不思議な体験、そして出会いが生き方を変えてゆく

2012年03月31日 17時03分15秒 | 出会いと経験

もう年も前のこと。総務庁(現内閣府)青年の船の事業に参加した。この船の事業は日間、船内で様々な研修をしながら、寄港地ヵ国(オーストラリア・ニュージーランド・西サモア・トンガ王国を訪問・研修をおこなった。旅も終盤になった頃、思いもよらぬ体験をしたので思い出を記したい。

10日余りで下船することもあり、乗船記念に、何か自分らしいことをしてみたいと考えていた。

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(旅の航路)

色々と考えた末、給油地のグァム島で日間の自由時間で何かとしようと考えた。そして、グァムの街をキレイにすることで、この町のことがわかるかも知れないと考え、清掃を行うことにした。枚のゴミ袋を準備し、片道だけのタクシー代と昼食代だけを手に船を後にした。

いよいよ、街の中心部から作業開始。
あるある。ゴミが多いのにびっくりした。分程で用意した10枚の袋は満杯になり、作業を終えた。その後昼食を済ませ、船までの道、約キロを歩き始めた。

不思議な事に、船までの帰り道でセント硬貨を何度も拾った。途中知り合ったメンバーとこの不思議な話をした後でも、他のメンバーは見つけることができないのに私だけが50セント硬貨を見つけた。本当に不思議だった。
お昼の食事代を使ってお金を持たなかった私が、いつのまにか裕福になり、皆で、飲食店に立ち寄った。

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(硫黄島)

店主である老人と話がはずみ、最後に戦争の話となった。当時グァムも(老人が17歳の頃)太平洋戦争中で、目の前で、親そして数多くの友人達を失くした事などを聞いているうち、いち個人としてではなく「日本の青年」としての立場で聞いている自分に気づいた。 謝罪の言葉が、自分の立場で言えるだろうかと。

また日本へ帰路の途中、激戦地硫黄島を間近に見た。弾丸を受けた為、生々しく変形した山々。中でもバンザイクリフと呼ばれる崖は、戦時中追いつめられた多くの日本人が、自決した場所と聞いた。その時の心理状態を察する事など、とても出来ないが、幸せな今を感じることができた。

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(洋上戦没者慰霊祭の様子)

これまで戦争を頭では理解していたものの、自分なりの感じ方が出来た。そんな事もあり、日本も間近にせまった3月12日に行なわれた「洋上戦没者慰霊祭」では、その意義を少しでも理解しようと努めた。戦死した人達は、その頃ちょうど私達位、若しくはもっと若い世代だったと聞き、たとえ日本の為だとはいえ、一つの死という真理の前に戦慄に震えた事だろう

同じ世代として、「酒もタバコも、もっと欲しかっただろう・・・」とそんな気持ちが心の中をかけめぐった。そして感じたまま、一本のタバコに火をつけ、海へと流した。それを見た友人も心が通じのか何も言わずに海へとタバコを流していた。

拾ったお金がその店に引き寄せた気がしてならない。そして、その経験がその後の活動に大きな意義を与えてくれた。
不思議な体験と出会い。この旅では自分から具体的に動くことが大切だと気づいた。

この「青年の船」事業参加後、この事業で得たものを活かして、さまざまな活動に参加している。その中でも「インド国際子ども村ハッピーバリー」活動では、音楽を通して、テーマソングの作詞を担当した。たくさんの方々に歌っていただいている


地球が夢見てる Piaceful World

作詞:鶴羽 浩 作曲:瀬尾ただみ

小さな瞳の大きな地球が 夢見てる
楽しい世界と輝く明日 ラ・ラ・ララ・・

手と手を合わせれば 命の音が聴こえてくるよ・・・

※Piaceful World 誰もが
Piaceful World 平和の世界を望んでる
Piaceful World みんなで
Piaceful World 新しい世界を見つけよう

 

ちいさな体のでっかいこころが 夢見てる
きれいな花と美しいまち ラ・ラ・ララ・・

見つめあえばわかるさ 生きていること 歩いていること・・

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お金は大切に・・祖母の口癖が聞こえる・・。

2012年03月25日 09時21分23秒 | 家族、仲間の話題

もうすぐ、祖母の命日。母代わりに育ててくれた祖母にいつもに感謝している。

いつも働いていた祖母。祖父の死で未亡人になったのが歳の時、農作業の傍ら、人の息子を育て、も建てた。


昔、父が大阪で会社を経営していた頃、祖母は、父の仕事の手伝いをしている母に変わり、幼い私の面倒をみるため、宮崎から年間手伝いに来てくれた。
土とともに生きた祖母。慣れない都会生活は、大変だったろう。


数年後、父は事業をたたみ祖母とともに帰郷。新聞紙を敷いて眠ったこと夜汽車の旅・・。今となっては良き思い出だ。
昭和39年。故郷宮崎で再スタート


幼い頃、祖母の行商について行った。野菜を積んだリアカーでいろんな町へ出かけた
帰りには田んぼ道で、祖母を乗せたりして遊んだこともあった。


ある時、市場へ野菜の代金をもらいに行ったときのこと。
代金を楽しみに祖母と袋を空けたら、中に入っていたのは円硬貨と明細書だけ。忘れない一コマ。

あれだけ苦労して育てたものが・・
「お金は大切に使えよ」が口癖だった祖母。
苦しい・キツイという言葉を聞いたことがなかった祖母が、病気で緊急入院したあの日漏らした苦悶の声・・・。


その時、心に決めた。それは「これからは祖母に精一杯尽くそう」ということ
亡くなるまでの数年間は、祖母へできる限りの優しさを尽くした。


だからという訳ではないけれど、お別れの日は、経験したことがないくらい涙がこぼれた・・。
そして、自分自身の人生の中で一番の熱くて悲しいラブレターを弔辞として、祖母へ送った。


気付いてみると孫を持つ世代になりつつある。人の強さ優しさ、逞しさ。後姿で教えてくれた祖母。そして今も思うのは、祖母がどこかで見守り助けてくれているという不思議な安心感。それが私の財産かもしれない。



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Apple CM Think different

2012年03月20日 21時00分53秒 | 気になる○○

スティーブのように深い影響力を与えられる人間は、めったにいない。その影響はこれからの多くの世代にも受け継がれるだろう。希有の天才と同じ時代に生きたことを誇りに思う。

アップルCM「Think Different.」(声:スティーブ・ジョブズ)[日本語字幕]

クレージーな人たちがいる
反逆者、厄介者と呼ばれる人たち
四角い穴に 丸い杭を打ちこむように
物事をまるで違う目で見る人たち

彼らは規則を嫌う 彼らは現状を肯定しない
彼らの言葉に心をうたれる人がいる
反対する人も 賞賛する人も けなす人もいる
しかし 彼らを無視することは誰もできない
なぜなら、彼らは物事を変えたからだ
彼らは人間を前進させた

彼らはクレージーと言われるが 私たちは天才だと思う
自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが
本当に世界を変えているのだから



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今が一番いい!

2012年03月15日 07時11分45秒 | ひとりごと

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年前は、今より歳若く、元気だったなぁ~ 社会情勢も今よりは・・・と
毎年ように感じた歳後半

歳を過ぎた頃から、「来年も同じことを考えているのでは・・・」と思うようになった

そうか「今」が番いいんだ・・・そう考えると、いろんな事に対して前向きに考えることができるようになる

「い」「ま」と言っている間に、時が過ぎ去っている。

生きる時間に対して、焦る必要は無いけれど、自分なりに「納得」できる生き方をしていくことが大切なのではないだろうか・・・と思う今日この頃

時は「

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青年会議所の同期会に参加ヾ(^ω^*)旧交を温める。

2012年03月08日 22時51分51秒 | 家族、仲間の話題

青年会議所は、歳以下の青年経済人によって組織されるまちづくりとひとづくりの団体。
私は歳で入会し、年間在籍し、卒業をした。入会理由は、総務系の仕事(指示・連絡・調整)を学びたいという思いがあったからだ。

実際入ってみると、異業種交流・先輩後輩とのつながり(体育会系のノリ)・部下との関係・企画力や宮崎の歴史など、様々な事を学んだ。もちろん当初の目的も得るものが多かった。

身銭を切って、県内外へと出かけることも多かった。また、忙しい仕事の合間や休日などをつかっての活動であるため、苦労も出費も多かったが、それ故、共に活動した仲間は、今もなお財産である。


宮崎青年会議所年の歴史とともに、各回生ごとに同期会がある。
毎月定例会をおこなう同期会、年1~2回の集まりをする回生など、バリエーションが豊かである。大きな大会やイベントを実施した年は、汗も苦労も多く絆も強くなったと思う。それらが各回生にも反映しているのだろう。


Photo


さて、今回は名の同期メンバー全員は揃わなかったものの、久しぶりの再会に旧交を温めた。
次会ではダーツバーに初めて入店。楽しかった・・・。このような店を楽しむ若い方の感覚はいいものだと改めて感じた。


回投げて合計点数で競うゲームを回程挑戦。最終回では、最下位点数のメンバーがおごり・・ということになり、言い出したメンバーが負けるというジンクスが今回も生きていた・・・。ごちそうさまでした。次回は秋に・・楽しみヾ(^ω^*)

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最強のコンビニ

2012年03月03日 18時39分14秒 | のほほん日記

小学生の頃、学校帰りに立ち寄るお店があった。お店の名前は、宮原商店。恰幅のいい叔母さんと時折手伝っている美人の姉妹が切り盛りしていた。
その姉妹と目が合うと心臓がドキドキしたっけ。お釣りをもらう際に姉妹と手が触れたあの感触。早く大人になりたい・・と思った・・ってどんなガキなんじゃ~。



さて、お店は坪位の広さで、日用品、野菜、切手、生花、たばこなど、生活に必要なものはほとんど揃っていた。
当時少なかったもあり、公衆電話として利用できた。外にあった蛇口は、夏の暑い日には、少年達の格好の水飲み場
その他にも作業服や帽子、鎌など農作業の道具、そしてガソリン・灯油まで売ってあり、戸余の町(延岡市稲葉崎町)には無くてはならない店だった。



また、モノを販売するだけでなく店の内外では、村の人達の情報交換や店主の叔母さんを通じての近所の安否確認など、コミュニティも存在していた。

叔母さんが高齢でお店を閉じてしまったが、今思うと最強のコンビニだったのだと思う。



現在、町のいたるところにコンビニが立ち並び、便利なサービスを提供している。それらは新しいものと古いものを融合して、新しい価値を生み出そうと模索しているようにも思える。

今後も新しいサービスが提供されていくと考えられるが、コンビニにできることはもっとあるだろう。



昔のことを言うと笑われるかもしれないが、宮原商店みたいに、みんなのためのみんなのお店が増えていけばいいみんなが幸せになるハズ。

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