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黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

パソコン奪還作戦

2017年09月23日 23時52分03秒 | 当ブログと私の生い立ち



 本日、遂に実家に残してきたパソコンを「奪還」して来ました。
 実は、今日は実家は彼岸の墓参りだと聞いていたので、親父のいない隙に、実家に残してきたパソコン、プリンターや冬物衣類を持ち出そうと、今までひそかに計画を練っていました。当日は祝日の土曜日で、ただでさえ忙しく、普段なら有休申請はなかなか認められません。しかし、社員にも事情を話して、何とか有休取得に漕ぎつける事が出来ました。
 そして、勤務シフトが確定した後は、当日休みのバイトに引っ越しを手伝ってもらおうと、知り合いのバイトに片っ端から声をかけて行きました。残念ながら、こちらの方は、どのバイトも既に先約済みで、応援要員は誰も確保できませんでした。但し、もっと早めに声をかける事さえ出来れば、応援を募る事は十分可能であるとの感触も、同時につかむ事は出来ましたが…。その為、単独行動での引っ越し作戦を余儀なくされ、パソコンとプリンターの他は、最低限の荷物しか持ち出せませんでした。しかし、それでも、全てを一から新たに買いそろえなければならない事を思えば、だいぶ助かります。おかげで余計な出費をだいぶ抑える事が出来ました。これで何とか今年の冬は越せそうです。

 ところが、親父が墓参りに出かけた時間を見計らって、実家に行ったにも関わらず、実家にはまだ親父がいて「元気でやっているか?これからワシも墓参りに行くけど、また何か困った事があればいつでも言って来いよ」と、いつもの泣き落としに出て来ました。
 しかし、もはや、そんな物に騙される私ではありません。前回も、そんな形で親父と和解したにもかかわらず、親父は結局何も変わっておらず、また同じ過ちを繰り返した挙句に、今回の事態に至ったのではないですか。
 親父が墓参りに出かけて程なくして、電気工事会社の担当者が、実家飛び出しを機に解約した光回線のルーターを回収訪問にやって来ました。こちらも、解約そのものは早めに済ませていたのですが、親父と鉢合わせになるのが嫌で、今までずっと回収を見合わせてもらっていたのです。今日、その処理をようやく終える事が出来ました。首尾よく回線切断、ルーター回収の手続きも終え、後は持参のバスケットに、パソコンや衣類を詰め込めるだけ詰め込んで、電車で実家最寄り駅から投宿先のホテルまで、えっちらおっちら一人で荷物を運んで来ました。
 そして、ホテルに持って来た荷物のセッティングを終え、パソコンを起動し、実家飛び出し後に作成した資料・データ類をメモリーからパソコンにダウンロードしました。

 次はインターネットへの接続設定です。現在の投宿先は賃貸物件のホテルなので、壁に穴をあけるような回線工事はとても不可能です。必然的に、WiFiを利用する事になります。それなら、今使っているスマホと同じソフトバンクの光回線と契約するのが、パック料金も適用され安上がりで済ます事が出来るだろうと、午後から近くのソフトバンクのショップにおもむきました。そこでルーターを購入し、ホテルに一旦持ち帰りました。その後、読みたい本があったので、図書館に借りに行き、夕方帰って来た後に、荷物の整理とルーター設営にかかりました。

 そうして、ようやくホテルでもインターネットが可能になり、今、ブログの更新をやっている所です。しかし、ホテルの部屋の狭い事。四畳半のスペースしかないので、パソコンを一々部屋の隅に押しやらなければ、寝床の確保もままなりません。仕事終わってただ帰って寝るだけなら、四畳半だけでも何とかなりますが、それだけでなく、部屋で何か始めるとなると、やはり最低でも六畳ぐらいは欲しいなと思いました。 

 しかし、こんな事ばかり書いていると、また以前の「公開処刑」の時みたいに、「せっかく親父が寄りを取り戻そうとしているのに、お前はパソコンの事ばかり書いて、何て冷淡な奴なんだ!」と絡んでくる奴が出てくるかも知れませんね。私もそれは当然織り込み済みです。それを承知の上で、敢えてこのように書いているのです。それは何故か?

 子どもに悪影響の与える親の事を「毒親」と言います。そして、「毒親」の下では、家族関係は「共依存」のいびつな形になって行きます。「共依存」と言うのは、一種の「もたれ合い」の関係です。分かりやすいアルコール依存症の例で説明すると、酒乱の夫に対して、妻は夫の暴力に耐えつつも、夫が怖い、夫に嫌われたくない、夫が可哀想などの理由で、「もうこれが最後よ」と言いながら、夫についつい酒を渡してしまう。すると、夫はますます酒におぼれ、妻も夫からますます離れなくなる。これが「共依存」です。こんな状態が続く限り、この家族はアルコール依存症から絶対に抜け出す事は出来ません。

 この悪循環を断ち切るには、「共依存」の害にいち早く気付いた側から、まだ「共依存」のとりこになっている側との関係を断ち切る以外にありません。そうしなければ、ますます悪循環にはまり込み、最悪、妻や子どもが夫に殺されるかも知れません。加害者が自分から改心する事なぞまずありません。改心する位なら今頃とっくに改心しています。被害者も、「共依存」の環境に長年どっぷり浸かっていたら、それが当たり前になってしまい、なかなか気付けないものです。しかし、被害者には、その不安の種を突き止めようとする心が、まだいくばくかは残っています。だから、大抵の場合は、被害者が「共依存」に先に気付きます。

 依存症患者の心にあるのは不安やストレスです。依存症患者もまた、その親から暴力を振るわれて来ました。それが当たり前になってしまい、大人になれば、今度は子どもに暴力を振るう事になるのです。そして、その不安やストレスから逃れようと、酒やギャンブルやセックスにおぼれる様になるのです。
 依存の対象も酒やギャンブルだけではありません。サプリメントの乱用や、「時間に異常に厳しい」「潔癖症」「完璧主義」などの性癖、「こだわり」も、一種の依存症です。親父も、サプリメントを十種類以上も飲んでいました。そして、5分待たされただけでも烈火のごとく怒り出し、兄貴と一度トラブルになった事もありました。

 

 また、言う事が支離滅裂なのも、依存症患者の特徴の一つです。「食事の用意が面倒なので夕食は外で食べて来い」と言ったかと思うと、翌日には「食材が余るから家で一緒に食べてくれ」と、正反対の事を言いだします。そうかと思うと、「もう、わしはお前を養って行けないから、早くひとり立ちしてくれ」と自分から言っておきながら、いざ賃貸物件を見つけて来た途端に「何もそんな急に家を出て行く事ないやないか!(ワシを見捨てるつもりか!)」と、手の平を返すような事を平気で言ったり。「それが親の心理だ」と言うのは、ただの言い訳でしかありません。何故なら、どれもこれも自分の都合ばかりで、相手の事なぞ全然考えていないじゃないですか。それを取り繕うとする為に、言う事がころころ変わるのです。

 こんな事にばかり振り回されていたら、家族も神経衰弱になり、依存症患者と共倒れになってしまいます。それを避けるには、「共依存」の害にいち早く気付いた方が、もう一方に三下り半を突き付ける以外には、「共依存」の連鎖を断ち切る道はありません。そうやって初めて、「共依存」の加害者の方も、自分の「罪」を自覚できるようになるのです。依存症は、家族の素人療法なんかでは治す事は出来ません。専門のセラピストの助けを借りるか、「毒親」を矯正施設に入れるかしなければ不可能です。

 2008年に東京・秋葉原で無差別殺傷事件を起こした加藤智大(かとう・ともひろ)死刑囚も、「毒親」による「共依存」の被害者でした。エリートとして生まれた加藤の母親は、「しつけ」と称して、悪い成績を取って来た加藤に対して、罰として夕飯を床にぶちまけ、それを犬のように食べる事を強要する事までしました。それでも加藤は、何とか親の期待に沿おうと、猛勉強してようやく進学校に入る事が出来ました。ところが、進学校に入学した途端に、自分よりも優れた秀才に取り囲まれる中で、加藤の自尊心は痛く傷つけられます。その結果、出世コースから脱落し、大学にも進学できず、派遣社員にまで落ちぶれてしまいます。そんな加藤に対して、両親は更に辛く当たるようになります。その結果、自暴自棄になり、派遣先の何気ないトラブルがきっかけになって、あのような大量殺人を引き起こしてしまったのです。(参考記事

 親父も、加藤の両親と同じような学歴エリートでした。だから、何かにつけて世間体を気にして、私の事を非正規で未婚だと、心の中で差別してきたのです。そして、それを私から指摘されても、「俺は差別なぞしていない、ただ、お前がかわいいだけだ」と言い訳するばかり。本当に「かわいい」と思うなら、婚活や私の「見てくれ」(地位や年収)にばかり異常にこだわり、プロフィール写真一つにまで難癖つけたりしないはずです。親父が本当に「かわいい」のは、実は私ではなく自分自身なのです。(参考記事
 そう言えば、前述の「公開処刑」で取り上げた「荒らし」コメントも、散々私の事を非正規で未婚だと見下していましたよね。まるで、それが人間を評価する唯一の価値基準であるかのように。その事で、奴も親父や加藤の両親と同じ差別者、レイシストである事が、はからずも証明されてしまいました。

 昨年に神奈川県相模原市の介護施設で無差別殺傷事件を引き起こした植松聖(うえまつ・さとし)容疑者も、私は「毒親」による「共依存」の犠牲者だとにらんでいます。何故なら、植松が示す障がい者への敵意、殺意にも、「共依存」によって引き起こされたと思われる、異常なまでの「こだわり」が見て取れるからです。
 もちろん、加藤や植松が引き起こした事は、どんな理由があっても許される事ではありません。しかし、その背景、原因となった「共依存」を作り出した「毒親」に、彼らを非難する資格なぞ全くないと思います。差別者に同情なぞ無用です。

 前述の図書館に行った時も、少し散策しただけで、これだけ「毒親」「共依存」「アダルト・チルドレン」関係の本が目に留まりました。その中で、私が当初は、尾木直樹の「親子共依存」(ポプラ新書)を借りようと思っていました(上記写真の下段一番右の本)。しかし、ページをめくってみると、入門書以上の事は余り書かれていないような感じで、私としては少々物足らない内容でした。そこで、予定を変更して、単行本なので持ち歩くには少々重いですが、香山リカの「怒り始めた娘たち」(新潮社、同じく下段一番左)と、井上秀人の「毒父家族」(さくら舎、下段真ん中)の二冊を借りて読む事にしました。
 私は、この記事を「毒親」なんかに読んでもらいたくはありません。「毒親」による「共依存」の被害者にこそ読んでもらいたい。その事で、被害者が共依存を断ち切るきっかけに少しでもなる事が出来れば、私としては本望です。パソコンを実家から持ち出したのも、ひとえに、そのような記事を書く為です。もちろん、そんな個人的な理由だけで、今回の行動を起こした訳ではありません。「毒親」を生み出すような、今の日本のいびつな競争・格差社会や、国民無視のアベ政治とブログで対決していく上でも、パソコンは絶対に必要です。その為に、パソコンを実家から「奪還」して来たのです。

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1 コメント

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加藤についてのみ (三浦小太郎)
2017-09-29 00:54:19
この内容の本筋とは関係ないのですが、加藤智大についてのみ書きます。

勿論、本当のところは本人にしかわからない、いや、本人にもわからないのかもしれない。しかし、私は一応、彼の書いた本を読んだんです。(『解+』批評社)もし興味があればお貸ししますが、そこで彼自身は、かなり明確に、プレカリアートさんとは違う見解を述べています。もし読むのが今は環境の問題もあり難しければ、ウィキペディアでの加藤智大のページを読んでみてください。

むしろ彼についての私の印象は、この本を読んでずいぶん変わりました、というか、ますます、彼のことが分からなくなりました。少なくとも、簡単に理解できる人間ではないし、原因を見出せる事件でもない、ということだけは確信を持ちました。もちろん、社会背景は確実にあります。ありますが、それは何かもっと複雑なものを感じます。
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