あしたのタネをまく、アシタネブログ!

今日よりちょっといい、明日にしませんか

「45歳も過ぎ、お前なんか雇ってくれる会社はない!」そう言い放たれた。

2019年08月20日 16時04分09秒 | 合同会社アシタネプロジェクト
 10年以上も前のこと。会社の方針についていけず退職を申し出ると、社長から「45歳も過ぎ、お前なんか雇ってくれる会社はない!」そう言い放たれた。その数日後、「管理職に戻ってこい」とも。

しかし、もう戻れなかった。不登校の娘、嫁は難病に罹患、多くのストレスを抱えさせていた。改めて家族を犠牲にしていたことを知った。その頃は、毎日、家には5時間程度、眠りに帰るなど過労死ギリギリで働いていた。そして待っていたのは降格と給与の1/2減給。あまりにも理不尽。

 高校卒業以来、数十年働いた会社。40代も半ばを過ぎ、年齢を重ねることがこんなに辛いと思ったことはなかった。その上、こどもの教育費、年齢を重ねる程動かなくなる身体と記憶力。自分の市場価値。暗くて長いトンネルに入った。

 しかし、嫁や子どもに現況を話し、家族中心の働き方に理解を得た。また長女からは「お父さんは悪くない」と言われたことが励みになった。それからは、3人の娘達がアルバイトする等、各自協力してくれた。

そして子どもたちが独立の目処が経った頃、一念発起して、働く人や組織を支援する「産業カウンセラー」の資格取得。54歳の時、「就労支援」の仕事に再就職。その後、キャリアコンサルタントの資格を取得するなど5年間の経験を経て、昨年アシタネプロジェクトを立ち上げた。

 現実を見渡してみると、ワンマン社長のもと生活のためだけに働く人、社内いじめ、パワハラ、男女間格差等なども散見される。また、会社や社会から適切な支援を受けなかったばかりに冷や飯を食っている人達もいる。みんな我慢している。しかし、人との出会いや新たに知識を習得することでモノの見方が変わり、その人の世界が広がることもある。また、組織への適切な介入をおこなうことで、働きやすい職場、生産性が向上することができる。

 自分自身もそうだったように、その気になれば状況が変えられる。あの時はひとりだったけれど、今は組織にもそして働く人への伴奏者になれる。社会は急には変えられないが、苦しい社会の中で自分らしいキャリアを歩んで欲しい、力になりたいという思いは、この苦い経験にある。

 今年10月、新たにセミナーを企画した。テーマは「50歳からのキャリアデザイン」。くわしくこちらに案内。60歳の誕生日を迎えた今日、気持ちを新たに自分なりに闘っていくことを決めた。




84歳父、現役で働く。人との交流、快眠快食、プラス思考が秘訣かも。

2019年08月18日 20時39分24秒 | 家族、仲間の話題


 父は、私の故郷延岡市で一人暮らしをしており、あと2ヶ月で85歳を迎える。現在もシルバー人材センター(以下センター)で週4日程働いてる。

 センターで働くことになったきっかけは65歳の時。定年後のある日、よく行く釣り場で時々一緒になる方が海外ボランティア活動から帰ってこられ、「遊びだけじゃなく、人のためになることで自分らしく生きていきたい」と話した言葉にショックを受け、このままではいけないと一念奮起。センターに登録し働き始めた。

 その頃の父は、働くことによって、職場の仲間、仕事先の方とも仲良くなり、世界が広がったように感じた。パソコン教育にも通い始め、ホームページを立ち上げるなど、仕事一辺倒だった父が変わり始めた。

 それから20年間、週5日働きながら2つの農業法人の監査なども引き受けるなど、精力的に活動している。一方、女性の友達もたくさんでき、私も飲み会にも数回誘ってもらったが、異性の友達ができると元気になるようである。

 センターでは男女問わず働いており、自然と異性の仲間ができることで、イキイキしてくる人も多く、中にはそんなつきあいを家族が反対して、センターを辞めさせることもあるのだそうだが、連れ合いが元気になることはうれしいことであり、どうして信じてあげないのかなと私は思う。

 今夏、お盆に帰省した際、父は作ったばかりのトラック荷台を見てくれた。左右の衝立と底面の板があると、ゴミ焼却場で荷物を一挙に捨てられるとのこと。昨年夏に倒れて依頼、役職は降り、仕事の量を減らしたという父。しかし、仕事がないとじっとしていられない性分で、今年から選定作業で出るゴミを運ぶ仕事などの比較的手間のかからない仕事へとシフトして働き始めた。

 暑い日差しの中真っ黒になりながら働いている父を見ると、元気でいてくれて本当にありがたいと思う。反面、交通事故を起こしたり、巻き込まれたりしないよう祈るばかりである。

 若い時から元気だった父。人との交流、良く食べよく眠ること、プラス思考が現在の父の健康を支えているように思う。そして、人から必要とされる存在が仕事であったり、家事や孫育てやボランティアなどの無償の仕事であったりすると思う。

 お金は使えば無くなるが、こころはいくらつかっても減らない。不安な時代でもあるが、身の回りの人とつながって、そして支え合って楽しく生きていけたらと思う。


ライブちらし完成、今月は爽やか系(自画自賛(^^;))

2019年08月17日 08時45分16秒 | 合同会社アシタネプロジェクト
来週末に迫った定期ライブ、告知用ポスターと当日配布のプログラムが完成し、先日関係先へ配布してきました。

今月は、ちょっとこだわって作成したので、出演メンバーからも「モチベーション上がるぅ♪」や「ポスターに負けないように歌います!」など、身内からもうれしい声が!

身内で盛り上がっている場合じゃないんですけどね・・・。当日は歌、頑張ります!
そして前日開催の働く人のためのキャリア支援セミナー、ライブ後の就職・転職のための基本セミナーも楽しみです。

↓告知ポスター




↓こちらが演奏プログラム



還暦同窓会、中学校愛にあふれたひととき。何故なら同窓生が卒業校の校長に

2019年08月13日 21時11分35秒 | 家族、仲間の話題
あと1週間あまりで還暦を迎える私。先日、8月11日(日)に昭和50年卒業東海中学校還暦同窓会がおこなわれ参加した。今回も司会をして欲しいとのリクエスト。2回目の司会、おだてられるとのってしまう私は、即引き受けた。

今回は、同窓生が同中学校の校長として赴任していること、還暦同窓会ということも手伝って、連絡のとれた県内外の同窓生170名あまりのうち、約半数の78名が参加した。

当日午後2時に中学校への見学、30名あまりが参加したとのこと。そして午後6時からは、会場となったキャトルセゾン松井で、浴衣姿や和服姿に身を包んだ同級生達が会場を訪れた。

男性は顔が赤くならないうちに、そして女性はお化粧が落ちないうちにと、集合写真。カメラマンは、市内の小中学校、11校の卒業アルバムを制作している木村君。美しい集合写真を提供いただいている。

その後全員が着席したのち、私は赤いちゃんちゃんこならぬ赤い帽子を被って、司会進行を進めた。まずは世話人代表挨拶のあと、来場いただいた3人の恩師方の紹介、そして世話人の大崎君から乾杯音頭。始終和やかな雰囲気で進められた。

途中各テーブルを回った際、ショックなことがあった。それは女性から「鶴ちゃん、覚えてる?」と聞かれ、顔を思い出せなかった。正直に覚えてないと答えたところ「もう話はしない」とバッサリ!。ひー。思い出せない自分自身にもショックを受けたが、1時間後気をとりなおして、新たな関係をつくればいいかなと、彼女に積極的に話しかけ新しく友達になることができた。そして1日が経った頃、ようやく思い出した。あー卒業生アルバムを見て、参加すればよかったと反省。予習は必要だな、自分の記憶を過信していたことに今更ながら気づいた。

しばらく歓談のあと、先生方からのメッセージ。高森先生からは、年齢の重ね方について実体験をもとにお話しいただいた。現在、82歳になる先生からは、還暦はおめでたい行事、その後古希、喜寿、傘寿と節目をくぐることになった時に感想、そして最近葬儀で、集めるメンバーが施設に入ったり、痴呆になったり、あるいは亡くなったりして、その同窓生が激減しているとのこと。そのうち自分の葬儀には誰もこなくなるので、早めに逝った方がいいかもなどと話して、笑いを誘っていた。私にとって、年齢を重ねるってどういうことなのかという実感がなかったので興味深く聞き入った。

次に音楽教諭を務めていた西垣先生は、音楽の素晴らしさ。歌う際に、腹式呼吸をつかうことの大切さ、また声を大きく発声することでお腹の筋肉が鍛えられ、病気することがなかった自身の体験談。発声を通しての健康法について話していただいた。

最後に、原田先生からは教え子たちの思い出や関わりなどから、変わらぬ生徒への熱い思いを感じる、原田先生らしいお話だった。その上、手作りのネックレスを全員にプレゼントしてくださった。費用や時間、大変だったと思う。感謝。

続いてはDVD鑑賞、内容は卒業アルバムの写真と中学校にドローンを飛ばして撮影された風景。360度、さまざまな高さから現在の母校を見ることができた。写真からあふれる中学校愛が、伝わってきた!またしてもカメラマンの木村君によるものだった。ありがとう!

余興では、千葉県に住む甲斐君による漫談。彼はコンピュータのソフトウェアの開発をしているとのことだった。TVにも漫談で出演したことのある彼からは、還暦のことをさまざまな情報を交えて、楽しく紹介していただいた。

次の余興は、私のギター弾き語り。演奏曲は中島みゆきさんの「糸」。みんな元気で顔を合わせられたこと、45年前の縁がつながっていることへの不思議さに思いを込めて歌った。

会の進行中、幾度となく金子君がテーブルごとに声をかけて回っていた。そういえば二次会もそうだったけれど、同窓生に気を配っている彼を見ながら、日頃の仕事ぶりが垣間見た思いだった。

今回参加できなかった同窓生のひとりからは、20万円の寄贈があったり、20年ほど前に亡くなったKさんのご家族からビールの差し入れがあったりと、それぞれの人生の中で中学校の意味や重みが違うのだと改めて思いつつ、自分にとっての中学校の意味を問い直す瞬間でもあった。

同窓会の締めは校歌斉唱。歌詞が4番まであることが、今回発表された。こちらも中学校愛があるからこそ、4番までつくられたのだと勝手に感じ入ったところ。高らかにそして清々しく歌い切ったことで、なんだかとても元気になれたように思う。還暦同窓会というこのタイミングで校長として異動となった金子君のこと、縁の不思議を感じた。

フィナーレでは、今回準備から運営まで携わった世話人の皆さんの紹介、そして世話人松田君による万歳三唱で、楽しい同窓会を結ぶことができた。

みんなまぁるくなって、男性ならではの優しさや女性ならではの気づかいに、あたたかい何かを感じた。一夜漬けの司会だけれど、みんなが声をかけてくれて、やっぱり接待されるより、お世話役がいいなと思い直したところ。

日記みたいになったブログ。参加できなかったメンバーにも伝えたかったこと、そして自分自身も忘れないように記録した。

ありがとう、還暦同窓会!元気になりました。また、会える時を楽しみに。

9月6日 新たに追加
同窓会の会計報告、返金、DVD、写真が届きました。
最後まで、本当にお疲れ様でした。

同窓会への寄付は、母校の体育祭の大会旗として寄贈されました。



そのデータの背景を想像する力が大切(土谷 貞雄氏)

2019年08月03日 06時01分47秒 | 気になる○○
ひなたみやざきビジネスアカデミー の第1回講座『人を読み未来を解く』 が8月1日開催され、テーマに魅せられ受講した。講師は、 株式会社貞雄  代表 土谷 貞雄氏。土谷氏は、コンサルタント、建築家、住まい、暮らしに関する研究者、コラムニスト 。

講座では土谷氏から、「未来への答えは「人」の中にある、私がいつも心がけているのは、不満より満足していること、不足より足りていること、または必要のないと感じるもの、こうしたことをなるべく聞くように心がけています。デザインとは機能を付け足していくのでなく、いらないものを削ぎ落としていくことの中にヒントがあると思うからです。」と話された。

また、アンケートの回答からのデータ収集・解析。また、対話の中から情報を積み上げ、そのデータの背景を想像していくことが重要であると。

たとえば、寝室が別という夫婦が3割という調査結果がある。その理由の背景には、どんなことがあるのだろうか。夫、妻をゆっくり寝かせてあげたいという思いがあると仮定したら、どうだろうか。

モノの価値は背景で決まる。土谷氏は、背景を「コンテクスト」と表現された。そのデータの背景を想像する力が大切ということを何度も話された。そのプロセスで思考が鍛えられ、それが未来を読み解く力になると感じた。