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釜ヶ崎越冬ライブでセンター移転問題について考える

2019年01月03日 21時59分47秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

 今年も釜ヶ崎越冬闘争に参加して来ました。大阪・西成の釜ヶ崎での野宿者支援活動です。「一人の餓死者・凍死者も出すな」を合言葉に毎年、年末年始に行われて来ました。センターでの集団夜営で野宿者襲撃に備え、夜警パトロールで急病人救護を担います。三角公園では炊き出しや支援ライブが行われます。
 但し、私は年末年始も仕事で、通常の公休日しか休めないので、あくまでも一観客として参加したに過ぎませんが。それに、ライブ最大の目玉で、私も楽しみにしていたSHINGO★西成が今年は出ない事もあり、少々盛り上がりに欠けたのも確かです。それでも、ハルマキチマキや趙博の歌声に魅了されました

 それにしても、炊き出しで出された牛すじカレーや餅つき大会のお餅の美味しかった事。これらの食事は、野宿者の方だけでなく一般の参加者にも無料で振舞われます。炊き出しの際には長蛇の列が三角公園の周囲をぐるっと取り囲みます。流石にカレーも餅もタダでは申し訳ないので、千円カンパしました

 

 更に今年はセンター移転問題の学習会にも参加して色々勉強させて貰いました。あいりんセンターは耐震化工事の為に今年3月末に仮移転します。建替終了までの数年間、センター機能は南海高架下の仮事務所に移ります。そして、センターの上の市営住宅や隣の病院はセンターから完全に切り離され、こちらは旧萩之茶屋小学校跡地に本移転します
 尚、あいりん総合センターは建物の総称です。あいりん職安や西成労働福祉センター、社会医療センター(病院)、市営住宅、付属テナント等が中にあります。但し、職安と言っても実際の業務は日雇い失業保険の加入・給付手続きだけです。労働者はセンター1階の寄せ場で業者と直接交渉して仕事を探します
 あいりんセンターは1970年竣工で、今の建築基準法の耐震基準を満たしていません。建物の老朽化も進み、どの道、建替は必要でした。ところが、それを建替工事を管轄する松井・大阪府知事が急に言い出した事で、大阪都構想や西成特区構想絡みで、再開発に名を借りた野宿者排除が疑われる事態となりました

 あいりんセンター移転問題については下記の新聞記事等も参照。新センターのあり方については、行政・学識経験者・地域諸団体で構成される「まちづくり検討会議」で議論されて来ました。しかし、同会議には野宿者支援団体も参加していますが、実際には行政から新センターの具体像がなかなか提起されず、「このままでは行政サイドで物事が決められて行くのではないか?」「センター1階の寄せ場で寝泊まりしている野宿者を追い出すのか?」「センターにあるシャワー室やトイレも使えなくなる」との意見が学習会で出されました。その一方で、「センター清掃業務の作業員首切りを撤回させた」との報告もありました。

老朽化の大阪・西成「あいりん総合センター」移転場所を決定 35年度にも建て替え完了 住民らと確認(産経新聞 2016.7.27付)
大阪・西成「あいりん総合センター」、労働支援機能は移転せず(日経新聞 2015.1.27付)
第 17 章 あいりん総合センターの現況と問題点、新しいセンターのイメージ    (たたき台)(ありむら潜)
大阪西成特区構想 釜ヶ崎の潜在的資産価値に目をつけた資本 「大阪都構想」見すえた釜ヶ崎の解体と巨大再開発(人民新聞 2014.10.3付)
西成特区構想 釜ヶ崎センター移転問題についてのまとめ Part 1(Part2、Part3に続く)

 実際、ニューヨークのハーレムやロンドンのイーストエンドでは、それまで住んでいた低所得層が再開発で追い出される事態となりました。釜ヶ崎もそうなる恐れは多分にあります。だから、松井知事や吉村・大阪市長は、高齢化した日雇い労働者を生活保護に囲い込み、自然消滅するのを待っているのでしょう
 それに対して、野宿者支援団体の方も、センターの建替自体に反対し、耐震補強工事に止めるべきだという人達と、建替の必要性は認めた上で、野宿者の生存権を守っていこうという人達の間で、対立が生まれています。これがセンター移転・建替問題の大まかな構図です。

 私は当初、「あくまでも仮移転で、センター機能も引き継がれるなら、それで良いじゃないか、それを居場所が無くなると騒ぎ立てているのは、一部の人間に過ぎない」と思っていました。ところが、今日の学習会に百人近くも詰め掛け、次々と意見が出るのを見て、当人にとっては死活問題なんだと思い直しました
 一番良い移転策は、JR新今宮駅の北側(浪速区)に広がる大阪市所有の広大な遊休地(注:この一番下の写真)を、星野リゾートなんかに売却せずに、そこに耐震基準を満たした新センターを建てる事です。それなら、仮移転する必要もなく、直ぐに新センター稼働に繋ぐ事が出来ます。浪速区にとってはイメージダウンにしかならず、絶対にウンとは言わないでしょうが。司会者の方も、それを頻りに残念がってました

 

 その一方で、センター移転問題を、野宿者だけの問題と捉えている限り、私の様な野宿者以外の一般住民にとっては、やはり近寄り難い。単に寝床確保の要求だけでなく、一般住民も巻き込んだ家賃引下げ・賃金引上げ要求にしていかない限り、運動には参加し難いと言う事も、後で司会者の方には伝えました
 「私は三畳一間で水道も風呂も共同のホテルに住んでいます。観光客も多く利用するホテルで、家賃も4万円余と格安ですが、それでも間取りは昔のタコ部屋と同じです。それに対し、風呂・トイレ付の物件を野宿者には無料で、一般住民にも月1〜2万円で要求する運動なら、私も喜んで参加するのに」と

 それを野宿者支援だけに留めてしまうから、私の様な一般人は運動に参加できなくなってしまうのです。だって、盆・正月も仕事で、自分の事だけで精一杯なのに、とても炊き出しや夜中の見回りなんか私には無理です。野宿者の人からすれば冷淡かも知れませんが、実際そうなんだから仕方ありません

 しかし、「室内にテレビだけでなく冷蔵庫や炊飯器も置く事が出来、食事も入浴も気兼ねなく出来る低家賃の住宅をもっと作れ」という運動なら、私も喜んで参加します。自分自身も身にしみて感じている事だから。野宿者の人も、本当は単なる寝床確保だけでなく、それが本望ではないでしょうか?
 それこそが本当の「健康で文化的な最低限度の生活」ではないでしょうか?野宿者の人が生活保護に入るのを嫌がり、「空き缶拾いでドヤに泊まる方がマシだ」と言うのも、実際の生活保護が、「健康で文化的」な生活とは縁遠い「飼い殺し」「室内ホームレス」に過ぎないからではないですか

 仕事についても、日給たった5〜6千円の特掃(特別清掃事業)を輪番制で月数回こなした所で、野宿生活から脱却できる訳がない。逆に通行人から好奇の目で見られるだけで。それよりも、誰でも仕事で月10〜15万円の収入を得られ、不足分だけを生活保護や障害年金で賄う様にすれば、「飼い殺し」状態から脱却できると思いました。
 実際はその特掃予算を勝ち取るだけでも大変だった事も聞いております。国会議員の山本太郎が野宿者支援の炊き出しに参加したのも、決して売名なんかじゃないと思います。もし売名の気持ちがあったとしても、私には出来ない事をやったのだから、私なんかより遥かに偉いと思います。

 

 

 その上で敢えて言います。私が何故炊き出しなど列に敢えて並んだのか?炊き出しのカレーやお餅は、野宿者以外の低賃金労働者にとっても既に贅沢品なのです。安物のカレーにはあんなに具材は入っていません。正月に餅を食べる余裕なんてありません。私達の生活も野宿者とそんなに変わらないのです。

 非正規労働者の食生活は野宿者ともさほど変わらない。嘘だと思うなら実際に一人暮らしの非正規労働者に聞けば良い。給料日前の食生活がどんなものか?実際にクリスマスケーキやお雑煮を食べた事があるか?この一ヶ月間に果物を食べた日があったか?盆・正月やGW連休の時期にどれだけ収入が減るか?(書きながら段々腹が立ってきた)
 「食事を自炊もせずに外食で済ます様な贅沢な奴に消費税の軽減税率は適用しない」と安倍は言う。単なる税率8%据え置きを「軽減」と称する厚顔無恥もさる事ながら。三畳一間で室内にキッチンもなく、早朝5時に起きて7時には仕事に就かなければならないのに、一体いつ、どうやって自炊しろと言うのか?

 だから、野宿者以外の低賃金労働者も排除しないで欲しいのです。釜ヶ崎にやって来るのは外国人観光客ばかりではありません。私達の様な低賃金の非正規労働者や外国人の留学生バイトも、周辺より安い家賃に引き寄せられて釜ヶ崎に住み始めています。その私達や彼らにも参加できる様な運動を望みます。

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反省の弁 (プレカリアート)
2019-01-04 21:29:22
今回のブログ記事については、野宿者支援運動と非正規労働運動との接点を探る意味では一定の意義があったと思いますが、食生活の類似性などの一面だけを見て、単純に「我々、非正規労働者も野宿者と変わらない!」とまで断定してしまった事については、いささか思考が短絡的だったと反省します。以下、ツイッターに投稿した反省の弁。↓

昨日午後から急に左足の痺れが酷くなり、びっこを引かなければ歩けない状態になってしまった。そこで昨日は会社を早退し、今日休みを取って病院に行って来た。すると左足親指の軟骨がすり減っている事が分かった。老化現象による症状なので、もう湿布で対応するしかないそうだ。

昨日は痺れの原因も分からず、薬局で買った冷湿布も全然効かず途方に暮れていた。ところが入浴した途端に症状は快方に向かい、今はもう普段通り歩けるようになった。今まで漠然と「急性の痛みや痺れには冷湿布」と思い込んでいたが、こんな場合は寧ろ身体を温め血の巡りを良くしなければならないと実感。

そして、正月なので救急病院に電話しても専門医不在で対応できないと言われた。幸い薬局は開いていたので湿布だけは購入出来た。もし薬局も休みの元旦だったらどうなっていたか?健康保険の有難さが身に染みて分かったと同時に、保険にも入れない野宿者と同列に比較する短絡思考にも改めて気付かされた。
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それでもまだ自説に固執するw (プレカリアート)
2019-01-05 06:38:43
コメントの表題には「それでもまだ自説に固執するw」とありますが、これは別に意固地になっている訳ではありません。今回の病院通いで、今まで知らなかった事を経験し、私自身どう結論付けたら良いか、まだ分からないのです。今まだ思考中という事でご勘弁を。以下、引き続き私のツイッター投稿から引用。↓

しかし医療においても、非正規労働者と野宿者の間には一定の類似性があるのではないか?例えば、休日に救急病院に電話しても内科以外は専門医不在で、休日診療所→府の救急医療センター→2箇所の救急指定病院と、たらい回しにされた挙句、そこでも「正月明けの4日にならないと診察出来ない」と言われた。

実際、私が実家を飛び出し釜ヶ崎に住み始めてからも、病院探しには苦労した。ホテルの目の前にあるあいりんセンターの病院は、行き倒れ患者専門で評判もイマイチ。逆に近くの市大付属病院は、紹介状持参の金持ちしか相手せず。他の病院も、午前中のみ診察だったり、診療科目が少なかったり。

私が今日休みを取って行った山本第三病院も、南津守という、最寄駅の北加賀屋から20分も歩かなければならない不便な所にあり、天下茶屋・岸里駅方面への15分ヘッドの送迎バスでそれをカバーしていた。では、バスが運休する休日に病気になってしまったら一体どうすれば良いのか?

市外から転入して来て近所付き合いもない。職場のバイトもそんな奴ばかりの中では地域医療の情報共有もままならず。釜ヶ崎の労働者は情に厚いと言うが、仲良くなっても所詮は競馬仲間。職場の愚痴で盛り上がる事はあっても医療事情には疎い。そう考えると、ブログ記事の指摘も当たらずとも遠からずでは。

勿論、それだけで「医療に恵まれない点でも野宿者と非正規労働者は同じだ」と言う気はない。両者の間には厳然たる格差がある。天王寺のビル群と釜ヶ崎を分かつ崖の様に。しかし、その天王寺の市大付属病院から治療を忌避されている点では同じだ。だったら互いに反目するのではなく連帯すべきではないか
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