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東大話法への対処法

2014年07月27日 19時00分07秒 | 職場人権レポートVol.3
もう「東大話法」にはだまされない 「立場主義」エリートの欺瞞を見抜く (講談社プラスアルファ新書)
クリエーター情報なし
講談社


 「東大話法」という言葉があります。政治家や御用学者が国民を煙に巻く時によく使う話法(言い回し)の事です。「お役所言葉」等によく見られます。
 例えば、原発事故による放射能の影響について、彼らはテレビや新聞等で「今すぐ健康に影響が出るレベルではない」という言い方をよくしますが、これなぞ正に「東大話法」の最たるものです。たとえ、すぐに影響が出てこなくとも、後で徐々に影響が出てきてバタバタと死んで行くから怖いのに。でも、大抵の人はその言葉だけでもう安心してしまう。本当は、それだけでは済まない事も薄々は分かっているのだが、そこまで考えると不安で居ても立ってもいられなくなるので、「今すぐには影響は出ない」と無理やり自分に言い聞かせているだけなのでしょうが。
 この様に、物事の本質をはぐらかしたり、論点を巧妙にすり替えて、聴衆を一時的に煙に巻く時によく使われます。東大出身の政治家や御用学者がよく使う言い回しなので、俗に「東大話法」と呼ばれるようになりました。上記の著書などにその内容が詳しく書かれています。

 何と、先日職場で、その「東大話法」にじかに接する機会がありました。
 私の職場は大手スーパーの物流センターで、私はそこで現場業務を担っている下請け企業の契約社員として働いています。
 物流センターなので、荷物はカゴ車やカート等に積まれて運ばれます。荷物を運ぶ際は、折りたたんであるカゴ車やカートを広げて組み立てるのですが、底板を下に降ろす際に、どうしても大きな音が出てしまいます。底板を自分の片手で支えながらゆっくり降ろせば、そんなに大きな音は出ないのですが、忙しくなればそんな事には構っておれなくなるので、ついついバンバンと音を立てながらカゴ車やカートを組み立てる事になってしまうのです。
 先日の夜も、私たちと入れ替わりで夜勤シフトに入ったバイトが、その様にバンバン音を立ててカートを組み立てていたら、たまたま横を通りかかった当該スーパーのセンター長に見咎(とが)められてしまいました。スーパーのセンター長からすれば「下請けのバイトが自社のカートを乱雑に扱っている」と映ったのでしょう。「一体どんな指導を受けているんだ」という話にまで発展してしまいました。

 翌日、その件で私の会社で全体朝礼が持たれ、大体次の様な所長の訓話がありました。
 カゴ車もカートも不足気味で、こちらからもスーパーに備品を発注してもらう様に要望しているが、その中でこんな事があったのでは、言うべき事も言えなくなる。そうならない為にも、備品の扱いは丁寧(ていねい)に。今後は、カゴ車やカートを組み立てる際は、底板を片手である程度支え、静かに降ろす様に・・・と。
 私もその時は、「このクソ忙しい時に、いちいちそんな事やってられるか」と思いながらも、「備品の扱いは丁寧に」と言う事には反論のしようもないので、フムフムと思いながら聞いていました。それに、底板をそのまま何も支えずに落とした際に、誤って自分の足に当たったりしたら怪我してしまう。そういう意味でも、備品は大切に扱わなければならない・・・と。

 しかし、よく考えると、この所長の訓話にも、前述の「東大話法」に見られる様な矛盾がある事に気がつきました。
 この訓話の最も大きな矛盾は、「カゴ車不足やカート不足に対応しなければならない」という事と、「備品は丁寧に扱わなければならない」という、互いに次元の異なる問題を十把一からげで一緒くたに捉えてしまっている事です。両者は「イコールの関係」にはないにも関わらず。確かに、備品を丁寧に扱えばそれだけ備品の耐用年数は多少伸びますが、圧倒的に備品の絶対数が不足している中で、それだけに頼っていたのではお話になりません。備品を発注するなり、回収を強めて備品の回転を上げる手立てを講じなければ、問題は基本的に解決しません。でも、その備品発注を行う権限があるのは、そこの備品を管理し、うちの下請け企業に現場作業を委託しているスーパーだけなのです。我々下請け業者は、少ない備品で日常業務を回しながら、業務発注先のスーパーに「備品を買って下さい」と要望を上げるしかないのです。

 その「やるべき事」をスーパーが充分やらずに、下請け企業の私の勤務先もスーパーに「言うべき事」を充分言えて来なかったからこそ、備品が恒常的に不足して、時間に追われて備品を乱暴に扱わざるを得ない状況に追い込まれたのではないですか。バイトには何の責任もない。これを他の事例に置き換えて考えればよく分かります。例えば、何かメーカーのミスで事故が起こった際に、補償会議の席上で被災者や遺族の発言に多少の行き過ぎがあったからと言って、それで民事賠償の責任をメーカーが免れる事が出来ますか?また、残業代未払い分の件で労組交渉をしている際に、組合側の発言に多少の行き過ぎがあったからと言って、それで未払い分の残業代を会社側が踏み倒す事が出来ますか?それが、今回みたいな事を言い出せば、スーパーは下請け側の細かなミスにかこつけて、いくらでも口実をつけて備品発注をサボタージュ出来る事になってしまいます。
 そこで、最近現場に備え付けられるようになった業務連絡用のファイルに、下記の文書を別紙意見書の形でファイルしておきました。本当はわざわざ別紙なぞにせず、意見記入欄に書くだけに止めたかったのですが、記入欄が余りにも小さく、そのスペースだけでは収まりそうになかったので。

(引用開始)
全体朝礼の件等について

 7月24日(木)の全体朝礼で所長が報告された件ですが、私は所長の説明の仕方にも疑問を感じました。確かに備品(カート)を乱雑に扱ってはいけないのはその通りですが、だからと言って、「その為に元請(××××・××××)が備品を発注してくれなくなくなったら困る」とまで、何故思わなければならないのですか。そんな事まで言い出せば、元請は幾らでも口実をつけて備品発注をサボタージュ出来る事になってしまいます。
 例えば、労使交渉の席上で、たとえ組合側の一部役員に限度を超えた発言があったとしても、それを口実に会社側は残業代不払いなどの違法行為をチャラに出来ますか?今回のケースもそれと同じではないでしょうか。
 確かに、備品は乱暴に取り扱ってはいけない。しかし、だからと言って、バイトの誰かが備品を乱暴に取り扱っていたからと言って、それを口実に、元請が「やるべき事をやらなくても良い」という事には絶対になりません。その様な、本来は全然違う次元の話を、十把ひとからげにごちゃ混ぜにして捉えてしまうのは、如何な物かと思います。
 もし元請がそんな事を言ったのであれば、それこそ下請け虐めの問題発言であるし、元請がそんな事まで言っていないにも関わらず、下請けの方から先回りして、それを気に掛ける余り「言うべき事も言えない」としたら、それも余りにも卑屈な態度だと言わざるを得ません。(以下略)
(引用終了)

 この私の意見書の内容に対して、所長からの返事はまだありません。でも、理屈から言えば私の言い分の方がはるかに正しいと思っています。実際、その後何人かのバイトに聞いても、私の言い分の方が正しいと言ってくれました。でも、かく言う私も、自分が下請けの契約社員になって初めて、こういう事も考えられるようになったのです。それまでは、この私の勤務先の下請け企業の所長と同じ様に、「備品を発注してくれと言える様にする為にも、備品は丁寧に扱わなければならない」と思っていたのですから。それ所か、かつて生協の正規職員として、物流センターでバイトやパートの管理をしていた時には、自分もこの所長と同じ様な事を言って、バイトやパートを煙に巻いて、自分でも「バイトの為に言っているんだ」と本気で思っていたのだから。
 「東大話法」のウソに気付き、それを見破る力を養う為には、それが職場の上司によるものであれ、もっと上の政治家や学者によるものであれ、冷静になって客観的に見る訓練を、普段から続ける以外にはないのかも知れない。

 しかし、この「東大話法」の矛盾も、少し考えれば誰でも分かりそうなものです。それなのに気が付かないのは、本当は薄々ながらも気付いているのに、いちいち気に掛けない方が当座は楽に過ごせるので、気付かないふりをしているうちに、本当にそう思うようになって(洗脳されて)しまったからでは。
 今回のカートの件でも、スーパーはさすがに「そんなに乱雑に扱うならカートを購入してやらない」とまでは言っていないと思います。それでカートが不足して仕事が回らなくなったら、困るのは自分たちなのですから。だから、これも本当は、下請けのうちの会社の方で勝手に都合よく解釈して、バイトへの脅しとして使っているだけではないか。うちの会社の体質からも充分あり得る話です。
 それで会社はうまく事態をかわしたつもりなのでしょうが、そんな事ばかりしていても、業務発注先のスーパーから足元見透かされて、ますます自分の立場を悪くするだけなのに。
 昔、日本国民が無謀な侵略戦争を食い止める事が出来なかったのも、治安維持法などで反対意見が弾圧されただけが原因ではなく、日本人のそういう「長い物には巻かれろ」の奴隷根性が災いしたからでしょう。それを戦後60年以上も経ったのに、未だにそこから抜け出せないとは。つくづく情けない限りです。
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1 コメント

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そうなんですよね~ (うろこ)
2014-08-03 00:09:53
こんにちは、お久しぶりです。
そうなんですよね~「誤魔化し」を見やぶるには、それなりの知識、冷静さ、観察力が必要なんですよね。自分自身が「信じたい方に流れる」のに気を付けなければならないところもありますし。
最近知ったのですが、映画監督が下記の言葉を残していたそうです。
「つまり日本人全体が夢中になって互いにだましたり、だまされたりしていたのだと思う。つまりだますものだけでは戦争は起こらない。
だますものとだまされるものとがそろわなければ、戦争は起こらないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」
(映画監督伊丹万作「戦争責任者の問題」(『映画春秋』1946年8月号所収)

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