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あしたのタネをまく、アシタネブログ!

今日よりちょっといい、明日にしませんか

2013年11月30日~12月1日、「土木の日」のパネル展開催

2013年11月22日 06時15分53秒 | まちを良くする活動
日(土)~日(日)イオンモール宮崎【レストランコート】にて、土木の日パネル展が開催されます。
お時間があればぜひお立ち寄り下さい。
現在、スタッフの一員として、準備中。2日間会場に常駐していますので、遊びに来てください。

★パネル展の内容

土木って何だろう
土木の歴史を振り返る
土木の日の活動について

南海トラフ地震をくわしく紹介
南海トラフの宮崎県への影響

宮崎県に過去影響を与えた地震の歴史
350年前にあった大地震(とんところ地震)

東日本大震災の復興・復旧

宮崎県と災害
台風、河川(土砂崩壊)、防波堤、国道の災害復旧、口蹄疫

新燃岳による被災と復旧・復興

土石流について

建設業の社会貢献
災害応援協定について
口蹄疫発生に伴う防疫対策
不発弾撤去防護壁作成作業
台風14号水害災害廃棄物撤去作業
地域活動への参加

アトラクション
とんところ地震紙芝居、火砕流のモデル実験
12月1日(日)11時、2時の2回
スタンプラリー
両日(随時受付)
※対象は小学生までです。
重機模型によるゲーム
※対象は小学生までです。

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過去のパネル展の様子

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(台風で高さ30メートルの波が打ち寄せる宮崎港)

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石山観音池公園の観覧車へ行く!

2013年09月15日 09時56分22秒 | まちを良くする活動

地域のお宝再発見ツアーで、「石山観音池公園の観覧車(都城市高城町)」に行きました。平成元年生まれです。友人の岡部さんが選んだ「宮崎世間遺産」←大賛成!県内唯一の観覧車は元気に動いていました。
空への憧れや夢、そんな気持ちを感じさせてくれる遊具。シンプルな鉄骨づくりの中にたくさんの技術があるのだと思う。久しぶりにこどもの気持ちになって楽しみました。次は桜の季節にまた行きたい!

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大輪の花が咲いています!乗車券は、おとな200円。

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行ってきます!

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人が来てる、来てる・・

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上がってる・・上がってる

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景色もいいぞ・・公園内にはボート遊び、ゴーカート、パターゴルフ、観覧車、スライダー、草スキー、流水プール、アスレチック遊具などの施設が充実しているだけではなく、園内を巡る遊歩道、展望棟へのリフト、野外ステージ、コテージ、オートキャンプ場なども整備されています。

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「てっぺん」かな・・

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楽しくもあり、ちょっと恐い・・・

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石山観音池は、元々1842年(天保12年)に憤慨用水池として大修復されたもので、今でもその当時の水門や水神碑が残っているそうです。

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天気にも恵まれました。

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観覧車の隣にあった滑り台。不時着している日本の人工衛星をイメージしているのかな・・・。いい感じです
(^O^)


歴史遺産訪問_07(黒北発電所_宮崎市)

2013年07月25日 06時37分47秒 | まちを良くする活動

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宮崎県宮崎市の清武町黒北にある黒北発電所(くろきたはつでんしょ)は、明治40年に完成した水力発電所で、当時のままの建物。

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石造り発電所では全国で2番目の歴史。石造りの建物は、窓の上部を飾るアーチのデザインや格子の窓などモダンなデザインが見られる。

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ドイツ製の発電設備のままで現在も稼働している。

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清武川の水を利用し、宮崎県内で初めて一般の家庭用電力を供給し、今も現役の国内最古の発電所だ。

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平成9年に国の登録文化財として県内第1号の指定を受けた。(対岸より撮影)

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発電所の概要図(立看板より撮影)

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■所在地 清武町黒北 ■設置年 1907年(明治40年) ■規模等 水力発電施設。最大出力200kw、使用水量1.67立方メートル/S、有効落差16.67m、。
国登録文化財 事業者 九州電力。


歴史遺産訪問_08(細島験潮所_日向市)

2013年07月11日 05時57分10秒 | まちを良くする活動

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細島験潮場(ほそしまけんちょうじょう)は、宮崎県日向市細島の富島漁港の東にあり、明治25年に全国で2番目に設置された。
験潮とは海面の昇降(潮位)を計測することであり、基準面の決定だけでなく地殻変動の監視、津波や高潮の検出など防災においても重要な役割を果たしている。

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現存する験潮場の建物としては日本最古。

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建物の石積みの基礎部分は、明治26年に木造から改修された当時のものが残っている。

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ドアの上部には赤レンガで囲まれた星型は、験潮場を最初に設置した旧陸軍のマーク。

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験潮場は国土地理院が管理している施設で、海面下の導水管から建物内の井戸に海水を引き込んで、海面の上下を自動的に精密に記録する験潮儀が備えられている。 120年もの間、得られたデータを国土地理院(つくば市)へ送信している。 国土地理院「細島験潮場」サイトは>>>こちら

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■所在地 日向市細島町伊勢
■設置年 1892年(明治25年)6月
■規模等 占用面積16.0平方メートル、建物面積6、47平方メートル、井戸0.66m、深さ4.45m、導水管直径15cmm長さ8.0m観測基準面5m、固定点の標高2.7281m

2014年10月18日(追記)
この度、地元の貴重な施設細島験潮所(日向市)が土木学選奨土木遺産に登録されました。県内では5番目の登録。凄いことです!

国土地理院のHPにも細島験潮場の記事が掲載されています。細島験潮場は「明治期に設置された現存する日本最古かつ現役の験潮場であり、世紀を超えて地道な潮位観測に貢献している貴重な施設」。

現在、宮崎の土木学会選奨土木遺産は5つ。綱ノ瀬橋梁(日之影町~延岡市)、第三五ヶ瀬川橋梁(日之影町)、矢岳第一トンネル(えびの市)、美々津橋(日向市)、そして今回の選定。


みやざき景観まちづくりシンポジウムin綾

2013年03月24日 06時22分05秒 | まちを良くする活動

昨日、綾町で開催された「みやざき景観まちづくりシンポジウムin綾」に参加した。景観やまちづくり活動に以前から取り組んでいることもあり、参加した。
仕事の都合で午後から2時間程度の参加だったが、実り多いシンポジウムだった。

また、1週間程前だったろうか毎日新聞で都市景観の問題を取り上げていたこともあり、意義深いシンポジウムでもあった。
講演途中から参加したが、サンデーモーニングでおなじみの涌井史郎氏、具体的でわかりやすい話に引き込まれた。
一番感じたことを一言で表すと「温故知新」だ。

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『人と自然・人と人が織りなす地域の景観』
東京都市大学環境情報学部 教授 涌井史郎氏

有史以来先祖が自然と共生しながら生きつくったきた里山。ここにはたくさんの英知が蓄えられているという。
その他にも701年大宝律令が制定され日本国の成り立ちでは、河川流域や地形区分から地域が分けられ国土の経営がなされたこと、福島県の300年かけてつくった防潮林と樹齢173年と言われる奇跡の一本松の話、身土不二の意味、エンゲルベルト・ケンペルの見た古き良き日本では、景観づくりは地域の独自性と品格であり磨いていくことが大切、氾濫をくり返す釜無川の水を治めるため、約20年という歳月を費やして築いたとされる日本最古の治水土木施設「信玄堤」、観光の語源は易経(えききょう)であることやその意味などの事例を上げながら、人の暮らしと景観のかかわりを聞いた。

自然と戦うのではなく、自然とともに生きることがつまりは「自然を守れば自然が守ってくれる」ことなど示唆のある言葉をいただいた。先祖は、そうやって負けて勝つ方法やいなして生きることで、安心安全に暮らしてきたのだと思う。上記の釜無川の治水のように、暴れる川の勢いをぶつけて和らげる、越流させて農業用水として使うなど、多くの知恵が刻まれている。
その他にも景観とはコミニュティのためのツールであるという言葉にも共感した。

「風」という言葉は、みんなが共有するイメージだと聞いた。
風景、風土、風味、風情、風合などの言葉があるように、良い言葉と再認識した。

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≪パネルディスカッション≫
『景観づくりと地域づくり ~景観は住民心の映し鏡~』
・コーディネーター
北川義男氏(造園修景協会宮崎県支部長 元南九州大学環境造園学部教授)
・コメンテーター
涌井史郎氏(東京都市大学環境情報学部 教授) 

・パネリスト
吉武哲信氏(宮崎大学工学部 准教授)
高尾忠志氏(九州大学大学院工学研究院 特任助教)
河野耕三氏(綾町照葉樹林文化推進専門監)
石井和郎氏(活動団体代表:NPO法人正応寺ごんだの会理事長)

パネルディスカッションで、吉武氏より持続可能な社会づくりのために、地域を育てる人をいかにして育てるか、愛着や誇りをどう育てるかという問題では、人とのネットワークをいかにつくるか。バランスのとれた地域づくり、ソーシャル・キャピタル(涌井先生琉ではご近所の底力と訳される)、人とのかかわりながらいろんなことを決めていく、市民の出番をつくり、まちづくりのプロセスを見てもらう、子ども達にイベント等の体験を通してまちづくりへの意識を持ってもらう。例えば自然を知ってもらう、故郷を知ってもらうなどを通して、地域を愛する気持ちが醸成されていくのではないか。

高千穂の限界集落と呼ばれた村では、課題を発見して10年間外部の人とのかかわりを持ちながら活動してきたら、住民が自ら企画するようになった事例などを聞いた。

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照葉樹林の魅力やエコパークに認定されるまでの経緯。まちづくりの歩みなどが河野氏から紹介された。

組織的には、行政がやれること、民間がやれること、NPOができること、会社ができることなど段階を踏んでやれることが見えてくるとの報告が、石井氏からなされた。

地域をいかに維持できるか・・という質問に住民からは「景観の前に暮らしを守ってくれ」と言われた。経済・教育・環境・エネルギーすべてが関連しているが、まず狭い範囲で取り組む。

地域をキレイにすることは、景観をキレイにすることにつながる。涌井氏は宮崎交通の故岩切章太郎氏と仕事をした折り、どうやって街の個性を引き立たせるかを学んだという。
何かを足していくのではなく、引いていくことの「目利き」が大切だという。

戦後復興から50年社会資本を積み上げてきたが、これからの地域マネージメントは、余計なものはマネージメントしないことも大切。その見極めやルール(お作法・・いい言葉だ)

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今後のまちづくり展開のポイントを各自から話される。
地域の限られた人数では限界がある。地域の人達だけで取り組むのではなく、課題やテーマごとに人が集まったり、行政も横断的な組織づくりをしたり、地域外の方や専門家を交えて、共に担うことが「元気」につながるのではないか。関係性の無い人とワーキングしていくとき、気付いていくことも多いとの話も。

高尾氏からは、長崎県の五島に町づくりに参加した折、山がキレイだったので、キレイですね・・と話したら、どこが・・と言われた。住んでいる人が気付かない地域の良さがある。
当たり前に存在しているから大切。見えないものを信じないのが人間。もっと長い目で見て次の世代にメッセージを繋げていくのかを意識していくことが精神的に続かせることができるのではないか話された。

四季によって変化する景色。これが大切だ。地方の荒廃を引き受けてくれるところがない。都会の人に体験してもらうことが大切ではないかとコーディネーターの北川氏から提言。

ゴールをどこにおくか。50年後とした時「孫の世代」とするときイメージや実感としてとらえることができるのではないかと石井氏。

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最後の涌井氏より、神木は新月の時に切るという話を聞いた。新月の時は、重力が木の根を方へと向かう、その為伐採した木は良い木になる。他の日の伐採した時とまったく違うと言うことだった。
そうやって月と対話しながら、自然とともに生きて来た日本人の知恵。

その他にも「いいな」と思うことには、必ず理由がある。専門家に専門的・構造的に解説してもらうことが必要だとも・・。

自然も歴史も人も、伝統も文化も経済もつながっているのだと思う。 そこに住む人たちが時間をかけて、そして絶え間なく紡いでいくことが景観をつくっていくのだろう。前記の文章とは関係ないかもしれないが、先日、新聞に掲載されていた記事を紹介したい。

「南欧の人々が建物の内部をハイテク化しても外観を変えないのは、住民が代々共有する記憶へのこだわり、町の歴史への畏怖があるからだ」国連環境計画によると、日本は、建物などの製造資本、教育など人的資本と自然資本を加えた「国富」が一人当たり世界一だという。それほど豊かなら、今の風景を残すか、かつての山野や町並みを取り戻すことに力を注ぎ、新たな国土開発、ハコ造りから手を引いてもよい。そんな時代が来たのではないだろうか。(3/21 毎日新聞より)

宮崎は文明に侵されていない地域であるとの話もされた。これも住んでいてわからないことだろう。地域に誇りを自信を持つことが大切だと感じた講演会だった。関係者の皆様ありがとうございました。


「協働創出市2012」に参加しました。

2013年03月14日 21時18分31秒 | まちを良くする活動

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(パンフレットの表紙)

3月13日(水)、仕事を終え、宮崎県門川町クリエイティブ門川 多目的ホールで開催の「協働創出市2012」に、宮崎「橋の日」実行委員会として参加するため、駆けつけた。

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(事例紹介に聞き入る参加団体)

この創出市は、ビジネスのように県内で活躍する団体がまるで商談をするかのように、お互いの特徴を活かした協働事業の創出を図るチャンスを探ろうというものだ。参加団体は、36団体。ボランティア団体や地域づくり団体はもとより、行政や金融機関、地元の観光協会と幅広く参加している。詳細は>>>こちら

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会では、ハードやソフト面を含め、いろんな方を話して、まずはお互いを知ることが大切だと感じ、各ブース訪問をおこなった。一番の成果は、具体的に協働が可能な団体を見つけたこと。そして、活動へのヒントをもらったことだ。

また個人的にも成果があった。現在、橋の日活動とは別に、「生涯学習コーディネーター」として活動する中で、生涯学習を推進するために企業や個人、団体へのアプローチを考えている中、どのようにしたら、より理解が進むのだろうかと考えていたところ、参加団体の方からそのヒントとして「仲間づくり」をすることが重要だと教えていただいた。

生涯学習は、自ら学んでいくことで続けられるもの。意識のある方は、気付いて時点でスポーツや趣味など取り組むことができるが、問題はそれができない方への支援だ。生きがいや健康をつくっていくための手段のひとつが生涯学習だと認識している。職場や友達、グループなどの「仲間づくり」が何か(趣味やスポーツ)に取り組むことで、ひとりで考えていると何もできにくいけれど、仲間だと取り組みやすいということだった。「仲間づくり」の6文字だけれど、大きな勇気をもらったように感じた。一歩前進かな。

(当日の資料より

協働創出市2012とは・・・

県北のNPO・ボランティア団体・企業・行政が一堂につどい自分たちの想いをかたちにする協働商談会です。

出会い・交流・情報交換、新たな発見の場として、NPO・ボランティア団体や企業・行政など多様な主体が認識を持ち、志をひとつにして、協働を推進するための出会いの場で、あたかも商談をするかのように協働の相手先を探すことにより、新しい協働事業を創出するものです。

協働とは・・・

 NPOや行政・民間企業がそれぞれの主体性、自発性のもとにお互いの立場や特性を認識・尊重しながら、共通の目的を達成するために協力・強調すること。

ボランティア、民間企業そして・・

新しい公共の担い手NPO

 NPO(NonProfitOrganaization)とは、民間の非営利組織です。

 NPOの定義は統一されていませんが、県では、法人格を持つ特定非営利活動法人(NPO法人)及び法人格を持たないボランティア団体その他の市民活動団体等としています。NPOは、地域の課題を解決するために社会的な使命感を持ち、新たな公共の担い手として期待されています。

※「非営利」とは、収益活動を行ってはいけない(儲けてはいけない)ということではなく、収益を団体の構成員に分配をしてはいけないということです。

※自治会、自治公民会、婦人会などの地縁団体も、公益の活動を行う場合はNPOに含まれます。



あなたにもできる!協働

★農家が「食」の安全を提案    ★自動車メーカーが交通安全啓発

★薬局が介護予防も        ★書籍店で読み聞かせ

★宅配のついでに高齢者の見守り  ★ガーデニングのついでに道路もきれいに

★居酒屋が町の集会場       ★犬の散歩で見守り活動

その他にもアイデアしだいで協働の輪は広がります!


歴史遺産訪問_01(矢岳トンネル_えびの市)

2013年02月17日 13時52分27秒 | まちを良くする活動

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熊本側「矢岳越え」は、トンネルのほか、山裾から山を回るように登るループ線や、ジグザグに山を登るスイッチバックで電車が山を越えていく。吉松駅から肥薩線で最も標高が高い矢岳駅(536.9m)に向かうと、霧島連山、麓の盆地の風景、遠くは桜島までの眺望が、次第に高度を上げる車窓から大パノラマのように広がっている。
鉄道ファンのみならず、移り変わる車窓風景を楽しめる日本三大車窓のひとつとして観光客を集めている。

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えびの市の矢岳第一トンネル(矢岳方)を訪ねた。くわしい地図が無く、村人に聞きながらようやく入口にだどりついた。最初は川かと思ったが、トンネル内やトンネル周辺から、湧き出た水であることが後で分かった。

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急こう配の山。道は無く、ようやく線路まで辿りついた。

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熊本~鹿児島両県の県境近く、矢岳山を抜ける矢岳第一トンネルは、矢岳駅と真幸駅の間にあり、JR九州肥薩線の中で最も長いトンネル(全長2,096.17メートル)。険しい山岳地帯を抜ける難工事が伝えられている。平成21年に土木学会選奨土木遺産に認定されている。

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人吉駅(熊本県)から吉松駅(鹿児島県)までの区間は、「矢岳越え」と呼ばれる難所。
矢岳を貫通する工事も水分の多い凝灰岩の地層では激しい水分に見舞われ、熊本側からはトンネル全体が1,000分の25の急な下り傾斜となる難しい工事だったと言われている。 
 
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工事には多くの殉職者を出した。また湧水の激しさを物語る記録には、建設材料を運搬する馬が転倒し、助けるいとまもなく流されてしまったことなどがある。こうした難工事であったにもかかわらず、作業員の昼夜の努カによって明治39年9月の看工後、明治41年には員通、明治42年11月21日の開業期目に完成。

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トンネルの入口には、熊本県側に当時の逓信大臣、山県伊三郎氏の「天険若夷(てんけんじゃくし、)」、宮崎県側に鉄道院総裁、後藤新平の「引重致遠(いんじゅうちえん)」の石額がはめ込まれており、難工事を克服した喜びが記されている。

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言葉をつなげて読むことで、「天下の難所を(トンネルによって)平地であるかのようにしたおかげで、重い貨物を遠くへ運ぶことができる」という意味になっている。この2人の名前は、この区間を運行している観光列車「いさぶろう」、「しんぺい」にも使われている。

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トンネルの入り口(えびの側)下は暗渠となっているが、石組みで美しく整備されている。その外、見えないところにもデザイン的な配慮がなされていた。


第51回延岡西日本マラソン大会で撮影ボランティア。

2013年02月10日 21時45分18秒 | まちを良くする活動

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(朝10時、大会準備は順調に進んでいる)
私の所属するアスリートタウンのべおかは、延岡西日本マラソン大会を毎年支援している。 会から資金を提供してうどんコーナーを支援したり、選手を撮影して即日無料で配布している

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今年も選手の撮影を担当した。
大会は今年で回目を迎えるが、毎年盛大になっていく。地元テレビ局であるUMKテレビ宮崎の力により、九州管内のテレビ局で放映されるようになり、参加選手も増えてきた。

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NATS(延岡アスリートタウンサポーターズ)によるうどんの提供。会から資金を出して、無料で選手に提供している。 NATSは、この他にもたくさんの活動を通して、まちづくりを支援している。

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スタートを待つ選手達。緊張の瞬間

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先頭集団。力強い走り。同級生の娘さんが白バイ隊で伴走していた。

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大型モニターが準備され、リアルタイムに伝えられている。こちらもNECさんやスバルさんというスポンサーがついているお陰かもしれない。企業の社会貢献は、まちづくりには欠かせないと感じる。

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初マラソンで優秀した佐野選手(ホンダ)歓喜のゴールシーン。記録は、速報タイムで時間秒。

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結果は次の通り
1位 佐野選手(ホンダ)
2位 黒崎選手(コニカミノルタ)
3位 平山選手(安川電機)
4位 清水選手(ヤクルト)
5位 松本選手(DREAM)
最後までデッドヒートが繰り広げられ、1位から4位が初マラソンというまさに新人の登竜門というレース。
また、ふるさと招待選手の松本選手が位入賞。
入賞された選手の皆さん。おめでとうございます


宮崎県庁と橘橋

2013年01月16日 23時12分50秒 | まちを良くする活動

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今日は仕事で県庁へと出かけた。お天気も良く、思わず携帯電話で撮影した。

宮崎県庁は、5代目橘橋と同時期につくられ、当時は橘橋県庁ともに宮崎には過ぎたもの・・と言われていたらしい。デザインといい古さを感じさせることなく、重厚な印象を与えてくれる。
いまとなってはこの県庁しか残っていないが、宮崎の大切な歴史遺産になっていくことだろう。

ちなみに第5代橘橋の写真を掲載しておきたい。(・・・ってそこかい!)

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青年よ世界を目指そう!

2012年09月02日 07時18分58秒 | まちを良くする活動
  日(土曜日)宮崎市内で世界青年の船の壮行会に参加した。
宮崎からは名の参加である。


事業仕分けで事業が廃止になる為、今年度が最後となる。
自分自身も参加してたくさんの学びがあり、今の自分があると思うので、廃止はとても残念である。


国のお金を使っていくことなので、なんとかお返しができるよう県などからの講師依頼なども積極的に受け、これまでさまざまな活動を行い支援もしてきた。


簡単に海外に出かけることができるようになった今日、必要性が問われていると思うが、海外青年と言葉や行動を通じて理解しあえることは、民間レベルの国際交流として大切なことだと思う


日頃は、「青年の船」に乗船したことを人に話すことはないが、地域づくり等に頑張れることもこの事業があったから・・なのである。地域の国際交流の要になったいる先輩諸兄もたくさんおり、なんらかの形で存続できないか昨夜も話し合ったところだ。


参加者は、自分達の子どもの世代・・そういえば青年の船に参加してからも経っていた。(→o←)ゞ
壮行会では歌のプレゼントも・行い、、健康第一でと・・若い彼らを見送った。



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大学4年生のNさん


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18歳、大学1年生のH君


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会場となったグリーンリッチホテル9Fからの一枚



宮崎はひとつ。夢は無限大!

2012年02月26日 16時46分13秒 | まちを良くする活動

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日(土)の夕方から、第回宮崎県地域づくり団体研修交流会「新富大会」に参加した。この交流会へ宮崎県内で活躍する地域づくり団体の年回開催されている研修会で、県内各地を持ち回りで開催されている。

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初日は、分科会ごとに新富町の「大地の守り人をたずねて」と題して、新富町の特産物「たまご」「梅」「お茶」「ズッキーニ」「そば」「洋蘭」の生産している農家やパワースポットを訪ねるプログラム。夜には場所を町内の料理店に移して交流会に参加。

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交流会では、熱気ムンムン参加メンバーによる自己紹介、"地域が好きだ、もっと自分の住む町をよくしたい・・"そんなメンバーが集う会場は、不思議なパワーが充満している

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交流会場となった「やきとり大将」では、ズッキーニのビールつけ揚げ(上記写真)やレンコンをつかったレンコン南蛮やサラダをいただいた料理はもちろんのこと、実行委員の皆さんのおもてなしの気持ちがありがたかったこの後、民宿「初音」へ戻り、次会。深夜まで熱い語りは続いた。しかし宿に迷惑がかかるということで、午前時に就寝

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日(日)会場を新富町役場へ移し、全体研修会。新富町を活性化するためのプランつのグループに分かれてのワークショップ。思いもよらないさまざまな意見やアイデアが出された。これって、ひとりで考えてたら年はかかるだろね・・ってメンバーが言っていた。納得。ワークショップの要素は「参加」「体験」「協働」「創造」「学習」とのこと。ファシリテーター(進行役)の力で、メンバーの潜在力が多いに引き出されたように思う。

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私の所属するグループでは、「新富町ファンクラブ」をつくって、新富の四季折々の魅力を口コミで広げていこうというプランを考えた。この企画案をまとめるために与えられた時間は、時間。こころひとつになって取り組んだ楽しいひととき


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新富町のお茶生産者で組織された「茶メンズ」の皆さん(実行委員メンバー)によるおいしいお茶の入れ方を伝授いただく このように、新富町の若者パワーに触れることができたことも今大会の大きな成果ひとつ。
新富の食の魅力や地域資源を再発見した大会。そして、志を同じくする仲間がいることをうれしく思った大会でもあった。 新富町の実行委員の皆さんありがとう

(研修を終えて)
地域づくりグループとして、活動内容はもとより財務内容もしっかりした上で、先進的な取り組みをしていくべきだと考えている。自己満足やボランティアの延長線で活動を終わらせたくない。何故なら、本気で地域に貢献したいと考えているし、またいろんなものを犠牲にして頑張っているためだ。焦らず確実に一歩一歩歩いていきたい。

第9回地域づくり全国研修交流会山形大会の思い出

2012年02月17日 19時30分28秒 | まちを良くする活動

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(思い出の1ページより・・・)

地域づくり全国研修交流会山形大会、テーマ「夢はきっとかなう」に10数年程前に参加した思い出を書くことにしました。文章は当時の日記から引用したもの(町名等は当時のままです)。

宮崎を離れることキロ。庄内空港に降り立った私たちは、バスで約30分あまりで大会会場の酒田市の隣町遊佐町へと着いた。小雨の中に見えた雄大な鳥海山が印象に残っている。

今回の交流会は、全体会会場と分散交流会会場のつの会場に分かれており、メイン会場の遊佐町と周辺(酒田市・八幡町・平田町・松山町・余田町・立川町)で行われた。初日は、メイン会場の遊佐町、鳥海自然文化館「湯楽里」(ゆらり)で、午前11時の受付後、昼食へ。今回はスタッフによる手作りの屋台村が設けられ、地方色豊かな料理に舌鼓をうった。

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(分科会の模様)

開会式終了後、分科会会場へと移動。私が参加した「市民の夢」分科会では約名のメンバーがいた。それぞれ第一線で活躍しているメンバーだ。
研修会テーマは「巻き込む・耕す・遊ぶ、の人おこし戦略」。話題提供者として地元上郷村の佐藤敬昭さん、東北高齢化社会を考える会の吉田弘子※さん、やぶへびの会の和田一良さんがおこなった。

和田一良さんからは、ワークショップを通じての問題解決についての手法や、住民参加型の行事について紹介していただいた。ワークショップという言葉は聞いていたもの全国で沢山の団体がこの手法を活用し、かつワークショップを通じて地域間交流をしていること、地域分権のツールとして活用していた。

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(ステージ上の吉田さん)

吉田弘子さんからは、「寝たきり返上、出たきり朗人」として、「生き方・老い方・住まい方・死に方・遺し方」についてや、「どんな生き方としたい?」「どんな老後でありたい?」「どんな家族でいたい?」と人生や生きるということに正面から、楽しく、いきいきと、こだわりながら、そして感性豊かに取りくんでおられる姿に、深く感動した。

お墓や葬式を例会の議題に、お寺で開催するところに沢山の会員さんがいる秘訣を感じた気がした。また佐藤敬昭さんからは、地域づくりを組織的に計画的に進めている企画力を学んだ。他にも参加メンバーから沢山の活動事例や問題点が紹介されたが、本当に目からウロコが落ちた感動的な分科会だった。

そしていよいよ全体交流会へ。会場では勇壮な鳥海太鼓が迎えてくれた。
変則的なリズムと動きのあるステージは、これまでとは違った太鼓の一面をのぞかしてくれた。

交流会の開会式では、想いとパンチの利いた町長の挨拶の後、各分科会報告と分科会毎の「とびっきりの夢」を発表した。持ち時間の分間を上手に活かしたユーモアと想いを込めた報告にさすが!と最前線で活躍されている方のパワーを感じた。その後、各分科会の中で、参加者のとびっきりの夢を持ち寄った「とびっきりの夢大賞」が発表された。

大賞は、第11分科会の夢コンサートが受賞した。自分達の想いをメロディにのせた彼らが選ばれた。歌は魔法つかい・・・人を癒す力があるのだと感じた。最後に「軍艦マーチ」を歌わない未来にしたいと語った彼らの言葉が印象的だった。

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(沖縄県から参加の皆さんとともに、右端は日向市の佐藤さん)

宿泊場所は日本列島を三重県を境につ旅館に分かれた。以北を酒田屋旅館。以南がのとや旅館。2つの旅館とも築後年を越えた由緒ある旅館だ。昭和年代にタイムスリップ!?)旅館で一休み後、懇親会場である、漁業センター前の特設会場で「日本海夕日パーティ」へ。地元の民謡と踊りが披露された。残念ながら途中から降り出した雨で花笠音頭を最後に終了した。そして次会。熱い夜は更けていった。

Kinen

いよいよ最終日。雨天の為、急遽プログラムを変更。ニシン御殿の見学と鳥海山の自然をビデオ等を通じて紹介していただいた。ニシン御殿は、「旧青山本邸」が正式名称。青山留吉氏の生涯を資料館やこの居宅で垣間見ることができた。

青山翁は地元遊佐町の貧しい漁師の六男として生まれ、歳で北海道小樽に単独で渡った。独立心強く一年後同地にて漁場を開く。明治期のニシン漁の豊漁により漁船130隻、使用人三百数十人を擁する道内有数の漁業家に成長
一方、故郷の青塚に土地を入手。後には田地二百五十町余りを有する大地主となり、一時には村税の割を納めていたらしい。築後年余り、いまだ補修等は一切なく現在は、この施設はすべて町に寄贈、管理されている。故郷にニシン、もとい、故郷に錦を飾るというのはこういうことをいうのですね

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(青山邸)

青山邸を後にバスで懇親会場の漁村センターへ。
会場ではNHKテレビで紹介された鳥海山の自然をビデオで鑑賞。鳥海禽(ちょうかいふすま)という高山植物の美しさや素晴らしさを紹介 していただいた。「夏に海水浴とスキーができるのは、ベイルートと遊佐だけ」とのこと。
また鳥海山の由来は「」の説がありチォカイ(アイヌ語でわれわれの山という意味)が一番好きだ」というガイドの方の言葉に故郷への強い想いを感じた。
研修も終了。出会いの素晴らしさと町づくりへの情報、熱い想い胸に、帰途についた。

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(次回の開催地「宮崎県」のアピールをしました)

※吉田さんは、翌年宮崎県で開催した全国大会に基調講演者としてお越しいただきました。


第50回「延岡西日本マラソン大会」へのお手伝い

2012年02月12日 20時33分49秒 | まちを良くする活動

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『延岡西日本マラソン』は、「福岡国際マラソン」「別府大分マラソン」とともに、日本陸上競技連盟公認コースで行われる九州大マラソンの一つ。過去に、重松森雄、廣島日出国、宗兄弟、川嶋伸次、小島宗幸らなど日本長距離界を代表する数々の名選手を輩出しており、トップアスリートへの登竜門と言われている。今回は回目の大会で、日(日)に開催された。

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私の所属するNPOアスリートタウン延岡では、西日本マラソン大会への支援を毎年行っている。私の担当は、選手の写真撮影と写真の配布。

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かっこいい婦警さん

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午後分スタート。早速人のメンバーで手分けして撮影。
その後、カメラ店へ持込。枚余りの写真が完成。

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お天気にも恵まれ。いい記録が期待できそう

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アスリートタウンサポーターズのOB佐藤さんもわざわざ久留米からこの日のためにかけつけてくれた。毎年協力していただいている素敵な女性だ。写真左。

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出来上がった写真をメンバーで掲載。いい写真ができた・・

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今年で年目。手際もバッチリ

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優勝は、福岡県出身の石田和也選手(西鉄)
タイムは、速報値で時間秒、この大会歴代位の記録だ。

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優勝した石田選手は、東海大学時代は、箱根駅伝に度出場、卒業後西鉄に入社<wbr></wbr>。
初マラソンは、昨年の北海道マラソンで今回は度目で、初の栄誉を手にした。


防災地震対応訓練に参加し、被災イメージを得る。

2012年02月05日 14時02分47秒 | まちを良くする活動

日(日)地区の防災訓練に参加した。日向灘沖の地震でmの津波が来るとの想定。ちなみに当地区は海抜10m。
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午前時のサイレンを合図に各戸から決められた場所に集合、各班毎に道を歩きながら避難経路を確認した。分後には、ほぼ決められた避難場所に到着した。実際には、かなりの時間がかかるだろうと体験を通して理解できたことが収穫だった。

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午前時からは、佐土原地区自治会、消防局、消防団、自衛隊等関係者を合わせ、約名の参加による地震発生時における初動対応訓練が久峰公園にておこなわれた。

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炊き出し訓練、緊急地震速報伝達訓練、被害調査訓練、負傷者救出訓練、消火訓練などがおこなわれた。

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陸上自衛隊も参加。間近でみたのは、久しぶり・・・。Photo_5

ヘリによる救助搬送訓練もおこなわれた。とてもリアル感がありました。
舞い上がる埃であたりは一面、暗くなった。

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閉会式後、自主防災資機材取扱の説明や取扱体験などもおこわれた。

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担架に人を乗せると案外重く4人でも厳しい・・(運動不足)足を進行方向に向け運ぶと、載った方が恐怖が和らぐそうです。

防災関連情報

自宅に危険が迫ったらどうする
避難時の心得10箇条
防災グッズ(総務省消防庁サイト)


「土木の日」パネル展、東日本大震災パネル展、そして宮崎市ハザードマップを展示

2011年12月10日 11時52分39秒 | まちを良くする活動
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11月26日(土)~27日(日)の両日、宮崎市のイオンモール宮崎にて、宮崎県「土木の日」パネル展の開催され、お手伝いをしました。今回のテーマは「防災・減災に対する土木の取り組み」。新燃岳への取り組みや東日本大震災パネルなど32枚が展示しました。


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宮崎市のハザードマップや新燃岳のDマップも展示。多くの方が立ち止まって、避難場所を確認していました。


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東日本大震災パネル展も同時展示。ビデオの上映も行いましたが、震災被害の大きさを確認していました。

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ラジコンバックホーも展示。大人もこどもも楽しんでいました。


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宮崎県における主な地震の記録(887年~1996年)や災害文化の伝承について(外所地震について)などもパネルにて紹介。また2日間、あめ玉つかみイベントを行いましたが名の参加がありました。

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土木の恩恵も、日頃は感じる機会も少ないのですが、震災等を通して有り難さを改めて感じます。「土木」は、縁の下の力持ちというところでしょうか。


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イオンモール宮崎のスペースコ-トはラジオ番組の生放送が行われるところ。この日はクリスマスの飾り付けがしてありましたが、パネル展に華を添えてくれたようにも思います。


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話変わって、今年はディズニーシーも開園10周年のイベントも館内で行われ、パネル展にもたくさんの人が流れてきました。


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イベントバスもたくさんの子ども達が集まっていました。