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映画「Fukushima 50」~つづき 

2020-03-16 | 映画・テレビ・演劇・芸能

  今ちょうど倉本聰のドラマ「やすらぎの刻(とき)」で東日本大震災・福島第一原発事故を再現している。また、「NHKスペシャル」では、過去何度か大津波と原発事故を予想するデータが提示されながら、政府も電力会社も真剣に取り組まず、大切なチャンスを見過ごしたことが報道された。私達にとっては原爆どうように、いろいろな方法で何度も何度も目に、心に焼き付けて記憶に残していかねばならない歴史である。

 当時の福島第一原発所長、吉田昌郎氏の伝記とも言える「死の淵を見た男」(門田隆将著)を元に映画化された「Fukushima 50」を、3/11(火)に見に行った。

 2011年3月11日午後2時46分。東日本大震災発生。M9.0。最大震度7という巨大地震が起こした大津波が福島第一原子力発電所(イチエフ)を襲う。浸水により全電源を喪失したイチエフは、原子炉を冷やせない状況に陥った。このままではメルトダウンにより想像を絶する被害をもたらす。1・2号機当直長の伊崎(佐藤浩市)ら現場作業員、原発内に残り原子炉の制御に奔走する。 全体指揮をとる吉田所長(渡辺謙)は部下たちを鼓舞しながらも、状況を把握しきれていない本店や官邸からの指示に怒りをあらわにする。しかし、現場の奮闘もむなしく事態は悪化の一途をたどり、近隣の人々は非難を余儀なくされてしまう。 残された方法は”ベント”。いまだ世界で実施されたことのないこの手段は、作業員たちが体一つで原子炉内に突入し行う手作業である。外部と遮断され何の情報もない中、ついに作業は始まった。

 原発内で戦い続けた50人の作業員たち。本当は何が起きていたのか? 何が真実か? 家族を、故郷を思いながら決死の覚悟で作業に臨んだ人々の姿を初めて知った。
 👆と👇は作業員たちとその家族、佐野史郎は首相。火野正平はベントに向かう第一組の作業員を演じていた。ベントとは、原子炉格納容器の圧力を下げるため、弁を開け容器内の気体の一部を放出する作業を手作業で行う。「若い者は残れ。」と年配者から出発。

 新聞やテレビの報道でしか知らなかった現場のようすは凄まじいものだった。最後にその後亡くなられた吉田所長の葬儀のようす、復興した美しい桜並木を歩く伊崎の姿が映し出されていた。吉田所長は「俺たちは何を間違えたのだろう?」と問いかけ、「自然の脅威を予測できなかったからだ」と津波の高さに言及していたが、それだけではなかったように思える。  

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