Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

金沢おとめ系ツアー(その2)「室生犀星記念館」

2010-10-26 | 旅行
 10/23(土)、石川県立能楽堂で、平米の「能楽お囃子の会」の大先輩、山本さんが能「鶴亀」のシテを舞われると知り、4人で観能に出かけた。 大門のKaさん、案山子さん、ようこ姫さんとである。 今回は犀川のほとりを散策し、「杉の井」で昼食、にし茶屋街を回ろうと話し合った。 仕上げは能楽堂だ。

 まず、「室生犀星記念館」へ。 浅野川ほとりの「泉鏡花記念館」、「徳田秋声記念館」は以前何度か訪ねている。 犀星は初めてだ。 駅からバスで広小路まで、の予定だったが回数が少ないので結局タクシーで直行し、玄関前に横付けしてもらった。(トップ写真)

 平成14年(2002年)に室生犀星生誕の地に開館された記念館。 金沢三文豪のひとりとされる室生犀星の小説や自伝エッセイ、詩などが展示されている。 1階吹き抜けの壁には、犀星の作品150点の表紙が飾られ、金沢の原風景を杏の木やたくさんの動物たちで再現してある。
               

         読売文学賞を受賞し、映画化もされた「杏っ子」。
          

 文化庁芸術大賞やモンテカルロ・テレビ祭(モナコ)のテレビ映画部門最優秀賞を受賞した「火の魚」。
          

 ここは、父、小畠吉種の大きな屋敷で、犀星は女中を母として生まれたが、まもなく犀川大橋のたもとにある雨宝院にもらわれる。 野町尋常小学校で義務教育4年を終え、高等小学校へ進むが中途退学し、地方裁判所の給仕として働く。 そこには俳句や詩作をする先輩がいて、犀星も文学に目覚め早くから句や詩が新聞に載ったりして認められようになる。
 詩人を志し、20歳で上京。 東京と金沢を行ったり来たりする放浪生活を送る。 やがて白秋に認められ、朔太郎や暮鳥と一緒に詩の雑誌を作る。 その後、小説、随筆も書き、家庭も大事にし、また猫を愛する作家だったそうだ。 73歳で死去。 金沢野田山墓地に埋葬されている。

          「ふるさとは遠きにありて思ふもの
          そして悲しくうたふもの
          よしや
          うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
          帰るところにあるまじや
          ひとり都のゆふぐれに 
          ふるさとおもひ涙ぐむ
          そのこころもて
          遠きみやこにかへらばや
          遠きみやこにかへらばや」   (抒情小曲集)  

 2階には、「軽井沢で過ごした日々」の特別展示があった。 また、上の詩の本人自らの朗読も聞ける。

         近くにある「雨宝院」。 高野山真言宗のお寺。
                

     雨宝院で過ごした頃のことが、書かれた「性に目覚める頃」
             

             近くを流れる犀川の風景。