に農民運動指導者エミリアーノ・サパタの影響を受けて、1917年制定の憲法には生存権保障や資源国有化の権利が書き込まれる様になった。

―劃して、18世紀のフランス革命で生まれた自由・人権思想や、メキシコ革命成功と同時期に起こったロシア革命で生まれた共産主義の考え方と共に、メキシコ革命では民族主権や被抑圧民族解放の思想が謳われる事となった。

―その後、ロシア革命が、資本家階級の打倒・廃絶に一旦は成功しつつも、結局は党官僚が資本家に代わって労働者を搾取する事にしかならず、最後には資本家が復活して元の木阿弥に戻りつつあるのとは対照的に、メキシコではその後も革命体制が続き、その下で国民も一応は革命の恩恵に預かれる事になった。しかし、斯くもの革命体制も、次第に特権層による支配に変質して、とうとう同国にも政権交代(但し、中道から右派への交代の形で)の波が押し寄せる事となった。

―そして、今やメキシコ革命の理想を真に受け継ぐのは、当時の農民指導者エミリアーノ・サパタの名を冠した地方ゲリラ組織(サパティスタ民族解放軍)となった。

―しかし、フランス革命の自由・人権思想や、ロシア革命以後の共産主義が、いずれも革命以後に確立された政治・社会思想をバックボーンとしているのに対して、メキシコ革命においては、そういう明確なバックボーンは殆ど確立されなかった。寧ろ、バックボーンによる締め付けとは対極に、一癖もニ癖もある革命家の個性によって牽引された部分が非常に大きい。

・・・とまあ、そんな感じですか。しかし、エミリアーノ・サパタって、何か、往時のチェ・ゲバラや、今のフランスの若者革命家オリビエ・ブサンスノーにも相通じる様な、そんな立場の人物ですね。


※ところで、その現代メキシコの先住民解放ゲリラ組織・サパティスタ民族解放軍の司令官がマルコスの通称名で呼ばれている事に、今更ながら気が付きました。
 ついては、今まで安倍・福田・麻生の三大ダメダメ自民党政治家を揶揄するのに、「××マルコス」の表現を使ってきた事について、お詫びと訂正を致します。
 そこで、「××マルコス」に代わる表現についても幾つか考えたのですが、語呂合わせ等も考慮に入れると、「××タリバン」とするのが一番妥当かな、と思いました。
 今日はもう遅いので、明日にでも、カテゴリー見出しについては訂正措置を施させてもらいます。以上、お知らせまで。
中南米社会の未知領域 (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2009-03-30 13:14:59
>フランス革命の自由・人権思想や、ロシア革命以後の共産主義が、いずれも革命以後に確立された政治・社会思想をバックボーンとしているのに対して、メキシコ革命においては、そういう明確なバックボーンは殆ど確立されなかった。

中南米の革命前の社会には、市場経済と相即的に発展する男女平等の思想や制度が非常に不十分にしか存在しなかったハズなのに、革命運動で「女性解放」のスローガンはあまり問題にならなかったらしい。
階級社会(その一段階としての資本主義も)の未発展は、農村共同体のようなもの以外に母系社会や群婚制度まで存続させるらしいから、中南米ではそういうものの影響もあったのでしょうかね?平塚らいてふが不要なような社会が。

てことは、中南米では対等・平等な私的諸個人たちによる議会制民主主義などというヨーロッパ資本主義的な「個別と普遍の疎外された統一」の歴史段階を経ずして男女の共同性がストレートに構築出来るのでしょうかね???
女性の方にパトリオティズムみたいな意識が強いのも、そういうことがあってなのだろうか?

スターリンや金正日には父性(雄性?それとも去勢された中性?)しかないだけど、カストロやチャべスには男性と共に母性もあるんだってさ!wwwwww
おチンチン付きオッパイ!!??? ^△^
梁山泊 (BLOG BLUES)
2009-03-30 13:21:50
こんにちは。TBありがとうございます。アジアにも、サパタやゲバラに通じる「梁山泊」があるんですがねえ。日本共産党には、そうして雰囲気がまったくありませんなあ。ちっとも心が躍らない。一体何ですか、今この時に「ルールある資本主義」って。資本主義が歴史的終焉段階にあることを肌で感じないのであろうか。およそ「革命」からほど遠い。ねむたいこと言ってないで、南米の情勢を好しと思うなら、「ポスト資本主義」の旗を今すぐ上げろって。歯痒く思うばかりです。
補足 (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2009-03-30 13:32:39
中南米社会みているとね、マルクスが取り上げた「ギリシャ芸術の規範性」が思い出されるのよね。

つまり、「困難は、ギリシャ芸術と叙事詩とが一定の社会的発展形態と結びついていることを理解する点にあるのではない。困難は、それらが我々にたいしても芸術的享楽を与え、またある点では規範として及び難い模範として通用することにある。
大人は二度と子供になりえないか、または子供っぽくなるかである。だが、子供の無邪気さは大人をよろこばせないであろうか?大人はよりいっそう高い段階で子供の真実さを再生産するために、自らもう一度努めてはならないであろうか?子供のような性質の人の内には、何時の時代でもその人自身の性格が子供の真実性において蘇えらないであろうか?人類がもっとも素晴らしく発育したその歴史的幼年時代は、二度と還らぬ一段階としてどうして永遠の魅力を与えないことがあろうか? 」という一説ですよ。

俗流唯物史観的な社会関係還元論の誤りは、上部構造全般の理解についても言えるんじゃないかな?
半信半疑 (プレカリアート)
2009-03-30 20:39:17
>中南米の革命前の社会には、市場経済と相即的に発展する男女平等の思想や制度が非常に不十分にしか存在しなかったハズなのに、革命運動で「女性解放」のスローガンはあまり問題にならなかったらしい。
階級社会(その一段階としての資本主義も)の未発展は、農村共同体のようなもの以外に母系社会や群婚制度まで存続させるらしいから、中南米ではそういうものの影響もあったのでしょうかね?平塚らいてふが不要なような社会が。(バッジさん)

 バッジさんも悩んでおられる様ですね。言いだしっぺの私が言うのも何ですが、実は私も半信半疑なのです。だからこそ、こうしてエントリーもアップして、広く意見を求めているのでもありますが。
 では何が半信半疑かと言うと、『中南米は、私が思うほど、日本・中国・韓国などよりも開放的な社会なのか?』というのが、このエントリーでの問題提起でした。

 中国・北朝鮮の社会主義に見られる個人崇拝・独裁・民主主義の欠如や、資本主義の日本・韓国における自己責任論や全体主義の風潮は、儒教道徳や封建制の残存による影響が大きいと思われる。翻って、中南米の社会には、アジアほどには、そういう風潮が余り感じられない。その違いは何処にあるのか。それを解明する事によって、「左翼のスターリン主義化、北朝鮮化」を防ぐ事が出来るのではないか、と。その為に上記の問題提起をした―というのが、これまでのまとめでした。

 しかし、そこで浮かぶ疑問が、以下の三点です。

(1)そもそも中南米は、アジアに勝るとも劣らないマチスモ(男性優位)文化の社会じゃないか。
(2)中南米の中でも、例えばブラジルやアルゼンチンの大都市スラムの住民と、ペルー・ボリビアのアンデス高地に住むインディオ先住民とでは、同じ下層階級の人民でも気質や風土は全く違うではないか。先住民にとっては、白人寡頭支配層だけでなく、混血のメスティソ中間層も、搾取する側の人間ではないか。
(3)現に、エルサルバドル解放勢力(FMLN:ファラブンド・マルティ民族解放戦線)の内部でも、軍事路線派(ERP:人民革命軍、FMLNの軍事部門)と政治路線派(FDR:民主革命戦線、FMLN主導による統一戦線組織で、謂わば政治部門に当たる)との間で、路線対立を巡る主導権争いや内ゲバが繰り返されたではないか。他にも、ペルーにおける親ソ派共産党と毛沢東派ゲリラ(センドロ・ルミノソ、MRTA)との抗争や、コロンビアにおける左翼ゲリラのマフィア化・堕落などについても。これらの事例は、北朝鮮やカンボジアのポルポトと、一体どう違うのか。

 しかし、その一方で、以下の様な反証材料もあったりするので、正直言って、結論を出しあぐねているのですが・・・。

(1)中南米における左派躍進の背景には、19世紀以来の反米・反軍政・反寡頭制・反帝国主義感情の存在と、1980年代以降に各国の軍事独裁政権の下で相次いで強行された新自由主義経済政策に対する反発があるのは確かだが、果たしてそれだけの理由で、今の雨後の筍の様な左派政権誕生の状況に至るだろうか?
(2)サパタ、サンディーノ、ファラブンド・マルティからカストロ、ゲバラに至るまで、他地域には無いカリスマ性を有した指導者が、中南米からは輩出している。これらの指導者には、レーニンや毛沢東にはある陰湿さは、余り感じられない。また、ガンディーやホーチミンの神秘主義とも違って、ある種の親しみやすさが感じられる。この差は一体何処から来るのか。
(3)中南米の左翼勢力や共産党は、毛沢東派の武装ゲリラ以外は、いずれも幅広い統一戦線を組織し、軍政の弾圧に対抗してきた。それはエルサルバドルにおいても同様で、内戦終結・和平達成以後は、その力を存分に発揮してきた。同国では、軍政の残滓たる極右政党のARENA(民族共和同盟)とFMLNが、共に二大政党として機能している。これは、日本の例に喩えて言うと、維新政党・新風と共産・新社会・社民3党の統一戦線による二大政党制の下で、石原慎太郎と派遣村の湯浅誠が大統領選で一騎打ちとなり、接戦の末に湯浅が石原を下したようなものだ。その中で、日本の民主党に相当する中道のキリスト教民主党は、かつてはエルサルバドルでそれなりの勢力を有してはいたものの、米国の梃入れにも関わらず、今や極右vs革新統一戦線の二大政党の中に完全に埋没してしまって見る影も無い。―こんな政党配置は今の日本ではまず在り得ない。
男尊女卑とマチスモの異同 (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2009-03-30 21:09:35
アジア的男尊女卑社会と違って、マチスモは女権社会とも両立するんじゃないの?
じゃなきゃ中南米での離婚・再婚の自由や官能的社会主義を説明出来ないもん・・・???
中南米のエロティックな男女関係を知ってますか?
ありゃあアジア的男尊女卑とは絶対に違うと思うんだけど・・・・
プレさん (バッジ)
2009-03-30 21:33:21
例えば、アジアにはラテン社会のような男女ダンスの文化はありませんよね。
中南米社会には、たとえ先進国市場経済社会のようには民主主義の思想や制度が定着していなくても、あの男女関係は厳然として存在していますよ。(この点ではフィリピン社会も同様に面白い。フィリピンの男女社会では、対外的にはマッチョであっても男は案外に女性に従属している。フィリピンでは男のソトヅラとウチヅラが乖離している)
こういうのも人類社会を考える上で検討材料じゃないでしょうか?
何か、少し分かりかけてきた。 (プレカリアート)
2009-03-30 22:59:30
 日本含む「特定アジア」と中南米の違い。それは、後者は、前者とは比べ物にならないほど、多様性を有した移民社会であるという事。
 という事は、もうあと数十年もグローバル化が進めば、日本も中南米の様な社会になるのかも。そうすれば、東京都知事選の時に書いた「浅野・吉田でドンチャン騒ぎ」で「バカウヨ石原なぞ完全泡沫」といった政治状況も早晩夢ではなくなり、「バカウヨ・タレント候補の売名行為によって散々食い物にされてきた劇場政治」とも愈々オサラバ出来るのだ・・・。

>アジアにも、サパタやゲバラに通じる「梁山泊」があるんですがねえ。(BLOG BLUESさん)

 そんな「地上の楽園」が「特定アジア」にもあるのだろうか。ネパール?ブータン?まさか北朝鮮では・・・?
 分かった。その「地上の楽園」こそ、この日本の派遣村だ。それも、在日外国人が多い静岡・広島・北関東当たりの派遣村なぞは、差し詰め現代日本の「中南米」といった所か。
 やはり、他国モデルの直輸入や機械的適用は戒めて、あくまでも、自分の頭でモノを考えなければならないという事の様で。

 派遣村の湯浅誠村長や、反貧困ネットワークの宇都宮健児弁護士、作家の雨宮処凛、各地の反貧困ボランティアこそが、現代日本のエミリアーノ・サパタ、チェ・ゲバラ、オリビエ・ブサンスノーだったのだ。
 なるほど。これだと、ブッシュ・ネオコンとも、小泉・橋下ネオリベとも、きくちゆみの似非科学とも、ユダヤ陰謀説とも、中核・革マルの内ゲバとも、北朝鮮のマスゲームとも、一切無縁だ。
 これ以上に、分かりやすい政治対決の構図は無い。それで、「派遣切り」常襲地帯を票田とする湯浅誠と、副都心のマンションや山の手セレブ居住地域を票田とする石原慎太郎(森田健作)が、がっぷり四つに組んで一騎打ちを演じるのだ。
 ここまで来れば、もう理屈じゃない。新自由主義がどうたら、スターリン主義がこうたら、そんな用語も一切無用。マニフェストはたった一言、「人間をモノ扱いするな!」。メーン・スローガンはこれで充分。新聞を読んだり、パソコンを見たりする、金も時間も無いワーキングプアでも、どちらの言い分が正しいか、直ぐに分かる。劃して、電通の世論操作も、劇場政治のゴマカシも、一切通用しなくなる。

※バッジさんのコメント提起の内容については、もう少し考えてみさせて。

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