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みやざき景観まちづくりシンポジウムin綾

2013年03月24日 06時22分05秒 | まちを良くする活動

昨日、綾町で開催された「みやざき景観まちづくりシンポジウムin綾」に参加した。景観やまちづくり活動に以前から取り組んでいることもあり、参加した。
仕事の都合で午後から2時間程度の参加だったが、実り多いシンポジウムだった。

また、1週間程前だったろうか毎日新聞で都市景観の問題を取り上げていたこともあり、意義深いシンポジウムでもあった。
講演途中から参加したが、サンデーモーニングでおなじみの涌井史郎氏、具体的でわかりやすい話に引き込まれた。
一番感じたことを一言で表すと「温故知新」だ。

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『人と自然・人と人が織りなす地域の景観』
東京都市大学環境情報学部 教授 涌井史郎氏

有史以来先祖が自然と共生しながら生きつくったきた里山。ここにはたくさんの英知が蓄えられているという。
その他にも701年大宝律令が制定され日本国の成り立ちでは、河川流域や地形区分から地域が分けられ国土の経営がなされたこと、福島県の300年かけてつくった防潮林と樹齢173年と言われる奇跡の一本松の話、身土不二の意味、エンゲルベルト・ケンペルの見た古き良き日本では、景観づくりは地域の独自性と品格であり磨いていくことが大切、氾濫をくり返す釜無川の水を治めるため、約20年という歳月を費やして築いたとされる日本最古の治水土木施設「信玄堤」、観光の語源は易経(えききょう)であることやその意味などの事例を上げながら、人の暮らしと景観のかかわりを聞いた。

自然と戦うのではなく、自然とともに生きることがつまりは「自然を守れば自然が守ってくれる」ことなど示唆のある言葉をいただいた。先祖は、そうやって負けて勝つ方法やいなして生きることで、安心安全に暮らしてきたのだと思う。上記の釜無川の治水のように、暴れる川の勢いをぶつけて和らげる、越流させて農業用水として使うなど、多くの知恵が刻まれている。
その他にも景観とはコミニュティのためのツールであるという言葉にも共感した。

「風」という言葉は、みんなが共有するイメージだと聞いた。
風景、風土、風味、風情、風合などの言葉があるように、良い言葉と再認識した。

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≪パネルディスカッション≫
『景観づくりと地域づくり ~景観は住民心の映し鏡~』
・コーディネーター
北川義男氏(造園修景協会宮崎県支部長 元南九州大学環境造園学部教授)
・コメンテーター
涌井史郎氏(東京都市大学環境情報学部 教授) 

・パネリスト
吉武哲信氏(宮崎大学工学部 准教授)
高尾忠志氏(九州大学大学院工学研究院 特任助教)
河野耕三氏(綾町照葉樹林文化推進専門監)
石井和郎氏(活動団体代表:NPO法人正応寺ごんだの会理事長)

パネルディスカッションで、吉武氏より持続可能な社会づくりのために、地域を育てる人をいかにして育てるか、愛着や誇りをどう育てるかという問題では、人とのネットワークをいかにつくるか。バランスのとれた地域づくり、ソーシャル・キャピタル(涌井先生琉ではご近所の底力と訳される)、人とのかかわりながらいろんなことを決めていく、市民の出番をつくり、まちづくりのプロセスを見てもらう、子ども達にイベント等の体験を通してまちづくりへの意識を持ってもらう。例えば自然を知ってもらう、故郷を知ってもらうなどを通して、地域を愛する気持ちが醸成されていくのではないか。

高千穂の限界集落と呼ばれた村では、課題を発見して10年間外部の人とのかかわりを持ちながら活動してきたら、住民が自ら企画するようになった事例などを聞いた。

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照葉樹林の魅力やエコパークに認定されるまでの経緯。まちづくりの歩みなどが河野氏から紹介された。

組織的には、行政がやれること、民間がやれること、NPOができること、会社ができることなど段階を踏んでやれることが見えてくるとの報告が、石井氏からなされた。

地域をいかに維持できるか・・という質問に住民からは「景観の前に暮らしを守ってくれ」と言われた。経済・教育・環境・エネルギーすべてが関連しているが、まず狭い範囲で取り組む。

地域をキレイにすることは、景観をキレイにすることにつながる。涌井氏は宮崎交通の故岩切章太郎氏と仕事をした折り、どうやって街の個性を引き立たせるかを学んだという。
何かを足していくのではなく、引いていくことの「目利き」が大切だという。

戦後復興から50年社会資本を積み上げてきたが、これからの地域マネージメントは、余計なものはマネージメントしないことも大切。その見極めやルール(お作法・・いい言葉だ)

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今後のまちづくり展開のポイントを各自から話される。
地域の限られた人数では限界がある。地域の人達だけで取り組むのではなく、課題やテーマごとに人が集まったり、行政も横断的な組織づくりをしたり、地域外の方や専門家を交えて、共に担うことが「元気」につながるのではないか。関係性の無い人とワーキングしていくとき、気付いていくことも多いとの話も。

高尾氏からは、長崎県の五島に町づくりに参加した折、山がキレイだったので、キレイですね・・と話したら、どこが・・と言われた。住んでいる人が気付かない地域の良さがある。
当たり前に存在しているから大切。見えないものを信じないのが人間。もっと長い目で見て次の世代にメッセージを繋げていくのかを意識していくことが精神的に続かせることができるのではないか話された。

四季によって変化する景色。これが大切だ。地方の荒廃を引き受けてくれるところがない。都会の人に体験してもらうことが大切ではないかとコーディネーターの北川氏から提言。

ゴールをどこにおくか。50年後とした時「孫の世代」とするときイメージや実感としてとらえることができるのではないかと石井氏。

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最後の涌井氏より、神木は新月の時に切るという話を聞いた。新月の時は、重力が木の根を方へと向かう、その為伐採した木は良い木になる。他の日の伐採した時とまったく違うと言うことだった。
そうやって月と対話しながら、自然とともに生きて来た日本人の知恵。

その他にも「いいな」と思うことには、必ず理由がある。専門家に専門的・構造的に解説してもらうことが必要だとも・・。

自然も歴史も人も、伝統も文化も経済もつながっているのだと思う。 そこに住む人たちが時間をかけて、そして絶え間なく紡いでいくことが景観をつくっていくのだろう。前記の文章とは関係ないかもしれないが、先日、新聞に掲載されていた記事を紹介したい。

「南欧の人々が建物の内部をハイテク化しても外観を変えないのは、住民が代々共有する記憶へのこだわり、町の歴史への畏怖があるからだ」国連環境計画によると、日本は、建物などの製造資本、教育など人的資本と自然資本を加えた「国富」が一人当たり世界一だという。それほど豊かなら、今の風景を残すか、かつての山野や町並みを取り戻すことに力を注ぎ、新たな国土開発、ハコ造りから手を引いてもよい。そんな時代が来たのではないだろうか。(3/21 毎日新聞より)

宮崎は文明に侵されていない地域であるとの話もされた。これも住んでいてわからないことだろう。地域に誇りを自信を持つことが大切だと感じた講演会だった。関係者の皆様ありがとうございました。



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