アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

Free Nepal! Free Japan!

2008年06月01日 16時44分47秒 | その他の国際問題
・ネパール王制、240年の歴史に幕 制憲議会が決議へ(朝日新聞)
 http://www.asahi.com/international/update/0528/TKY200805280273.html
・ネパール 選挙で決まった王制の廃止(5月30日付・読売社説)
 http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080529-OYT1T00864.htm
・ネパール 共和制宣言 制憲議会 240年の王制廃止(しんぶん赤旗)
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-05-30/2008053007_02_0.html
・ネパール王制廃止 連邦共和制を宣言へ(産経新聞)
 http://sankei.jp.msn.com/world/asia/080528/asi0805282040007-n1.htm

 200年余もの間しぶとく生き永らえてきたネパールの王制も、とうとう時代の波には抗う事が出来なかった様です。同国の制憲議会が5月28日に、とうとう王制廃止、連邦共和制への移行を宣言しました。国王には15日以内の王宮退去が求められ、首都カトマンズの街頭では市民による「王制バイバイ!」「やったぜ!きょうから国王は一般人」の歓声が溢れたとの事です。

 日本人にとっては、ネパールなんて「エベレスト登山家やヒッピーが屯し、ヒマラヤ山麓に牧歌的な風景が広がる、アジアの貧しい小国」ぐらいのイメージしか無かった国です。しかし、それはあくまで表向きの顔でしかありませんでした。
 彼の国は前世紀以来、摂政家ラナ家や王室による独裁が続き、国王専制の下で賄賂政治が横行してきました。議会はパンチャヤトと呼ばれる形だけのものがあるだけで、国民は政党結成も禁じられてきました。民主化への動きも第二次大戦中ぐらいから始まったものの、90年代までは日の目を見る事はありませんでした。

 1990年の最初の革命で、主権在民や立憲君主制への移行が宣言され、市民的自由や政党政治の復活が為されたものの、今度は政党間の争いに国政が翻弄される事になりました。地方では共産党分派の毛沢東主義者(マオイスト)がゲリラ活動を開始し、国民の貧困を他所に政党間抗争に明け暮れる政治に嫌気を差した民衆の心を次第に掴むようになりました。
 2001年に起こった王宮内の内紛で権力を握った現国王による独裁政治が、それに対する民衆の反発を更に煽る事となり、徐々に武装闘争から平和革命路線に転換してきたマオイストが、その間隙を縫って国民の間で支持を拡大していきました。そしてこの4月の総選挙で、王制廃止を最も鮮明にしたマオイストが、従前の保守・左翼の既成政党を押しのけて第一党に進出した事で、王制廃止・共和制樹立の流れが確定したのです。

 それとは対照的に、マオイストの後塵を配する形となったのが、かつて民主化運動を左から牽引してきた筈の統一共産党(CPN-UML)です。90年代以降は保守のネパール会議派(コングレス)と共に、反国王勢力の雄として大きな勢力を誇っていたのに、今回の総選挙ではマオイストに第一党の座を奪われたのみならず、コングレスにも抜かれて第三党の地位に甘んじなければならなくなりました。それでもソコソコの議席は確保して、どうにか面子だけは保てた格好にはなりましたが。
 ネパールの共産党は、国王政府からは弾圧を受ける一方で、コングレスの対抗勢力として一定のお目こぼしをも受けてきた関係上、王制に対しては必ずしも非妥協的ではないとも言われてきたので、そこら辺でマオイストに遅れを取ったのかもしれません。しかし、それは統一共産党のみならず、マオイストにもある程度言える事なのですが・・・。
 或いは、コングレスとの政争に現を抜かす余り、民衆からはコングレスと同じ既成政党と看做されたのが、致命的だったのか。若しそうであるならば、他国の左翼にとっても他山の石とすべき事例と言えましょう。

 日本では、今回のネパール共和国宣言については、まだまだ遠い国の政変劇でしかないというのが、一般的な受け止め方である様です。それどころか、一部のネットウヨクに至っては、やれ「赤化」だの「天皇制への脅威」だのと、「そこまで自国本位にしか捉えられないか」と謂わんばかりの言説が溢れ出る始末です。
 当該国の将来を決めるのは其処で生活をする人民です。若し毛沢東派が、かつてのカンボジアのポルポトの様な国民大虐殺をおっ始めたというのなら未だしも、少なくとも今はそんな兆候など見られない以上は、何の関係も無い日本のネットウヨクが、それにどうこう口出しする資格などは無い。
 
 言うに事欠いてマオイストを、まるで中国共産党の手先であるかの様に看做す言説も一部に見られますが、これも噴飯ものです。何故なら、つい最近まで中国共産党政府は、寧ろ国王政府の方に肩入れしてきたのであり、マオイストなぞは「毛沢東の名を汚す極左集団」ぐらいにしか思っていなかったのですから。それが総選挙での大勝以後は手のひらを返す様にマオイストに急接近し、マオイストもマオイストで、それにちゃっかり乗っかる素振りを見せていると言う。
 本当にネパール人民の事を思うのであれば、寧ろマオイストのそういう政治的未熟さについてこそ、懸念を表明すべきでしょう。少なくともネパールの人々にとっては、日本の天皇制がどうなろうと、そんな事はどうでも良い事。

 また、イギリスや北欧の王制の例を引いて、「王制=悪、共和制=善とは限らない」と、ネパールの王制を擁護する意見も見られますが、それも私は如何なものかと思います。それらの国々が曲がりなりにも民主国家として機能しているのは、ヨーロッパの市民革命や人権思想の伝統によるものであって、王制だからではない。確かに、中国・北朝鮮・イラクなどでは人民共和制が独裁に堕してしまいましたが、それはその国の民主主義がまだまだ成熟していなかったからにしか過ぎません。共和制下ですらそうであるなら、主権在民でない君主制では、もっと酷い独裁政治が行われている事でしょう。
 確かに、王制時代の方が共和制時代よりも、まだ民主的で政治が安定していた例もありますが(カンボジア・アフガニスタンなど)、それは偶々当時の国王が開明的だったからに過ぎません。そんな事を言い出せば、水戸黄門や大岡越前がいた江戸時代の方が、現代よりも良いという事になってしまいます。しかし「今の日本国憲法を廃止して、封建身分制の江戸時代に戻れ」という事にはならないでしょう。

 ネパールのマオイストについては、議会制民主主義や政治的自由への認識という点で、一抹の不安がある事は確かです。しかし逆に、マオイスト自身も国政与党になる事で、今までの武装闘争一本槍の経験やアナクロ然とした毛沢東思想から、次第に脱却していく可能性もあります。またそれとは逆に、既成政党の後を追って汚職まみれになったり、武装闘争一本槍のままでポルポトみたいな事をやらかす様になる可能性も、無きにしも非ずです。果たして、吉と出るか凶と出るか。若し凶と出たとしても、それはそうなった時に、その国と世界の人民が改めて考えれば良い事です。変化を恐れるばかりでは、歴史は退歩しか在り得なくなってしまう。

 いずれにしても、今回の王制廃止で、ネパール社会の変革・民主化が更に促進される事を願って、Free Nepal!
 そして日本も。だいたい、戦後60年以上も経ち、21世紀にもなるというのに、未だに「不敬」がどうの「女系天皇」がどうのと、アホと違うか。いつまで、こんな「明治時代の遺物」にしがみついているのでしょうかね。こんな事ではネパールの人々にも笑われるよ。

(参考資料)

・ついにネパールで王制廃止宣言- [よくわかる政治]All About
 http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20080529M/
・ネパール:『ヒンズー王国』の終焉(全訳記事)(JANJAN)
 http://www.news.janjan.jp/world/0801/0801199168/1.php
・ネパール評論
 http://www.for-peace.com/
・ネパールの空の下
 http://japanepal.com/
・日刊ベリタのネパール情勢特集
 http://www.nikkanberita.com/index.cgi?cat=special&id=200605042224214
・小倉清子のカトマンズ・ジャーナル(アジア・プレス)
 http://www.asiapress.org/apn/archives/0000/1019/
・渡部通信~ネパールは王制廃止、天皇家は(レイバー・ネット)
 http://www.labornetjp.org/news/2008/1212113416974staff01
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5 コメント

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毛沢東派共産党の本質 (よしざわ)
2008-06-03 21:08:44
なににろ、農民を脅迫して選挙で多数をとった毛沢東派ですからね。

さらに「多数を取ったから批判を許さない」なんていっていますし、同じ毛沢東派のポルポト派のように他派を弾圧・殺戮するのが目に見えていますね。

ソ連軍の脅しで東欧諸国の非共産主義政党がが弾圧され、共産主義一色になったのも思い出させられます。
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よしざわさんへ (プレカリアート)
2008-06-04 20:01:15
>なににろ、農民を脅迫して選挙で多数をとった毛沢東派ですからね。
>さらに「多数を取ったから批判を許さない」なんていっていますし、同じ毛沢東派のポルポト派のように他派を弾圧・殺戮するのが目に見えていますね。

 よしざわさんの仰る事、よく分かりますよ。実は私もつい最近まで、マオイストに対してはよしざわさんと同じ様な見方をしていましたから。

 しかし、小倉清子氏の著書「ネパール王制解体―国王と民衆の確執が生んだマオイスト」(NHKブックス)を読んで、少し認識を変えました。1990年の民主化以降も、保守のコングレスだけでなく非マオイスト左翼の統一共産党までも、民衆を横において政争に明け暮れる中で、地方農民の地位向上やカースト制打破を真正面に掲げたのは、マオイストだけでした。だから、民衆の支持を得る事が出来たという側面「も」あるという事を、小倉氏のルポを読んで初めて知りました。
 http://www.asiapress.org/apn/archives/0001/1047/

 ただ、これはあくまで「そういう側面もある」という事であって、それが全てでは勿論ありません。マオイストが陰では暴力を行使して民衆を脅かしたというのも、私は嘘ではないと思います。小倉氏もその事には懸念を表明しています。また、マオイズムが一定民衆の支持を得る事が出来たのも、あくまでネパールの政治的特殊性(もっと有体に言えば後進性)に因る所が大きいと思います。いつまでもこんなスターリン主義の尻尾を引きずったマオイズムに、民衆がつき従うとは思えません。その時にマオイストがどう出るか。ひょっとしたら、90年代以降の民主化の流れを全てぶち壊すような挙に出ないとも限りません。それを本当に危惧します。

 しかし、希望もあります。というのは、90年代から本格的に始まるネパールの民主化運動そのものが、その直前に相次いで起こった中国の六四天安門事件や、「ベルリンの壁」崩壊を契機に起こったものだからです。当時はまだインターネットこそ無いものの、その頃から既に世界は情報化社会に突入し、このネパールの地にも東欧のニュースが刻一刻と伝わってきていました。当時の統一共産党議長アディカリも、その頃自宅で天安門事件のビデオを食い入るように見ていたと言います。「ソ連軍の脅しで」生まれた東欧スターリン主義体制の崩壊が、回りまわってネパールでは、パンチャヤト体制の崩壊を促したのは、歴史の皮肉という他ありません。
 「右であれ左であれ、民衆から離反した独裁政権はやがて必ず滅ぶ」という事から学んだ民衆が起こした革命である限り、民衆はやがてマオイストの限界をも乗り越えて、ネパールの地で本当の民主主義を勝ち取る事が出来るのではないかという気がします。ひょっとしたら、この私の見方は、よしざわさんからすれば、余りにも楽観的過ぎるかも知れません。しかし、「単なるペシミズム(冷笑主義)からは何も生まれない」と言う事も言えるのでは。
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Unknown (草加耕助)
2008-06-04 20:04:07
イギリスや北欧の王制の例を引いて、「王制=悪、共和制=善とは限らない」と、ネパールの王制を擁護する意見も見られます

アホですね。イギリスや北欧は共和制と理解するべきです。王政なんて名前だけのものにすぎません。
「王室が残っているから」ではなく、「王室が残っているにもかかわらず」です。
女系がどうのこうのなんて、全くもってくだらない。要は「教祖様が就任の時に右手で数珠をもつところ、左手で数珠をもっていたから教祖様ではない」という程度の、信者以外から見たらどうでもいいような宗教論争にすぎず、憲法や天皇制とは何の関係もない趣味的な神学論議です。天皇主義者の信教の自由は尊重しますが、そんなどっちでもいい宗教論争に国民を巻き込むな。

>よしざわさん

「多数を取ったから批判を許さない」

それは間違った言動ですよね。まるで参院選に負ける前の一部の自民党議員と同じ言い草です。特に安倍政権の時が酷かった。
一党独裁、王政(個人独裁)と共に、多数派独裁も否定されるべきです。
少数派の権利、とりわけても少数派の「言論・表現の自由」と「政治的・経済的平等」が徹底的に手厚く保護されること、そしてそれはたとえどんな多数派であろうと絶対に侵害できないこと、行政がやれ愛国心だのやれ君が代斉唱だの強制力をもって政治的に偏った考えを個々人に強制しないこと、これらが保障されてはじめて民主主義と言えるのです。
これが保障されない「単純多数決主義」は多数派独裁であって、それは民主主義ではなく、独裁の一形態にすぎません。ナチスが国民の支持を得て100%合法的に政権を獲得し、全世界の人々を悲惨のどん底に叩き落としてしまった20世紀の教訓として、これは絶対に守っていかなくてはならないことです。
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何故タイトルにFree Nepalの語を入れたか (プレカリアート)
2008-06-04 20:20:10
それすら理解できないネットウヨク(注:よしざわさんの事ではありません、削除済の某投稿に対してです)が居る様なので、一言。これはネットウヨクへの皮肉をも含んでいるのです。チベット問題については、あれだけ人権NGOと共に「Free Tibet!」を叫んで、中国政府による民族自決権や生存権の侵害を非難するくせに、ネパールの事になると途端に、自国の天皇制護持の都合を、平気で他国の人民に押し付ける傲慢さに。この調子では、若し仮に第二次大戦で日本が中国に勝って、中国に日本の傀儡政権が誕生していたら、今頃は日本が中国と同じ様な事をチベットにしていたでしょう。
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生成途上というには余りに未熟 (プレカリアート)
2008-06-08 23:11:18
 それにしても、ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)というのは、つくづくよく分からない政党です。

・ネパール最大政党議長「メディアの批判許さない」
 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080601-OYT1T00433.htm
・ネパール毛派議長、元国王の政治活動を容認
 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080530-OYT1T00835.htm?from=nwla

 上記はいずれも読売新聞の記事ですが、それによると、一方では「自党に対する批判は一切許さない」などと、まるで北朝鮮みたいな事を言うかと思えば、他方では逆に「元国王の政治活動を容認する」と、王制再復古の可能性にも含みを持たせるかの様な発言をしたりと、矛盾した事を平気で言っています。一体どちらが本心なのだろうか。

 同様の矛盾した傾向は、マオイストと袂を分かち議会主義に立脚しつつも、党内に武装闘争路線への郷愁を捨てきれない幹部を抱えるネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(統一共産党)にも言える事ですが。

 暴力革命・独裁志向で、凡そ民主的とは到底言えない様な一連の発言を聞くにつけても、生成途上というには余りに未成熟なネパール左翼の現状に、懸念が更に深まります。革命がジェノサイドと内戦に変質した挙句に、封建王制の復活で結局元の鞘に納まっただけという、カンボジアの二の舞みたいな事にならなければ良いのですが。
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